82:小さな村の教会3
前回のざっくりあらすじ:ニースとラチェットは、カルデナ教について、ほんの少し詳しくなった。
山から顔を出した朝日が、ロッシーノ村を明るく照らす。窓から差し込む柔らかな光に目を覚ましたニースは、もぞりとベッドから抜け出すと、大きく伸びをした。グスタフたちは未だ夢の中で、隣の部屋からは壁越しにジーナの大きなイビキが聞こえていた。
ニースは服を整えると、部屋を出て顔を洗いに行く。朝の空気は冷たく、ニースは腕をさすりながら井戸へ向かった。井戸には手押しポンプがあった。ぎゅっと体重をかけて水を汲み、顔を洗う。山の清らかな水は冷たすぎず、ほんのり心地よい温度だった。
「ふあ……ニース、おはよう。早いわね」
寝ぼけ眼をこすりながら、メグがセラを連れてやってきた。セラはまだ半分夢の中のようで、歩きながらも目は半目だった。
「おはよう、二人とも。ずいぶん眠そうだね?」
「ええ……ふあ。お母さんのイビキが酷くてね。やっぱり、もうひとつ部屋を借りるか、お母さんには馬車で寝てもらわないと無理かも」
あくび混じりに返事をしたメグに、ニースは苦笑いを浮かべた。まだ眠そうな二人のために、ニースは井戸の水を出す。ザーッと流れ出る水の音に、セラがぴくりと震えて目を開いた。
「ふえ……おはよ、ニース……」
「おはよう、セラ。大丈夫? 転ばないように気をつけてね」
頷いてるのか、眠っているのか。境目がわからないような雰囲気で、こくり、こくりとセラは頷いた。メグと共に顔を洗ったセラは、ようやく夢の中から戻ってきた。
「はあ……すっきりした。おはよう、ニース」
朝日を浴びたセラの笑顔が、ニースには眩く見えて、目を細めた。
三人は話しながら部屋へと戻る。すると、マルコムが部屋から出てきた。
「よう。みんな早いな」
「おはようございます、マルコムさん」
ニースとセラは笑顔で挨拶を返したが、メグは困りきった顔でマルコムに挨拶を返した。
「おはよう、マルコム。お母さんのイビキが酷くて眠れないのよ。今夜の部屋、どうにかしてくれない?」
マルコムは、呆れたような苦笑いを浮かべた。
「ジーナは仕方ないな……。あとで司祭様に掛け合ってみるよ」
「ありがとう。よろしくね」
安堵して笑い合うメグとセラを見て、マルコムは微笑みを浮かべ、言葉を継いだ。
「それはそうと、今日は朝食を食べたら、馬車で話をするぞ。午後に慰問演奏会をすることになった」
ニースとセラは、不思議そうに首を傾げた。
「慰問演奏会?」
「なんですか、それ?」
マルコムの代わりに、メグが答えた。
「教会には治療院があるでしょ? そこに入院している人のために、演奏会を開くってことよ」
「そういうことだ。ニースとセラにも歌ってもらうよ。よろしくな」
「分かりました」
ニースたちが、顔を洗いに行くマルコムを見送ると、ぐぅと大きなお腹の音が響いた。
「えへへ……お腹空いちゃった」
恥ずかしそうにセラが俯いたので、ニースとメグは笑った。朝を告げる鐘の音が、軽やかに村に響いていた。
朝食を終えたニースたちは、舞台の打ち合わせをするためにグスタフの馬車へ集まった。
「今日の慰問演奏会は、村の人々も教会に集まるからな。メインはオルガンにする」
グスタフの言葉に、いつもなら大喜びするラチェットだが、眠そうに目をしょぼしょぼと瞬かせ、あくび混じりに頷いただけだった。
「はい……わかりました」
「ラチェット、どうしたの? お母さんのイビキ、そっちの部屋までうるさかった?」
心配そうに声をかけるメグに、ラチェットは苦笑いを浮かべた。
「うん……まあ、そんな感じかな。ちょっと眠れなかったから」
ニースは、そんなにジーナのイビキが酷かったかと思いながら、打ち合わせを行った。
一行が打ち合わせを終える頃。司祭が馬車の扉を叩いた。
「すみません。少しよろしいですか?」
「ええ、司祭様。今ちょうど、打ち合わせが終わったところです。何かご用ですか?」
グスタフが朗らかに笑みを浮かべ、司祭を馬車の中に招いた。司祭は腰を下ろし、柔らかに微笑んだ。
「ありがとうございます。ふたつ、お話したいことがありまして。まずひとつめは、今夜のお部屋ですが、もう一部屋ご用意いたしますので、奥方様にはそちらに移っていただければと思います」
司祭の言葉にメグが立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。
「ありがとうございます、司祭様。聖カルデナの慈しみに感謝いたしますわ」
司祭は満足気に頷き、手を合わせた。
「聖カルデナの御言葉に、健やかな眠りが人の心を助けるとあります。皆さまの安らぎの一助となれば、我々もこれほど嬉しいことはありません」
ニースは司祭の言葉を聞いて、眠りにも種類があるのかと、ぼんやり考えた。司祭は、放心しているようなニースに笑みを向けた。
「そしてふたつめは、ニース様にお願いがございまして」
突然話を振られたニースは、驚いてぽかんと口を開いた。
「え? えっと、ぼくですか?」
「はい。ニース様にしかお願い出来ないことなのです」
ニースは司祭の言葉を聞いて、思い当たる事はひとつしかないと考えた。
――この国なら大丈夫だと思ってたけど、そんなことなかったんだ。また歌の力がある天の導きだと思われてる。ぼくは、違うのに……。
ニースは、ぎゅっと拳を握りしめ、頭を下げた。
「ごめんなさい、司祭様。ぼくは見た目は天の導きなんですけど、色だけなんです。歌の力を持たない、偽物なんです……」
ニースは震える声で言うと、唇を噛み、顔を上げた。しかし司祭は、柔らかな笑みをニースにむけたまま話を続けた。
「いいえ、ニース様。我々は、歌の力を貴方様に求めているわけではありません」
「……え?」
ニースは司祭の言葉の意味が分からず、グスタフたちに目を向けた。しかし皆、ニヨニヨと笑みを浮かべてニースを見るばかりだった。ニースはより一層、司祭の言いたい事が何なのか分からなくなった。
「えっと……じゃあ、ぼくは何をすればいいんですか?」
「簡単なことです。演奏会の後に、ひとことでいいので、患者たちに慰めのお言葉をかけて頂きたいのです」
「慰める……ですか?」
司祭は、ゆっくりと頷き、悲しそうに顔を歪めた。
「聖皇国は数ヶ月前まで、南の国境を接する国と戦争をしておりました。この村は小さな村ですが、多くの若者が兵士として戦場へ赴きました。一命を取り留めたものの、大きな怪我をして帰ってきて、動けない者たちが多くいます。死を待つばかりの者や老人たちも、治療院にはいるのです」
ニースは、はっと息を呑んだ。司祭は静かに言葉を継いだ。
「彼らは、聖カルデナの奇跡でも、どうしようも出来ない者たちです。彼らにとってニース様のお姿は、聖カルデナと同じもの。何よりの心の癒しです。歌の力のあるなしは関係なく、あなた様のお姿そのものが尊いのです。ほんのひとことで構いません。お疲れ様と、お声をかけて頂けませんでしょうか?」
ニースは司祭の言葉を噛みしめるように、目を伏せた。
――ぼくには歌の力はないし、奇跡の力も何もないけれど……。この国の人たちに、ぼくの色はとっても大事ってことなんだよね。
ニースは目を開くと、ゆっくり頷いた。
「わかりました。ぼくは、本当に何の力もないですけど、声をかけるだけでいいなら」
司祭は心からほっとした様子で、笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。これも聖カルデナの、風のお導きでしょう。ニース様に心からの感謝を」
司祭はそのまま正式な礼拝をしようとしたが、一座全員が揃う狭い馬車の中ではひれ伏すことは出来ない。仕方なく手を合わせて丁寧にお辞儀をすると、司祭は去っていった。
ニヨニヨと見ていたマルコムが、肘でニースを突いた。
「ニース、よかったな。歌の力関係なく、ニースとして頼られてるぞ」
ニースは、くすぐったいような困ったような笑みを浮かべた。
慰問演奏会は、教会の庭で行われた。入院していても動ける者は、庭に並べられた椅子に座った。治療院の窓は開け放たれ、寝たきりの者たちにも演奏が聞こえるように配慮された。村人たちもこぞってやってきて、教会の庭はあっという間に満席となった。
ニースとセラは新しい舞台衣装に着替え、準備を終えたオルガン馬車の脇に控えた。二人の装いは、揃いの羊毛のベストに白いシャツとネクタイ、落ち着いた赤紫の半ズボンとスカートだ。これらは顔を隠さない二人の衣装として、ジーナが皇都で新たに準備していたものだった。
ラチェットがオルガンの前に座ると、グスタフが舞台となるオルガン馬車の前に立ち、口上を述べた。
「紳士淑女、少年少女、老若男女のみなさま、そして療養中のみなさま。お待たせいたしました。旅の一座ハリカの、公演の始まりです! どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
口上を合図に、ラチェットの楽しげなオルガンの音が響き始める。期待のこもった歓声の中で、数曲演奏が終わると、グスタフのバイオリンとマルコムの太鼓に合わせ、メグが踊った。
踊りが終わるとニースとセラも舞台に出る。可愛らしい二人の姿に観客たちは自然と笑みを浮かべ、ニースの姿に手を合わせた。二人のハーモニーが美しく響き渡ると、心地よい歌声に、村人たちは耳を奪われた。患者たちも観客たちも大いに楽しみ、大盛況のうちに慰問演奏会は終わった。
演奏会が終わると、心を満たされた村人たちは、軽やかな足取りで帰っていった。片付けを引き受けたグスタフを残して、ニースたちは連れ立って治療院へと足を踏み入れた。ニースの姿を見た患者たちからは、どよめきが起こった。
「おお、聖女様と同じじゃ!」
「ありがたや、ありがたや……」
治療院の中には小さなベッドがいくつも並んでいた。ツンと鼻に付く消毒液や薬草の香りが入り混じる中、ニースたちはベッドの間を回る。大きな火傷や怪我を負っている者、手足の一部が欠損している者、死病に侵され体が動かない者など、様々な患者たちがいた。
ニースが思わず目を背けたくなるような患者もいたが、顔に出さないように、ぎゅっと拳を握り、ニースは笑顔を浮かべて一人一人と言葉を交わした。ニースの黒を見た患者たちは、動かない体を必死に動かして、出来る限り礼拝を行おうとした。その様子にニースは、慌てて声をあげた。
「そのままでいいんですよ。無理しないでください」
すると患者たちは、感涙を流し始めた。
「なんとお優しい」
「聖人様の御心に触れられるとは」
「ありがたや、ありがたや……」
あまりにも感激されるので、ニースは恥ずかしさから俯きがちになった。しかしそれでもニースは、丁寧に患者たち一人一人と握手を交わし、声をかけていった。
ニースと同様に、メグたちも声をかけて回る。セラは初めての経験で戸惑っていたが、メグたちは慣れた様子で柔らかな笑みを終始浮かべており、患者たちは心から幸せそうに笑った。
「みなさまの演奏も、心地よかったのう」
「別嬪さんの踊りを見てみたかったわい」
握手を交わす中で、セラもニースと同じく、瞳の黒に気づかれると感激された。
「聖人様の瞳の色じゃ! ありがたや、ありがたや……」
セラは戸惑いながらも、くすぐったそうに笑みを返した。
慰問を終え治療院を出ると、ニースとセラは手を繋いで部屋へと戻った。セラは優しい笑みを浮かべながらも、疲れた様子で歩き、ニースに身を寄せた。
「ニース、疲れたね……」
「うん。でも、みんな嬉しそうだったね」
セラは、こくりと頷いた。
「私、自分の黒い目が、こんな風に誰かの役に立てるって思わなかった」
「うん。ぼくもだよ」
二人は、今まで感じたことのない充足感に満たされていた。
部屋の前へ帰ってくると、ニースたちはそれぞれの部屋の扉を開けた。男部屋には、片付けと着替えを終えたグスタフがいた。
「おお、お疲れ様。どうだった?」
ニースは笑みを浮かべて答えた。
「はい。喜んでもらえました。でも、グスタフさんはどうして来なかったんですか?」
ニースの疑問に、横からマルコムが、からかうように声を挟んだ。
「ニース。それをグスタフに聞くのは酷ってもんだ。この顔を見たら、みんなショックで死んでしまうだろ?」
マルコムの言葉を否定することもなく、グスタフは肩をすくめた。
「残念ながら、そういうことだ」
ニースは、グスタフの事を気の毒に感じた。
「すみません、グスタフさん……」
申し訳なさそうに肩を落としたニースに、グスタフは笑った。
「大丈夫だから、気にしなくていい。それより、舞台衣装を脱いだら風呂に行くか。明日からまたしばらくは野宿だからな。蒸し風呂だけになるが、入れるよう頼んでおいた」
「ありがとうございます!」
ニースたちは大喜びで着替えを始めた。優しい夕焼け色が、村全体を包み始めていた。




