110:聖女の想い3
前回のざっくりあらすじ:祈歌を四重唱にしたら、効果が増大した。
教皇は、教会と聖皇国をまとめる立場であるが、それ以前に一人の老人だ。可愛い孫娘の願いを無視する事など出来なかった。しかしそれでも、ニースを聖皇国に留め置きたい気持ちに変わりはない。
嬉しそうなムルキとシルフを横に置き、教皇は再びニースに問いかけた。
「まあ結婚の話は、これで良しとしての。ニース様、カルデナ教の洗礼を受けるつもりはありませんか」
ニースは、教皇の言葉の裏にある気持ちに気付く事なく、済まなそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、教皇さま。ぼくは、聖カルデナのことはすごい人だと思います。でも、聖カルデナはぼくにとって、神さまというよりは、ひとりの女性という感じが強いんです」
ニースはココの記憶を通じて、聖カルデナの実際の姿を見てきた。ムルキたちから話を聞いた通り、立派な行いをしていたカルデナだったが、彼女が普通に悩み、苦しむ姿も夢で見たのだ。
「だからぼくは、聖カルデナを尊敬しますが、洗礼を受ける気はありませんし、聖カルデナのようになりたいとも思いません。ぼくは、ぼくの形で、たくさんの人に貢献出来るようになりたいと思っています」
何の疑いも持たぬニースが、はっきりと断ったので、教皇は一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直し、柔らかな笑みを返した。
「まだ小さいお年なのに、しっかりした考えをお持ちじゃ。あなた様なら、きっと素晴らしい天の導きとなられましょう」
教皇は寂しげな色を浮かべながらも、穏やかに言葉を継いだ。
「今後、ニース様がどこの国へ行かれても、我々はニース様を敬い続けます。何か困った時には、いつでも教会にお声がけください」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げたニースを見ると、教皇はマルコムに目を向けた。
「マルコム殿。そなたの二羽の鳥じゃが、その鳥について、ひとつお話しておきたいことがあるのじゃ」
マルコムは突然話を振られ、怪訝な表情を浮かべた。
「なんでしょうか」
「鳥の名前じゃが、バードとココという名前は、そなたがつけたのかのう?」
なぜ名前について聞かれるのか、マルコムは首を傾げたが、真っ直ぐに教皇の目を見つめて答えた。
「いえ。バードの名前は、ニースの家の近所の女性がつけました。ココについては……」
マルコムは、ココの名前をバードが教えたという話を、そのまま伝えていいか迷った。鳥が鳥の名前を教えるなど、聞いたこともない話だからだ。
口籠るマルコムを見て、教皇は何かを察したかのように、深く頷いた。
「いや、みなまで申さなくてもよろしい。実はその二羽の名前じゃが、教会に残っておりましての。
聖カルデナが連れていた鳥がココ。聖カルデナが生涯探し続けた鳥がバードという名前なのじゃ」
ニースたちが思わず息を呑む中、ムルキたちは気まずそうに顔を見合わせ、メアリが戸惑いながら、教皇に問いかけた。
「失礼ですが聖下。そのようなお話は、私は初めて聞きました。それは、上層部のみの機密事項なのではございませんか? 私は席を外した方が……」
メアリの言葉に、ムルキたちも口々に頷いた。
「私たちも、そのようなお話を聞く立場ではございません」
「この場にお招き頂いたことは感謝申し上げますが、これにて失礼させて頂きたく思います」
「聖下。今のお話は聞かなかったことにしますので、ご容赦を」
教皇は、がははと笑った。
「いやはや、すまんすまん。うっかりしておった。まだそなたらに話しておらんかったわ」
きょとんとするムルキに、教皇は顔を向けた。
「まず、ムルキくん。君はシルフの婿となる身だ。私とシルフの家が何なのかを思い出してほしい」
「聖下のご出身はアネモス家……あ!」
はっとしたムルキに、教皇は頷いた。
「そう。最初の使徒で、愚かな使徒の家じゃ。じゃから、ムルキくんは知っても構わん。……それから、ブラザーグノムとシスターウンダじゃがの」
名前を呼ばれて背筋を正した二人に、教皇は笑みを向けた。
「二人はムルキくんとシルフと共に、新たな使徒に任じられる。今回の功績はそれだけ大きなものなのじゃ。地位は司教と同等となるから、二人も知って構わん」
突然の話に礼を言うのも忘れて唖然とする二人をそのままに、教皇はメアリに顔を向けた。
「シスターメアリは、明日から聖地エレオス北部教区の補佐司教となる。あと数刻後の話じゃから、問題ない。グスタフ殿たちは、当事者じゃからな。この件に関しては知ってもらわねばならぬ」
「ほ、補佐司教……」
くらりと目を回したメアリをマルコムが支えた。その様子に、教皇は楽しそうに笑った。
「まあ、そういうことでのう。シスターメアリは、早よう結婚相手を決めねばのう」
「え……」
固まるマルコムに、教皇は何かを察しているかのような笑みを向けた。
「司教となるまでに結婚していない者には、教会主導で縁談をまとめるのが慣例じゃ。祈手には子を生してもらわねばならぬからのう」
気を取り戻したメアリから、マルコムが手を離すのを横目に、ラチェットは教皇に問いかけた。
「聖下、ひとつ質問をしてもよろしいでしょうか」
教皇は快く頷いた。
「ラチェット様。あなた様には大変お世話になりました。何でも聞いて頂いて構いませぬ」
「ありがとうございます。……ずっと気になっていたんですが、歌い手の力は遺伝しないのに、なぜ教会では祈手に結婚を勧めるのですか?」
教皇は和かな笑みを浮かべた。
「良い質問じゃ。そこに気づかれる方は、なかなかおりませぬ。ラチェット様は、教会が祈手の力も遺伝すると信じているという話を聞いたのじゃろう?」
「はい、そうです」
「あれは実は、教会が大昔に広めた嘘なんじゃ」
ラチェットは、興味深げに身を乗り出した。
「嘘ですか? では、本当の理由は何なのです?」
「それはじゃの。聖カルデナの願いだったからじゃ」
教皇の言葉に、ウンダが首を傾げた。
「聖カルデナの願いですか……? 私たちは、聖カルデナの生き方を真似て、結婚しない生き方を選んでいるのに?」
ウンダの呟きに、教皇が頷いた。
「そう。当時の人々は、聖カルデナの生き方を模倣した。おそらくそのために、祈歌もただ模倣するだけの歌い方に変わっていったのじゃろうて。そこに個人の想いを乗せることなく」
教皇は、微笑みをニースに向けた。
「ニース様が教えてくださったことは、まさに聖カルデナの想いじゃったと、わしは思う」
皆がニースに目を向ける中、教皇は教えを説くように、穏やかに話を続けた。
「聖カルデナは、実に心根の優しい女性だったと、伝わってましての。自分が恋人を忘れられずに生涯を過ごしたことで、自分を慕う人々が結婚しないことを危惧したのじゃろう。
せめて歌の力を持つものだけでも必ず結婚して、家族を成すようにと、今際の際に言い残したと伝えられておるのじゃ」
メグが感心したように頷いた。
「すごいわ。自分が結婚出来なかったのに、みんなには結婚しろって言えたのね。妬んで結婚するなと言い出しそうなものだけど」
教皇は切なげな笑みを浮かべた。
「そうじゃのう。教会にわずかに伝えられている話では、聖カルデナはニース様が仰ったように、感情豊かなひとりの女性だったことが伺えるのじゃ。
じゃが教会にとって、聖女は尊い者でなければならない。聖カルデナの真実の姿は、長い時を経てわからなくなってしまった。そんな聖カルデナの本当の想いに触れられる可能性が、バードとココなのじゃ」
ニースが、どきりとする中で、グスタフが教皇に尋ねた。
「その話はどういった内容なのか、お教えいただけますか」
「もちろんじゃ。そのために、みなさまにここにおいで頂いた。そしてこれは、昇階したシスターメアリとムルキくんたちにも、聞いてほしいことなのじゃ」
教皇の言葉に、メアリとムルキたちは顔を引き締めた。教皇は、ゆっくり話しだした。
「バードとココ。この二羽の鳥は、大層不思議な鳥だったそうでの。大変賢く、言葉を喋り、羽ばたきもせずに空を舞ったそうじゃ。……まるで、機械のように」
固まるニースたちと、絶句するメアリたちを安心させるように、教皇は話を続けた。
「あくまでも、伝わっている話でのことじゃがの。実際にマルコム殿の二羽がそうじゃと言ってるわけではありませぬ。
……まあそれで、そんなココにはある特技があったと伝えられておりましてな。ココは、自分が見た景色を人に見せることが出来たそうじゃ」
教皇の言葉に、ムルキが身を乗り出した。
「それは、どういった方法で見せることが出来るのでしょうか」
教皇は残念そうに、首を横に振った。
「それは分からん。そこまでは伝わっておらんでの。じゃが……もし、もしもじゃ。マルコム殿のココが、聖カルデナのココだとしたら。バードが、聖カルデナが生涯探し続けたバードだとしたら。
わしらは聖カルデナの想いを直に感じ取り、人々に正しく還元出来るのではと思いましての」
グスタフたちは思いがけない話に、じっと黙りこんだ。その様子を見て、教皇は気遣うように穏やかに語りかけた。
「みなさんは恩人じゃ。無理やり奪うつもりは、わしらにはない。しかし、マルコム殿が良いと言ってくださるのなら、二羽を教会へ寄贈して頂けないかと、思ったのじゃ。
もちろん、悪いようにはせん。二羽が全く関係ない鳥だとしても、見かけはこれほど伝承に似ているのじゃから、教会で大切に育てますでの」
教皇の言葉に、マルコムは困ったような顔をし、ニースは、じっとりと汗が吹き出すのを感じた。
教皇は、黙り込むマルコムに、柔らかな笑みを向けた。
「この話は教皇としてではなく、ひとりの老人の話じゃ。ゆっくり考えて頂いて、無理なら断ってもらって構いませぬ」
教皇の黒い双眸には一点の曇りもなく、無理強いをする気はないという話が真実なのだと感じられた。マルコムは悩みながらも、絞り出すように答えた。
「……はい。考えさせて頂きます」
ニースは、マルコムの返事を聞いて複雑な気持ちを抱いた。
――マルコムさんは、どうするつもりなんだろう。ココはカルデナの鳥だから、教会にいた方がいいのかもしれないけど、本当に酷いことをされないのかな……。
ニースは不安を感じながらも、顔に出さないように気をつけた。
教皇は、マルコムに柔らかな笑みを返すと、メアリとムルキたちに目を向けた。
「そして、そなたらは、今まで教会が教えてきた聖カルデナの話をそのまま鵜呑みにはしないでほしいのじゃ」
教会の長とは思えない発言に、皆、息を呑んだ。教皇は五人に言い聞かせるように、言葉を継いだ。
「そなたらは、これからの教会を導いていく立場となる。今後も、今日のような上層部しか知らない話を、いくつも知ることとなろう。
聖女としての姿だけでなく、ひとりの女性としての聖カルデナを考え、彼女の行いの真の意味を考えていってほしい。これは、教皇としてではなく、ひとりの老人の願いじゃ。良いかな?」
メアリもムルキたちも、真剣な眼差しで頷いたので、教皇は満足したように笑った。
「いやいや、すっかり話が長くなってしまったわい。今日はみな、このままここに泊まるがよろしかろうて。
ニース様やラチェット様だけでなく、ハリカのみなさまもぜひに。もちろん、みなさまと二羽の安全は、わしが保障するでの」
教皇の言葉に、グスタフは迷ったが、セラが船を漕ぎ始めていたので、宮殿に泊まることを決めた。
ニースたちは個室をそれぞれ与えられ、バードとココの鳥籠は、マルコムの部屋に置かれた。ニースは二羽の事が気になったが、すっかり疲れきっていたため、部屋に入るとすぐに眠りに就いた。




