89:奇跡の謎1
前回のざっくりあらすじ:ニースが初めて祈歌を聞いた。
太陽が柔らかな日差しで照らす町には、人々の笑い合う声が響く。
ニースは、蒸し風呂で癒されたはずだが、疲れを感じて宿の部屋でのんびり過ごした。昼前になるとマルコムが皆を呼んだので、ニースはマルコムの部屋に向かった。
「いたた……」
ジーナの教育がよほど効いたようで、マルコムは腕をさすりながら、ニースたちにお茶を入れた。いつもなら率先して手伝うニースだが、今日ばかりは、マルコムを手伝う気にはなれなかった。
全員にお茶のカップが行き渡ると、マルコムは口を開いた。
「集まってもらったのはな、今日の夜に公演を頼まれたことを、まだ伝えてなかったからなんだ」
マルコムは、浄化の依頼をしに教会へ赴いた際に、慰問演奏会を依頼されていた。
「みんなも知ってるように、ここの治療院は男女別に建屋が分かれてるぐらい、病床もたくさんある。
患者の数も、ロッシーノ村よりずっと多いから、今回は風呂の横にあった中庭で演奏することになってる」
ラチェットが、お茶のカップを置き、頷いた。
「あそこなら、窓を開ければ、寝たきりの患者でも演奏が聞こえそうですね」
「ああ。そういうことだ。場所が中庭だから、オルガンは持ち込めない。小さな舞台があるが、演奏を聞かせるのが目的だから、俺の手品もメグの踊りも披露は出来ない」
マルコムの言葉に、メグが冷たい視線を投げた。
「その様子じゃ、マルコムは手品だけじゃなく、太鼓も今日は出来ないでしょ?」
マルコムは、気まずそうに頬をかいた。
「それは、すまなかったって……」
「マルコムは自業自得だ……。だが悪いが、私も今日は無理だ。挨拶ぐらいは出来るが、とてもバイオリンは弾けない」
マルコムの顔を呆れたように見るグスタフに、ジーナが甲斐甲斐しくお茶を飲ませた。
「そうねー。グスタフは無理をしない方がいいと思うわー」
ニースは困ったように眉根を寄せた。
「ええと……そうすると、今日の演奏って、ラチェットさんとぼくとセラの三人だけになるんですか?」
「ああ。悪いが頼む。演奏は今夜、日が暮れる頃の約束だ。夕食前に聞かせようという話でな。本当にすまない」
頭を下げるマルコムに、ニースとセラは苦笑いを浮かべ、ラチェットは小さくため息を吐いた。
「仕方ないですね。僕たち三人でやるなら、少し演目に工夫をした方がいいかな。午後は練習をするよ、二人とも」
「はい。わかりました」
「がんばります」
早めに昼食を取ろうと、部屋を出る三人を見送ったマルコムは、ほっと安堵の息を漏らした。
「ニースたちがいてくれて助かった……。ラチェット一人じゃ、とても無理だった」
「これに懲りたら、もう二度とニースのせいにしないことね」
メグの冷たい視線が突き刺さり、マルコムは気まずそうにカップに口を付けた。
ジーナは、グスタフにお茶を全て飲ませると、小さくため息を吐いた。
「二人とも治らないと、出発も興行も何も出来ないわねー。明日になっても痛みがひかないなら、教会に奇跡を頼みましょー」
「そうしてもらいたいな。まさか蒸し風呂でこんなに悪化するとは思わなかったよ……」
グスタフの言葉に、ジーナが責任を感じたように、しゅんと肩を落とした。
「ごめんね、グスタフ。私が寝ぼけちゃったから……」
「いいんだよ、ジーナ。君の隣で寝られるぐらい、私が強くならなければいけないんだ」
「グスタフー! やっぱりあなたしかいないわー!」
感極まったジーナに抱きつかれ、グスタフは痛みで気を失った。慌てて介抱するジーナに、メグとマルコムは呆れていた。
ニースたちは、ラチェットと共に部屋へ戻ると、早速練習を始めた。
「今日は何の演奏をするんですか?」
ニースの問いかけに、ラチェットはメガネをくいと上げた。
「重唱に編曲した歌を、披露したらどうかと思うんだ」
ラチェットは、テトラネマまでの旅の中で、これまで作った曲を重唱曲に書き換えていた。
主旋律をセラが歌い、ニースが副旋律を歌うことで、ラチェットは演奏の幅を広げようと考えていた。
「今回は、オルガンも太鼓も、手品も踊りもない。歌はそれぞれ違うけど、二人の声を合わせて歌うだけでは、引きが弱いと思う。
でも、歌を重唱にすれば、だいぶ変わると思うんだ。僕の伴奏と二人の歌声だけでも、かなり面白い演奏になるんじゃないかな」
ラチェットの言葉に、ニースとセラは頷きを返した。
「わかりました。ぼくはお手伝いしてましたし、副旋律は覚えてます」
「患者さんたちに楽しんでもらいたいですもんね! 私は、つられないように、がんばります!」
三人は張りきって練習を始めた。ニースとセラは、少しずつ着実に歌声を合わせていった。
日が暮れ始め、ニースたちの短い練習は終わり、ラチェットは楽器類を抱えて足早に教会へ向かった。
ジーナとメグに支えられたグスタフとマルコムは、ニースたちと共にゆっくり宿を出た。
「なんで私がマルコムに肩を貸さなきゃならないわけ!?」
「すまないな、お嬢。俺もラチェットの方が安心なんだが」
「うるさいわよ、マルコム!」
「いてっ……!」
メグは時折マルコムの横腹を軽く小突きながら、支えていた。ニースがそわそわしながら二人の様子を見ていると、セラが袖を引いた。
「ニース、気にしちゃダメ。マルコムさんは、まだ反省してないんだから」
ぷぅと頬を膨らますセラに、ニースは困ったように言葉を返した。
「でもさっきも言ったけど、一番最初にあそこに行っちゃったのは、ぼくなんだよ?」
「それでもニースとマルコムさんは違うの。ニースは、覗こうとなんてしてないでしょ? お歌を聴いてただけだもん」
マルコムを許そうとしないセラに、ニースは苦笑いを浮かべた。
――マルコムさん、なんかちょっと可哀想かも……。
ニースはほんの少し、マルコムに同情していた。
ニースたちが教会の中庭へ着くと、開けた場所には観客席となる椅子が並んでいた。大きな木の下には、数客の椅子が置かれた石舞台があり、ラチェットが楽器の準備をしていた。
舞台のすぐ横には、真っ白なローブを着た二人の修道女が立っていた。ジーナに支えられたグスタフが、修道女へ声をかける。
振り返った二人の修道女の一人は老婆で、もう一人は若い女だった。
「あ……!」
何度目かの軽い小突きを受けたマルコムが、慌てて背筋を伸ばし、メグから手を離した。
メグは、やり過ぎてしまったかと、気まずそうにマルコムを見上げた。
「どうしたのよ、マルコム」
マルコムが一点を見つめているので、メグが視線の先を追うと、グスタフと挨拶を交わす若い修道女に見入ってることが分かった。
「ふーん。私と同じ小麦色の肌に、金髪ね……」
メグの言葉に、マルコムは視線を動かさないまま、恍惚として答えた。
「お嬢と一緒にするな。あの人の方がずっと綺麗だ……」
「あらそう。じゃあ、私の肩はいらないわね」
ムッとしたメグは、女性に見惚れるマルコムの横腹に、思いきり肘鉄を食わせた。
「……っ!」
マルコムが苦痛に顔を歪めてうずくまる。メグは、マルコムを放置したまま、ラチェットのそばへ歩いていった。
ニースは見かねてマルコムに手を貸そうと思ったが、セラがニースの腕を掴んだ。
「セラ?」
「ニース。ダメだよ、手を貸しちゃ。マルコムさんは、メグさんに酷いこと言ったんだから」
マルコムに冷たい視線を向けるセラに、ニースは押し黙った。
すると、うずくまるマルコムに気づいたのだろう。老婆の隣にいた若い修道女が駆け寄ってきた。
「どうされましたか? 大丈夫ですか?」
修道女は、マルコムの肩にそっと手を触れた。マルコムは、痛みでびくりと身を震わせ、修道女を見た。
その瞬間。マルコムは顔を歪ませると脂汗を浮かべ、酷く落ち着いた声音で、修道女の手を払った。
「いえ、お気になさらず。大丈夫ですから」
修道女は手を払われて、困ったような顔を浮かべたが、すぐに笑みを向けた。
「そういうわけには参りません。苦しんでいる方を放っておくようでは、聖女様に祈りを捧げる資格などありませんから」
修道女は、渋るマルコムを支え、近くの椅子に座らせると、ハンカチを取り出し、マルコムの額の汗を拭った。
マルコムは俯き、小さく呟いた。
「すみません……」
「お気になさらないでください。これも、私たちの勤めですわ」
二人の様子を見て、セラが、ぽかんと口を開いた。
「マルコムさんが、女の人に色目を使わないなんて……」
ニースは、セラの呟きに首を傾げた。
「セラ。色目って何?」
セラは、はっとすると恥ずかしそうに頬を染め、言葉を取り消すように必死に手を振った。
「に、ニースは知らなくていいんだよ!」
セラは慌てた様子で、ニースを舞台に連れて行こうと、ニースの手をぐいぐい引っ張った。
「ニース、ほら。舞台で立ち位置を決めないと!」
「え? ああ、うん……」
ニースは首を傾げながらも、舞台へ向かった。
舞台へやってきたニースたちに、グスタフは老婆を紹介した。
「ニース、セラ。ちょうど良かった。こちらが、このテトラネマの教会の司祭様、マザーローサ様だ」
ニースとセラは、ローサにぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、マザー。ぼくはニースです」
「私はセラです。よろしくお願いします」
ローサは嬉しそうに、くしゃりと笑った。
「これはこれは。聖なる色をお持ちの方が二人もおられるとは。ニース様、セラ様。今日は音楽のような歌をお聞かせ頂けると伺いました。どうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げながら、ローサが丁寧に手を合わせたので、ニースとセラは、恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
ローサは顔を上げると、マルコムの事を気遣う若い修道女に声をかけた。
「シスターメアリ。お二人にご挨拶をなさい」
メアリと呼ばれた修道女は、マルコムに笑みを向け立ち上がる。
舞台へやってきたメアリの瞳は黒かった。
「初めまして。私は祈手のメアリです。皆さまとお会いできて嬉しく思います」
ふわりと微笑んだメアリにニースは思わず見入った。
――この人が祈手……。今朝歌を歌ってたのって、この人なのかな?
ぼんやりとメアリを見つめるニースの手を、セラが不安そうに、ぎゅっと握った。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもないよ……」
ローサは、にこにこと笑みを二人に向けた。
「シスターメアリも、お二人と同じく瞳に聖なる色を持つ祈手です。歌が音楽になるというので、興味を持ちましてね。皆さまの演奏を、シスターメアリもここで聞かせて頂きます」
「わかりました」
ニースはセラから手を離し、メアリにぺこりと頭を下げた。
「シスター、初めまして。ぼくはニースです。みなさんに楽しんでもらえるよう、歌いますので、よろしくお願いします」
セラも、はっとして頭を下げた。
「私はセラです。私もがんばります!」
メアリは、柔らかな笑みをこぼした。
「お二人の歌を楽しみにしています」
ローサとメアリは挨拶を済ませると、マルコムの元へ向かった。
マルコムは、朝のうちにローサと話をしていたようで、軽く挨拶だけ済ませると、痛みをこらえながら、よろよろと舞台へやってきた。
「これからマザーとシスターは、動ける患者たちを連れてくるそうだ。二人が舞台脇に戻ったら始めることになる」
準備を終えたラチェットが、グスタフとマルコムに声をかけた。
「座長たちは、無理せずに先に宿に戻ったらどうですか? 口上も、僕が代わりに言いますよ」
グスタフは、首を横に振った。
「いや。口上は私の仕事だ。私は残るよ。マルコムはどうする?」
「俺も残るよ。舞台には立てないが、ちゃんと見届けておきたい。椅子に座ってればまだ楽だから、演奏が終わるまでいることぐらいは出来る」
マルコムに、メグが訝しげな目を向けた。
「ふうん? シスターメアリの近くにいたいからじゃなくて?」
マルコムは、気まずそうに目を伏せた。
「いや、あの人は綺麗だけどな。俺はそういうんじゃないよ」
グスタフとジーナが、目を見開いた。
「マルコム、お前……」
「やだ! 本気なのね、マルコム……!」
マルコムは、はぁと大きなため息を吐くと、鬱陶し気に二人を見た。
「だから俺は、あの人にはそういうんじゃないんだよ」
マルコムは、グスタフとジーナに吐き捨てるように言うと、椅子を掴み、引きずるように舞台裏手へ運んでいった。
グスタフとジーナがニヨニヨと笑みを浮かべたが、ニースたちは首を傾げた。




