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忍津家さんは、おしつけたい!  作者: 錆猫てん


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9/12

第09話 「忍津家さんは、独り占めしたい!」

 文化祭まで、あと一週間。


 二年三組の準備は、仕上げの段階へ入っていた。段ボールで作った壁は教室を複雑に区切り、黒い模造紙を貼った通路には蓄光テープが細く伸びている。暗号の問題も完成し、受付で配るヒントカードは難易度ごとに封筒へ分けられていた。


 残っている大きな作業は、本番を想定した通し練習だけである。


「相良(さがら)、入口に立って」


 文化祭委員の女子が、教室の前方から声をかけた。


「受付の流れ、確認したいから」


「俺、案内役じゃなかったか?」


「今日は受付の男子が部活でいないの。代わりにお願い」


「分かった」


 悠真(ゆうま)は手にしていた見取り図を机へ置き、入口へ向かった。その様子を、しのぶは教室の奥から見ていた。


 隣には、仕掛け班の男子が二人いる。


「忍津家(おしつけ)さん、この扉、開くの早すぎない?」


「糸を少し長くした方がいいと思う」


「どれくらい?」


「五センチくらい」


 しのぶは仕掛けを確認し、結び目の位置を指で示した。男子たちはすぐに作業へ戻り、しのぶも次の確認へ移ろうとした。


 そのとき、入口から女子生徒たちの笑い声が聞こえた。


「相良、接客うまいじゃん」


「いらっしゃいませ、くらい誰でも言えるだろ」


「もう一回やって。今度はもっと忍者っぽく」


「何だよ、忍者っぽい受付って」


「拙者とか言えば?」


「絶対言わない」


 悠真の周りには、受付班の女子が三人集まっていた。誰かが冗談を言い、悠真が言い返す。


 普段から見慣れた光景だった。悠真は誰とでも普通に話せる。しのぶには難しいことを、何でもないようにやってのける。


「忍津家さん?」


 呼ばれて、しのぶは顔を上げた。


「糸、これでいい?」


「……うん」


「まだ測ってないけど」


「ごめん」


 しのぶは眼鏡を押し上げ、もう一度仕掛けへ向き直った。糸の長さを確かめ、今度はきちんと五センチ伸ばすよう伝える。


 それでも、入口から聞こえる笑い声が気になった。悠真は受付班の女子と並び、入場客への説明を練習している。


「最初に注意事項を言って、そのあと二人ずつ入ってもらうんだよね」


「そう。暗いから走らないことと、壁には触らないこと」


「相良、全部覚えてるんだ」


「忍津家に何回も説明されたからな」


 名前を呼ばれ、しのぶは反射的に入口を見た。悠真はこちらを向いていない。ただ、しのぶから聞いた内容を、ほかの生徒へ伝えているだけだった。


 それなのに、自分の知らないところへ持っていかれたような、妙な気持ちが残った。


「相良くん」


 気づけば、しのぶは入口まで歩いていた。悠真が振り返る。


「何だ?」


「案内役の確認、したい」


「今?」


「うん」


「受付の練習中なんだけど」


「あとでもできるよ」


 受付班の女子が笑った。


「忍津家さん、相良を借りたいの?」


「借りるんじゃないよ」


「じゃあ、連れていく?」


「相良くんは、案内役だから」


 しのぶは真面目に答えた。


「それに、動線を一番分かってる」


「忍津家さんの次に、でしょ?」


「うん」


「やっぱり相良じゃないと駄目なんだ」


 悪意のない言葉だった。しのぶが考え、悠真が伝える。クラスメイトも、その役割を知っている。それでも、しのぶの胸には小さな棘のように残った。


「相良くん、一緒にお願い」


「分かったよ」


 悠真は受付班へ断り、しのぶのあとをついてきた。


 二人で暗い通路へ入る。外の声が遠くなり、段ボールの壁に囲まれた狭い空間へ、足音だけが響いた。


「どこを確認するんだ?」


「二問目のあと」


「さっき見たばかりだろ」


「もう一回」


 しのぶは先を歩き、二問目の問題が置かれた場所で足を止めた。仕掛けに不備はなく、通路の幅も十分で、足元のテープも剥がれていない。


 悠真が周囲を見回した。


「何も変わってないぞ」


「うん」


「じゃあ、何で呼んだ?」


 しのぶは答えなかった。自分でも、きちんと説明できなかった。


 受付班に悠真が必要なのは分かっている。文化祭はクラス全員で作るものだ。悠真はしのぶだけの手伝い役ではない。それなのに、ほかの女子と笑っている姿を見たとき、連れ戻したいと思った。


「相良くん」


「何だ?」


「受付、楽しい?」


「普通だよ」


「みんなと話してた」


「練習だからな」


「私と作業するより?」


 悠真は眉を寄せた。


「比べるものか?」


「分からない」


「今日はどうしたんだよ」


 しのぶは壁へ視線を落とした。


「相良くん、誰とでも話せるから」


「それが?」


「私がお願いしなくても、いろんなところで頼られる」


「文化祭なんだから、普通だろ」


「うん」


 分かっている。分かっているのに、胸の奥が落ち着かない。しのぶは、自分の袖口を指先でつまんだ。


「戻ろう」


「確認は?」


「終わったから」


「結局、何だったんだ?」


「少し、確認したかっただけ」


「何を?」


 しのぶは答えず、通路の出口へ歩き出した。


 教室へ戻ると、通し練習が始まった。客役をする生徒が入口から入り、暗号を解きながら出口を目指す。


 しのぶは見取り図を手に、仕掛けの動作と所要時間を記録した。悠真は案内役として、客役の後ろをついていく。


 二人が別々の場所にいても、準備は問題なく進んだ。むしろ、しのぶが全体を確認し、悠真が内部の動きを見ることで、いつもより細かな不具合まで見つけられた。


 通し練習を終えると、文化祭委員の男子が感心したように言った。


「忍津家さんと相良、別々でもちゃんと回るじゃん」


「そりゃそうだろ」


 悠真が答える。


「でも、忍津家さんって、人前のことは全部相良にやってもらってる印象だった」


 男子は悪気なく続けた。


「相良がいないと、何もできないのかと思ってた」


 教室の音が、一瞬だけ遠くなった。しのぶは手元の見取り図を見たまま動かなかった。


「そんなわけないだろ」


 悠真の声が、すぐに返る。


「忍津家が準備してなかったら、そもそも何も回ってない」


「分かってるって。ただ、人前だと相良がいないと厳しそうじゃん」


「それと何もできないのは違う」


「悪かったよ。言い方が悪かった」


 男子は軽く手を上げ、別の作業へ戻っていった。悠真はしのぶを見る。


「気にするなよ」


「うん」


「お前がやったことは、みんな分かってる」


「うん」


 しのぶは同じ返事をした。けれど、見取り図を握る指には力が入っていた。


 男子の言葉は間違っている。しのぶは一人でも、資料を整理できる。問題を考えられる。必要な物を調べ、作業の順番を決められる。今日だって、悠真と離れて全体を動かしていた。


 それでも、人前へ出るときには悠真を探し、困ると最初に悠真へお願いする。自分は、どれほど多くのことを幼なじみに預けているのだろう。


 放課後の作業が終わる頃になっても、その考えは消えなかった。片づけを済ませ、二人は並んで学校を出た。


 いつもなら、しのぶから次の予定を話し始める。明日は何をするのか、どこを確認するのか、何を一緒にお願いするのか。けれど、その日は黙っていた。


「忍津家」


「なに?」


「さっきのこと、まだ気にしてる?」


「気にしてないよ」


「じゃあ何で静かなんだ」


「考えてるから」


「それを気にしてるって言うんだよ」


 しのぶは足元へ視線を落とした。二人の影が、夕方の道へ並んで伸びている。


「私、相良くんに頼りすぎてる?」


「今さらだな」


 悠真は冗談めかして答えた。けれど、しのぶは笑わなかった。


「相良くんがいないと、何もできないように見える?」


「見える奴には見えるんじゃないか」


「やっぱり」


「最後まで聞けよ」


 悠真は足を止めた。しのぶも数歩先で立ち止まる。


「見えてる部分だけなら、俺が話してることが多いからな。でも、その前にお前が何をしてるか、ちゃんと知ってる奴もいる」


「相良くんは、知ってる?」


「一番知ってるよ」


 迷いのない返事だった。しのぶは顔を上げた。


「プリントも、文化祭も、お前がほとんど準備してる。俺は、お前が考えたことを人に伝えてるだけだ」


「それが、私にはできないから」


「できないことを頼るのは、悪いことじゃないだろ」


「でも」


「俺だって、お前がいなかったら文化祭の仕掛けなんて考えられない。何が必要かも分からない」


 悠真は肩をすくめた。


「それなら、俺もお前に頼りすぎてることになる」


「相良くんが、私に?」


「そうだよ」


 しのぶはしばらく黙った。自分が悠真へ預けているものばかり考えていた。けれど、悠真もまた、自分の考えや準備を頼りにしている。


「それでも、少し減らした方がいいと思う」


「何を?」


「お願いすること」


 悠真の表情が、わずかに変わった。


「何で?」


「一人でもできるようにならないと」


「急に全部変える必要ないだろ」


「でも、おばあちゃんも言ってた。いつまでも、そこにいてくれるとは限らないって」


「俺は今いるけど」


「今は」


 しのぶは小さく答え、それ以上の言葉は続かなかった。


 悠真は何かを言いかけて、口を閉じた。高校を卒業すれば、今の関係が変わるかもしれない。しのぶが一人でできることを増やしたいと言うのを、否定はできなかった。


「分かった」


 悠真は言った。


「やってみればいい」


「うん」


「でも、本当に困ったら言えよ」


「相良くんに?」


「誰でもいい」


 その答えに、しのぶの胸が少しだけ沈んだ。自分から「頼らないようにする」と言ったのだから、当然だった。それなのに、「俺に言え」と答えてほしかった気がした。


 しのぶは、そんな自分をわがままだと思った。


「明日の準備は?」


 悠真が尋ねる。


「受付の最終確認と、衣装の数を調べる」


「俺は何をすればいい?」


 しのぶは少し迷った。いつもなら、すぐにいくつものお願いを並べている。


「大丈夫」


「何が?」


「明日は、一人でやってみる」


 悠真は黙った。しのぶも、それ以上は話さなかった。


 二人は再び歩き出す。影は変わらず隣り合っている。けれど、その間には、いつもよりわずかに広い隙間があった。


 忍津家しのぶは、幼なじみを独り占めしたいと思った。同時に、独り占めするほど頼ってはいけないとも思った。


 どちらを選べばいいのか、しのぶにはまだ分からなかった。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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