90:奇跡の謎2
前回のざっくりあらすじ:全ての歌を重唱で歌う練習をした。
日が沈み、星が空を彩り始める。中庭は、柔らかなランプの明かりで幻想的に照らされていた。
たくさんの患者たちが集まり、舞台脇の椅子にローサとメアリが座った。
中庭に面した治療院の窓は全て開かれ、階段を下りる事が出来ない患者たちも、修道士や修道女と共に窓から中庭を見下ろした。
グスタフは痛みを感じさせない笑顔を浮かべて、舞台に上がり、口上を述べた。
「療養中のみなさま、お待たせいたしました。<旅の一座ハリカ>の公演の始まりです! どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
グスタフは丁寧にお辞儀をすると、額の脂汗を隠すように、舞台裏手にいるマルコムの隣へ座った。
ラチェットがフルートを手に、演奏を始める。鳥のさえずりのような音色に、患者たちは耳を傾け、痛みに呻く者たちも、軽やかな音色に気持ちが和らいでいった。
ラチェットは、フルートの演奏を終えると、グスタフから借りたバイオリンを奏でる。滑らかなバイオリンの音色は、グスタフのような力強さはなかったが、清らかな音色を響かせた。
グスタフたちと共に、舞台裏手で演奏を聞いていたセラが、呟いた。
「ラチェットさん、なんでも楽器弾けちゃうなんて。私たちって必要なさそう」
「セラちゃんは、相変わらず容赦ないな」
セラの言葉に苦笑いを浮かべたマルコムの隣で、ニースはセラの言う事も一理あると、心の中で深く頷いた。
ラチェットがギターを抱えると、ニースとセラが舞台へ上がる。ニースの姿を見た患者たちの中には、手を合わせ祈る者もいた。
二人は柔らかな笑みを浮かべ、ギターの演奏に合わせて歌い出した。これまで一つの旋律で歌っていた旅立ちの歌が、ハーモニーとなって響いていく。
初めて聞く音の重なりに驚き、メグは瞳を輝かせて舞台を見つめた。
「ラチェット、なかなかやるじゃない!」
グスタフは、ぽかんと口を開け、マルコムが参ったと苦笑いを浮かべた。
「いつの間にラチェットは編曲してたんだ?」
「これは確かに、俺たちの立つ瀬がないかもな」
「これならラチェットに、一座とメグちゃんの将来を任せられるわねー」
満足げに呟いたジーナの言葉に、グスタフは寂しそうに肩を落とした。
「ジーナ、気が早すぎるよ……」
恋の歌も重唱になっていると分かると、ジーナとメグは立ち上がり、食い入るように三人の演奏に聞き入った。
落ち込みながらも歌を聞いていたグスタフは、ふと違和感を感じた。
「んん? ……おい、マルコム」
グスタフが突然マルコムに囁いたので、何事かとマルコムは身構えた。
「な、なんだよ、グスタフ」
「痛みが楽になってないか?」
グスタフは、ゆっくりと肩を回しながらマルコムに尋ねた。
マルコムは、ふっと笑みを浮かべた。
「なんだ、良かったじゃないか。ゆっくり休んだから良くなったんだな」
「いや、違う……」
グスタフはおもむろに、マルコムの痛む横腹を突いた。
「おいっ……!」
マルコムは反射的に顔をしかめたが、唖然とした。
「なんで痛くないんだ?」
マルコムは、確かめるように体を動かした。腕も肩も首も腹も。先ほどまで鈍い痛みが絶えなかった締め痕が、楽になっている事を感じた。
二人が首を傾げて囁き合う間にも、ニースとセラの歌は続く。
生命の喜びを歌う歌が響き渡ると、グスタフとマルコムは、体がすっと楽になるのを感じた。
「おい、グスタフ。これって、まさか……」
「いや、あり得ない。セラの歌の力だとしても、これは祈歌じゃないんだ」
体の動きを確かめながら、ひそひそと喋り続ける二人に、メグが振り返った。
「ちょっと二人とも。さっきから何なのよ。静かにしてて」
グスタフとマルコムは、メグの言葉に押し黙ったが、不思議な現象に動揺を隠せなかった。
大きな拍手と共に、ニースとセラの歌が終わる。鳴り止まない拍手に、グスタフは、はっとして立ち上がり、舞台で締めの挨拶をした。
慰問演奏会は謎を残したまま、幕を下ろした。
演奏会が終わり、ローサとメアリが舞台裏へとやってきた。
グスタフとマルコムは、痛みがすっかり消え去ったことに首を傾げながらも、安堵の息を吐き、にこやかに二人を迎えた。
ローサが、くしゃりと笑顔を浮かべ、頭を下げた。
「皆さま、ありがとうございました。歌が音楽というお話、私共にもよくわかりました。楽しいものですね」
「そういって頂けるなら何よりです。私やマルコムも演奏出来れば良かったのですが……いやはや、申し訳ありませんでした」
グスタフが先ほどとは違い、晴れやかに答えたので、ローサは首を傾げた。
「いえいえ。体の痛みはもうよろしいので?」
「ええ、おかげさまで。私もマルコムも、だいぶ楽になりました」
メアリは、グスタフの言葉を聞くと、安心したように微笑みをマルコムに向けた。
「それは何よりですね。マルコムさんも楽になられたなら、良かったわ」
マルコムは、ぎこちないながらも、丁寧にお辞儀をした。
「え、ええ。おかげさまで。ご心配をおかけしました」
ローサとメアリは挨拶を終えると、ニースとセラに手を合わせ、去っていった。
ニースたちは、会場の片付けを手伝ってから、宿へ戻った。すっかり痛みが消えたグスタフとマルコムが、精力的に椅子を運んだので、ニースたちは皆不思議に感じていた。
町には夕げの香りが漂い、家族が笑い合う声が響く。
着替えを終えたニースは、ラチェットと共に部屋を出た。打ち上げを兼ねた夕食をグスタフの部屋で取るためだ。
階段を上がる二人だったが、踊り場でラチェットが急に立ち止まった。
「ラチェットさん、大丈夫ですか? 顔色が悪いですけど……」
「ああ……。ちょっと疲れたみたいでね。休めばよくなるよ」
最初から最後まで舞台に立ち続け、様々な楽器を演奏したラチェットは、疲労の色を浮かべていた。
「部屋に戻りますか?」
「いや、もう少しで座長の部屋だから……」
手すりにもたれかかるラチェットを見て、ニースがおろおろしていると、メグとセラがやってきた。
「ラチェット、どうしたの!?」
メグが駆け寄り、ラチェットの肩を抱いた。ラチェットは、顔を青ざめており、力なく微笑んだ。
「ごめん。ちょっと疲れただけだよ。少し休めば良くなるから……」
するとメグがラチェットの腕を取り、肩に回した。
「ほら。肩を貸してあげるわ。頑張ったんだから、無理しちゃダメよ」
「……ありがとう」
ラチェットは気まずそうに苦笑いを浮かべ、階段を上がった。夕日が差したわけでもないのに、メグの頬が、ほんの少しだけ赤く染まっていた。
グスタフの部屋の扉を開けると、食欲を誘う香辛料の香りが漂い、テーブルの上には、昨夜と同じような料理が並んでいた。
ニースは席に着くと、興味深く皿を見つめ、呟いた。
「この町って、建物がピンクだけど、食べ物も赤っぽいものが多かったんですね」
昨夜は、バードとココの話で気が動転していて気づかなかったが、並ぶ料理の多くが辛そうな赤い色をしていた。
鶏肉、海老、挽肉を細長くして焼いたもの。そのどれもが赤かった。
隣に座るセラが、ニースの袖を引いた。
「でもニース、これは緑だよ」
セラがニースに指し示したのは、緑色のカレーだった。
カレーは何種類も用意されており、昨夜もカレーを食べていたのかと、ニースは驚いた。
「昨日もぼくたち、これを食べてたよね? なんで辛くなかったんだろう。味を全然覚えてないけど……」
マルコムが、はははと笑う。
「カレーは辛いのだけじゃないってことだ、ニース。昨日は散々だったからな。今日はのんびり楽しもう」
マルコムの言葉に、ニースだけでなく皆が頷いた。ニースたちはようやく、テトラネマの夕食を堪能した。
テトラネマは、食後のお茶も独特なもので、紅茶に牛乳と共に香辛料が加えられていた。
ニースは、カップに口をつけると、ふんわり笑みを浮かべた。
「甘いから口の中が楽になるね」
「うん。美味しいね、ニース」
セラとニースが微笑み合う姿を、ラチェットが笑みを浮かべて見ていた。
ラチェットの顔を見て、メグが、ほっと胸を撫で下ろした。
「ラチェット、だいぶ顔色が良くなったわね。もう大丈夫そう?」
ラチェットは、言われて初めて気がついた。
「ああ、不思議と疲れが和らいだ気がする。心配かけてごめんね、メグ」
ラチェットが笑みを向けると、メグは満足そうに頷いた。
「いいのよ。気にしないで。元気になったなら良かったわ。このお料理のおかげなのかしら?」
三杯目のお茶を飲み干したジーナが、頷いた。
「テトラネマのお料理はねー、たくさんのスパイスが使われているのよー。それが体にすごくいいのー」
グスタフが飲みかけのカップを置き、話を継いだ。
「カランド聖皇国の食事は、どこの地域でも体にいいものばかりなんだよ。食事も医療と同じように、体を元気にするために必要って考え方らしくてな」
メグはグスタフの言葉を聞くと、興味深げにお茶のカップを見つめた。
「へえ。それじゃあ、このお茶も健康のために飲んでる感じなのね」
ジーナが五杯目のお茶をカップに注いだ。
「そうよー。私はこの国の考え方好きだわー。美味しくって元気になれるって最高よねー」
たくさんの料理を食べたにも関わらず、ジーナは一人で大きなお茶のポットを一つ、空にしてしまった。ニースは、ジーナの胃袋が食事用と飲み物用の二つあるのではと感じた。
空になったポットを覗き、ジーナは残念そうにため息を吐くと、グスタフを見た。
「そういえば、グスタフたちもすっかり元気になったわねー。お昼もカレーだったし、食べ物が良かったのかしらー?」
グスタフは、マルコムと顔を見合わせると、真剣な表情を浮かべた。
「それなんだがな……。実は、ニースとセラの歌を聞いたら、急に痛みがひいたんだ」
「え……?」
ニースは、お茶を飲む手を止め、唖然とした。
セラも驚いた様子だったが、疑問を口にした。
「えっと……でも、私たちが今日歌ったのは、石歌じゃなくて、ラチェットさんが作ってくれた歌ですよ?」
マルコムが、セラに頷いた。
「ああ。それは俺たちも知ってる。それに、石歌では体の痛みを取れるなんて聞いたことないしな。そんな力がある石の話も聞いたことがない」
「じゃあ、なんでですか?」
セラの疑問に、マルコムは困ったように頭をかいた。
「教会の祈歌に、ラチェットの曲が似てるってことはないのか?」
マルコムに話を向けられたラチェットは、目を伏せ考えた。
「可能性としては、あるのかもしれません。僕は祈歌のことはよくわかりませんから。似ている部分があったという可能性は捨てきれませんね」
しかし、グスタフは首を横に振った。
「いや。いくらなんでも、だからといってここまで痛みが治るのはおかしい」
ラチェットが、困ったようにグスタフを見た。
「どういうことですか?」
「今朝、私が偶然、祈歌を聴いて、痛みがひいたのをラチェットは知ってるだろう?」
「はい。蒸し風呂から上がった後ですよね」
「あの時に聞いた祈歌でも、ここまで痛みが消えはしなかった。それに、祈歌を聴いてる間はよかったが、宿へ戻ってからは痛みも元に戻ったんだ。
だが、今もまだ痛みは戻ってない。どう考えてもおかしいんだよ」
話を黙って聞いていたメグが口を開く。
「相乗効果ってことはないの? 体にいいものを食べて、体にいいお風呂に入って、祈歌に似た歌を聞く。これが合わさったから、教会の奇跡みたいなことが起きたんじゃない?」
マルコムが苦笑いを浮かべた。
「だが、それならお嬢。今朝の時点で、すでにその条件をグスタフは満たしてるよ」
「じゃあ、なんでなのよ」
ムッとしてメグがマルコムを睨んだが、マルコムは澄ました顔で肩をすくめた。
「それがわかったら、苦労しないさ。だが、ひとつ俺には思い当たる節がある」
セラが、瞳をキラキラさせてマルコムを見た。
「マルコムさんの予想は、なんですか?」
マルコムは、にっと笑みを浮かべ、ニースを見た。
「ニースだよ」
ニースが、ぽかんと口を開けた。
「ぼくですか?」
「ああ。聖カルデナは、天の導きだった。聖女の奇跡は、今と比べ物にならないぐらい、凄いものだったと聞いたことがある。
ニースが"調子外れ"でも、歌の力を潜在的に持ってることは、ロッシーノ村で分かってるだろう? きっと、歌石だけじゃ計れない何かが、天の導きにはあるってことなんじゃないか?」
「そうなのかな……」
ニースは戸惑ったが、グスタフたちは、それが何かはわからないが一理あると感じた。
しかしジーナが、新たに自分で入れたお茶を飲み干すと、カップを置き、真剣な声音で呟いた。
「やっぱり違うわ」
グスタフが、不思議そうにジーナを見た。
「何が違うんだ、ジーナ」
ジーナは、グスタフの顔をじっと見つめた。
「やっぱり、香辛料の配合を聞かないと、同じ味は出せないわ」
トンチンカンなジーナの言葉に、グスタフが苦笑いを浮かべ、マルコムが噴き出した。メグは呆れた視線をジーナに向けて、セラがケラケラと笑った。
ニースは、ラチェットと顔を見合わせると、ふっと笑みをこぼした。




