109:聖女の想い2
前回のざっくりあらすじ:祈歌の本来の歌い方をニースは伝えた。
新年を迎えてしばらくすると、四人の生徒たちは、ニースの元から無事に卒業した。
ニースがココを通じて知った、祈歌の本来の歌い方は、メアリ、ムルキたちを通じて祈手たちに伝わっていった。
気持ちを込めて歌うことで、歌を聞いている間のみだが、祈歌の効果が増すことが分かり、四人は瞬く間に指南役として引っ張りだことなって、ローブの色も紺色に変わった。
ムルキたちだけでは手が足りず、ニースも教会に請われ、大聖堂で多くの祈手たちに歌い方を教えた。
石歌を日頃から歌っていた祈手たちは、祈歌に気持ちを込める事に戸惑いを感じることはなく、すぐに身につけ、多くの人々を癒していった。
この間にラチェットは、三十番まである祈歌全てを、重唱曲へ編曲した。タネリたちの調べで、旋律が重なる数が増えるほど、効果が増す可能性が出てきたため、ラチェットは四重唱に編曲していた。
この編曲した祈歌を、教会は聖歌と新たに名付け、祈歌とは分けて呼ぶ事を決めた。
教会は不協和音による異変の発生を出来る限り避けようと、聖歌を教える祈手の選別を、ニースとラチェットに依頼した。
二人が選んだ十五名の祈手は「カルデナ聖歌隊」を結成し、ニース、ラチェット、ムルキたちの指導の元、練習に励んだ。
聖地エレオスへ一座がやって来てから数ヶ月が経った。町は徐々に気温が上がり始め、乾季が終わりを迎えようとしていた。
聖歌隊のハーモニーは、安定した響きを奏でられるようになり、いよいよ効果を確かめる時が来た。
ニースはその日、朝から緊張していた。
朝早くから目が覚めて、すっかり支度を整えたニースは、同じく支度を終えたラチェットたちと共に、食卓の椅子に座っていた。
「今日の演奏、大丈夫かな。もし、あれだけの人たちで、不協和音になったら……」
不安でいっぱいのニースの肩を、ラチェットが笑みを浮かべて、ぽんと叩いた。
「そんな心配は、頑張ってきたみんなに失礼だよ、ニース。聖歌隊のみんなは、素晴らしいハーモニーが出来るようになったんだ。不協和音になったりはしないさ。
僕は、これで奇跡の力が増えなかったら……という方が心配だよ。せっかく三ヶ月もかけて編曲したのに、空振りで終わりたくはないからね」
メグが、じろりとラチェットを見た。
「そんな心配があるなら、なんで最初の一曲で試さなかったのよ。そこで試してダメだったら、こんなに長い間、大聖堂に篭りっきりにはならなかったでしょ?」
メグたちは公演で忙しく、ニースとラチェットは毎日大聖堂へ通っていた。そのため、お互いに顔を合わせる機会がすっかり少なくなっており、メグとセラは、ずっと機嫌が悪かった。
メグの言葉に同調するように、セラが、ぷぅと頬を膨らませた。
「メグさんの言う通りです。ニースがずっと教えてきたことだって、無駄になっちゃいます」
ニースとラチェットは、なぜ二人の機嫌が悪いのかわからず、困ったように苦笑いを浮かべた。
その様子にマルコムが、からかうような目を向けた。
「なんだ二人とも情けないな。普段会えない分、うちのお姫様たちを満足させなきゃダメだろう。しっかりしろよ」
ジーナがマルコムに、あははと笑った。
「やだわー、マルコムったらー。あなたが一番頑張らなきゃでしょー。メアリとぜーんぜん会ってないじゃなーい」
メアリは新年を迎える頃には役目を終え、テトラネマの町へ戻る予定だった。しかし配属が大聖堂へと変わり、住居を聖地の修道院に移したのだ。そのため、ニースとラチェットはメアリと会っていたが、ジーナたちはメアリとほとんど顔を合わせていなかった。
マルコムは、気まずそうに視線を泳がせ、立ち上がった。
「お喋りはこのぐらいにして、そろそろ行くぞ。グスタフが、馬車を回す頃だろう」
ニースたちが外へ出ると、グスタフが馬車を宿の前に止めたところだった。ニースたちは、バードとココも連れて、皆で大聖堂へ向かった。
大聖堂に着いたニースたちは、バードとココを外で放し、中へ入る。初めての試みとあって、中には多くの教会関係者が集まりつつあった。
祭壇前の最前列には、様々な傷を持つ患者たちが案内され、医師や治癒士たちが待機する。フィラカスを始めとする教会幹部や、祈歌の研究を行なっているタネリたち、聖歌隊に所属していない祈手たちも、期待に胸を膨らませ、やってきていた。
ニースは、たくさんの人が続々と集まるのを見て、自分が歌うわけではないのに、じっとりと手に汗をかいた。
やがて全ての準備が整い、大司教が挨拶を行う。紹介と共に、紺色のローブを身に纏うムルキに率いられた聖歌隊が大聖堂へ姿を表した。
聖歌隊は真新しい濃い灰色のローブを纏い、胸元に銀細工の鳥のブローチを付けていた。聖歌隊の面々は、緊張した面持ちでありながらも、自信に満ちた足取りで、祭壇の前に整列した。
ウンダ、グノム、シルフが、緊張するニースの隣へ座った。
「ニース様、いよいよですね」
「これだけ頑張ったんです。成功間違いなしですよ」
「どんな奇跡が起こるのか、楽しみですわ」
囁いた三人に、ニースは黙って頷いた。
中央に立つムルキは、集まった人々へ一礼し、聖歌隊に向き直る。そして、まるで楽団の指揮をするように両手を挙げた。
聖歌隊の初演奏が、ついに始まった。
祈歌は効果別に三十番まであり、聖歌も同じく三十番まで作られた。しかし、その全てを歌うとかなり長い時間がかかる。
今回は試験の意味を含めているので、その中からいくつかの聖歌を歌う事となっている。最初は痛みを押さえる歌を、聖歌隊は披露した。
聖歌が響き始めると、集まった司祭たちの胸元のブローチが、淡い緑色に光り出した。
「これって、奇跡の光……?」
呟いたニースに、シルフが囁いた。
「司祭が持つブローチには、祈石が使われておりますの。祈歌に反応して光るから、聖歌でも光ってるんですわ」
淡い緑色の光がそこかしこで幻想的に灯る中、苦痛に歪んでいた患者たちの顔が穏やかなものになり、呻き声の代わりに感嘆の声が漏れ聞こえた。
ニースは、ひとつめの成功に、胸を撫で下ろした。
続いて、切り傷の塞ぎを早くする聖歌が歌われる。治癒士が患者の包帯を解き、縫合後の傷を見守ると、ほのかな光に包まれて、傷口はみるみる塞がっていった。
驚きの声が上がる中で、次の歌が歌われた。体の痺れを軽減する祈歌が始まると、動き難かった手や腕を患者たちが滑らかに動かし始め、喜びの声が上がった。
そして最後に、傷ついた目の回復を促す歌を聖歌隊は歌う。怪我で視力を失った患者たちの瞳に光が戻り、大粒の涙と共に歓喜の叫びが上がった。
人々は家族と抱き合い、喜びの涙を流し、歌いきった聖歌隊の祈手たちは、心から幸せそうな笑みを浮かべた。ニースはその姿を見て、安堵の息を吐いた。
――良かった。成功したんだ……!
ニースはラチェットと共に、グノムや修道士たちに胴上げされ、歓喜の声は大聖堂の外まで響き渡った。バードとココが嬉しそうに、柔らかな日の光に照らされる大聖堂の周りを飛んでいた。
その夜、教皇の住まう宮殿の一室で、聖歌隊の成功を祝う宴が催された。
ニースは一座と共に宮殿へと招かれた。急な招待で大聖堂から直接向かったため、バードとココも布をかけた鳥籠に入れて、連れてきていた。
昔は王の居城だったのであろう、宮殿の広間は、皇国の迎賓館を思い出させる立派なものだった。
広間には、聖歌隊とムルキたちはもちろんのこと、メアリやタネリなどの今回の件に関わった修道士、修道女たちも、フィラカスら教会幹部と共に席についた。
教会の宴であり酒は出ず、宴といっても騒ぐ雰囲気ではない。いつもの一座のパーティとは全く違う趣きだが、聖皇国ならではの様々な料理が並ぶのを見て、招待されたニースたちは目を輝かせた。
全員が揃うと、細かな装飾が施された漆黒のローブを纏う教皇が、姿を表した。まるで親戚の老人のような穏やかな笑みを浮かべた教皇は、綺麗に剃られた頭に黒い小さな帽子を被り、口元には長く立派な白髭を蓄えていた。
祈りの言葉と共に挨拶を行うと、教皇はニースに笑みを向けた。
「ニース様。あなた様のおかげで、我らが長年追い求めていた聖カルデナの奇跡を、苦しむ者たちへ授けることが出来ました。
聖歌が終わってすでに半日が経ちますが、今もなお、奇跡の力は患者たちに残っているそうです。心からの感謝を」
ニースは、また三十回礼拝をされるのかと、どきりとしたが、宴の席でさすがにそれはしないようで、手を合わせて頭を下げた教皇に、ほっと胸を撫で下ろした。
宴は静かなものだったが、楽しく過ぎていき、宴が終わると、一座は別室へと通された。別室には、ムルキたち四人とメアリが待っており、ニースたちは肩の力を抜いて、お茶を飲みながら和やかに話した。
しばらくすると、教皇が部屋へやってきた。教皇はメアリたちの礼を受けると、ゆったりと椅子に座った。
「みなさま、楽にしてください。ここからは教皇ではなく、ひとりの老人との話となります。気を楽に」
にこやかに教皇が告げるが、すぐに態度を崩すわけにもいかない。皆が戸惑う中で、シルフが笑みを浮かべた。
「はい、おじいさま」
シルフの言葉に、ムルキたちが目を見開いた。
「え!? し、シルフの!?」
「聖下が、おじいさま!?」
「シルフ、どういうことなの!?」
シルフは、いたずらっ子のように、くすくすと笑った。
「みんな、黙っていてごめんなさいね。このことは他言無用よ」
シルフは、メアリやグスタフたちにも笑みを向ける。
「みなさんも、これからここでお話することは、秘密でお願いしますね」
シルフの言葉に、皆、緊張した面持ちで頷いた。ニースとラチェットは、苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。
教皇はシルフの言葉に笑みを浮かべ、ニースたちに目を向けた。
「さて、まずは改めて。ニース様とラチェット様、そしてハリカの皆様にお礼申し上げます」
ニースたちは、緊張した面持ちで頭を下げた。
「ありがとうございます、教皇さま」
「聖下のお言葉、有り難く頂戴致します」
「ハリカの座長として、皆に代わり感謝申し上げます」
教皇は満足気に頷くと、メアリに視線を移す。
「シスターメアリ。よくぞ皆様を聖地へ導いてくれました。あなたの大きな功績ですよ」
メアリは手を合わせ頭を下げた。
「過分なお言葉、痛み入ります。全てマザーローサのご英断と、聖カルデナの風のお導きのおかげです」
教皇はムルキたちにも笑みを向ける。
「ブラザームルキ、ブラザーグノム、シスターウンダ、そしてシルフ。あなた方も、よく頑張ってくれました」
ムルキたちは恐縮して手を合わせた。
「ありがたき幸せです」
「こ、この身に余る栄光に、感謝申し上げます!」
「あ、ありがとうございます!」
シルフは楽しげに笑った。
「ふふ。おじいさまったら、そんな言い方をなさったら、気楽になんて無理ですわ」
シルフの言葉に、教皇は、がははと笑った。
「そうじゃろうな。いやはや、いつもの調子で喋ってしもうては、みな驚くじゃろうて、がんばったんだがのう」
突然言葉が砕けた教皇に、ニースたちが目を丸くすると、教皇は楽しそうに笑った。
「まあ、わしは元来、こういう気質じゃ。気楽に行こうぞ」
固まるニースたちだったが、セラが、ぷっと笑った。
「教皇さまの話し方、面白い」
マルコムが呆れた様子でセラを見た。
「セラちゃん、教皇様にも容赦ないのかよ……」
小さく呟いたマルコムの言葉に、グスタフが笑った。
「いやあ、驚きましたが、かえってこの方が親しみを感じられます。皇国のパクス陛下を思い出しましたよ」
教皇は嬉しそうな笑みをグスタフに向けた。
「ほお。そなたらは、パクスと知り合いであったか。いやはや、あの若造には此度の戦では世話になったが、わしの前の教皇は頭を悩ませておったわ。わしは、喋りやすくて気楽でいいんじゃがのう」
すっかり和やかな雰囲気になり、お茶を飲みながら話は進む。
互いに打ち解けあうと、本題に入るというように、教皇がカップを置いた。
「ところで、ニース様。うちのシルフと結婚する気はありませんか」
ニースは、思わずお茶を噴き出しそうになり、むせって激しく咳込んだ。
セラが顔を真っ青にしてオロオロしだし、ラチェットがニースの背を叩く。シルフが困ったように声を上げた。
「おじいさま。もうその必要はないんじゃなくて? 私、歌の力は持たないけれど、歌えるようになりましたもの」
歌の力を持たないシルフは、鍵歌を継承出来ないため、歌い手と結婚する必要があった。しかしニースが現れた事で、歌の力がなくとも歌える事が分かり、シルフはニースの生徒になったのだ。
教皇は、シルフとニースが結婚すれば、聖皇国にニースを留め置けると考えていたが、シルフにその気はなかった。
「それに……私には、想いを寄せてる方がいますの」
シルフが、セラと同じように動揺しているムルキに目を向けたので、グノムとウンダは驚き、あんぐりと口を開けた。
「え……お前ら、いつの間にそんな……」
「二人とも祈手じゃないのに、本気なの?」
ウンダの言葉に、メアリが笑顔で口を挟んだ。
「あら。祈手じゃなくても結婚して構わないのよ。教義で禁じられているわけではないのだから。
私のお友達にも結婚した修道女がいるわ。彼女は今は世俗に戻って実家の宿を継いでるけど、結婚してからも、つい最近まで修道女として教会にいたの」
メアリの言葉に、メグが声を上げた。
「それってもしかして、ドリタさんのことですか!?」
「ええ、そうよ。ドリタは元修道女だったの。教会で二人は知り合ったのよ。言ってなかったかしら」
シルフは、メアリの話にも動揺しているムルキに、声をかけた。
「ムルキ様。いつまでそうしてらっしゃるの? ここであなた様が言って下さらないと、おじいさまが納得されなくてよ?」
突然のことで気が動転しているムルキの肩を、グノムが、ぱんと叩いた。
「ほら、ムルキ。しっかりしろ! 男だろ!」
グスタフたちも、よく分からないながらもムルキに声援を送った。
「そうだ、頑張れ。ムルキくん」
「男なら、びしっと決めないとな」
「頑張ってー」
ムルキは意を決したようにお茶を飲み干すと、立ち上がり、教皇の前で膝をついた。
「聖下。いえ、シルフのおじいさま。どうか、シルフさんを私にください!」
「それは無理じゃ」
一瞬にして却下された言葉に、ムルキが唖然として顔を上げた。教皇は、温かな笑みをムルキに向けた。
「そなたが、シルフの婿に来るなら許す。シルフは、わしの息子の一人娘なんじゃ」
「は、はい! 喜んで!」
皆が祝福の拍手を送り、ムルキは照れくさそうにシルフと頭を下げた。ようやく咳が落ち着いたニースは、心から安堵の息を吐いた。




