105:教会の守人2
前回のざっくりあらすじ:夢で見たのと同じ場所に連れていかれた。
帰りの馬車では何事もなかったかのように、ムルキたちはカルデナ教について、ニースに話して聞かせた。
しかし馬車が大聖堂へ着くと、シルフはすぐにどこかへ駆け出していった。風のように走っていくシルフに、ムルキたちは詰め寄ることも出来なかった。
その日は夕暮れも近づいていたため、ニースたちは、そのまま解散した。
翌朝。ニースがいつものように大聖堂へ向かう準備をしていると、大司教とシルフが宿を訪ねた。
グスタフたちが食卓で二人にお茶を出す中、ニースはラチェットに呼ばれて慌てて駆けつけた。
「おはようございます、大司教さま、シルフさん。どうしたんですか?」
大司教は立ち上がると、丁寧にニースにお辞儀をした。
「ニース様。本日は急で申し訳ないのですが、我々とご同行頂けないでしょうか?」
大司教の言葉に、グスタフたちが訝しむ目を向けた。その様子を見たシルフは、大司教に声をかけた。
「みなさまに、先にお話しておいたほうがよろしいのではありませんか?」
大司教は、困ったような苦笑いを浮かべたが、頷いた。
「そのようですね……。みなさまに、改めてご紹介いたします。こちらのシルフは、代々枢機卿を輩出しておりますアネモス家のご息女です。教皇聖下の孫娘でもあります」
「……は?」
大司教の言葉に、グスタフたちは絶句した。固まるグスタフたちの前で、シルフは立ち上がり、優雅にお辞儀をした。
「シルフ・アネモスと申します。改めてよろしくお願い致しますわ」
ニースは驚き、声をあげた。
「シルフさんって、お姫様なんですか!?」
「いいえ。違いますわ、ニース様。聖皇国の教皇は、教会の活動に貢献した祈手の中から選ばれますの。私の祖父は枢機卿でありながらも、祈手として多くの人々を救いました。そのため現教皇となっているだけです。
我が家は代々枢機卿を務めておりますが、それは我が家に伝わる口伝のためです。私の家が聖なる血筋ではなく、単に役目がある家系とお思い下さい」
「お姫様じゃ、ない……?」
「ええ、そうですわ。ですので、ニース様。そのように緊張なさらないで下さいませ」
「分かりました……」
ニースが戸惑いながらも頷きを返すと、シルフは柔らかな笑みを浮かべて座り直した。
「猊下。私からみなさまにお話しても?」
「ええ、構いませんよ」
シルフは皆の顔を見ると、ゆっくり話しだした。
「この話は、我が家に伝わる秘伝となります。皆さまには、その一端のみお伝えいたしますが、決して口外なさらないよう、お願いいたします」
皆が、ごくりと緊張の唾を呑む中、シルフは安心させるように笑みを浮かべた。
「昨日、私たちはニース様を、教会関係者しか入ることが許されない、カルデナ教の聖地へご案内いたしました。そこで、本来我が家にしか伝えられていない、特別な歌をニース様が歌われたのです。
この歌をご存知のニース様には、カルデナ教に伝わるあるものを、お見せしなければなりません。そのため、ニース様には我が家へお越し頂きたいのです」
グスタフが、真剣な眼差しをシルフへ向けた。
「シルフ様のお宅へ……ですか?」
「敬語はいりませんわ、グスタフ様。私は単なる教会の守人に過ぎません。敬うべきは私の家系ではありませんから」
「わかりました、シルフさん。守人ということで、シルフさんのお宅にその大事な物が保管されているというわけですね?」
「はい。そうです」
シルフは、ニースに目を向けた。
「実は昨日ニース様をご案内した祠のある森も、我が家で管理しておりますの。祠と同じように大切な物ですから、我が家でお見せすることしか出来ないのです。それほどお時間はかかりません。昼過ぎには、こちらへお帰り頂けると思いますから、お願い出来ませんか?」
話を聞いて、ニースは迷った。
――守らなきゃいけないぐらい、あの歌って大事なものだったんだ。何を見せたいのか怖いけど、あの夢も気になるし……帰ってこれるなら、困ることにはならないよね。
ニースは不安を感じながらも、頷いた。
「何があるのか、怖いですけど……ちゃんと帰してもらえるなら、行きます」
「ありがとうございます」
ニースの返事にシルフが安堵の笑みを浮かべると、興味深そうに話を聞いていたマルコムが口を開いた。
「その、シルフさんのお宅へは、ニースと一緒に我々が付いていくことは出来ませんか?」
シルフは困ったような顔をした。
「それは……」
「ニースも一人だと不安なんだろう?」
マルコムに話を向けられて、ニースは、ほっとして頷いた。
「みんなが一緒に来てくれるなら、安心出来ます」
「ご心配なのはわかるのですが、出来るならニース様おひとりの方が……」
ニースはシルフの話を聞き、しゅんと肩を落とした。それを見たシルフは、苦笑いを浮かべた。
「ええと……おひとりぐらいでしたら、どうにかなるかしら……。父に聞いてみないといけませんけれども」
ニースが、ほっと胸を撫で下ろすと、メグが立ち上がった。
「それなら、私が一緒に行くわ。何があるのか、気になるし」
「それはダメだ。行くなら座長の私だろう」
メグに厳しい目を向けたグスタフに続いて、マルコム、ジーナ、セラも声をあげた。
「いや、グスタフ。それなら副座長の俺だって、いいじゃないか」
「あらー、ずるいわー。ニースくんのことが心配なのは、みんな同じよー」
「ジーナさんの言う通りです! 私だって、ニースと一緒に行きたいです!」
皆の言い合いはなかなか止まらなかった。ニースの事が心配だったからというのもあるが、何よりも教会が秘匿するほどの何かに興味を持っていたのだ。
困りきったシルフと大司教の顔を見たメアリが立ち上がり、大きくパンと手を叩いた。
「みなさん、落ち着いてください。シルフさんが困ってらっしゃいます」
メアリの言葉に、皆、気まずそうに口をつぐんだ。ほっと安堵したシルフは、ラチェットに目を向けた。
「ラチェット様。あなた様は、立候補されないのですか?」
「え? 僕ですか?」
ラチェットは急に話を振られたので、視線を彷徨わせ、頬をかいた。
「ええと……。まあ、僕は強くはないですから、ニースに何かあっても守れないですし。
それに……ニースと一緒に行ってしまったら、教会の中でも限られた人間しか知ることが出来ない重大な秘密を、誰にも言えずに、ずっと抱えて生きなくちゃいけないわけですよね?」
「ええ。そうなりますわ」
「僕にはそこまでの興味も覚悟もありませんから。立候補する気はないですよ」
ラチェットの言葉に、メグとセラが恥ずかしそうに俯いた。
「そ、そうなのね……そこまで私は考えてなかったわ」
「私も、そんなに大きな覚悟はないです……」
ニースも顔を青ざめて、声をあげた。
「ぼ、ぼくも、そんな覚悟はないですよ!?」
ニースが目を白黒させるのを見て、大司教が、ふふふと笑った。
「では、こう致しましょう。ニース様とラチェット様のおふたりを、アネモス家へお連れして、許可が頂けるようでしたら、ラチェット様にもニース様と秘密を共有して頂く。これでどうですか、シルフ」
シルフが満足気に頷いた。
「ええ。そうですね。男同士で何かとお二人でお話出来る機会もございましょう。ニース様がおひとりで抱えるより、いいかもしれません。
……ラチェット様。お願い出来ませんか?」
「いや、そう言われましても、僕はその気がないと言ったんですよ!?」
戸惑うラチェットに、ニースが頭を下げた。
「ラチェットさん、お願いします! ぼく、ひとりでそんな秘密を抱えるなんて、無理です!」
「だけど、それなら座長たちでいいんじゃ……」
ラチェットは助けを求めるようにグスタフたちを見たが、皆、笑みを返すだけだった。
「頑張れ、ラチェット。私は口が固いが、ニースが私に話しやすいかと言うと、違うからな」
「俺は皇国のやつらに詐欺師と呼ばれるぐらいだからな。アネモス家のご当主も、俺みたいなのには見せたくないだろう」
「私はニースくんに、警戒される時があるからー。ラチェットなら安心ねー」
断れないと悟ったラチェットは、はぁと深いため息を吐いた。
「……わかりました。行きますよ」
「ラチェットさん、ありがとうございます!」
安心したニースと落ち込むラチェットは、大司教たちに連れられて豪奢な馬車へ乗り込む。ゆっくり動き出した馬車を、バードとココが、マルコムの部屋から見送っていた。
ニースは、シルフの家は城か領主の館のようなものだと思っていたが、意外にもごくごく普通の石造りの家だった。
しかし、その場所は前日の祠のあった森のすぐそばであり、シルフの家が森を管理しているという話が事実なのだと感じられた。
馬車を降りると、大司教がニースとラチェットに語りかけた。
「私はここまでになります。お帰りは、アネモス家で馬車をお出しすることになっております。ニース様、ラチェット様。よろしくお願いいたします」
二人が挨拶を返すと、大司教は馬車に乗り去っていった。
馬車を見送ったシルフに連れられて、二人は家へと入る。小さな応接室に通され、ニースは室内を見回した。応接室といっても、内装は至って普通の家のもので、ニースはマシューの家の居間を思い出した。
ぼんやりと部屋を眺めていたニースの耳に、落ち着いた声が響いた。
「お待たせいたしました」
ニースが、はっとして目を向けると、銀糸の刺繍が施された紺色のローブを着た壮年の男性が、柔和な笑みを浮かべ部屋へ入ってきた。シルフが、にこやかな笑みを浮かべた。
「私の父ですわ」
シルフの父は、手を合わせてニースに頭を下げた。
「フィラカスと申します。突然お呼びたてして申し訳ありません」
ニースとラチェットは慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「ぼく、ニースです。よろしくお願いします!」
「僕は、ラチェットです。ニースと一緒に旅をしているピアニストです」
不思議そうにラチェットに目を向けたフィラカスに、シルフが何やら耳打ちした。シルフがうまく話を伝えたのだろう。フィラカスは、二人に笑みを向けた。
「わかりました。ラチェット様にも、ご同行頂きましょう」
ラチェットは、安堵したような不安なような、複雑な笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます」
ラチェットの答えにフィラカスは満足気に頷くと、真剣な表情を浮かべた。
「お二人をご案内する前に、ひとつだけ、伺いたいことがあります。よろしいですか?」
ニースは背筋を正し、緊張した面持ちで頷いた。
「は、はい。なんでしょう?」
「昨日、祠でニース様が歌われた歌は、どこでお知りになられたのですか?」
ニースは言い辛く感じ、俯いた。
――夢で聞いたなんて言ったら、変だと思われるかな。でも、本当のことを言わないといけないよね。何かすごく重要で大変なことなんだし……。
ニースは覚悟を決めると、きゅっと拳を握ってフィラカスに答えた。
「信じてもらえるかはわかりませんが……。夢の中です」
「夢……ですか?」
「はい。この町の宿屋で眠っていたら、鳥になる夢を見たんです。その鳥が、あの歌を歌ったんです」
ニースは、ココのことを言わないように気をつけながらも、事実を話した。話を聞いたフィラカスは、困ったような顔をしながらも、ニースに問いかけた。
「その夢は、誰かにお話になられましたか?」
「いえ。今、初めて言いました」
「その歌を他で歌ったことは?」
「昨日が初めてです。夢の中と似た場所だったから……」
フィラカスは、顎に手を当て、目を伏せると考えをまとめるように呟いた。
「夢で、始まりの地を……」
フィラカスは、しばし考えた後に目を開け、ニースに微笑んだ。
「分かりました。ニース様のお話を、私は信じたいと思います」
「あ、ありがとうございます!」
ニースがぺこりと頭を下げると、フィラカスは立ち上がった。
「早速で申し訳ありませんが、付いて来て頂けますか?」
「は、はい!」
シルフは部屋の扉を開けると、丁寧にお辞儀をした。
「それでは、ここからは父が皆さまをご案内いたしますわ。私はお茶をご用意して待っておりますので、ごゆっくり」
シルフに見送られ、二人は緊張した面持ちで、フィラカスについていった。
フィラカスは、二人を家の奥にある部屋へと案内した。そこは、フィラカスの書斎のようで、多くの本棚が壁際に並んでいた。
「この本が、ぼくたちに見せたいものなんですか?」
不思議そうに見回すニースに、フィラカスは首を横に振った。
「いいえ、違いますよ。少しお待ちください」
フィラカスは、何やら机や棚の一部をガタゴトと動かした。すると、突然ゆらりと体が揺れた。
「うわ! ……な、なんだ!?」
ラチェットが驚き、声をあげたが、ニースにはこの揺れに覚えがあった。
「これって、もしかして、エレベーターですか?」
フィラカスが笑顔で頷いた。
「ニース様はご存知でしたか。ニース様が仰る通り、この部屋はエレベーターになっています。この家自体が、古代文明の遺跡の一部なんですよ」
ラチェットが目を見開き、部屋を見回した。
「エレベーターって……こんな大きな部屋が!?」
「でも、この家は上に塔はなかったですよね?」
首を傾げるニースに、フィラカスが笑った。
「ええ。このエレベーターは上には向かっていません。ニース様はエレベーターが地下に向かうことはご存知なかったようですね」
「……地下?」
「この家の地下深くに、さらに広い空間があるんですよ。……着きました」
体に感じた揺れが、音もなくゆっくり収まると、フィラカスが書斎の扉を開いた。
扉の向こう側は、先ほどまでのごく平凡な家の廊下ではなく、つるりとした無機質な白壁の通路で、ランプがどこにもないのに明るく照らされていた。
ずっと遠くまで見渡せるほど明るい通路は、先が見えないほど長く続いていた。
ニースは目を何度も瞬かせ、通路の奥に何があるのかを見ようとした。
「これって……どこまで繋がってるんですか?」
「この先にある広間までです。行きましょう」
フィラカスが歩き出したので、ニースとラチェットもついて行った。
興味深げにキョロキョロとあたりを見回して歩くラチェットの隣で、ニースは緊張した面持ちで、フィラカスの大きな背中をじっと見つめながら歩いていった。




