112:離れていても2
前回のざっくりあらすじ:バードとココは、引き続きマルコムが面倒を見ることになった。
宮殿での宴から数日後に、一座は聖地エレオスから旅立つ事となった。
数ヶ月の滞在で、充分すぎるほどに旅路の情報は集まり、陸路でアルモニア音楽院のあるカルマート国を目指すことを、グスタフは決めた。
「カルマートまであと少しだが、船は使わずに砂漠を越えようと思う」
陸路でカルマートへ至るには、砂漠の国モレンド公国を通る必要がある。グスタフが皆に告げると、ラチェットが不安を口にした。
「ですが座長。モレンドは去年まで戦時下にあった国です。いくら政情が安定してきたと言っても、まだ危ないのでは?」
「いや、聖皇国や皇国の軍がまだ中に入ってる。砂漠の盗賊団も、数を減らしてるらしい。北部を抜けるまでは町が少なくて補給が大変だそうだが、それ以外は活気も戻りつつあって、通りやすいそうだ」
「そうですか。それなら、まあ何とかなるのかな……。南部に行けば、カルマートも近いですからね」
納得するラチェットの向かいで、メグは、なおも不安を口にした。
「でもお父さん。確かルイサ様を狙ってたのって、その砂漠の国の人たちでしょう? 本当に大丈夫なの?」
メグの言葉に、ニースとセラが、ぶるりと震えた。
「それって、毒の……?」
震えるニースの声に、メグは気まずそうに答えた。
「ごめん、二人とも。怖がらせるつもりはなかったんだけど……」
マルコムが、ニースたちを安心させるように、穏やかな声で話した。
「ニース、セラちゃん。怖がらなくても大丈夫だ。あの時の犯人たちは、旧モレンド王国の強硬派だったやつらだ。あの後、もうみんな捕まったんだよ。だから、心配しなくていい」
グスタフが頷き、言葉を継いだ。
「万が一何かあっても、私たちが君たちを守る。安全を確保出来るようにするから、安心してほしい」
ニースは、少し不安が残っていたが我儘になってはいけないと頷いた。
「……わかりました」
「セラちゃんも、それでいいか?」
マルコムの言葉に、セラも戸惑いながら頷いた。
「はい。怖いですけど、ニースが一緒だから」
グスタフは、柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。無理をさせてすまない。二人を必ず無事に、カルマートへ連れて行くからな」
二人の不安を少しでも解消しようと、グスタフたちは砂漠に入るまで、入念に情報を集めながら行くことを決めた。
旅立ちが決まると、ジーナは、これで最後と言うように、大量のお菓子を作った。グスタフは運営に役立ててほしいと、ジーナのお菓子と共に、聖地エレオスでの稼ぎの一部を孤児院に寄付した。
ジーナはそこで、あの日盗みを働いた幼い子どもと会う事が出来た。子どもは、捕まってしばらくは心を閉ざしていたが、ジーナのお菓子を食べる中で少しずつ心を開いていた。
甘いお菓子の作り手であるジーナと初めて会った子どもは、緊張した面持ちながらも、嬉しそうにクッキーを受け取った。
「おばちゃん、ありがとう」
ジーナは一瞬、眉をぴくりと動かしたが、優しい笑みを浮かべて子どもの頭をくしゃりと撫でた。
「ジーナって呼んでねー。あなたの名前は何ていうのー?」
「ぼくはエスピダだよ、ジーナさん」
「そっかー。エスピダくん、元気でねー。またいつか、この国に来たらお菓子を届けに来るからー」
「うん!」
笑顔で頷いたエスピダを、ジーナは、ぎゅっと抱きしめた。そんな二人を、グスタフが切なげに微笑んで見つめていた。
ニースとラチェットは、ムルキたちや聖歌隊の祈手たちと別れの食事会をした。食事会は、正式に婚約が決まったシルフとムルキのお祝いでもあり、二人は心からシルフたちを祝福した。
「おめでとうございます。ムルキさん、シルフさん」
「良かったですね、お二人とも。いつ式を挙げるんですか?」
微笑むラチェットの問いかけに、ムルキは照れくさそうに笑った。
「出来るだけ早い方が良いと聖下が仰るので、準備が出来次第ですね」
ニースたちが住む世界では、女性は十五歳で成人すると同時に結婚する者がほとんどだ。二十歳を過ぎると晩婚となるため、教皇はシルフの結婚を急いでいた。
ウンダが優しい笑みをシルフに向けた。
「話を聞いた時は驚いたけど、幸せそうで何よりだわ。シルフ、良かったね」
シルフは、幸せそうに笑った。
「おじいさまったら、早く孫の顔が見たいんですって。気が早過ぎて困ってしまいますわ」
グノムが愉快そうに、あははと笑った。
「それなら、ニース様じゃなくてムルキで正解だったな。ニース様とじゃ、孫なんてまだまだ先だったろうに、なんで聖下は、ニース様と結婚させようとしてたんだか」
話を聞いていたニースは、不思議そうに問いかけた。
「どうして、ぼくとだと遅くなるんですか?」
「え……?」
固まる一同に、ニースは問いかけた。
「赤ちゃんを産むのは女の人ですよね。ぼくは男だから関係ないのに、どうしてですか?」
ラチェットが、気まずさを誤魔化すように、笑いながら答えた。
「ニース。子どもを育てるために、仕事をしなくちゃいけないだろう?」
ラチェットの説明にも、ニースは首を傾げたままで、納得しなかった。
「舞台で歌うのは、仕事にならないんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
困りきったラチェットを見て、ウンダが話を変えようと声を上げた。
「うっかりしてました! 私、ニース様たちに栄養ドリンクを持ってきたんです!」
ウンダは慌てて大きな酒瓶を二本取り出した。中身はドロドロとしたどす黒い液体で満たされており、ニースとラチェットは戦慄した。
「これって……」
「私の特製です。ニース様たちはお嫌いでしたけど、砂漠に行くなら体力を付けないと、体が保ちませんから」
ウンダの特製栄養ドリンクには、様々な生薬が配合されており、身体には良いものの、独特の風味が強烈で、ニースは数回、失神した経験があった。
「本当は、一座の皆さま全員の分をお渡ししたかったのですが……ニース様とラチェット様の分しかご用意出来ず、申し訳ありません」
「そこまで無理して頂かなくても……」
顔を引きつらせたラチェットに、ウンダは、にっこり微笑んだ。
「私、戦時中はこの国の南部に住んでたんです。ですから、砂漠の暮らしは良く知ってます。これを飲んでおけば、数日迷うことがあっても、耐えられますから」
ウンダの話に、ニースはぷるりと震えた。
「そんなことには、なりたくないです……!」
二人は断りたくて仕方なかったが、ウンダが引き下がる事はなく、仕方なしに受け取るしかなかった。
「ありがとうございます……」
「心して飲みます……」
ウンダのおかげで、ニースの疑問はどこかへ消え去った。食事会が終わり別れの時には、ニースとラチェットは涙を浮かべたが、寂しさの涙なのか、ウンダの餞別を受け取った喜びの涙なのかが、分からなかった。
一座は旅立ちの前日には、教会で蒸し風呂を楽しんだ。聖地エレオスでの滞在中、週に一度は必ず蒸し風呂へ入っていたニースたちだが、全員が揃って入るのは数ヶ月ぶりだった。
ニースは、マッサージまで全て終えて着替えると、グスタフ、マルコム、ラチェットと共に、教会の中庭のベンチで涼んでいた。
ニースは、そこでふと、あることに気がついた。
「そういえば、マルコムさん」
「ん? なんだ、ニース」
「最近は町を出る時に、ほっぺに紅葉みたいな痕がつかなくなったんですね」
ニースの言葉に、グスタフが笑い声を上げた。
「ははは。そうだな、ニース。よく見てるな」
なぜ笑われたのか分からないニースに、マルコムが困ったような表情を浮かべた。
「ニース。俺はな、好きであの痕を付けてるわけじゃないんだ」
「そうなんですか?」
首を傾げるニースにグスタフが笑い転げる隣で、ラチェットが、気遣うようにマルコムに問いかけた。
「マルコムさん、結婚を諦めたんですか?」
「ん? いや、そういうわけじゃなくてだな……」
気まずそうに視線をそらし、頬をかくマルコムに、グスタフがニヨニヨと笑みを向けた。
「なんだ、マルコム。もしかして、うまくいってるのか?」
マルコムは、じろりとグスタフを見ると、大きなため息を吐いた。
「そういうわけじゃないんだ。ただ、俺はどうしたいのか、自分でも良く分からなくてな……」
ニースは、ますます首を傾げた。
「どうしたいのかって、何がですか?」
グスタフとラチェットが、困ったように顔を見合わせる中で、マルコムは真剣な眼差しでニースに問いかけた。
「なあ、ニース。ニースには、大好きだけど、大切すぎて触れないものって、何かあるか?」
きょとんとするニースに、マルコムは切なそうに笑った。
「わからないよな……。まだニースは、わからなくていいんだ。ただな。俺はいま、そういう大切なものを、どうしたいのかが分からないんだよ」
「大好きで大切なのに、分からないんですか?」
不思議そうなニースの問いかけに、マルコムは自分の手をじっと見つめた。
「ああ。本当はな、俺はその大切なものに触れたくて仕方ないんだ。自分だけのものにしてしまいたくて。
でもな、その勇気が出ない。触れたら、消えてしまいそうで、掴もうとしたら、泡みたいにすり抜けそうで、怖くて仕方ないんだ」
ニースは真剣なマルコムのために、何か出来ないかと考えた。
「ええと。そしたら、掴まないで囲えばいいんじゃないんですか? そしたら、見ていられますよね」
マルコムは、首を横に振った。
「それは、俺はもうやってるんだよ。触れずにじっと眺めるのは、ずっとやってるんだ。でも、それももう出来なくなる」
「なんでですか?」
「その大切なものが、この聖地にあるからだ」
ニースは腕を組み、再び考えた。
「うーんと、それって、移せないんですか? 箱に入れて馬車に移せば……」
マルコムは、ニースの優しさを有り難く感じながらも、苦笑いを浮かべた。
「それは無理だな。ちゃんと納得してもらわないと無理だ。勝手に移すことは出来ないんだよ。俺の大切なものには、意思があるんだ」
「意思ですか。バードとココみたいですね。……バードたちみたいに、離れていても話が出来たらいいのに」
ニースが呟いた言葉に、ラチェットが首を傾げた。
「ニース。バードとココって、離れていても話が出来るのかい?」
ニースは、ラチェットに頷いた。
「はい。……そういえば、ラチェットさんにちゃんと話してませんでした。ええと……」
ニースは、周りをキョロキョロと見回して、声を落とした。
「あの、ぼくが見た夢でですけど、バードとココが離れてても話が出来るって言ってたんです。内緒話をしたいって」
囁くニースの声を、顔を近づけて聞いたグスタフが、はははと笑った。
「なんだ。ニースの夢の話か」
ラチェットは苦笑いを浮かべたが、マルコムは思いついたように笑みを浮かべた。
「そうか。離れていても、話が出来ればいいんだ」
晴れやかな笑顔で立ち上がったマルコムに、グスタフが困った顔で声をかけた。
「おい、マルコム。今のはニースの夢の話だぞ?」
「わかってるよ。だが、うちにはいるじゃないか。優秀な伝書鳩が二羽も」
マルコムの言葉に、ニースは首を傾げ、ラチェットは固まった。グスタフが、頬を引きつらせながら声を絞り出した。
「マルコム、まさかお前……。バードとココに、手紙を運ばせる気か?」
「ああ、そうだよ」
歩き出すマルコムを、グスタフは必死に追いかけた。
「だがマルコム。手紙を運んでる最中に、バードたちに何かあったらどうするんだ」
「わかってるさ。だからもちろん、本人たちの意思を尊重する。嫌だと言うなら、やらせないよ」
「意思を尊重ってどうやって確認する気だよ……」
言い合いをしながらどんどん歩いていく二人を見て、ニースは固まるラチェットの袖を引いた。
「ラチェットさん。マルコムさんの大切なものって、手紙を読めるってことは、賢い動物なんですか?」
ラチェットは、ニースの言葉に意識を引き戻し、苦笑いを浮かべた。
「……ああ。賢いと思うよ。かなりね」
ラチェットは、ため息を吐きながら歩き出す。ニースは、ラチェットの後ろをついて歩きながら、手紙を読めるほどの賢い動物が、いったい何なのか、想像を膨らませた。
翌朝。一座はメアリとタネリ夫妻に見送られて、聖地エレオスを後にした。
メグが別れの挨拶で泣いたが、ニースたちは寂しさを胸に感じつつ、また必ず会おうと約束し、礼を言って出発した。
ニースはオルガン馬車の荷台に乗り、ラチェットが馬車の手綱を握った。マルコムが、道をバードに覚えさせようと、グスタフの馬車に乗ったからだ。
今まではグスタフの馬車が先頭だったが、聖皇国を抜けるまではオルガン馬車が先頭を走ることになった。二台の馬車は、柔らかな日差しに照らされて、聖地エレオスに別れを告げた。
これにて、第7章終了となります。
このあと、閑話、幕間劇、人物紹介を挟みまして、第8章へと続きます。
戦後間もない砂漠の国で、新たな出会いがニースを待っています。とある恋の話をきっかけに、ニースの歌がまたひとつ成長します。
引き続きよろしくお願い致します。




