91:奇跡の謎3
前回のざっくりあらすじ:なぜかニースとセラの歌で、痛みが消えた。
朝の訪れを告げる、鳥の囀りが響く。まだ鐘の音も鳴らない静かな朝のはずだが、教会の方から言い争うような声が響いた。
ニースは喧騒に目を覚まし、寝ぼけ眼をこすりながら身を起こした。ラチェットも同じく目を覚ましたようで、しょぼしょぼと目を細めながら、メガネをかけた。
「ふあ……おはよう、ニース。何の騒ぎかな……」
「おはようございます、ラチェットさん。なんでしょう……?」
二人はあくびを噛み殺しながら、何の騒ぎかと窓を開けた。
顔を出して見下ろすと、修道士の制止を振り切り、教会から続々と患者たちが出てきて、庭にひれ伏し、宿に向かって礼拝をするのが見えた。
ニースとラチェットは、顔を出したばかりの朝日に照らされる光景に、ぽかんと口を開けた。
「みんな、お祈りしてますね……」
「あ、ああ……。こんな朝早くから、わざわざ土の上で、なんで宿に向かって……?」
すると、その中の一人が、窓から顔を覗かせたニースを見つけ、声を上げた。
「聖人様が、あそこにいらっしゃるぞ!」
患者たちは皆一斉にニースに顔を向け、礼拝を始めた。
「ありがとうございます!」
「聖人様のおかげじゃ!」
皆、目を輝かせて恍惚とした表情を浮かべているので、ニースは不気味に感じて、しゃがみこみ、ラチェットは慌てて窓とカーテンを閉めた。
しかしニースが窓から姿を消しても、皆口々に感謝を述べながら礼拝を続けた。
そうして、騒ぎに気づいた宿の従業員や宿泊客が庭に出てくると、朝から煩いと口論になり、殴り合いの喧嘩が始まった。
ニースは、飛び交う怒号に恐怖を感じ、ベッドに潜り込む。カーテンの隙間から外を伺うラチェットが、焦りの色を浮かべた。
「よくわからないけど、たぶんこれは、まずい」
ニースは涙目になりながら、こくこくと頷いた。
「ぼく、何がなんだかわかりません……!」
すると、部屋の扉を叩く音がした。
「ニース! 急いでグスタフの部屋に行くぞ!」
マルコムの声が聞こえたので、ニースは毛布を被ったまま、慌てて扉を開けた。
マルコムは、ニースを毛布ごと肩に担ぎあげると、そのままグスタフの部屋に向かって走り出した。ラチェットが、慌ててニースの荷物を持ち、追いかけた。
グスタフの部屋に入ると、グスタフがカーテンの隙間から外の様子を伺っていた。
マルコムはニースをベッドに下ろすと、すぐさまラチェットから荷物を受け取った。
「ラチェット、お前の荷物は俺の部屋に持っていけ。もし誰かに見られたら、絶対にこっちの部屋には来るな」
「わかりました」
二人の緊迫した声に、ニースは耳を塞いで目を閉じ、恐怖に身を震わせた。
駆け出したラチェットと入れ替わるように、半分寝ているセラの手を引いて、メグがやってきた。
「朝からうるさいと思ったら、聖人様って叫ぶ声が聞こえるんだけど、これってニースとセラのことよね?」
マルコムは、メグとセラを急いで部屋に引き込んだ。
「二人はここで待ってろ。絶対に部屋から出るなよ」
マルコムは、それだけ言うと急いで部屋を出て行った。
セラはまだ寝ぼけているようで、ネグリジェを着たまま、手に猫のぬいぐるみを抱えていた。
メグが眠そうなセラを、ニースがうずくまっているベッドへ連れて行く。セラは、毛布にもそりと潜り込むと、震えるニースに抱きついた。
「ぴゃっ……!」
ニースが驚き、小さな悲鳴をあげた。その声で、ようやく目を覚ましたセラは、ぱっと手を離した。
「に、ニース!?」
「セラ……びっくりさせないで……」
涙目のニースに、セラは驚いた。
「ニース、どうしたの!?」
しかしニースは、セラの問いに答えなかった。
メグは真剣な表情を浮かべ、グスタフに問いかけた。
「ちょっと、お父さん。この騒ぎは何なの?」
グスタフは、カーテンをきっちり閉め直すと、はぁとため息を吐いた。
「メグ……昨日の私とマルコムの話を覚えているか?」
「ええ。痛みが引いた話よね。それが何なの?」
グスタフは、椅子にどかっと腰を下ろした。
「たぶんな、それが原因だ。あの患者たちの中には、昨日呻き声をあげてた連中もいる。おそらく、私たちと同じく、痛みが消えたんだよ」
「え……」
メグは一瞬のうちに、騒ぎの理由を理解し、ニースを見た。
「それじゃあ、マルコムが言ってたみたいに、聖カルデナと同じく、ニースが天の導きだからって、みんな思ってるってこと……?」
「たぶんな」
メグは頭を抱えて、はぁと息を吐くと、椅子に座った。
階下から、興奮した患者たちが押し入ったのだろう。ドタバタと争う音と、怒声が響いた。
セラが不安げにぬいぐるみを抱きしめ、気遣うようにニースに声をかけた。
「ニース、大丈夫?」
ニースは毛布を被ったまま、首を横に振った。
「わかんない! ぼくのせいで、なんでこんなことになっちゃうの……!」
宿泊客と患者たちの乱闘騒ぎが落ち着くまで、ニースはひたすら身を縮めていた。セラが、ニースをなだめるように、ずっとそばに付いていた。
ようやく騒ぎが落ち着くと、扉をノックする音が響いた。
「俺だ。マルコムだ。開けてくれ」
グスタフが扉を開けると、外套を羽織ってフードを深く被り、身を隠したローサとメアリが、マルコムの後ろに立っていた。
思いがけない来訪に、グスタフは驚き戸惑った。
「マザー。わざわざ宿までお越し頂くとは……」
ローサはメアリと共に素早く部屋に入ると、外套を脱ぎフードを下ろした。
皺々の顔をくしゃりと申し訳なさそうに歪めたローサは、深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございません。私共が、患者たちを抑えきれなかったために、ご迷惑をおかけしました」
ローサの言葉に、グスタフが慌てて答えた。
「頭をお上げください。我々もニースも、無事ですから」
ローサたちが顔を上げると、マルコムが椅子を勧めた。
毛布から顔を出したニースに、メグがそっと手を差し出した。
「ニース。マザーたち、何かお話があるみたいよ。座りましょう?」
ニースはこくりと頷き、もそりと毛布から抜け出した。ニースと一緒に、セラもベッドを下りた。
ニースは、まだ顔も洗っておらず、髪も寝癖でボサボサのまま。セラに至ってはネグリジェのままだ。二人は自分の姿に気付き、恥ずかしそうに俯いた。
「あ……すみません。ぼく、こんな格好で……」
「私も、まだお着替えしていなかった……」
すると、扉をノックする音が響いた。
「グスタフー。開けてー」
ジーナの声に、グスタフが扉を開けると、大きな鞄を持ったジーナとラチェットが入ってきた。
ラチェットは、どさりと鞄を置くと、へなへなと座り込んだ。
「ようやく終わった……」
ジーナがニースとセラに声をかけた。
「二人とも、着替えを持ってきたわー。こっちで着替えましょー」
ニースとセラは、メグに促され、衝立の裏で荷物を広げ始めたジーナの元へ向かう。
ラチェットは、マルコムに助け起こされると、椅子に座った。
「マルコムさん。危ない所でしたが、どうにか見つからずに済みました。メグたちの荷物は、ジーナさんの部屋に運んであります」
「そうか……わかった。ラチェット、お疲れ様」
マルコムは頷きを返すと、火石のコンロで湯を沸かし始めた。
メグがラチェットの隣に座り、ローサに問いかけた。
「ええと……。ニースたちが着替えを終えるまで、待った方がいいでしょうか?」
メグの言葉に、ローサが首を横に振った。
「いえ。少しでも早くお話しておいた方がいいかと思います」
ローサは、真剣な眼差しをグスタフに向けた。
「大変申し訳ないのですが、みなさまには一刻も早くこの町を出ることをお勧めいたします」
「……と、言いますと?」
「実は、昨夜のみなさまの演奏の後、患者たちの間で、ある騒ぎが起きました。みな、体の痛みが消えたと言うのです。酷い痛みに呻いていた者たちまでもが、苦痛から解放されたと話しました」
ローサの話にグスタフは、やっぱりというように頷いた。
「ええ。実は私とマルコムも、同じでした。こんな事は初めてだったので、理由は分かりませんが……」
「そうでしたか。お二方も同じでしたか……」
ヤカンが沸騰を知らせる甲高い音を鳴らし、マルコムが火を止める。
グスタフは、ちらりとマルコムの様子を見たが、すぐにローサに向き直った。
「それで、今朝のあの騒ぎになったわけですね」
ローサは、ゆっくり頷いた。
「ええ、そうです。これまで教会で行ってきた奇跡より、ずっと強力な奇跡が起きました。
まさかこのような早朝から、感謝の祈りを捧げるとは思わず、対応が遅れましたこと、大変申し訳ありません」
ローサが再び深々と頭を下げると、メアリも頭を下げたので、グスタフが苦笑いを浮かべた。
「さすがにそこまでは、教会のみなさまも予測がつかなかったでしょう。頭を上げてください」
着替えを終え、顔を洗ったニースが衝立の裏から顔を出す。ニースは、皇国で使っていた仮面付きの頭巾を被っていた。
全身の黒を隠して椅子に座るニースに、ローサは申し訳なさそうな顔を向けた。
「患者たちはみな、聖人様のお力だと口々に話しておりました。しかし、歌の力はそれほど長くは持たぬものです。
患者たちの中にも、元々重症だった者の中には、痛みを再び訴える者が出始めました。程なくして皆の痛みは戻ることでしょう。
そうなると、昨夜と同じ奇跡を受けたいと、多くの人々がニース様の元へ押しかけると思われます」
口元の仮面を外したニースは、愕然とした。
「そんな……ぼく、歌の力が使えないのに……」
「私共は、ニース様が歌の力を扱えないということを、マルコム様から伺っております。ですので、奇跡の起こった理由は他にあると考えておりますし、ニース様にご負担をおかけすることは避けたいのです。
情けないことに、私共にはニース様をお守りするほどの力はありませんが、町を安全に出られるよう、ご協力することは出来ます。
多くの患者たちの痛みを、一時的であれ取り払って下さった、ご恩あるみなさまを、追い出すような形になってしまいますが、お許しください」
「……わかりました」
ローサとメアリが、深々とニースに頭を下げたので、ニースは戸惑いつつも、仕方ないと感じた。
――どうしていつも、こうなっちゃうのかな。聖皇国では、もっと穏やかに過ごせると思ってたのに……。
ニースが、悲しそうにため息を吐くと、着替えを終えたセラとジーナが、席に着いた。
マルコムが、お茶を注いだカップをローサとメアリの前に置き、頭を下げた。
「それなら早めに出発の準備を整えた方が良さそうですね。マザー、シスター。お教え頂きありがとうございました」
「いえ。残念ですが、私共に出来ることは、これしかありませんから」
ローサはマルコムに笑みを向けると、真剣な眼差しを再びグスタフに向けた。
「ところで、ひとつお伺いしたいことがあるのですが、みなさまは、聖地エレオスをお通りになるご予定はおありですか?」
グスタフが、訝しむ目で答えを返した。
「ええ……聖地を通って、砂漠へ向かう予定ですが。それが何か?」
グスタフの言葉に、ローサはメアリに視線を向ける。メアリは立ち上がると、丁寧にグスタフに頭を下げた。
「実は……お願いがあるのですが、私も聖地までご一緒させて頂けませんでしょうか?」
自分たちのお茶も入れようと、ポットに湯を注ごうとしていたマルコムは、メアリの言葉に驚き、熱湯をこぼした。
「あちっ……!」
ジーナとラチェットが立ち上がり、こぼれた湯を片付け、マルコムの手を冷やす。
グスタフは、突然の話に苦笑いを浮かべた。
「それは、どういった意味でしょうか」
メアリの代わりに、ローサが答えた。
「私共は、この奇跡を一刻も早く聖地エレオスにある聖庁に知らせなければなりません。これほど大きな奇跡です。再現することが叶えば、世界中の人々を救うことが出来ますから。
そのため、間近でみなさまの演奏を聞いたシスターメアリを、報告に向かわせることを私共は決めました。
ですが、戦後間もないこの国で、女の一人旅はいささか不安が残るのです。同行者を付けたい所ですが、この騒ぎですので、教会の者は、出来るだけ残しておきたいと考えています。
そのため、みなさまの馬車にシスターメアリを同乗させて頂けないかと、厚かましくもお願いしたいのです」
メアリは座り直すと、ローサの話を継いだ。
「同行をお許し頂けるのでしたら、旅の中で私にも歌をお教え頂ければと思います。おそらく、ニースくんの力は関係なく、歌そのものに此度の奇跡の原因があると、私たちは考えておりますので」
メアリの言葉にメグが、焦りの色を浮かべた。
「それって、ニースが原因じゃなくて、歌そのものがってことは……」
メグが、片付けを終えたラチェットの顔を見た。
「ラチェットの作った曲が、何かの力を持つってこと?」
ローサとメアリは、ラチェットに笑みを向けた。
「そうでしたか。あなた様が、あの歌を作られたのですか」
「大変素晴らしいことですわ」
ラチェットは、突然話を向けられたので、驚いて目を瞬いた。
「ええと……歌そのものに原因があるというのは、なくはないと僕も思いますが、みなさまは、なぜそう思われたんです?」
ラチェットの言葉に、メアリが頷いた。
「私たち祈手が、奇跡をどのように起こすのかをご存知ですか?」
「ええ。存じてます。祈歌を歌うんですよね?」
「はい。祈歌を捧げることで、奇跡がもたらされるのです。ですが、今の私たちが歌う祈歌は、完全なものではありません」
「……と言いますと?」
「祈歌は元々、聖カルデナが歌ったと伝えられるものですが、その歌は治療に合わせて膨大な種類があったと言われています。その数は、優に千を越えたそうです」
ニースは驚いて、思わず声を上げた。
「そんなにあるんですか!?」
「はい。聖カルデナの時代には、死病ですら祈歌で直したという記録もあります。しかし今ではそのほとんどが失われ、現存しているのはわずか三十しかありません」
皆が驚きで息を呑む中、氷を当てたマルコムとジーナが席に戻る。椅子に座ったジーナは、悲しそうに眉をひそめた。
「時の流れって、残酷なのね……」
「そうですね……。私たちの祈歌は、奇跡と呼ばれていますが、実際はとても力の弱いものです。人が本来持っている自然の治癒力を、僅かに高める程度に過ぎません」
メアリは、マルコムの手をちらりと気遣わしげに見た。
「例えば、今ここでマルコムさんの火傷を祈歌で癒そうとしても、水をかけて冷やし、薬を塗り込むのと、それほど効果は変わらないのです」
メアリは切なげに微笑むと、ふわりと笑みをニースとセラに向けた。
「昨夜お二人が歌われた歌は、今まで知られていない、全く新しい歌でした。私たちがいくら祈歌を捧げても、癒せなかった者たちが、口々に痛みが楽になったと言いました。
これは今の私たちが行っている奇跡とは、全く種類が違います。まるで、伝承に残る聖カルデナの奇跡のような出来事なのです」
ローサが、メアリの言葉に頷いた。
「ですので、これはおそらく、歌そのものに何か理由があると、私共は考えております。失われた祈歌に通じる何かが、あるのではないかと。
この奇跡の謎が分かれば、騒動も落ち着いて、ニース様の安全も守られるかと思います。お願い出来ませんでしょうか?」
ニースは話を聞いて、それほど大きな事だったのかと驚いた。
グスタフは、納得したように頷いた。
「わかりました。そういうことなら、シスターを聖地までお連れしましょう。我々も原因がわからないままでは、歌の演奏を続けることが出来ませんからね。……ラチェット、歌をお教えすることは出来るか?」
ラチェットは笑みをローサに向けた。
「ええ。もちろん、お教えします。必要であれば、楽譜の寄進もいたしましょう」
ローサは、ほっと安堵の息を漏らした。
「ありがとうございます。シスターメアリを、どうぞよろしくお願いいたします」
話がまとまると、町を出る算段をつけ、ローサとメアリは部屋を去った。
メグが心配そうにラチェットを見つめ、マルコムが困ったように火傷を負った手を見つめる。ニースは、原因が分かる事を願うと同時に、今後どうなるのかを不安に感じていた。




