95:聖地への道で4
前回のざっくりあらすじ:バードとココは、聖カルデナの鳥と瞳の色が同じ。
一行は次の町へ着くと、真っ先にラチェットをメガネ屋に連れて行き、ラチェットは予備を含めて三つのメガネを買った。
「これで、あと二回壊れても大丈夫だよ」
嬉しそうに話すラチェットに、メグは気まずそうに苦笑いを浮かべた。
マルコムの火傷がすっかり治る頃には、ジーナの尽力もあり、マルコムがメアリに奇妙な態度を取ることもなくなった。
マルコムが再びオルガン馬車の手綱を取るようになると、入れ替わるように、ニースがメグたちと共にグスタフの馬車に乗った。メアリに歌を教えるためだ。
馬車の中でのニースの指導と、休憩時や宿泊時のラチェットとの練習で、メアリは少しずつ歌を覚えていった。
一行はメアリの希望もあり、訪れる町や村の教会で、慰問演奏会を行いながら聖地エレオスを目指した。
演奏会ではニースとセラは歌わず、グスタフ、マルコム、ラチェットの演奏と、メグの踊りだけを行った。ニースとセラは患者たちとの慰問のみ行い、メアリは祈手として祈歌を歌って回った。
そうして長い旅の後に、聖地に最も近い村、デナルケに着いたニースたちは、いつものように慰問演奏会の打ち合わせを馬車で行う。
するとメアリが、窺うように声を上げた。
「あの……今夜の演奏会では、私がラチェットさんの曲を歌ってはいけませんか?」
グスタフは、意外な申し出に驚いた。
「別に構いませんが……奇跡が起きたら騒ぎになるのでは?」
メアリは穏やかな笑みを浮かべ、答えた。
「もし、そうなってもここは小さな村です。テトラネマのような大きな騒ぎにはなりません。
それに、騒ぎになったとしても、私一人で奇跡が起きるなら、みなさんにご迷惑をおかけすることはないと思います。聖地はすぐそこですし、ここからなら私一人でも迎えますから」
「いや、ですが……」
「ようやく、全ての歌を歌えるようになったので、可能性があるなら、少しでも多くの方々を救いたいのです。お願いします」
深々と頭を下げるメアリに、グスタフは戸惑いの色を浮かべた。
するとマルコムが、ラチェットとニースに問いかけた。
「ラチェット、ニース。メアリさんは、本当にもう全部歌えるのか?」
「ええ。主旋律だけじゃなく、副旋律まで、もう全部覚えてますよ」
「ラチェットさんの言う通りです」
二人の返事を聞いたマルコムは、諭すようにグスタフに話した。
「グスタフ。これはメアリさんの問題だ。俺たちに出来るのは、歌を教えることと、聖地へ送ること。この二つがもう充分なら、メアリさんの希望を断る理由は、俺たちにはないんじゃないか?」
グスタフは、しばし目を伏せ考えたが、笑みを浮かべてメアリを見た。
「わかりました。それなら、私たちで伴奏をしましょう。曲順を決めましょうか」
「ありがとうございます!」
喜ぶメアリに、マルコムが切なげな笑みを浮かべていた。
夜の帳が下りて、教会の庭に街灯がともる。柔らかな光の中で、慰問演奏会が始まる時間が訪れた。
ニースとセラは、日中のうちに慰問を終えており、観客席となる教会の庭の端で見学だ。
見学にはすっかり慣れた二人だったが、今日はメアリが歌を歌うとあって、緊張した面持ちだった。
「メアリさん、ちゃんと歌えるかなぁ?」
「あんなに練習したし、大丈夫だよ、ニース」
当のメアリは、オルガン馬車の横で、メグと一緒に椅子に座り、本番開始を待っていた。
メアリは、普段の祈歌と違い、舞台の上での初演奏となるため、ガチガチに緊張していた。その様子に、メグは気遣わしげに声をかけた。
「メアリさん、大丈夫ですか?」
「え、ええ。だ、大丈夫です……」
緊張で声が上ずるメアリに、メグは苦笑いを浮かべた。
すると、マルコムが本を持ってやってきた。
「メアリさん、緊張しているようですね」
「い、いえ。だ、大丈夫です……」
マルコムは、ふっと笑みを浮かべた。
「メアリさんは、飴はお好きですか?」
「え? ええ。好きですけど……」
突然の問いかけに、戸惑いながらも頷いたメアリに、マルコムは穏やかに話を続けた。
「俺は今ね、飴の絵本を持ってるんですよ」
「飴の絵本……ですか?」
「ええ。これです」
マルコムは、持っていた本をパラパラとめくって見せる。中には、確かにたくさんの飴が描かれていた。
「ええと……可愛らしい絵本ですね。何かの読み聞かせですか?」
「いいえ。読み聞かせには使いませんよ。メアリさんは、先ほど飴が好きだと言いましたが、この飴を食べたいとは思いませんか?」
「……え?」
緊張より戸惑いが大きくなり、困っているメアリの様子を見て、メグはマルコムを睨んだ。
「ちょっと、何わけのわかんない話してるのよ、マルコム」
メグの苦情を無視して、マルコムは、もう一度絵本を開く。
「ほら。こんなに飴があるんです。食べたいって思いません?」
「それは、まあ。綺麗な包み紙の飴ですし、どんな味なのかな、とは思いますけれど……?」
訝しむメアリに、マルコムはいたずらっ子のように笑みを浮かべた。
「では、この飴を差し上げます。手を出してください」
「……え?」
「ちょっと、マルコム!?」
マルコムは、またもメグの苦情を無視すると、メアリの手を取り、手のひらを上にして、皿のようにさせた。
「さあ、いきますよ。落とさないでくださいね」
マルコムが、メアリの手の上で絵本を小さく振った。すると、中からパラパラと飴玉がこぼれ落ちてきた。
「え? え……!?」
唖然とするメアリの両手は山盛りの飴でいっぱいになり、こぼれ落ちる飴玉が、メアリの膝の上にパラパラと落ちた。
目を見開いて驚くメアリの前で、飴玉の落ちる音が止まった。
「ああ。これで全部なのかな? 確かめてみましょう」
マルコムが絵本を開くと、先ほどまで飴がたくさん書かれていた絵本の中身は、真っ白になっていた。
「う……うそ……」
「さあ、どうぞ。食べてみてください」
マルコムの言葉に、メアリは答えない。あまりの驚きに固まるメアリに微笑みながら、マルコムは布を広げて、メアリの手の上の飴を包んだ。
「お嬢、これを持っててくれ」
「まったくもうっ。信じられないわ!」
メアリは、ぽかんと口を開け、空になった手のひらと、布の上いっぱいの飴玉を交互に見つめていた。
マルコムは、メグに渡した飴の包みをひとつ開けると、飴玉をぽいとメアリの口に入れた。
「……!?」
突然押し込まれた飴玉に、メアリは驚いたが、口を閉じるとほんのり甘い味が広がった。
「ん……ほれ、ほんほほはへへふへ」
マルコムは、思わず噴き出した。
「くく……無理して話さなくていいですよ。たくさんありますから、出番までゆっくり味わってください」
メアリは、頬を真っ赤に染めて、恥ずかしそうに俯いた。
マルコムは、笑いを堪えながらグスタフの元へ向かう。
メグは、大きくため息を吐いた。
「ほんと、女たらしよね……」
ため息混じりのメグの声は、俯くメアリには聞こえなかった。しかしメアリの緊張は、マルコムの手品のおかげですっかり消え去っていた。
星が瞬く夜空の下で、デナルケ村での慰問演奏会がいよいよ始まった。
いつものグスタフの口上の後に、ラチェットがオルガンを奏で、グスタフのバイオリンが響く。数曲の演奏の後に、マルコムの太鼓も加わって、メグが踊った。
そうして、観客たちの熱気が高まったところで、メアリが舞台へ上がった。
ニースとセラは心配していたが、メアリの姿を見てほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。メアリさん、緊張が少し取れたみたいだね」
「そうだね、ニース。あとは、歌を忘れないといいね」
二人が見守る中で、ラチェットのオルガンが響き、メアリの歌が始まる。
いつもは舞台で歌う側のニースだが、メアリの歌を観客席の側で聞くという、初めての状況に、興奮していた。
「すごい……! ぼくたちも、いつもこんな風に見られていたんだね」
「うん! 私、初めてニースの歌を聞いた時を思い出したよ」
メアリは、堂々と三曲を歌いきった。集まった村の人々や患者たちから、たくさんの拍手がメアリに送られ、ニースたちも心から拍手を送った。
演奏会が終わると、グスタフとマルコムは司祭と話をしに向かい、片付けを終えたニースたちは、宿泊のために借りた教会の部屋へ戻った。
男部屋で、ニースとラチェットは心配そうに、グスタフたちの帰りを待った。
「グスタフさんたち、遅いですね。やっぱり、何かすごい奇跡があったんでしょうか?」
「んー。どうなんだろうね。それなら、もっと騒ぎの声が聞こえてもおかしくないと思うけど……」
すると、扉をノックする音が響いた。ラチェットが扉を開けると、マルコムが入ってきた。
「ラチェット、ありがとな。ニースも、やっぱり起きてたのか」
「マルコムさん、どうでした!?」
期待を込めたニースの言葉に、マルコムは苦笑いを浮かべた。
「ああ、それがな。……何もなかったよ」
「そうですか……」
ニースとラチェットは、複雑な表情で顔を見合わせた。
マルコムが、ベッドに腰を下ろすと、二人に尋ねた。
「歌が不完全だったってことはないのか?」
「メアリさんの歌は、僕が聞いた感じだと、特に問題なかったと思いますが……ニースはどう思う?」
「ぼくも、問題なかったと思います。すごく上手でした。でも、何もないってことは、奇跡は曲が原因じゃないってことですか?」
三人が頭をひねっていると、再び扉をノックする音が響く。メアリに結果を伝えに行っていたグスタフが、帰ってきた。
「グスタフ。メアリさん、落ち込んでたか?」
「ああ。まあな」
グスタフは、はぁと大きく息を吐くと、椅子にどかっと腰を下ろした。
「この前と違うことと言ったら、伴奏の楽器か?」
ラチェットが、頷きを返した。
「そうですね。この前は、ギターで伴奏をしましたから、それが原因かもしれません」
「あと、ぼくとセラで歌った時は、重唱だったから、副旋律に何かあるのかも?」
ニースの言葉に、マルコムが頷いた。
「その可能性はあるな。重唱を歌う前までは、王国でも皇国でも、こんな騒ぎにはならなかった。副旋律に何かあると考えるのは、いい線だと思う」
四人は意見を交わしていたが、夕食の時間となり、答えが出ないまま話は終わった。ニースはその夜、未だに原因が分からない不安から、なかなか寝付けなかった。
翌朝。デナルケ村を出たグスタフの馬車に、ニースはぼんやりと揺られていた。
セラが気遣うようにニースに声をかけた。
「ニース、どうしたの? 具合でも悪いの?」
「え? あ……ううん。そうじゃないんだ。ただね……」
ニースは、大きなあくびをしながら、セラに答えた。
「結局、聖地に着くまで……あの奇跡の謎は分からないままだったなって……。昨日、なかなか、眠れなくて……」
ニースは話しながら、うとうとと船を漕ぎ出し、セラの肩にもたれかかるように眠ってしまった。
セラが疲れないようにと、ジーナが枕を取り出し、ニースを横に寝かせる。
メグが寝息を立てるニースを見ながら、ぼそりと呟いた。
「そうね……。昨日のメアリさんの歌で、奇跡が起こらなかったんだものね……」
メアリがニースに毛布をかけながら、切なげに顔を歪めた。
「ニースくん、ごめんね。せっかく教えてもらったのに」
メグは発言を取り消すように、慌てて手を振った。
「やだ。メアリさんのせいじゃないわ。ごめんなさい。私が変なことを言ったから」
メアリは、ニースのそばからそっと離れて座ると、柔らかな笑みをメグに向けた。
「メグさんも優しいのね。……昨日ね、マルコムさんに励ましてもらったのよ」
「マルコムに?」
ぽかんとするメグに、メアリは頷いた。
「マルコムさん、優しくて良い方ね。たくさんの女性とお付き合いされていたというお話も頷けるわ」
メアリの話を聞いて、ジーナが素早く口を挟んだ。
「そうでもないのよー。マルコムは昔は硬派で、ぜーんぜん女性を寄せ付けなかったんだからー」
メアリは不思議そうにジーナに目を向けた。
「そうなんですか?」
「そうよー。マルコムは昔、大恋愛をして、そのまま大失恋しちゃった所から、ちょっと遊び過ぎちゃったけどー。
それだって、失恋した相手に心配かけないようにって、頑張った結果なだけなんだからー」
ジーナはそのまま、以前メグたちに聞かせたのと同じく、マルコムがどんな大恋愛をしたのかを、メアリに語った。
メアリは、ハンカチを取り出して涙を拭った。
「マルコムさんが、そんな物語みたいな悲恋をされてたなんて……」
「そうよー。だからメアリには、マルコムのことを誤解しないでほしいのー。マルコムは本来、一途で紳士な男なのよー。熱くなりすぎちゃうと、突っ走っちゃう所があるけどー」
メアリは、ぎゅっとハンカチを握りしめ、頷いた。
「わかりました。私、誤解せずに、マルコムさんのお幸せをお祈りするようにしますわ」
真剣な表情のメアリに、ジーナは困ったような笑みを浮かべた。
「うーん。そうねー。とりあえずそれでいいかしらー」
メグとセラは、珍しくジーナが苦戦するのを見て、噴き出すのを必死に堪えた。二台の馬車は様々な想いを乗せて、聖地エレオスを目指し、走っていった。




