103:音の重なり2
*物語の展開上、一部痛ましい表現が含まれます。ご注意ください*
前回のざっくりあらすじ:ニースは勇気を出して、奇跡を再現した。
その夜、ニースは夢を見た。自分が鳥になり、空を悠々と飛ぶ夢だった。
――不思議な景色だな……。
数多の星と二つの月が浮かぶ夜闇と混ざり合うように、赤々と光る地平線が揺らめいて、不思議な空の色を作り出していた。
ニースが視線を下に向けると、眼下には何重もの市壁に囲まれた聖地エレオスが広がっていた。しかし、その町の様子は、どこか違って見えた。
――あれ? 大聖堂の場所が、大きな山になってる……。
ニースが目を凝らすと、聖地エレオスだと思った街並みは、だいぶ違うことに気がついた。
――これって、まるで……。
眼下に広がる景色は、大きな戦争の後のような姿だった。
二つの月に照らされる町は、ほとんどが瓦礫となっており、所々で煙が燻り、倒れて動かない人の姿がいくつも見えた。
――戦争のあと……?
大きな山の近くに広がる焼け焦げた森に、ニースは降り立つ。辛うじて焼け残った木々の間に、崩れかけた小さな祠があった。
大木の根元にあるその祠は、巨石で出来ているが、衝撃でヒビ割れたような真新しい傷がたくさんあり、石柱の一部は倒れていた。
祠の中には、多くの人々が運び込まれており、血を流したり、手や足があらぬ方向へ向いていたりと、思わずニースが目を背けたくなる光景が広がっていた。
しかしニースの意思と関係なく、ニースはそのまま人々の間を歩く。背がずいぶんと低くなった鳥の目線からは、横になる人々が巨大に見えた。
やがてニースは、祠の奥の突き当たりにたどり着いた。突き当たりの壁は、縦に一本の線が入っており、固く閉じられた扉のように見えた。
白っぽい扉の横には青い水晶球があり、その玉をニースは覗き込んだ。映り込んだニースの顔は、白い鳩に見え、瞳の色が左右で違っていた。
――バードみたいな顔だな、ぼく……。
ニースがぼんやり考えていると、何か歌のようなものがニースの頭に響く。すると、壁がゆっくり開いた。
――エレベーターの扉みたい……。
ニースが部屋に入ると、背中越しに勝手に扉が閉まるのを感じた。
部屋はつるりとした白い石壁で出来ており、外の崩れかけた祠の様子との違いに、ニースは驚いた。
――大聖堂の塔を見たから、こんな夢を見てるのかな……。
ニースの思いとは関係なく、ニースは部屋を見回す。すると、衝立の奥に誰かがいるのがわかった。
歩いて衝立の裏を覗くと、血に染まり汚れたローブを着替えようとする人の姿があった。
その人物がローブを脱いだ姿に、ニースは、はっとした。
――ルイサさまに似てる……!
ニースやルイサと同じく、全身が真っ黒で、瞳も長い髪も漆黒のその女性は、ぼろぼろではあるものの、洗い上げたばかりなのであろう綺麗なローブを纏うと、ニースに気がついた。
「ココ、帰ってきたのね。様子はどうだった?」
――ココ? ぼくが?
ニースが不思議に思う中、ニースの体はふわりと浮かび、女性の手に乗った。すると、気落ちした様子だが可愛らしい声が、頭の中に響いた。
『カルデナ……。私、あなたに謝らなくちゃならないわ……』
――カルデナ!?
驚くニースの顔を覗き込んだ女性は、ぽろりと涙を流した。
「そう……あの人は見つからなかったのね……」
『カルデナ。まだ死んだと決まったわけじゃないわ。また探しに行くから、諦めないで?』
「ええ、そうね。希望を持たないと……。私が歌わないと、みんなを救えないのだから……」
しかし女性は、言葉とは裏腹に涙をぽろぽろと流し続けた。
「ごめんなさい……少しだけ時間をちょうだい……」
女性はそう告げると、ニースを抱きしめて静かに泣いた。
ぎゅっと抱きしめられても、不思議と呼吸は苦しくならなかった。しかしニースは悲しそうに泣く女性の姿に、居た堪れなくなり、胸が重く締め付けられるように感じた……。
ニースは、はっと目を開いた。目に映る景色は宿の天井で、ニースは自分の額に脂汗が滲んでいるのを感じた。
「良かった……目が覚めたんだ……」
安堵の息を吐き、ニースが身を起こそうとすると、胸に何かが乗っているのに気がついた。胸の上には、白い鳩が目を閉じて座っていた。
「……バード?」
ニースがもそりと起き上がると、バードは目を開き、パタパタと椅子の背に飛び移った。
「おかしいな……扉の鍵は閉めていたはずなんだけど……」
ニースは、ふと隣のベッドに誰かがいるのに気がついた。ベッドに目を向けると、ラチェットが静かに寝息を立てていた。
――ラチェットさん、帰ってたんだ……。
ニースは、ベッドからそっと抜け出し、窓の外を見る。まだ夜更けのようで、二つの月は空高く上がっており、街灯が煌々と照らす町は静まり返っていた。
ニースは、バードに向き直り……驚いた。
「バードじゃない……。ココ?」
ニースの上に乗っていた白い鳩の足には、銀と赤の模様が入った足環が付いていた。それは、ジーナがココのために用意したものだった。
ココは、じっとニースの目を見ていた。ニースは、先ほど見た夢のことを、ふと思い出した。
――カルデナ……ココ……。まさかね……。
ニースは、水差しからコップに水を注ぐと、ぐいと一気に飲み、ココに顔を近づけ、囁いた。
「ココ、ぼくの上に乗っちゃダメだよ? 変な夢を見ちゃうんだ」
ココは、バードと違って返事はしない。じっとニースの目を見つめるだけのココを、ニースは優しくひとなですると、再びベッドに潜り込んだ。
「おやすみ、ココ」
ニースが眠ると、今度はココはニースには乗らず、枕元に座って目を閉じた。
翌朝。慌てた様子でマルコムが扉を開けた。
「ラチェット、ニース! ココを……」
ココがいないと探し回っていたマルコムは、ニースのベッドで丸くなるココを見て、へなへなとしゃがみ込んだ。
「良かった……」
ニースは眠い目をこすりながら、もそりと起き上がった。
「あれ……? マルコムさん、おはようございます。そっか。ラチェットさん、鍵をかけ忘れていたんだ……」
ニースは、昨夜遅くに起きた時に、鍵の確認をしておけば良かったと思いながら、ココを抱き上げた。
ラチェットが、ベッドの中で大きなあくびをした。
「ふあぁ……なに?」
マルコムは、ため息を吐きながら立ち上がると、ニースからココを受け取った。
「ココ、お前な。突然いなくなるなよ。昨日の今日でいなくなってたから、俺はすごい心配したんだぞ」
ニースは不思議そうにマルコムを見た。
「バードはあんなにココのことが好きなのに、いないって夜中に暴れなかったんですか?」
「ああ。不思議なことにな。バードのやつ、ココがどこに行ったのか知ってたのかもしれないな。鳥同士で話も出来るだろうし」
「そういうものなんですね」
「鳥同士で会話してるっていうのは、俺の想像だがな」
マルコムは肩をすくめ、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「すまないな、朝から騒がしくして。ジーナはさすがに今日はまだ寝てるから、何か適当にあるものを朝は食べてくれ。俺もすぐ行く」
「わかりました」
ニースは、起き出したラチェットと共に台所へ向かい、顔を洗った。
身支度を整えると、マルコムに言われた通り、あり合わせのもので朝食を取ろうと、二人は台所の棚を覗いた。
「ラチェットさん、野菜がいくつかあります」
「そうだね。これでスープでも作ろうか」
二人は野菜を洗い、刻み始める。野菜をハーブと共に火にかけると、ラチェットはニースに話しかけた。
「ニース。あのさ……」
言い辛そうなラチェットに、ニースは首を傾げた。
「なんですか?」
「僕は、昨日ニースたちが帰った後も、大聖堂にいただろう? それで、大司教様たちと話をしてきたんだよ」
ニースは、ラチェットの言葉に不安を感じた。
「えっと……それって……」
ラチェットは、灰汁をすくう手を止めて、安心させるように穏やかに話を続けた。
「心配しないでくれ。ニースに奇跡を起こしてほしいわけじゃないんだ」
「どういう意味ですか?」
「昨日の今日で、こんな話をされても嫌だと思うけど……。ニースが歌ってくれたおかげで、やっぱりハーモニーに何か秘密がありそうだというのは分かった。だから、ニースに先生になってもらえないかって話になってね」
「先生……ですか?」
「そう。ハーモニーの合わせ方と歌い方を、歌の力を持たない一般の修道士に教えてほしいんだよ。歌の力がなければ、練習の途中で不協和音になっても安心だからね。
そうすれば、僕たちが聖皇国を出てからでも、教会の人たちで教えあえるだろう? ゆくゆくは、祈手同士でハーモニーが作れるようになれたらいいって、僕は思ってるけど」
「ぼくが、教会の人たちの先生……」
ニースが噛みしめるように目を伏せたので、ラチェットはスープに目を向けた。しっかりと灰汁をすくい、澄んだスープになると、ラチェットは満足げに笑みを浮かべた。
「それからね、僕は祈歌を編曲することになったよ」
ニースは、ラチェットの言葉に驚いて顔を上げた。
「祈歌も編曲なんて出来るんですか?」
「もちろんだよ。編曲っていっても、副旋律を付け足すだけになるけどね。もしハーモニーが奇跡の鍵になるなら、祈歌も重唱にしたら力が増す可能性がある。
教会にとって大切な歌だけど、ちゃんと大司教様にも許可は取った。メアリさんに教えてもらいながら、やってみることになったんだ」
ニースは、棚から皿を取り出しながら、考えた。
――ラチェットさんは、どんどん色んなことに挑戦していく。でも、ラチェットさんがいくら頑張っても、教会の人たちがちゃんと歌えなかったら、奇跡は起きない……。
ニースが考えにふける傍らで、ラチェットはスープに塩を入れて味を整える。味見をすると、小さな笑みを浮かべた。
「よし、出来た。僕は今日は、メアリさんと一緒に大聖堂へ行くよ。ニースが先生役を引き受けてくれるなら伝えるけど、どうする? 無理にいま決めなくてもいいけど」
ラチェットの言葉に、ニースは首を横に振った。
「いえ。もう決めました。ぼく、教えにいきます。ラチェットさんの頑張りを無駄にしたくないですから。今日から一緒に行ってもいいですか?」
思いがけない返事に、ラチェットは嬉しそうに笑い、スープをよそった。
「もちろんだよ。ありがとう、ニース。でも、辛くなったらいつでもやめていいからね。僕も必ず一緒にいるようにするよ」
「はい、ラチェットさん。よろしくお願いします」
ニースはスープの皿を受け取りながら、笑みを浮かべた。
二人が出来上がったスープを食卓へ運ぶと、ぐったりした顔でマルコムがやってきた。マルコムの肩には、バードとココが乗っていた。
ラチェットがスープをもう一皿取りに戻るのを横目に、ニースは、スプーンを並べながらマルコムに尋ねた。
「マルコムさん、どうしたんですか?」
マルコムは、大きなため息を吐いて、椅子に座った。
「二羽ともな、籠に入りたくないみたいなんだよ。朝から格闘して、俺は疲れた……」
苦笑いを浮かべるニースの肩に、バードとココが飛び移り、マルコムが吹っ切れたように、はははと笑った。
「バードもココも、ニースが気に入ってるみたいだな。俺が公演場所を見つけるまで、しばらくニースに預けてもいいか?」
「ぼく、教会の人たちに歌を教えることになったんです。今日も大聖堂に行かなきゃならないんですけど……」
「まあ、大丈夫だろう。昨日の話もあるし、あそこは湖で囲まれてる。外で遊ばせておいてくれればいい」
「そういうことなら、わかりました」
戸惑いながらもニースが引き受けると、ラチェットかマルコムのスープを運んできた。マルコムは礼を言いながら皿を見て、不思議そうに首を傾げた。
「これは……昨日はスープは残らなかった気がするが?」
「僕とニースで作ったんですよ」
ニースは席に着き、バードとココを椅子の背に下ろした。
「ぼくは野菜を洗って、言われた通りに切っただけです。ほとんどラチェットさんが一人で作りました」
「……ラチェットが?」
マルコムは訝しがりながらスープを一口飲み、笑みを浮かべた。
「ラチェット。お前は本当にすごいな。料理もうまいじゃないか」
「そうですか? ただあるもので適当に作っただけですけどね」
「いや、これはジーナだって気にいるはずだ。お前が料理上手なら、お嬢も安心だな」
ニヨニヨと笑うマルコムに、ラチェットは視線を逸らし、恥ずかしそうに頬を染めた。
「そんなことないですよ。メグだって、やれば出来るはずです」
ラチェットは謙遜したが、起き出してきた皆にスープは大好評だった。
ニースは朝食を終えると、バードとココを連れて、ラチェットと共に大聖堂へ出かけていった。




