◆《閑話〜マルコムとメアリ》
お話の途中ですが、閑話を挟みます。
本編に含めようと書きましたが、泣く泣くカットしたエピソードです。
読み飛ばしていただいても、本編ストーリーの進行には問題ありません。
テトラネマの町を出て、メアリを連れて聖地エレオスに向けて聖皇国を旅する一座は、その日、川の近くの開けた場所で野宿をしていた。
夜闇を退け、朝日が顔を出す。木立から鳥の声が聞こえ、焚き火の番をしていたマルコムは、夢うつつから目を覚ました。
燻りそうな焚き火に、マルコムはあくびをしながら薪を加える。火が薪に燃え移り、やがて炎を形作った。
「危なかったな。火が消えるところだった。うっかり寝てたか……」
乾季は雨や雪は降らないが、朝晩は冷え込む。マルコムは、火にあたりながら体をさすった。焚き火のそばでは毛布に包まるグスタフが、小さないびきを響かせていた。
「寒くないのか、グスタフは」
マルコムが苦笑いを浮かべていると、背後からジーナの声がした。
「マルコムー、おはよー」
「ジーナ。珍しいな。こんなに早く起きるなんて」
「そうかしらー? それにしても、冷えるわねー。お湯を沸かしたいから、水を汲んできてくれないー?」
「ああ、わかった」
鍋を手に持ち、立ち上がったマルコムに、ジーナが上流の方を指し示した。
「綺麗な水の方がいいから、あっちで汲んできてほしいのー。ちょうど、汲みやすい岩場もあるからー」
「ああ。任せておけ。焚き火を頼むな」
歩き出すマルコムの背を、ジーナはニヨニヨと笑みを浮かべて見送った。
朝日に煌めく川には、澄んだ水が流れていた。マルコムは、ジーナに言われた通り、朝の森を上流に向かって少し歩いた。
――ジーナが言ってたのは、この辺りか……?
水を汲みやすそうな岩場を見つけると、マルコムは河原へ出た。水を汲んだ鍋を横に置くと、顔も洗って身支度を整えた。
冷たい川の水に眠気が吹き飛んだマルコムは、ゆっくり立ち上がった。すると、びゅうと強い風が吹いた。
「うわっ……!」
……ばさり……ばしゃり。
何かが顔にまとわりつき、視界を奪われたマルコムは、体勢を崩して水の中に尻餅をついた。
「……っ!」
うっかり火傷を負った手で、川床に手をついたマルコムは、飛び出そうな悲鳴をぐっと堪えた。
痛みと水の冷たさで、滲み出そうな涙を堪えて目を開けると、視界が大きな布に覆われているのに気づいた。
「なんだこれは」
舌打ちをしながらマルコムは布を顔から外し、立ち上がる。
すると布を飛ばした主が、視界に飛び込んできた。
「え……」
「あ……」
マルコムが被った布を、岩に引っかかったと思っていたのだろう。布の持ち主は、マルコムのすぐそばまで来ており、目前で目を合わせた。
布を飛ばしたのは、水浴びをしていたメアリだった。
マルコムは、あられもない姿を見ないよう目を瞑り、布を差し出すと、さっと後ろを向いた。
「す、すまない!」
「い、いえ……」
羞恥に頬を染めたメアリが布を受け取ると、マルコムは、そこが川だということを忘れ、そのまま数歩踏み出した。
「……!」
踏み出した場所は、淵になっており、マルコムの足は底につかなかった。
大きな水音を立てて、突然沈んだマルコムに、メアリは驚き、目を見開いた。
「マルコムさん!?」
焦るメアリの声がマルコムの耳に響く。
マルコムは必死に手足を動かそうとするが、川の水は冷たく、手足はかじかんでおり、うまく動かなかった。
――ダメだ、力が入らない……。
川の流れに飲み込まれ、息を吸うことも出来ない。マルコムは苦しみもがきながら、水の底に引き込まれた。
――俺は、こんなところで……。
揺らぐ視界の中で、必死に手を伸ばすが、冷たい水しか掴めない。程なくして視界は暗くなり、ゴポゴポと水の音だけが響いた。
沈み行く死の暗闇に身を任せたマルコムの手に、優しい温もりが触れた。
柔らかな感触に体を包まれ、唇から注ぎ込まれる温かな熱を感じながら、マルコムは意識を手放した。
マルコムが目を覚ますと、心配そうに見つめるジーナの顔があった。マルコムは咳き込み、水を吐いた。
「げほっ、ごほっ……。俺は、いったい……」
マルコムは何枚もの毛布に丸められて、焚き火のそばに寝かされていた。体を起こそうとするも、がっしりと包まれていて身動きが取れなかった。
ジーナが、ほっと安堵の息を吐きながら、呆れたように答えた。
「なーに言ってるのよー。乙女の裸を見ておいて、それはないんじゃなーい?」
マルコムはジーナの言葉を聞いて、唖然とした。
「そうか。俺は……溺れたのか?」
「そうよー。びっくりしたのよー。メアリが大声で助けを呼んでたんだからー。メアリの泳ぎが上手で良かったわねー。私もグスタフも泳げないし、メアリがいなかったら、あなた今頃は溺死体よー」
からかうように笑うジーナに、マルコムは苦笑いを浮かべた。
「それでジーナ。そろそろ俺は起きたいんだが……」
「それは、ほらー。被害者の許可を得ないとー」
ジーナがニヨニヨと笑みを浮かべ、体をずらす。
すると、マルコムの視界にメアリが入った。
「マルコムさん、気がつかれたんですね。良かった……」
柔らかな笑みを浮かべるメアリに、マルコムは気まずい笑みを浮かべた。
「ええと……メアリさん。その、すみません。まさかあなたが、水浴びをしているとは思わず……」
「いえ。いいんです。朝の沐浴は、修道女の日課なのですが……私のせいで、マルコムさんを驚かせてしまいましたから」
メアリは、マルコムを包んでいた毛布を少し緩めた。
ようやく動けるようになったマルコムは、毛布が外れないように気をつけながら起き上がり、メアリに頭を下げた。
「助けて頂いてありがとうございました」
「ご無事で良かったですわ」
「メアリさんには足を向けて眠れませんね」
これまでのよそよそしさを打ち消すかのように、爽やかな笑みを向けたマルコムに、メアリは、ほんのり頬を染めた。
「いえ……。それより、マルコムさん。あの……溺れた時のことは、覚えておいでで?」
マルコムは、気恥ずかしそうに視線をそらした。
「いえ、お恥ずかしながら、意識がなく……。必死にもがいてたことは覚えてるんですが……」
「そ、そうですか……」
メアリは、困ったような安堵したような表情を浮かべたが、マルコムが気づくことはなかった。
メアリは、恥ずかしさを振り払うように、マルコムに尋ねた。
「体のどこかに痛みはありませんか?」
「いえ、火傷がまだ治ってないぐらいで、あとは大丈夫そうです」
「そうですか。それなら良かったですわ」
マルコムとメアリは微笑み合う。まだ乾ききらない二人の髪が、朝日に照らされ煌めいていた。
◆◇◆◇◆◇
聖地エレオスを目前に、デナルケ村での慰問演奏を終えた夜。
二つの月が高く上り、村が静寂に包まれる中、マルコムは、寒さで目を覚ました。いつの間にか、毛布をはいで寝ていたため、体が冷えてしまったのだ。
マルコムは温かいお茶を飲もうと、保温ポットに手を伸ばす。しかし中身は空だったため、上着を手に食堂へ向かった。
食堂に人はいなかったが、幸いまだ湯が残るポットがあった。マルコムはそのまま白湯を飲み、体を温めると、渡り廊下を通って部屋へと戻る。
すると、ふと人影が庭に揺らめくのに気づいた。
――こんな夜中に、庭にいるのか……。怪しいな。
マルコムは人影を確かめに、そっと庭へ足を向けた。
庭では、メアリが上着も持たずに柵にもたれかかり、二つの月を見上げていた。
――メアリさん? ……こんな夜中に、どうしたんだ?
マルコムは驚いたが、そのままゆっくりメアリに近づいた。
「綺麗な双子月ですね」
マルコムが後ろから声をかけたので、メアリはびくりと身を震わせて振り向いた。
「あ……マルコムさんでしたか」
「夜は冷えます。風邪を引きますよ?」
マルコムは、自分が羽織っていた上着を、メアリにかけた。メアリは俯き、ぎゅっと上着を握った。
「すみません……」
「いえ」
マルコムは何も言わずに、ただメアリの隣で月を見上げていた。やがてメアリが、小さく呟いた。
「私……今日の演奏で、たくさんの人を救えるって、思ってたんです」
マルコムは二つの月を見上げたまま、優しい声で相槌を打った。
「そうでしたか」
「でも、全然ダメでした。……けれど、まだ奇跡の謎が分かってないだけですし、いくらでもこれから、たくさんの人を助けられるはずなんです」
「そうですね。俺もそう思いますよ」
メアリは、はぁとため息を吐いた。
「でも、私は……今日ここで。デナルケで、どうしても奇跡を起こしたかった……」
マルコムがメアリに視線を向けると、メアリは、暗闇で見えないが、眼下に広がる村の家々を、その目に映していた。
「私、このデナルケ村の出身なんです」
「そうでしたか……」
メアリは目を伏せ、ぽつりぽつりと話し始めた。
「この村の先代の司祭様には大変お世話になりました。私の両親は行商人だったのですが……この村に滞在中に、流行病で亡くなり、私は孤児となりました。
司祭様が助けて下さらなかったら、とても生きていけなかった……」
メアリは、儚げにマルコムを見上げた。
ふわりと、触れたら壊れてしまいそうな笑みを浮かべるメアリに、マルコムは言葉が出なかった。
「私が歌うようになったのは、教会に引き取られてからです。司祭になれるのは祈手だけって、知ってましたか?」
「いえ、初めて聞きました」
「司祭様は、黒い瞳を持つ私に、熱心に祈歌を教えて下さいました。この村は小さいですから、祈手は司祭様だけで、あとは見習いの私だけでした」
メアリは、空に輝く星を見上げた。
「ある時、司祭様は事故で怪我を負われました。ですが、ここは幸い聖地のすぐそばです。聖地にすぐ使いを出し、医師や熟練の祈手たちの派遣をお願いしました。
医師たちが村に着くまでのほんの少しの間、司祭様のお命を繋ぐことが出来たら。司祭様は、今もこの村におられたでしょう。
けれど私は、そのほんの少しの間でさえ、司祭様をお救いすることが出来なかった……」
「メアリさん……」
メアリの目から、涙が一筋こぼれた。
「私は、今日ここで奇跡を起こし、村の人々を救うことで、過去の自分の罪を償いたかったんです。そんなことをしても、司祭様が蘇るわけではないのに……」
メアリは指で涙を拭うと、恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「すみません。突然こんな話をしてしまって……。でも、マルコムさんに聞いて頂いて、少し楽になりましたわ」
マルコムは、メアリに切なげに微笑んだ。
「いえ……。俺は、あなたを誤解していたかもしれませんね」
「え……?」
「メアリさんにとっての司祭様のように、俺にとっても、俺の人生を変えた、忘れられない相手がいます」
マルコムは、メアリの瞳をじっと見た。
「メアリさんは、言ってましたね。バードとココの瞳の色が、聖カルデナの鳩の目と同じだと」
「ええ。言いました」
「あなたの瞳の色も、俺にとっては、その人を思い出す色なんですよ。あいつは、自分のことはいつも後回しで、俺のことや、国のことを一番に考えていた。俺の望みは、あいつの幸せだったのに」
寂しそうなマルコムに、メアリは戸惑いがちに尋ねた。
「それは、歌い手の方ということですね……?」
マルコムは切なげに微笑むと、二つの月を見上げた。
「ニースとセラちゃんも、あいつと同じ所があります。黒い瞳を持つ人間は、自己犠牲が過ぎる。一人で抱え込んで、頑張りすぎなんだ。
歌い手だからとか、望まれてるからとか、色々理由はあるんでしょう。でも俺は、黒い瞳を見ると悲しくなります。自分の幸せを思う存分追えないなんて、俺は嫌なんですよ」
「マルコムさん……」
「俺は、あなたもあいつと同じ人間だと思ってたんです。でも、違いました。あなたの自己犠牲には、ちゃんとあなたの欲がある」
メアリは、気まずそうに俯いた。
「そうですね……。本当なら修道女として、無欲で尽くさねばならないのに……」
マルコムは、柔らかな笑みをメアリに向けた。
「俺は、あなたを責めてるんじゃない。褒めてるんですよ」
メアリは首を傾げた。
「褒める……?」
マルコムは頷いた。
「ええ、そうです。あいつは、もっとこうしたいとか、ああしたいとか、多くのことを望まなかった。あいつが、あなたみたいに欲を持っていたら、新しい世界に出会えたかもしれないのに」
「新しい世界……ですか?」
「ええ。ニースとセラちゃんが良い例です。ニースは、本当の両親を、訳あって失くしています。それでもニースは、小さな田舎町で養父母と楽しく暮らしていた。
でもニースは、もっと色んな場所で色んな人と歌いたいと欲を持っていたから、旅に出ました。
セラちゃんも同じく、両親を失くしています。でも、ニースと出会い友達になって、一緒にいたいと願ったから、旅をしています。
二人は、欲を持っていたから、新しい世界に飛び出したんです。そして、その二人がいたから、ラチェットは新しい曲を作り、歌の奇跡が生まれた。
全ては、自分がこうしたいという、強い願いがあったからですよ」
「願いがあるから……」
マルコムは、メアリの黒い瞳をじっと見つめた。
「あなたには欲があり、願いがある。司祭様を助けたかった気持ちが欲になって、世界中の人々を助けたいという願いになった。
確かに、過去のあなたは司祭様を救えなかった。でも、そのおかげで今のあなたがいる。こうして、ニースたちの奇跡を身につけようとがんばる原動力も、そこにあるのでしょう?」
メアリは、ゆっくり頷いた。
「ええ。そうです」
マルコムは、優しい笑みを浮かべた。
「あなたには、その強い願いがあるから、大丈夫だ。必ずいつか、奇跡の謎を解いて、たくさんの人々を救えますよ」
「そうでしょうか……」
「ええ。俺はそう思います。まあ、とある国の偉い連中には、詐欺師なんて呼ばれる俺の言うことですから、信憑性は低いかもしれませんがね」
自嘲するように笑うマルコムに、メアリは柔らかな笑みを向けた。
「いいえ。マルコムさんは詐欺師ではなく、素晴らしい奇術師です。私の心が軽くなりましたもの。ありがとうございます」
「そう言って頂けるなら、奇術師マルコム、光栄の至りでございます」
マルコムが舞台を終えたように、丁寧にお辞儀をしたので、メアリは、ふふふと笑い、マルコムは、はははと笑った。
ひとしきり笑うと、マルコムはメアリを気遣うように目を向けた。
「すっかり遅くなってしまいましたね。明日はいよいよ聖地です。眠れそうですか?」
マルコムの言葉に、メアリは上着を脱いで返した。
「ええ、おかげさまで。もう大丈夫です。上着、ありがとうございました。マルコムさんは、冷えたんじゃないですか?」
「まあ、これぐらいは平気ですよ」
実際マルコムは、体が冷えていたが、精一杯虚勢を張った。
マルコムは、メアリを送り届けて部屋へ戻ると、大急ぎでベッドに潜り込んだ。体が芯まで冷えてなかなか寝付けなかったが、不思議とマルコムの心は、ポカポカと温かかった。




