92:聖地への道で1
前回のざっくりあらすじ:痛みが消えたのはグスタフたちだけじゃなかった。
ニースたちは、昼のうちに仮眠を取った。夜闇に紛れて町を出ようと、出発は深夜に決まったからだ。
一座の面々が眠る中、ローサの指示を受けた修道士たちが手分けして、一座の馬車を町の外へ運んだ。
バードたちの鳥籠には布がかけられ、一座の荷物と共に、粗末な荷馬車を使って運び出された。荷馬車は町の外へ出ると、一座の馬車に荷物を積み替えた。
マルコムが、騒ぎに対する補償を兼ねて、たくさんの金貨を宿に渡したため、これら全てを、教会だけでなく宿の従業員たちも手伝った。
全ては、ニースたちが穏便に町を出るためだった。
町に静寂の闇が降り、ニースたちは息を殺して宿の裏口から、教会の一室へ回りこむ。そこには、ローサとメアリが待っていた。
メアリは、深々とローサに頭を下げた。
「マザー。それでは、行って参ります」
ローサが、宙空に円を描くように聖印を切る。
「シスターメアリ。みなさまのことを頼みます。あなた方に、聖カルデナの風のご加護があらんことを」
グスタフたちが祝福を受けるため頭を下げたので、ニースも慌てて頭を下げた。
ロッシーノ村の司祭と同じように、ローサが祈歌の一節を小さく呟くと、ローサのブローチが緑色に光り、ニースたちを包んだ。
ローサに見送られたニースたちは、メアリと共に部屋の奥の扉を開ける。そこには地下へ続く螺旋階段があった。
ランプを片手に、ぐるぐると深い闇の底へと降りる。その先は、狭く細長い地下道で、地下水が滲み出ているのか、湿気をまとった空気にはカビの臭いが入り混じる。
ニースは仮面の上から、さらに布を巻く。先の見えない真っ暗な道に、恐ろしさで布を巻く手が震えた。
メアリが、ランプで足元を照らしながら、小さな声で話した。
「この教会は、聖戦前は城でした。建物はだいぶ壊れてしまいましたが、今もこのように、地下道が残っているのです。
足元に細かい段差もありますので、転ばぬようご注意ください」
メアリが照らした足元には、でこぼこした石床が敷かれているのがわかった。
ニースは気をつけて歩きながら、ラチェットに尋ねた。
「聖戦ってなんですか?」
「まだ聖皇国が出来る前は、この辺りにはたくさんの小さな国があったんだよ。その国々をまとめて、聖皇国が出来たんだけど、その時に起きた戦争を、聖戦と呼ぶんだ」
ラチェットの言葉に、ニースはぷるりと身を震わせた。
「それじゃあ、この地下道って、その時に兵士の人とかが戦った場所ってことですか?」
するとマルコムが、はははと笑った。
「怖がるな、ニース。聖戦があったのは何百年も前の話だ。そんなことを言い出したら、地上だってどこでも戦場だったんだぞ。
今は八つの大国しかないが、昔は百以上の小国が世界中にあったらしいからな」
「そんなに……」
ニースは、信じられない思いで驚いた。セラが、ふふふと笑った。
「昔はそこら中に王様やお姫様がいたなんて、面白いね」
ニースはセラの言葉を聞いて、想像してみたがうまくいかなかった。
お喋りをしながら歩くと、恐ろしく感じた暗く長い地下道も、あっという間に終わった。
月明かりが照らす町の外へ顔を出すと、ニースは仮面を外し、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ほっと胸を撫で下ろすニースに、メグが笑いかけた。
「ほら、ニース。早く馬車に乗るわよ」
ニースは、メグ、セラと共に、オルガン馬車の中へ乗り込む。オルガン馬車の手綱は、ラチェットが握った。
グスタフの馬車に、ジーナ、メアリと、手を火傷しているマルコムが乗り込む。グスタフは、皆が乗り込んだことを確認すると、手綱を振るった。
ニースたちの出発を知らない、テトラネマの桃色の町並みは、穏やかな眠りに包まれていた。
二つの月に照らされて、一座の馬車は聖地へ向けて街道を走りだした。
テトラネマを出発した一行は、順調な旅を続けていた。ニースは仮面を外し、また素顔で過ごすようになった。
乾季の聖皇国は、雨に降られることもなく、日中は過ごしやすい。柔らかな風が頬を撫で、天候に恵まれた旅路は、ニースたちにも馬たちにも、快適な日々をもたらしていた。
しかし、そんな中で、メグは不貞腐れていた。
「なんでいつまでも、私たちがこっちにいなくちゃいけないわけ?」
ニースは苦笑いを浮かべ、メグをなだめた。
「仕方ないよ、メグ。ジーナさんの言いつけなんだから」
町を出て数日が経っても、メグとセラはオルガン馬車に乗っているように、ジーナから言い渡されていた。
対してマルコムは、オルガン馬車の御者台に座ろうとしたが、グスタフの馬車に留め置かれた。
メグはそれに腹を立てており、ニースが必死になだめていたのだ。
「でも、私はみんなでこっちに乗れて、楽しいです」
セラが嬉しそうに笑ったので、メグは怒りを抑えた。
「はぁ……。セラがそういうなら、仕方ないわね。マルコムとシスターを結婚させようなんて、お母さんも何を考えてるんだか……」
ジーナとグスタフは、マルコムがメアリと距離を縮められるようにと、画策していた。
ニースは、メグの言葉に首を傾げた。
「でも、ラチェットさんが前に、教会の人たちは結婚しないって言ってた気がするけど……?」
「そうなの? おかしいわね。祈手は結婚するようになってるって、聞いたことがあるんだけど……」
メグは小窓を開けるとラチェットに声をかけた。
「ラチェット。祈手って結婚する決まりがあるわよね?」
ラチェットは、手綱を握りながら、ちらりとメグを見た。
「ああ。確かそうだったと思うよ」
ニースは、ラチェットの言葉に戸惑った。
「でもラチェットさん。この前、教会の人たちは結婚しないって言ってませんでした?」
「ああ、言ったよ」
メグが、イライラした様子で声をあげた。
「ちょっとラチェット。それじゃさっぱり分かんないじゃない。祈手だって教会の人でしょ!? なんで祈手は結婚して、ほかの人は結婚しないのよ」
ラチェットは、前を向いたまま苦笑いを浮かべた。
「それは難しいな。僕もなんとなくしか説明出来ないけど、それでいいかい?」
「ええ、いいわ。早く教えてよ」
「はい。構いません」
「私も知りたいです」
三人の期待のこもった眼差しを背中に感じ、ラチェットはくすぐったそうに笑みを浮かべた。
「わかった。ええと、聖カルデナが独身だったから、教会の人たちは積極的には結婚をしない。これは本当のことだよ。聖カルデナのような尊い生き方をしようと、教会に所属するわけだからね。
でも、それと同時に祈手だけは、教会から結婚を勧められるんだ」
「なんで祈手だけは別なの?」
「その理由が、よく分からないんだよね。……みんなは遺伝って知ってるよね。顔の形とか身長とかが、親や先祖に似るってこと」
「はい。知ってます。ぼくの色は、両親に全然似てませんけど……」
「私も、目の色が全然違うけど……」
ニースとセラが、落ち込んだ声で答えたので、ラチェットは苦笑いを浮かべた。
「うん……。ごめんね、辛いことを思い出させて。でも二人が言う通りで、歌い手の力や色は、遺伝しないんだ。だけどね……」
「だけど?」
メグが、不思議そうに尋ねる。
「教会では、歌い手の力も遺伝すると考えて、祈手は積極的に結婚して子孫を残すようにっていう教えがあるみたいなんだよ」
「それが本当なら、すごいことじゃないの」
「うん。メグの言う通り、本当ならすごいことだよ。ただ、あまりに今の現実とは違うし、何を根拠に教会でそう考えられているのかが、全くわからないんだ」
セラが、ラチェットに疑問を投げかけた。
「信者の人たちに聞いても、わからないんですか?」
「ああ。カルデナ教って、秘密主義なところがすごく多い宗教でね。信者だって、特別詳しくはないみたいだよ。
信者じゃない僕たちと、カルデナ教に関しての知識の差は大差ないと思う。祈歌が三十しか残ってないなんて話、たぶん信者の人たちも知らないと思うよ」
ニースは、納得して頷いた。
「理由はわからないけど、とにかく祈手は結婚出来て、子孫を残す決まりがあるってことですね」
「そういうこと。だから、マルコムさんとシスターを結婚させられるって、座長たちは考えてるみたいだけど……。無理があるよね」
メグとセラは頷いたが、ニースは首を傾げた。
「なんでですか? マルコムさんって、女の人と仲良くなるの得意ですよね?」
セラが、驚いた顔でニースを見た。
「ニース……なんでそう思うの?」
「なんでって……マルコムさんの手品で、女の人たちみんな笑うよ? それにマルコムさんの部屋に行くと、よく女の人が出てきたし……」
メグが慌てた様子でニースを見た。
「ちょ、ちょっとニース! 女の人を見たって、いつの話なの!?」
「ええと……ラメンタとか、ペリフローニシとか、皇都に着くまでの宿屋でだよ。いつも違う女の人が……」
ニースが言い終える前に、メグはニースの肩を掴んだ。
「それは、その時の女の人は、ちゃんと服を着てた!?」
メグに突然、激しく揺すられたので、ニースは驚いた。
「う、うん。当たり前でしょ? 服を着てなかったら出てくるわけないじゃない。それに、マルコムさんの部屋から出てきたんだよ? ほかに何を着るの?」
「そ、そう……良かったわ……」
メグは疲れきった顔で、ニースから手を離した。セラが困ったような苦笑いを浮かべ、ラチェットが噴き出した。
「メグ、必死すぎるよ。メグはマルコムさんの部屋から、そんな人が出てくるのを見たことあったの?」
メグが顔を真っ赤にして叫んだ。
「そ、そ、そんな人見るわけないでしょ!? 隣の部屋だと、たまに聞こえちゃう時があっただけよ!」
「え……!?」
ラチェットは驚いて、思わず振り向いた。
メグが、はっとして、泣きそうに顔を歪め、手をあげた。
「ラチェットのバカ!」
「うわっ……!」
思いきり、メグの平手打ちを頬に受けたラチェットは、危うく御者台から落ちそうになったが踏ん張った。
手綱を引かれた馬がいななきを上げ、ガタリと馬車が止まる。ニースとセラは互いにもつれ合うように転がり、メグは額を窓枠にぶつけ、ラチェットのメガネが衝撃でどこかへ飛んでいった。
「ああ! 僕のメガネ!」
ラチェットは、消えたメガネを手探りで探し始めた。街道の真ん中にオルガン馬車が立ち往生する中、グスタフの馬車は気づかずに進んでいった。
一方その頃。グスタフの馬車の中では、ジーナとメアリがにこやかに会話をするのを、マルコムが複雑な気持ちで見ていた。
マルコムは、手の火傷はまだ痛むものの、手綱を握らなければ御者台に座っていることは出来る。にも関わらず、ジーナがマルコムを逃がさず、メアリと馬車にいることを強要していた。
ジーナは、マルコムがメアリに対してすぐに手を出さなかったため、マルコムの想いが本気だと考え、仲を取り持とうとしていたのだ。
マルコムは、二人が楽しそうに笑う姿を見て、小さくため息を吐いた。
――綺麗で優しくて、目が黒い。これだけでも充分ルイサに似てるのに、その上ジーナとも仲良くなるのか……。
マルコムは、ぼんやり考えながら苦笑いを浮かべた。
――まだルイサのことを思い出すとは……俺は未だにルイサに引きずられてるのか。もう諦めるって決めたはずなんだが……。
ジーナと笑い合うメアリの姿に、ルイサの影を重ねたマルコムは、幻影を振り払うように、馬車の後ろを見た。
「ん……?」
マルコムは違和感を感じ、立ち上がる。小さなガラス窓から後ろを確認すると、慌てて声をあげた。
「ジーナ、まずい! ラチェットのやつ、何かあったみたいだ!」
ジーナは、はっとして突き出し窓を開け、後方を見る。そこにいるはずのオルガン馬車は、影も形もなかった。
「グスタフー!」
グスタフは、ジーナが全てを言い終える前に、何があったかを悟り、馬車を止めた。
御者台で立ち上がり、屋根越しに後ろを確認すると、グスタフは、ため息を吐いた。
「またか。もう、私が後ろを走った方がいいんじゃないんだろうか……」
グスタフは、座り直すと馬車を反転させて、来た道を戻り始めた。揺れる鳥籠の中で、バードが呆れたように、くるっぽーと鳴いた。




