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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第7章 祈りの歌】
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91:奇跡の謎3

前回のざっくりあらすじ:なぜかニースとセラの歌で、痛みが消えた。

 朝の訪れを告げる、鳥の囀りが響く。まだ鐘の音も鳴らない静かな朝のはずだが、教会の方から言い争うような声が響いた。


 ニースは喧騒に目を覚まし、寝ぼけ眼をこすりながら身を起こした。ラチェットも同じく目を覚ましたようで、しょぼしょぼと目を細めながら、メガネをかけた。


「ふあ……おはよう、ニース。何の騒ぎかな……」


「おはようございます、ラチェットさん。なんでしょう……?」


 二人はあくびを噛み殺しながら、何の騒ぎかと窓を開けた。

 顔を出して見下ろすと、修道士の制止を振り切り、教会から続々と患者たちが出てきて、庭にひれ伏し、宿に向かって礼拝をするのが見えた。

 ニースとラチェットは、顔を出したばかりの朝日に照らされる光景に、ぽかんと口を開けた。


「みんな、お祈りしてますね……」


「あ、ああ……。こんな朝早くから、わざわざ土の上で、なんで宿に向かって……?」


 すると、その中の一人が、窓から顔を覗かせたニースを見つけ、声を上げた。


「聖人様が、あそこにいらっしゃるぞ!」


 患者たちは皆一斉にニースに顔を向け、礼拝を始めた。


「ありがとうございます!」


「聖人様のおかげじゃ!」


 皆、目を輝かせて恍惚とした表情を浮かべているので、ニースは不気味に感じて、しゃがみこみ、ラチェットは慌てて窓とカーテンを閉めた。

 しかしニースが窓から姿を消しても、皆口々に感謝を述べながら礼拝を続けた。

 そうして、騒ぎに気づいた宿の従業員や宿泊客が庭に出てくると、朝から煩いと口論になり、殴り合いの喧嘩が始まった。

 ニースは、飛び交う怒号に恐怖を感じ、ベッドに潜り込む。カーテンの隙間から外を伺うラチェットが、焦りの色を浮かべた。


「よくわからないけど、たぶんこれは、まずい」


 ニースは涙目になりながら、こくこくと頷いた。


「ぼく、何がなんだかわかりません……!」


 すると、部屋の扉を叩く音がした。


「ニース! 急いでグスタフの部屋に行くぞ!」


 マルコムの声が聞こえたので、ニースは毛布を被ったまま、慌てて扉を開けた。

 マルコムは、ニースを毛布ごと肩に担ぎあげると、そのままグスタフの部屋に向かって走り出した。ラチェットが、慌ててニースの荷物を持ち、追いかけた。


 グスタフの部屋に入ると、グスタフがカーテンの隙間から外の様子を伺っていた。

 マルコムはニースをベッドに下ろすと、すぐさまラチェットから荷物を受け取った。


「ラチェット、お前の荷物は俺の部屋に持っていけ。もし誰かに見られたら、絶対にこっちの部屋には来るな」


「わかりました」


 二人の緊迫した声に、ニースは耳を塞いで目を閉じ、恐怖に身を震わせた。

 駆け出したラチェットと入れ替わるように、半分寝ているセラの手を引いて、メグがやってきた。


「朝からうるさいと思ったら、聖人様って叫ぶ声が聞こえるんだけど、これってニースとセラのことよね?」


 マルコムは、メグとセラを急いで部屋に引き込んだ。


「二人はここで待ってろ。絶対に部屋から出るなよ」


 マルコムは、それだけ言うと急いで部屋を出て行った。


 セラはまだ寝ぼけているようで、ネグリジェを着たまま、手に猫のぬいぐるみを抱えていた。

 メグが眠そうなセラを、ニースがうずくまっているベッドへ連れて行く。セラは、毛布にもそりと潜り込むと、震えるニースに抱きついた。


「ぴゃっ……!」


 ニースが驚き、小さな悲鳴をあげた。その声で、ようやく目を覚ましたセラは、ぱっと手を離した。


「に、ニース!?」


「セラ……びっくりさせないで……」


 涙目のニースに、セラは驚いた。


「ニース、どうしたの!?」


 しかしニースは、セラの問いに答えなかった。

 メグは真剣な表情を浮かべ、グスタフに問いかけた。


「ちょっと、お父さん。この騒ぎは何なの?」


 グスタフは、カーテンをきっちり閉め直すと、はぁとため息を吐いた。


「メグ……昨日の私とマルコムの話を覚えているか?」


「ええ。痛みが引いた話よね。それが何なの?」


 グスタフは、椅子にどかっと腰を下ろした。


「たぶんな、それが原因だ。あの患者たちの中には、昨日呻き声をあげてた連中もいる。おそらく、私たちと同じく、痛みが消えたんだよ」


「え……」


 メグは一瞬のうちに、騒ぎの理由を理解し、ニースを見た。


「それじゃあ、マルコムが言ってたみたいに、聖カルデナと同じく、ニースが天の導きだからって、みんな思ってるってこと……?」


「たぶんな」


 メグは頭を抱えて、はぁと息を吐くと、椅子に座った。

 階下から、興奮した患者たちが押し入ったのだろう。ドタバタと争う音と、怒声が響いた。

 セラが不安げにぬいぐるみを抱きしめ、気遣うようにニースに声をかけた。


「ニース、大丈夫?」


 ニースは毛布を被ったまま、首を横に振った。


「わかんない! ぼくのせいで、なんでこんなことになっちゃうの……!」


 宿泊客と患者たちの乱闘騒ぎが落ち着くまで、ニースはひたすら身を縮めていた。セラが、ニースをなだめるように、ずっとそばに付いていた。




 ようやく騒ぎが落ち着くと、扉をノックする音が響いた。


「俺だ。マルコムだ。開けてくれ」


 グスタフが扉を開けると、外套を羽織ってフードを深く被り、身を隠したローサとメアリが、マルコムの後ろに立っていた。

 思いがけない来訪に、グスタフは驚き戸惑った。


「マザー。わざわざ宿までお越し頂くとは……」


 ローサはメアリと共に素早く部屋に入ると、外套を脱ぎフードを下ろした。

 皺々の顔をくしゃりと申し訳なさそうに歪めたローサは、深々と頭を下げた。


「大変申し訳ございません。私共が、患者たちを抑えきれなかったために、ご迷惑をおかけしました」


 ローサの言葉に、グスタフが慌てて答えた。


「頭をお上げください。我々もニースも、無事ですから」


 ローサたちが顔を上げると、マルコムが椅子を勧めた。

 毛布から顔を出したニースに、メグがそっと手を差し出した。


「ニース。マザーたち、何かお話があるみたいよ。座りましょう?」


 ニースはこくりと頷き、もそりと毛布から抜け出した。ニースと一緒に、セラもベッドを下りた。


 ニースは、まだ顔も洗っておらず、髪も寝癖でボサボサのまま。セラに至ってはネグリジェのままだ。二人は自分の姿に気付き、恥ずかしそうに俯いた。


「あ……すみません。ぼく、こんな格好で……」


「私も、まだお着替えしていなかった……」


 すると、扉をノックする音が響いた。


「グスタフー。開けてー」


 ジーナの声に、グスタフが扉を開けると、大きな鞄を持ったジーナとラチェットが入ってきた。


 ラチェットは、どさりと鞄を置くと、へなへなと座り込んだ。


「ようやく終わった……」


 ジーナがニースとセラに声をかけた。


「二人とも、着替えを持ってきたわー。こっちで着替えましょー」


 ニースとセラは、メグに促され、衝立の裏で荷物を広げ始めたジーナの元へ向かう。

 ラチェットは、マルコムに助け起こされると、椅子に座った。


「マルコムさん。危ない所でしたが、どうにか見つからずに済みました。メグたちの荷物は、ジーナさんの部屋に運んであります」


「そうか……わかった。ラチェット、お疲れ様」


 マルコムは頷きを返すと、火石のコンロで湯を沸かし始めた。

 メグがラチェットの隣に座り、ローサに問いかけた。


「ええと……。ニースたちが着替えを終えるまで、待った方がいいでしょうか?」


 メグの言葉に、ローサが首を横に振った。


「いえ。少しでも早くお話しておいた方がいいかと思います」


 ローサは、真剣な眼差しをグスタフに向けた。


「大変申し訳ないのですが、みなさまには一刻も早くこの町を出ることをお勧めいたします」


「……と、言いますと?」


「実は、昨夜のみなさまの演奏の後、患者たちの間で、ある騒ぎが起きました。みな、体の痛みが消えたと言うのです。酷い痛みに呻いていた者たちまでもが、苦痛から解放されたと話しました」


 ローサの話にグスタフは、やっぱりというように頷いた。


「ええ。実は私とマルコムも、同じでした。こんな事は初めてだったので、理由は分かりませんが……」


「そうでしたか。お二方も同じでしたか……」


 ヤカンが沸騰を知らせる甲高い音を鳴らし、マルコムが火を止める。

 グスタフは、ちらりとマルコムの様子を見たが、すぐにローサに向き直った。


「それで、今朝のあの騒ぎになったわけですね」


 ローサは、ゆっくり頷いた。


「ええ、そうです。これまで教会で行ってきた奇跡より、ずっと強力な奇跡が起きました。

 まさかこのような早朝から、感謝の祈りを捧げるとは思わず、対応が遅れましたこと、大変申し訳ありません」


 ローサが再び深々と頭を下げると、メアリも頭を下げたので、グスタフが苦笑いを浮かべた。


「さすがにそこまでは、教会のみなさまも予測がつかなかったでしょう。頭を上げてください」


 着替えを終え、顔を洗ったニースが衝立の裏から顔を出す。ニースは、皇国で使っていた仮面付きの頭巾を被っていた。

 全身の黒を隠して椅子に座るニースに、ローサは申し訳なさそうな顔を向けた。


「患者たちはみな、聖人様のお力だと口々に話しておりました。しかし、歌の力はそれほど長くは持たぬものです。

 患者たちの中にも、元々重症だった者の中には、痛みを再び訴える者が出始めました。程なくして皆の痛みは戻ることでしょう。

 そうなると、昨夜と同じ奇跡を受けたいと、多くの人々がニース様の元へ押しかけると思われます」


 口元の仮面を外したニースは、愕然とした。


「そんな……ぼく、歌の力が使えないのに……」


「私共は、ニース様が歌の力を扱えないということを、マルコム様から伺っております。ですので、奇跡の起こった理由は他にあると考えておりますし、ニース様にご負担をおかけすることは避けたいのです。

 情けないことに、私共にはニース様をお守りするほどの力はありませんが、町を安全に出られるよう、ご協力することは出来ます。

 多くの患者たちの痛みを、一時的であれ取り払って下さった、ご恩あるみなさまを、追い出すような形になってしまいますが、お許しください」


「……わかりました」


 ローサとメアリが、深々とニースに頭を下げたので、ニースは戸惑いつつも、仕方ないと感じた。


 ――どうしていつも、こうなっちゃうのかな。聖皇国では、もっと穏やかに過ごせると思ってたのに……。


 ニースが、悲しそうにため息を吐くと、着替えを終えたセラとジーナが、席に着いた。

 マルコムが、お茶を注いだカップをローサとメアリの前に置き、頭を下げた。


「それなら早めに出発の準備を整えた方が良さそうですね。マザー、シスター。お教え頂きありがとうございました」


「いえ。残念ですが、私共に出来ることは、これしかありませんから」


 ローサはマルコムに笑みを向けると、真剣な眼差しを再びグスタフに向けた。


「ところで、ひとつお伺いしたいことがあるのですが、みなさまは、聖地エレオスをお通りになるご予定はおありですか?」


 グスタフが、訝しむ目で答えを返した。


「ええ……聖地を通って、砂漠へ向かう予定ですが。それが何か?」


 グスタフの言葉に、ローサはメアリに視線を向ける。メアリは立ち上がると、丁寧にグスタフに頭を下げた。


「実は……お願いがあるのですが、私も聖地までご一緒させて頂けませんでしょうか?」


 自分たちのお茶も入れようと、ポットに湯を注ごうとしていたマルコムは、メアリの言葉に驚き、熱湯をこぼした。


「あちっ……!」


 ジーナとラチェットが立ち上がり、こぼれた湯を片付け、マルコムの手を冷やす。

 グスタフは、突然の話に苦笑いを浮かべた。


「それは、どういった意味でしょうか」


 メアリの代わりに、ローサが答えた。


「私共は、この奇跡を一刻も早く聖地エレオスにある聖庁(せいちょう)に知らせなければなりません。これほど大きな奇跡です。再現することが叶えば、世界中の人々を救うことが出来ますから。

 そのため、間近でみなさまの演奏を聞いたシスターメアリを、報告に向かわせることを私共は決めました。

 ですが、戦後間もないこの国で、女の一人旅はいささか不安が残るのです。同行者を付けたい所ですが、この騒ぎですので、教会の者は、出来るだけ残しておきたいと考えています。

 そのため、みなさまの馬車にシスターメアリを同乗させて頂けないかと、厚かましくもお願いしたいのです」


 メアリは座り直すと、ローサの話を継いだ。


「同行をお許し頂けるのでしたら、旅の中で私にも歌をお教え頂ければと思います。おそらく、ニースくんの力は関係なく、歌そのものに此度の奇跡の原因があると、私たちは考えておりますので」


 メアリの言葉にメグが、焦りの色を浮かべた。


「それって、ニースが原因じゃなくて、歌そのものがってことは……」


 メグが、片付けを終えたラチェットの顔を見た。


「ラチェットの作った曲が、何かの力を持つってこと?」


 ローサとメアリは、ラチェットに笑みを向けた。


「そうでしたか。あなた様が、あの歌を作られたのですか」


「大変素晴らしいことですわ」


 ラチェットは、突然話を向けられたので、驚いて目を瞬いた。


「ええと……歌そのものに原因があるというのは、なくはないと僕も思いますが、みなさまは、なぜそう思われたんです?」


 ラチェットの言葉に、メアリが頷いた。


「私たち祈手が、奇跡をどのように起こすのかをご存知ですか?」


「ええ。存じてます。祈歌を歌うんですよね?」


「はい。祈歌を捧げることで、奇跡がもたらされるのです。ですが、今の私たちが歌う祈歌は、完全なものではありません」


「……と言いますと?」


「祈歌は元々、聖カルデナが歌ったと伝えられるものですが、その歌は治療に合わせて膨大な種類があったと言われています。その数は、優に千を越えたそうです」


 ニースは驚いて、思わず声を上げた。


「そんなにあるんですか!?」


「はい。聖カルデナの時代には、死病ですら祈歌で直したという記録もあります。しかし今ではそのほとんどが失われ、現存しているのはわずか三十しかありません」


 皆が驚きで息を呑む中、氷を当てたマルコムとジーナが席に戻る。椅子に座ったジーナは、悲しそうに眉をひそめた。


「時の流れって、残酷なのね……」


「そうですね……。私たちの祈歌は、奇跡と呼ばれていますが、実際はとても力の弱いものです。人が本来持っている自然の治癒力を、僅かに高める程度に過ぎません」


 メアリは、マルコムの手をちらりと気遣わしげに見た。


「例えば、今ここでマルコムさんの火傷を祈歌で癒そうとしても、水をかけて冷やし、薬を塗り込むのと、それほど効果は変わらないのです」


 メアリは切なげに微笑むと、ふわりと笑みをニースとセラに向けた。


「昨夜お二人が歌われた歌は、今まで知られていない、全く新しい歌でした。私たちがいくら祈歌を捧げても、癒せなかった者たちが、口々に痛みが楽になったと言いました。

 これは今の私たちが行っている奇跡とは、全く種類が違います。まるで、伝承に残る聖カルデナの奇跡のような出来事なのです」


 ローサが、メアリの言葉に頷いた。


「ですので、これはおそらく、歌そのものに何か理由があると、私共は考えております。失われた祈歌に通じる何かが、あるのではないかと。

 この奇跡の謎が分かれば、騒動も落ち着いて、ニース様の安全も守られるかと思います。お願い出来ませんでしょうか?」


 ニースは話を聞いて、それほど大きな事だったのかと驚いた。

 グスタフは、納得したように頷いた。


「わかりました。そういうことなら、シスターを聖地までお連れしましょう。我々も原因がわからないままでは、歌の演奏を続けることが出来ませんからね。……ラチェット、歌をお教えすることは出来るか?」


 ラチェットは笑みをローサに向けた。


「ええ。もちろん、お教えします。必要であれば、楽譜の寄進もいたしましょう」


 ローサは、ほっと安堵の息を漏らした。


「ありがとうございます。シスターメアリを、どうぞよろしくお願いいたします」


 話がまとまると、町を出る算段をつけ、ローサとメアリは部屋を去った。

 メグが心配そうにラチェットを見つめ、マルコムが困ったように火傷を負った手を見つめる。ニースは、原因が分かる事を願うと同時に、今後どうなるのかを不安に感じていた。

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