108:聖女の想い1
前回のざっくりあらすじ:ニースは鍵歌を、胸にしまっておくと決めた。
ニースが泣き止むと、ラチェットはニースを台所へ誘った。
温かなお茶を入れ、二人は食卓に座りゆっくり飲む。台所の窓からは、柔らかな二つの月の光が見えた。ランプの光が照らす中、ココは静かにテーブルの上に座っていた。
ニースは、ぽつり、ぽつりと、夢で見たことをラチェットに話した。ラチェットは真剣な眼差しで頷き、話を聞いた。
「そうか……。そういうことなら、やっぱりココは聖カルデナが生きた時代から、ずっといるってことだね」
「はい。たぶんそうだと思います」
ラチェットは、お茶を一口飲むと、じっとココを見た。
「ココの記憶には、辛いことがたくさんありそうだね。ココを部屋に入れないように、何か対策を考えないと……」
ニースは、カップの温もりを感じながら、考えた。
――ココの記憶は辛いけど、本当に見なければそれでいいの……? もし、ココの記憶の中に、何か大切なことがあったとしたら、それを知ることが出来なくなっちゃう……。
知らずにいる事で、取り返しのつかない何かが起こる事を恐ろしいと感じたニースは、きゅっとカップを握りしめた。
「でも、ぼく……知りたい気持ちもあります」
ラチェットが気遣うようにニースに目を向けた。
「しかし……そんな辛い夢を見る必要はないんじゃないかい? 好奇心があるわけではないんだろう?」
ニースは、ラチェットの言葉に、もう一度自分の気持ちを振り返った。
――ぼくのこれは、好奇心なのかな……。ううん。面白いとか、そういうので知りたいんじゃない……。
ニースは気持ちを確かめるように、考えを口にした。
「ぼくは好奇心はないし、わざわざ怖い思いはしたくありません。でも……」
ニースは、ココに目を向けた。
「ココは、どうしてぼくに、あの夢を見せたんでしょうか」
「え……」
唐突な問いかけに固まるラチェットを、ニースは真っ直ぐ見つめた。
「ココは、どうやってるのか分からないけど、わざわざ鳥籠を抜け出して、ぼくに夢を見せに来ています。それって、何のためでしょうか」
「何のためって……。ココに何か目的があるってことかい?」
「ぼくは、そうなんじゃないかと思います」
ニースは、ラチェットに感じている事を話した。
「シルフさんの家に、聖カルデナの騙し絵がありましたけど……。カルデナが何を言っていたのかは、分かりませんでした。でも、ココならそれを知ってると思います」
「それはそうかもしれない。じゃあ、それをココは伝えようとしていると?」
「違いますか?」
ラチェットは、小さく唸りながら、考え込んだ。
「うーん。どうかな。だって、ニースが最初に夢を見たのは、シルフさんの家に行く前だよね?」
ニースは、はっとして俯いた。
「確かに、そうですね。なんであの時、ぼくに夢を見せたんだろう……」
ラチェットは、確かめるように問いかけた。
「ニース。夢を最初に見たのはいつだったんだい?」
「初めて大聖堂で歌を歌った日の夜です。セラと一緒に、奇跡の再現をして……」
ニースは言いかけて、ふと思い至った。
「もしかして、ぼくが奇跡と向き合ったから……カルデナの奇跡の秘密を、教えようとしてくれてる?」
ラチェットは、あり得ないと苦笑いを浮かべた。
「まさか。夢は今日で二回目なんだろう? 何か教えようとしているなら、もっと夢を見せに来たっていいはずだよ」
「でも、他に理由がないです。ぼくが、ココの記憶だと気づかなかったから、見せなかったのかもしれないですし」
「うーん……。祠を見て、ココの記憶だと分かったから、また夢を見せたってことか。でもそれなら、何だって今回は、そんな物騒な内容の夢を?」
「それは、分かりませんけど……」
困りきったニースは、大人しくテーブルに座るココを見つめた。ココは、じっとニースの目を見つめ返した。
ニースは助けを求めるように、ココに問いかけた。
「ココ。ぼくに、カルデナがどうやって奇跡を起こしていたのかを、教えてくれようとしてるんじゃないの?」
ココはいつもは返事をしない。しかしニースの問いかけに、ココはくるっぽーと鳴いた。二人は、ココの声に驚いた。
「ココ……鳴けるのか」
「やっぱり、そうなんだ……」
ニースは考えをまとめるように、ラチェットに目を向けた。
「ココが、ぼくにカルデナの奇跡を教えようとしてくれてるなら、ぼくは知りたいです。それを知ることで、あの騙し絵のカルデナが、何を言おうとしていたのかも、分かるかもしれません」
ラチェットは困ったように、眉根を寄せた。
「ココは返事をしたけど、本当にそうと決まったわけじゃないんだよ? それに、ニースが無理をして知らなきゃいけないわけでもない」
ニースは、意志のこもった眼差しで、ラチェットに答えた。
「それでも、あの夢が過去の出来事なら、ぼくはちゃんと知りたいです。何か大切なことを知らずに、とんでもないことになったら、嫌ですから」
覚悟を決めたニースの顔を見て、ラチェットは、はぁと息を吐くと、お茶を飲み干した。
「わかったよ、ニース。ただし、夢を見るのは僕が隣にいる時だけだ。一人でココと寝ちゃいけない。ココも、僕がいない時に、ニースの胸に乗っちゃダメだよ。約束出来るかい?」
じっとココを見つめるラチェットに、ココは目を向けると、くるっぽーと鳴いた。
ラチェットは苦笑いを浮かべながらも、立ち上がった。
「さあ、まだ夜中だ。ニースは疲れてるんだから、ゆっくり眠らないと。……ココ。今日このあとは、ニースを寝かせてあげてね」
ココは返事をしなかったが、二人が部屋へ戻るとニースの枕元に座った。ニースはようやく、穏やかな眠りについた。
ニースは翌日から毎日のように、ムルキたちに聖地エレオス中を連れまわされた。それはカルデナ所縁の地を巡りながら、カルデナ教についてニースに教えていく、小さな巡礼だった。ムルキたちは、教会から何かを言われたようで、祠の出来事を口にすることはなかった。
カルデナ所縁の地へ赴いた夜には、必ずココが夢を見せた。ニースがその日訪れた場所で実際にあった過去の光景を、見せるのだ。
ニースは昼にムルキたちから聞いた話と、ココのカルデナについての記憶を夢で見ることで、より実感を持ってカルデナ教を信じるムルキたちの考え方について、理解していった。
そして、それと同時に、当時のカルデナの歌と、長い時を経た現在の祈歌の乖離に気がついた。
全ての巡礼を終えたニースは、大聖堂の休憩室で、ムルキたちに改めて歌について語った。
「ぼく、何が違うと感じていたのか、ようやく分かりました」
ムルキが緊張した面持ちで、ニースに尋ねた。
「なんでしょうか」
「それは、歌う時の気持ちの向きです」
四人は言葉の意味が理解出来ず、ぽかんと口を開けた。ニースはお茶を飲みながら、話を続けた。
「みなさんは、とても綺麗で整った歌を歌います。でも、歌っている時に心の底にある気持ちは、それぞれ違う方を向いてるはずです。
みなさんがハーモニーを合わせた時に、音はちゃんと重なっているのに、ぼくには、ちぐはぐに聞こえたんです」
「ちぐはぐ、ですか?」
「そうです。音は揃っているのに、歌がまとまってなくて、バラバラに聞こえるんです」
「バラバラ……」
考え込む四人を見て、ニースは問いかけた。
「皆さんは、歌は捧げるものだと言ってましたが、実際に歌う時には、具体的にどんな様子をイメージしてますか?」
「イメージ、ですか?」
「はい」
四人は顔を見合わせ、困ったような苦笑いを浮かべた。
「あの……私たち、特に何かをイメージして歌ってはいませんでした……」
言い辛そうに答えたウンダに、ニースは頷いた。
「やっぱり、そうなんですね」
「やっぱり、と言うのは?」
「みなさんも、祈手の方たちも。教会の人たちの歌声って、どれも綺麗すぎるんです」
「綺麗すぎる?」
「はい。形通りに、整えているだけというか。誰かの歌を形だけ真似しているだけで、そこに自分の気持ちが感じられないんです」
ニースの言葉の意味を計りかねたように、四人は黙り込んだ。ニースは、静かに話を続けた。
「同じ歌でも、そこに込める気持ちは人それぞれです。そしてその気持ちによって聞こえ方は変わるんです。
一人で歌う分には、歌は自由なものだから、みなさんの歌い方でもいいと思います。でも、ハーモニーを作る時は、複数の人で歌うから、音と一緒に気持ちも合わせないといけないんです」
「気持ちを、合わせる……」
考え込む四人に、ニースは笑みを向けた。
「歌が完成した時に、どんな風景を作りたいのか。その歌を聞いた人にどう感じてほしいのか。そういうことをイメージして、気持ちを合わせて作り上げないと、ハーモニーは響かないんです」
ムルキが困ったように、ニースに尋ねた。
「ですがそれは、本当に必要なことなのでしょうか。音が重なっているのなら、たとえ聞く人がちぐはぐに感じたとしても、それはそれでいいのでは?」
ニースは首を横に振った。
「ぼくはそうは思いません。最初は迷いましたけど、みなさんに聖カルデナのことを色々教えてもらったことで、今ははっきりとそう言えます」
「詳しくお教えいただけますか?」
「はい、もちろんです」
ニースは、夢で見たカルデナの様子を思い出しながら、穏やかに語った。
「教会で聞く祈歌は、さっきも言ったようにすごく整っています。でも、ぼくは思うんです。聖カルデナが歌った祈歌には、ひとつひとつ別の気持ちが込められていたんじゃないかって……」
ニースが感じたことは、ココの記憶の中で、カルデナが実際に歌っていた姿を見たから感じたことだ。しかしそれを、ムルキたちに話すことは出来ない。そのためニースは、実際に四人から聞いた話を元に、話を続けていった。
「聖カルデナは天の導きだから、石歌も歌っていましたよね」
「はい、そう伝えられています」
「石歌には、それぞれの石の力に合わせて、歌に込める気持ちを変える必要があると、ぼくは歌い手の先生に教わりました」
ニースの言葉に、ムルキたちは驚きの表情を浮かべた。
「それは初めて知りました」
「そうなんですか? 聖皇国にはたくさん石があるし、祈手もいるから、みんな石歌を知ってるかと思ったんですが……」
シルフが首を横に振った。
「石歌を歌石に込めるのは、確かに祈手の仕事のひとつです。ですが、石歌も秘術の一部とされているので、祈手以外の人は聞いたことがないんです。
私たち一般の修道士、修道女も同じです。秘術に触れることは出来ません」
「そうなんですね。……もしかして、聖皇国の石歌って、祈歌と同じように、形を真似してるだけなのかな……?」
ニースが不安を感じていると、扉をノックする音が響いた。メアリがニースを訪ねて来たのだ。
ニースは聖皇国の石歌について、メアリに尋ねた。メアリは、笑みを浮かべて頷いた。
「ニースくんたちの石歌と同じかどうかは、実際に歌って確かめた方がいいですね」
メアリは、隣の部屋から火石のランプを持ち出すと、小聖堂へとニースたちを誘った。
「ここなら、実際に歌って確かめられます。今から火石歌を何回か歌います。炎の大きさがどう変わるか、見ていて下さいね」
メアリは、演台の上にランプを置く。ムルキたちがじっとランプの炎を見つめる中で、火石歌を歌い出した。
全く同じ歌い方のはずだが、炎は大きくなったり、小さくなったりと、様々に形を変えた。
ニースはそれを見て、安堵の息を漏らした。
「メアリさん、ありがとうございます。ぼくが教わったのと同じでした」
ニースはムルキたちに顔を向けると、説明をした。
「石歌は、それぞれの石の効果が発揮された時のことをイメージして歌うんです。
たとえば火石歌なら、熱い炎が燃え盛る様を。氷石歌なら、冷たく凍える様をイメージするんです。そのイメージで、歌の力をコントロールすると、ぼくは教わりました。
ただ、ぼくの場合は、いくら頑張っても、歌の力は出ないんですけど……」
しゅんと肩を落としたニースを励ますように、メアリが笑みを向けた。
「ニースくんには、ちゃんと歌の力があるって、響石でわかってるでしょう? 音楽院で学べば、出来るようになるわ」
ニースは、優しい言葉を嬉しく感じ、ふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます、メアリさん。……ええと、だいぶ話がそれちゃいましたね。ごめんなさい」
ムルキたちに、ぺこりと頭を下げたニースに、シルフが笑みを向けた。
「ニース様、お気になさらないでください。それでニース様は、石歌がイメージをして歌うものだから、祈歌も本来はそういう歌い方じゃないかと、そう考えているんですね」
「そうです。聖カルデナの祈歌を聞いたという昔の人たちの逸話も、それぞれ感じ方が違っていましたよね。だからぼくは、この考えは間違っていないと思います」
「確かに、そういった逸話もありますね……。ニース様がそう仰るなら、そうなのでしょう」
シルフは、ニースが不思議な夢で鍵歌を知ったことを聞いている。そのため、ニースの言葉を天啓のように感じていた。
ニースの話は多少強引なものだったが、シルフが同意を示したので、ムルキたちも納得し始めた。
話を聞いていたメアリが、興奮した様子でニースに目を向けた。
「ニースくん、その考え方は素晴らしいわ! ハーモニーが出来ない祈手でも、奇跡が強まるかもしれない! 私、早速タネリに伝えてくるわね!」
メアリがすっかり賛同して部屋を出て行ったので、ムルキたちは、ニースの話にますます納得した。ニースは、ほっと胸を撫で下ろし、言葉を続けた。
「音が合わさればそれでいい。そういう考え方もあるのかもしれません。それが間違ってるのかどうかは、ぼくには分かりません。
でも、気持ちも合わせることが出来たら、歌うぼくたちも聞いている人々も、楽しくて幸せな気持ちになれます。
ぼくはみなさんに、ただ音を合わせるだけではなく、気持ちを合わせて楽しく歌ってほしい。歌う側だけでなく、聞く側の人たちとも、気持ちを重ねていってほしいと思います。
歌う気持ちについて、考えてみませんか? 聖カルデナが、どんな気持ちを込めていたのかも含めて」
ニースの言葉に、四人は頷いた。
ラチェットが編曲した祈歌を、四人は早速、どんな気持ちで歌うかを話し合う。やがてニースの指導の元、四人の歌声は音だけでなく、気持ちも溶け合うようになり、見事なハーモニーを作り上げていった。




