106:教会の守人3
前回のざっくりあらすじ:シルフの家に行くことに。
無機質な白壁の通路は、歩いていると時間や方向の感覚が薄らいでいくように、ニースには感じられた。しかし実際に歩いていた時間は、それほど長くはなかっただろう。
程なくして、前を歩くフィラカスが歩みを止めた。
「ここが、ニース様にお見せしたいものがある広間です」
「広間?」
二人には、どう見てもただの突き当たりの白壁にしか見えなかった。壁はつるりとしていて、エレベーターの扉のような線もない。
不思議そうに二人が壁を見つめていると、フィラカスは胸元からペンダントを取り出した。ニースは、そのペンダントに付いている石に見覚えがあった。
「それって、蛍石ですか?」
フィラカスが取り出したペンダントは、銀細工で鳥の形が作られており、その鳥の目の位置に、ニースがセラに贈った蛍石とよく似た石がはめ込まれていた。
フィラカスは、ニースの言葉に首を横に振った。
「いいえ。これは鍵石と呼ばれるものです。これは本来、天の導きの歌声にしか反応しない石なのですが、我が家にはこれと一緒に宝具として伝わる物がありまして」
フィラカスは、懐から小さな箱を取り出し、蓋を開けた。中には小さな青い石が入っていた。
「これと合わせることで、この扉の鍵が開きます」
ラチェットが興味深そうに箱を覗き込んだ。
「それで鍵石なんですね。これは歌石ですか?」
「歌石ともまた違うようです。恐らく、変種なのではないかと考えています」
「変種ですか……」
「この石には元々、聖カルデナの歌の力が込められていたと言われています。歌石よりも、歌の力が長く保つようです」
フィラカスの言葉に、ニースは首を傾げた。
「元々ってことは、今は違うんですか?」
「はい。変種といえど、三千年もの間、歌の力を残しておくことは出来なかったようです。長い年月の中で、我が家に生まれ落ちた聖人……天の導きが、何度か歌を上書きしていたと伝えられています」
ラチェットが驚き、目を見開いた。
「……え!? 一族で、そんなに何度も天の導きが誕生してるんですか!?」
「はい。やはり不思議に思われますか」
「ええ。歌い手ですら、同じ一族に生まれることが稀なのに、天の導きが何度も生まれてくるなんて。いくら何百年、何千年という時の流れの中とはいえ、そんなことが本当にあり得るんですか?」
ニースが不思議そうに二人の話を聞く中で、フィラカスは答えた。
「理由はわかりませんが、我が一族には必ず三代以内に歌い手が生まれてきます。その中に時折、天の導きがいるのです。我が家の歌い手が歌い継いできたのが、ニース様がご存知だった歌です。我が一族では、その歌を鍵歌と呼んでいます」
ニースはフィラカスの話に、はっとした。
「鍵歌……。それでぼくに、この場所を?」
「そうです。ニース様は、今は力の扱い方を知らぬとはいえ、聖カルデナと全く同じ、聖なる色をお持ちです。その上、この鍵歌を知っているとなれば、今後力を扱えるようになった際、何が起きるかわかりません」
「何が起きるか……?」
「鍵石は、我が家に伝わるもの以外に、他の遺跡でも見つかっています。悪用されないよう、教会では出来る限り鍵石を集めるようにしていますが、それでも全てを入手出来ているわけではありません。いずれどこかで、ニース様が目にする機会が出てくるでしょう。
鍵石が他にあるということは、それに反応する何らかの仕掛けが、他の遺跡にあるということ。ニース様には、ここにあるものを見て頂いて、この歌の扱い方を考えて頂きたいのです」
話を聞いたニースは、不安げにフィラカスに問いかけた。
「そんなに考えないといけないようなことが、ここにあるんですか?」
「はい。我が一族は、そのためにここにいますから」
真剣なフィラカスの返事に、ニースは、きゅっと拳を握り、しっかり頷いた。
「わかりました。ぼく、ここに何があるのかを、ちゃんと見て、よく考えるようにします」
ラチェットも頷いた。
「僕も決してこの話を口外しないと、改めて誓います」
「ニース様、ラチェット様。ありがとうございます」
フィラカスは笑みを浮かべ、箱の蓋の裏側にペンダントをカチリとはめた。
そのままゆっくり蓋を閉じると、箱の中から黄金色の光が幾筋も溢れ出し、紋様を描くように壁に向かって伸びていった。
ゴゴゴと、何かが動く音が響き、パキリと壁に一筋のヒビが入る。その壁のヒビに光の筋が集まると、光は小さくなって消えた。
光が消えると同時に、ひび割れた壁が開き、そのまま廊下が開いた。
「……!?」
あまりの光景に、ニースとラチェットは言葉を失った。
目の前の壁が扉のように開いたかと思った次の瞬間に、通路の壁も天井も、スッと消えて見えなくなった。そして通路だったはずの場所は、森の小道に変わっていた……。
フィラカスは、ペンダントを再び首から下げ、小箱を懐にしまう。突然現れた光景に、あんぐりと口を開けて目を瞬かせる二人に、フィラカスが声をかけた。
「ニース様、ラチェット様。そこまで驚かれなくても大丈夫ですよ」
二人が、はっと意識を引き戻すと、フィラカスはそっと森の中へ手を伸ばす。しかし、フィラカスの手は何かにぶつかったように、止まった。
「ここは、通路の壁だった場所です。お二人も触れてみてください」
ニースとラチェットは、恐る恐る手を伸ばした。すると確かに壁のような物に手が当たる。コツコツと叩いてみると、とても硬い壁であることが感じられた。
ニースは、不思議そうに手で探りながら問いかけた。
「これって……見えない壁があるってことですか?」
「そのようです。我々は、おそらくこれは古代の騙し絵なのではないかと考えています」
「騙し絵……?」
首を傾げるニースに、ラチェットが囁いた。
「皇国の劇場で書き割りを見ただろう? あの書き割りの絵のように、本物と見紛う絵のことだよ」
「え!? これも絵なんですか!?」
ニースは驚き、森を見つめたが、どう見ても本物にしか見えなかった。
フィラカスが残念そうに肩をすくめた。
「残念ながら、本当にそうなのかはわかりません。あれを見てください」
フィラカスが指し示す方を見ると、鳥や小動物が動くのが見えた。
「え!? 動いてる!?」
「そんな、バカな!」
唖然とする二人に、フィラカスは優しく話す。
「あのように動く絵があるなど、信じられないことです。ですから、もしかしたらこの見えない壁の向こう側に、本物の森があるのかもしれません。ですが我々は、これは騙し絵だと考えています」
ラチェットが、メガネをくいと上げた。
「動いても騙し絵だと思うということは、何かその根拠となるものがあるんですね」
「その通りです。……ご案内いたします」
フィラカスは、先ほど行き止まりだったはずの壁の向こう側……森の小道の先へと歩いていった。
ニースとラチェットは、また見えない壁がないかと、ドキドキしながら、ついて行く。しかしそれは杞憂に終わり、森の向こう側に開けた空間が見えた。
木々を抜けると現れたのは、殺風景な広間だった。
「え!?」
ニースは思わず立ち止まり、広間の壁と森の境を手で触れる。広間の白壁は、そのまま森の透明な壁に繋がっており、突然ぷつりと森は途切れていた。
「驚かれましたか?」
フィラカスが振り向いて尋ねたので、二人は何度も頷いた。
「このように、突然森から広間に変わっているというのも、森が騙し絵だと考える要因のひとつですが、まだもうひとつ、理由があります」
フィラカスに手招きをされて、二人は広間の中央へ向かった。広間の中央には、演壇のような台座が置かれていた。フィラカスは、先ほどの鳥のペンダントを取り出すと、台座の正面にある小さな窪みにはめ込んだ。
すると、台座の上に人影が現れたので、二人は思わず息を呑んだ。
「!?」
突然現れた人影は、ルイサやニースと同じく、長い黒髪に艶やかな黒い肌、煌めく黒の双眸をした女性だった。そしてその女性は、ニースが夢の中で見た女性でもあった。
「この天の導きの女性は、着ている衣服から聖カルデナだと言われています」
唖然とする二人に向けて、カルデナは何やら熱心に話しかける。しかし、声は聞こえなかった。その姿に、ニースは恐怖に震え、叫んだ。
「ど、どういうことなんですか!? カルデナさんは、亡くなっているんですよね!?」
ニースを安心させるように、フィラカスは微笑んだ。
「ええ。亡くなっています。この聖カルデナ自体が、騙し絵のようなものなんです。これが、先ほどの森が騙し絵だという根拠です」
フィラカスはそう言うと、おもむろに手をカルデナに伸ばした。カルデナは、フィラカスを見ようともせず、必死に二人に何かを訴え続ける。しかしフィラカスの手は、そのカルデナの体を突き抜けた。
「え……え!?」
驚くニースの隣で、ラチェットが呟いた。
「これは……幻影ですか?」
「そうです。蜃気楼のような、幻の姿です。聖カルデナの言葉は聞こえませんが、こうしてペンダントをはめ込むと、全く同じ動作で何かを訴える聖カルデナが現れるのです」
フィラカスが話し終えると、カルデナの姿は突然かき消えた。
「いつもこんな風に、最後は突然消えます。何度やっても同じ動きが繰り返されるのです。我々には理解出来ない現象ですが、おそらく古代文明の騙し絵なのだと思われます」
あまりの出来事に、ニースがへなへなとしゃがみ込んだので、ラチェットが背を支えた。
「ニース、大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です。お化けじゃないってわかって、ほっとしただけです……」
ニースの返事に、ラチェットは、ぷっと噴き出した。
「やっぱりニースは怖がりだね」
ニースはラチェットに抗議したかったが、力が入らずに諦めた。
ラチェットに支えられてニースが立ち上がると、フィラカスは部屋の奥へ案内した。
「これが、ニース様に最もお見せしたかった物です」
ニースは、ふらふらとした足取りながらも、ついていった。
部屋の奥には、大きな箱があり、上部はガラスの蓋で封じられていた。中を覗き込むと、ドロドロに溶けた金属のようなものの塊が見えた。
ニースはじっと見つめたが、意味がわからず首を傾げた。
「……なんですか、これ?」
「これは、災いの火種と呼ばれるものです」
フィラカスの言葉に、ニースは絶句した。
「わ……災いの火種!?」
カタカタと小刻みに震えるニースを見て、フィラカスが気遣うような視線を向けた。
「これ以上は、ニース様には刺激が強すぎるようですね。一度上へ戻りましょう」
ニースは、震える肩をラチェットに支えられながら通路を戻る。気を失いそうになりながらも、ニースは逃げるように必死に足を動かしていた。




