83:小さな村の教会4
前回のざっくりあらすじ:ニースは初めて、慰問演奏会を行った。
村の家々から夕餉を作る白い煙が上がり、穏やかなオレンジ色の空に溶ける。風呂を楽しみにしながらニースたちが着替えを終えると、扉をノックする音が響いた。グスタフが扉を開けると、司祭が部屋を訪ねてきていた。
「少し、お時間を頂けますでしょうか?」
グスタフは笑顔で司祭を迎え入れ、ソファを勧めた。司祭は微笑み、遠慮なく座った。
「皆さま方、どうもありがとうございました。村人たちも患者たちも、いたく感動しておりました。やはり音楽は心を和ませてくれますね。お嬢様の踊りも素晴らしかったです」
「いえいえ。お役に立てたなら何よりですよ」
司祭は演奏会の礼を言うと、ニースに笑顔を向けた。
「ニース様。私どもの願いをお聞き届けくださり、ありがとうございました。ニース様の優しさが伝わったからでしょうか。患者たちの痛みに歪んでいた顔が和らぎました。本当にありがとうございました」
司祭は、今度こそ正式な礼拝をニースに行った。三十回もひれ伏されるので、ニースは恥ずかしさから俯いた。
「い、いえ……。ぼくは、本当に声をかけただけなので……」
司祭は礼拝を終えるとソファに座り直し、ニースに真剣な目を向けた。
「ところで、ニース様。ニース様は、歌の力がないと仰っておいででしたが、確かめてみる気はございませんか?」
司祭の言葉に、グスタフたちの空気がピリリと引き締まった。
「司祭殿。失礼ですが、ニースは歌石で何度も確認しています。そういった申し出はお断りいたします」
グスタフが毅然と断ったが、司祭は柔らかな笑みを浮かべた。
「いえ。歌石ではなく、響石でです」
ラチェットが、はっと目を見開いた。
「そうか! 教会だから響石があるんだ!」
ニースたちは不思議そうに顔を見合わせ、マルコムがラチェットに尋ねた。
「どういうことなんだ、ラチェット」
ラチェットは、メガネをくいと上げて話した。
「響石は、触れるだけで歌の力があるか確実にわかる石なんです。カルデナ教では、歌い手の証の黒を持たない人でも、入信の時に歌の力を計っています。だから教会には、必ずあるんですよ」
ニースは戸惑いながら口を挟んだ。
「あの、ラチェットさん。どうして教会で、歌の力を計る必要があるんですか?」
ニースの問いに、司祭が答えた。
「それは、私からお答えいたしましょう。カルデナ教の奇跡と呼ばれる力が、歌の力だからですよ」
「あ……そういえば……」
ニースは、最初に教会に入った時に、司祭が起こした奇跡の光を思い出した。
「司祭さまが祭壇で、緑色の光を出した時、歌を歌ってましたよね」
「ええ、そうです。あの歌は、祈歌の歌い出しなのです」
「じゃあ、もしかして奇跡を起こす祈手っていうのは……」
司祭は、ふわりと優しい笑みを浮かべ、頷いた。
「祈歌を歌う、歌い手のことです。私も歌い手なんですよ」
ラチェットが、気まずそうに頬をかいた。
「ごめん、ニース。そういえば、そこまで説明するのを忘れていたよ……」
ラチェットの言葉に、ニースが恥ずかしそうに笑った。
「いえ、いいんです。聖女さまが天の導きっていう時点で、気がついて当たり前だと思いますし」
司祭はニースに笑みを向けると、懐から小さな箱を取り出した。中には、キラキラと輝く金剛石のような小さな石が入っていた。ニース、グスタフ、マルコムは、初めて見る響石に思わず見入った。司祭は、まるで教えを説くように、穏やかな声で話し出した。
「これが響石です。お手を触れていただければ、歌の力があるかはすぐに分かります。ニース様は黒をお持ちですから、わざわざ確かめずとも、歌の力を持つことは確実です。ですが、ニース様はご自身を偽物と仰いました。潜在的な歌の力が本当にあるのか、不安をお持ちなのでしょう?」
「はい……」
しゅんと肩を落としたニースを、司祭は安心させるように優しい目で見つめた。
「歌石とは違い、響石は石歌を必要としません。“調子外れ”と言われる人々でも、響石に触れると反応しますから、ニース様も気が楽になられるかと思います。そして“調子外れ”と分かっても、落ち込む必要はありません。力の使い方、引き出し方を身につければいいだけなんですよ」
温かな司祭の言葉に、ニースは切なげに微笑んだ。司祭は柔らかな声音で言葉を継いだ。
「聖皇国と友好関係にあるカルマート国のアルモニア音楽院であれば、力の使い方を身につけることも出来ましょう。もしご希望であれば、教会本部である聖庁から、音楽院への紹介状を用意出来るよう手配いたします。少しでもお力になりたいのです。試すだけ、なされてみてはいかがですか?」
マルコムが、安心したように笑みを浮かべて司祭に話した。
「実は、私たちの旅の目的も、ニースをアルモニア音楽院へ連れて行くことなんですよ」
司祭は驚いた様子で頭を下げた。
「そうでしたか。差し出がましいことをいたしました」
「いえいえ。申し出はとても有り難いです」
マルコムは、ニースに目を向けた。
「ニース、どうする? どちらにせよ、アルモニア音楽院に着けば響石で入学試験は受ける。でも、ここで試しておくのもひとつだ。やるなら、司祭様に頼むといい」
ニースは、戸惑いがちに司祭に尋ねた。
「あの……もし、ぼくがここで、響石で反応したら、ぼくって、教会で働かないといけなくなるんですか?」
司祭は笑顔で首を横に振った。
「いいえ、ニース様。これは入信の儀とは全く別のお話です。もちろん、教会へ入って頂ければ嬉しいですが、強制はいたしません。試すだけで大丈夫ですよ」
ニースは自分の心を確かめるように、目を伏せて考えた。
――もし、ぼくがここで響石に反応しなかったら、それはもう本当に歌い手じゃないってことだ。学校に行く意味もなくなっちゃう……。そうなった時に、ぼくは大丈夫なのかな。その覚悟はある……?
悩むニースの肩に、ラチェットが優しく手を添えた。ニースは、はっとしてラチェットを見上げた。
「ニース。もし君が歌の力を持たなくても、君は僕たちの仲間だよ。音楽家として旅を続ければいいだけだし、家に帰って羊飼いになってもいい。ニースはニースのままだよ。何も怖がらなくていいと、僕は思う」
ラチェットの言葉に、グスタフとマルコムも頷いた。ニースは皆の優しい笑顔を見て、嬉しさで涙がこみ上げた。
――やってみよう。どんな結果になっても、みんながいてくれる。ぼくはもう、ひとりじゃないんだ。
ニースは涙を隠すように、ぺこりと司祭に頭を下げた。
「お願いします、司祭様」
司祭は微笑んで、そっと響石の箱をニースに渡した。
ニースは息を飲み、恐る恐る石に手を伸ばす。透明で透き通ったような輝きの響石に、指先のほんの一部が触れた。……その瞬間。
「うわっ!」
ピカリ……と眩い輝きが一瞬光った。思わず閉じた目をそっと開けると、ニースが触れている響石の中に、紫色の光がほのかに輝いていた。
「これはすごいな……」
グスタフたちが興味深そうに、響石を覗き込んだ。ニースが紫色の光を、グスタフたちに見せようと手を離すと、あっという間に光は消えた。
「あっ……」
ニースが驚き声を上げると、司祭が静かに口を開いた。
「響石が、反応されましたね。ニース様はちゃんと、歌の力をお持ちですよ。もしご不安でしたら、皆さまも試してみてください」
司祭の言葉に、グスタフ、マルコムも響石に手を触れた。しかし、響石は何の反応も示さなかった。
「なるほどなぁ。響石って、こうなるのか」
マルコムは箱へ丁寧に響石を戻すと、司祭に礼を言って返した。司祭は微笑んで受け取り、懐に戻した。
「ニース様がアルモニア音楽院まで無事に到着され、力の扱い方を身につけられることを、我々も祈らせていただきますね」
「ありがとうございます!」
ニースは、満面の笑みで深々と頭を下げた。すると司祭が、ふと思い出したように笑った。
「すっかりお伝えするのを忘れておりましたが、浄化のご用意も出来ております。女性の方々はすでに向かわれているはずです。皆さまも明日の出発に向けて、ゆっくり英気を養ってください」
ニースたちは司祭に礼を言うと、蒸し風呂へ向かった。ニースは、まだ風呂に入ってはいないが、空に飛び上がれそうなほど、足取りが軽くなっていた。
翌朝。蒸し風呂と胃に優しい食事で、すっかり疲れを癒した一行は、ロッシーノ村を旅立った。司祭や門兵の老人に別れを告げ、一座は山を下り街道を南下していく。セラはメグたちと共にグスタフの馬車に乗りこみ、ニースはオルガン馬車で揺られていた。小窓から外の様子を眺めていたニースは、どんどん緑が濃くなっていく景色に違和感を感じていた。
「ラチェットさん。質問してもいいですか?」
御者台に座るラチェットは、不思議に思いながら振り向いた。
「なんだい、ニース。急に改まって」
「アウクリシウムのあたりでは、そろそろ冬になる頃だと思ったんですけど、なんだか、どんどん暖かくなってませんか?」
ラチェットが、はははと笑った。
「そうか。ニースは知らないんだね。聖皇国は、王国や皇国とは違って、春、夏、秋、冬の区別ではないんだよ」
聖皇国の季節は、暑季、雨季、乾季の三つの季節に大まかに分けられる。皇国で秋から冬に変わる時期は、聖皇国では乾季だ。乾季は雨がほとんど降らず、日中もそれほど暑くはならない。ニースたちが旅する今の時期は、朝晩は少し冷えるものの、旅をするにはもってこいの季節だった。
話を聞いたニースは、世の中には知らない事がまだまだたくさんあると感じた。
「国によって、季節まで変わるんですね」
「そうだね。これから聖皇国を抜けていくと、砂漠になるんだ。砂漠はまた気候が変わって、僕たちの感覚だと、夏と冬しかないみたいになるよ。僕の故郷で、ニースが目指すアルモニア音楽院のあるカルマート国は、王国や皇国とは真逆の季節になるんだ。王国が冬なら、カルマートは夏になる。場所によって、色んな季節になるから、景色を見るのも楽しいと思うよ」
「そうなんですね。砂漠かぁ。砂しかないって聞きました。全然想像がつきません」
ニースがキラキラと好奇心で目を輝かせるのを、ラチェットは微笑んで見ていた。
すると手綱を握るマルコムが、遠く正面の空を見上げ、声をあげた。
「なんだ、ありゃ」
ニースとラチェットが目を向けると、二羽の鳥がバタバタと翼を羽ばたかせて、物凄い勢いで飛んでるのが見えた。
「なんでしょう……逃げてるのかな?」
ニースの目には、一羽の大きな鷲が白い鳥を追い回しているように見えた。……次の瞬間。
「うわっ!」
突然、マルコムが馬の手綱を引いた。ガタリと揺れて馬車が止まったので、ニースは衝撃で荷台を転がった。
「いたた……」
ラチェットは、とっさに小窓の縁を掴み、振り落とされそうになるのを堪えて、声をあげた。
「ど、どうしたんですか、マルコムさん⁉︎」
マルコムは、はぁと安堵のため息を吐いた。
「危なかった……。どうしたもこうしたも、グスタフのやつが急に止まったから……」
くらくらする頭を押さえながら立ち上がったニースと、必死に小窓に捕まっていたラチェットが前を見ると、グスタフの馬車が目前で止まっているのが見えた。あと一瞬遅かったら、止まり切れずぶつかっていそうな距離だ。馬たちが興奮していなないていたが、それより激しく騒ぐ声が、前の馬車から響いていた。
「ちょっと、バード! 落ち着きなさいよ!」
「バードちゃん、ダメだって! ……あ!」
何かにぶつかる音と、怒鳴り声が聞こえる馬車から、バードが勢いよく飛び出していった。
「バード⁉︎」
マルコムが慌てて御者台から降り、走ってバードを追いかけていく。
「おい、マルコム!」
グスタフが叫ぶが、マルコムはバードを真っ直ぐ追っていった。呆然とニースは見つめていたが、はたと気がついた。
「ラチェットさん! バード、あの二羽の鳥のところに向かってます!」
「え⁉︎」
ラチェットは慌てて、争う二羽の鳥に目を向けた。確かにバードが、一直線にその鳥たちに向かってるように見えた。
「座長! 前方上空の喧嘩してる鳥に、バードとマルコムさんが向かってます!」
「なに⁉︎ あれか!」
ラチェットの叫び声にグスタフは答えると、急いで手綱を振った。ラチェットも、オルガン馬車を慌てて動かす。突然動き出したグスタフの馬車から、メグたちの小さな悲鳴が響き、ニースはまたも激しい衝撃で、荷台に転がった。鳥たちとマルコムを追って、二台の馬車は走り出した。




