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忍津家さんは、おしつけたい!  作者: 錆猫てん


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10/12

第10話 「忍津家さんは、お願いしない!」

 翌朝、忍津家(おしつけ)しのぶは、相良(さがら)悠真(ゆうま)を待っていなかった。


 教室へ着くと、自分の席へ鞄を置き、文化祭で使う衣装の箱を一人で運び始めた。箱は大きいが、それほど重くはない。両腕で抱えれば、教室の後ろから前まで運べる。


 これまでなら、悠真が来るまで待っていただろう。あるいは、登校した姿を見つけるなり、


「これ、一緒にお願い」


 と差し出していたはずだ。


 けれど、今日は頼まない。一人でできることは、一人でする。しのぶは昨日の帰り道で、そう決めていた。


「おはよう、忍津家」


 教室の扉が開き、悠真が入ってくる。


「おはよう、相良くん」


 しのぶは箱を抱えたまま答えた。悠真は足を止める。


「それ、何だ?」


「衣装」


「見れば分かる。どこへ持っていくんだ?」


「教卓の前」


「持つよ」


「大丈夫」


 しのぶは悠真の横を通り過ぎた。箱の端が腕へ食い込み、少しだけ持ち直したものの、教卓の前まで落とさずに運べた。


「ほら、大丈夫だったよ」


「別に競争してるわけじゃないだろ」


「一人でできたから」


 しのぶは箱を床へ置き、眼鏡を押し上げた。声には、わずかな達成感が混じっている。


「そうか」


 悠真は短く答え、自分の席へ向かった。しのぶはその背中を見送る。


 何かを間違えたような気がした。けれど、何が違ったのかは分からなかった。


 朝のホームルームが終わると、文化祭委員が衣装の確認を始めた。黒い上着、頭巾、腰へ巻く布、受付係が着る羽織。必要な数を数え、担当者ごとに分けていく。


「忍津家さん、男子用の頭巾、二枚足りないみたい」


 文化祭委員の女子が言った。


「予備の布があるから、作れると思う」


「ミシン使える人いるかな」


「家庭科部の人に頼めないか聞いてみる」


「誰が行く?」


 しのぶは教室を見回した。いつもなら、悠真へ目を向けるところだった。


 人へ頼み事をするとき、しのぶは言葉を選ぶのに時間がかかる。断られたらどうしよう。迷惑ではないか。きちんと説明できるだろうか。悠真がいれば、最初の声をかけてくれる。


 けれど、それではいつまでも変わらない。


「私が行くよ」


 しのぶは答えた。


「一人で大丈夫?」


「うん」


 家庭科部の部室は、別棟の三階にある。昼休みになり、しのぶは必要な布と見本の頭巾を持って教室を出た。


 悠真は何も言わなかった。気づいていないのかもしれない。それでいいはずだった。


 しのぶは別棟の三階まで上がり、家庭科室の前で足を止めた。中から何台ものミシンが動く音が聞こえ、扉には『家庭科部活動中』と書かれた札が掛かっている。


 しのぶは布を持ち直し、一度、息を吸った。扉をノックしようとして、手が止まる。


 知らない生徒ばかりの部室へ入り、事情を説明し、協力を頼む。できないことではない。職員室でも、悠真が隣にいれば話せた。今度は、一人でやるだけだ。


 しのぶは扉を二度叩いた。しかし、音が小さすぎたらしく、中のミシンは止まらない。


 もう一度、今度は少し強く叩く。


「はい?」


 扉が開き、三年生らしい女子が顔を出した。突然向けられた視線に、しのぶの喉が詰まる。


「あの……二年三組の、忍津家です」


「どうしたの?」


「文化祭の衣装で……頭巾が二枚、足りなくて」


 しのぶは布と見本を差し出した。


「今日の放課後に、通し練習があるので。それまでに作ってもらえないかと思って」


「今日?」


 三年生は困ったように家庭科室の中を振り返った。机の上には、縫いかけの衣装が何着も積まれている。


「ごめん。こっちも今日中に終わらせたい衣装があるの」


「そう、ですよね」


「簡単な形には見えるけど、今は手を空けられないかな」


 断られた。


 しのぶは布を抱え直す。ここで別の方法を相談しなければならない。けれど、何と言えばいいのか、すぐには言葉が出なかった。


「あの……」


「うん?」


「全部、お願いするのは難しいと思うので……一枚だけでも」


 声が小さくなる。


「残りは、私たちで何とかします。放課後までに必要で……」


 三年生は、しのぶの顔をじっと見た。


「忍津家さんって、前に家庭科部の掲示を直してくれた子?」


「掲示?」


「図書室の前の。剥がれかけてたのを貼り直してくれたでしょ」


「端が剥がれてたから」


「裁縫箱を職員室へ届けてくれたこともあったよね」


「廊下に落ちてたので」


「やっぱり」


 三年生は家庭科室の中へ戻り、ほかの部員たちへ声をかけた。


「この頭巾、二枚なら先に作れそう?」


「形は簡単そうですね」


「裁断して、二人で縫えばすぐ終わるかも」


「でも、こっちの衣装が遅れませんか?」


「少しくらいなら大丈夫。前にうちも助けてもらってるから」


 短い相談のあと、三年生は再び扉の前へ戻ってきた。


「二枚とも作るよ。放課後までに教室へ届ける」


 しのぶは目を瞬かせた。


「でも、忙しいんじゃ」


「忙しいけど、一時間もかからないと思うから。作業の順番を変えれば大丈夫」


「いいんですか?」


「忍津家さんの頼みならね」


「私の?」


「うちの部も、何度か助けてもらってるでしょ」


「大したことは、してません」


「助けられた方は、そう思ってないよ」


 三年生は布と見本を受け取った。


「だから、今日は私たちに任せて」


 しのぶはしばらく立ったまま、その言葉を確かめていた。上手に交渉できたとは思えない。断られかけたときには、何を言えばいいのか分からなくなった。


 それでも、今まで自分が気づいたときにしてきたことが、思いがけない形で戻ってきた。


「ありがとうございます」


 しのぶは深く頭を下げた。


 家庭科室を離れても、足はまだ少し震えていた。けれど、教室へ戻る足取りは、来たときよりも軽かった。


 悠真がいなくても、自分からお願いすることはできた。少なくとも、最初の一歩は踏み出せたのだと思う。


 教室へ戻ると、しのぶは文化祭委員へ結果を伝えた。


「放課後までに家庭科部の先輩たちが作ってくれることになったよ」


「すごい。もう話をつけてきたの?」


「お願いしただけだから」


「助かった。ありがとう」


 しのぶは小さくうなずいた。その様子を、悠真は少し離れた席から見ていた。


 目が合う。しのぶは、褒めてもらえるのを待つように悠真を見た。


「ちゃんと頼めたんだな」


「うん」


「よかったじゃん」


「……うん」


 それだけだった。もっと何かを言ってほしかった気がした。


 けれど、一人で頼みに行くと決めたのは、しのぶ自身である。悠真に助けてもらわず、自分でお願いできたことを喜ぶべきだった。


 放課後になると、通し練習の最終確認が始まった。受付から客役を入れ、暗号を解き、仕掛けを動かし、出口まで案内する。


 しのぶは記録係として、所要時間と問題点を書き留める。悠真は案内役だった。


 同じ教室にいる。すぐ近くに姿も見える。けれど、通し練習の間、しのぶは一度も「相良くん」と呼びかけなかった。


 質問をされれば自分で答え、全体へ伝える必要があれば文化祭委員へ頼む。高い場所へ札を貼るときは、脚立を使った。


「忍津家さん、危なくない?」


「大丈夫。誰かに押さえてもらうから」


 しのぶは近くの女子に脚立を支えてもらい、自分で上った。作業は無事に終わった。


 祖母の教えには反するかもしれない。けれど、一人でできることを増やすには、少しずつ挑戦しなければならない。


「忍津家」


 床へ降りると、悠真が近づいてきた。


「高い場所は、無用な危険を冒すな、じゃなかったのか?」


「押さえてもらったから大丈夫」


「俺に言えばやったのに」


「相良くん、案内役の練習中だったから」


「少しくらい抜けられるよ」


「でも、ほかの人にお願いできた」


 しのぶが答えると、悠真は口を閉じた。


 しのぶは、一人で何もかもやったわけではない。脚立を押さえてくれた女子生徒にも、家庭科部の先輩たちにも助けてもらった。ただ、これまで悠真にしか頼めなかったことを、ほかの誰かにもお願いできるようになった。


 それはきっと、喜ぶべきことだった。なのに、また何かが違った気がした。


 二人とも同じ教室にいるのに、昨日までより距離が遠い。


「そうか」


 悠真はそれだけ言い、案内役の位置へ戻った。


 しのぶは胸の奥へ残った寂しさを押し込めた。お願いを減らすと決めた。悠真を困らせないために、自分が一人でもできるようになるために。


 なのに、悠真が離れていくように感じるのは、なぜなのだろう。


 準備が終わる頃には、教室の作業表に並んでいたほとんどの磁石が青へ変わっていた。


「明日で全部終わりそうだな」


 文化祭委員の男子が言う。


「忍津家さんのおかげだよ」


「みんながやってくれたから」


「相良との連携も完璧だったし」


 しのぶは、すぐに返事ができなかった。今日はほとんど話していない。


 連携が完璧だったのは、これまで積み重ねてきた準備があったからだ。しのぶが細かく指示を出さなくても、悠真は必要なことを理解している。だから、お願いしなくても進んだ。


 それは喜ぶべきことのはずだった。


 片づけを終えると、しのぶは一人で教室を出た。悠真は文化祭委員に呼び止められ、まだ中に残っている。


 これまでなら、廊下で待っていた。帰り道を一緒にお願いするために。けれど、今日は待たない。一人で帰る練習も必要だった。


 昇降口で靴を履き替え、校門を出る。夕方の住宅街には、部活動を終えた生徒たちの声が聞こえていた。


 家までの道は、何度も通った道である。迷うことも、困ることもない。それでも、足取りはいつもより重かった。


「忍津家」


 後ろから名前を呼ばれ、しのぶは振り返った。悠真が鞄を肩へ掛け、走ってくる。


「先に帰るなら言えよ」


「相良くん、話してたから」


「待ってればよかっただろ」


「一人で帰れるよ」


「知ってるよ」


 悠真は少し息を整え、しのぶの隣へ並んだ。


「じゃあ、何で来たの?」


「帰る方向が同じだから」


「それだけ?」


「ほかに何があるんだよ」


 しのぶは前を向いた。


 いつもなら、自分から隣へ呼んでいた。今日は悠真の方から追いかけてきた。少しだけ嬉しい。けれど、それを口にすれば、また頼ってしまう気がした。


 二人は黙って歩いた。これまでは、しのぶが次々にお願いを口にしていた。購買へ行くこと、帰り道を共にすること、明日の作業を手伝うこと。言葉が途切れる暇などなかった。


 今日は、何もない。


「忍津家」


「なに?」


「明日の準備、俺は何をする?」


「案内役の確認」


「それだけ?」


「うん」


「ほかには?」


「ないよ」


 悠真は黙った。しのぶは隣を見ないように歩いた。


「お前、本当にお願いしないんだな」


「昨日、減らすって言ったから」


「急にゼロにしなくてもいいだろ」


「一人でできることは、一人でする」


「それで困ってない?」


「困ってないよ」


 嘘ではなかった。家庭科部へも頼みに行けた。脚立へも上れた。文化祭の準備も問題なく進んでいる。


「じゃあ、相良くんは困ってる?」


 しのぶが尋ねる。悠真はすぐには答えなかった。


「別に」


「そう」


 胸の奥が沈む。


 悠真が困っていないなら、今までのお願いはなくてもよかったのかもしれない。余計なことを頼み、時間を使わせていただけなのかもしれなかった。


 少し遅れて、悠真が続ける。


「ただ、調子が狂う」


「どうして?」


「お前が何も言わないから」


「静かな方がいいでしょ」


「そういう問題じゃない」


 以前、しのぶが「待ってる」と答えたとき、悠真に返されたのと同じ言葉だった。けれど今度は、その意味が分からなかった。


「お願いされるの、嫌じゃなかったの?」


「嫌なら断るって言っただろ」


「でも、いつもやれやれって言う」


「本当に嫌なら、引き受けないよ」


 悠真は少し前を歩き、しのぶへ背を向けた。


「それに、お前が何も頼まないと、俺がいらないみたいだろ」


 しのぶの足が止まった。悠真も数歩先で立ち止まる。


「相良くんが、いらない?」


「そういう言い方をしたんじゃない」


「いらなくないよ」


 しのぶはすぐに否定した。声が、自分でも驚くほど強く出た。


「相良くんは、いらなくない」


「分かったから、落ち着け」


「でも、お願いしたら頼りすぎになる」


「だから、ゼロか百かで考えるなよ」


「分からない」


 しのぶは鞄の持ち手を強く握った。


 一人でできるようになりたい。悠真を困らせたくない。けれど、離れてほしくない。どれも本当で、どうすればすべてを守れるのか分からなかった。


「何をお願いして、何を一人ですればいいの?」


 悠真は答えなかった。簡単に決められることではない。しのぶ自身が考えなければならないことなのだろう。


「今日は帰ろう」


 悠真が言った。


「うん」


 二人は再び歩き出した。距離は近い。それでも、いつものようには戻れなかった。


 別れ道へ着く。悠真の家は右、しのぶの家は左にある。


「また明日な」


「うん。また明日」


 悠真が右へ曲がる。しのぶは左へ向かいかけ、足を止めた。


 呼び止めたい。明日も一緒にいてほしい。帰り道も、文化祭の準備も、その先も。


 けれど、それをお願いしていいのか分からない。


「相良くん」


 ようやく声を出したとき、悠真は振り返った。


「何だ?」


 しのぶは口を開く。お願いしたいことは、いくつもあった。それなのに、どの言葉も喉の奥で止まってしまう。


「……なんでもない」


「そうか」


 悠真は少しだけ待ったあと、再び歩き始めた。しのぶは、その背中が見えなくなるまで立っていた。


 忍津家しのぶは、今日一日、幼なじみに何もお願いしなかった。一人でできたことは、昨日よりも増えた。


 そのはずなのに、悠真との間にできた空白だけは、一人では埋められなかった。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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