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忍津家さんは、おしつけたい!  作者: 錆猫てん


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11/12

第11話 「忍津家さんは、ちゃんとお願いしたい!」

 文化祭前日。


 二年三組の教室では、朝から最終準備が続いていた。段ボールの壁はすべて組み上がり、暗号の札も指定された場所へ取り付けられている。受付用の机には注意事項を書いた紙が並び、貸し出された無線機も動作確認を終えていた。


 黒板の作業表には、ほとんど青い磁石しか残っていない。準備は順調だった。少なくとも、文化祭については。


「忍津家(おしつけ)さん、入口の看板、これでいい?」


 装飾班の女子が、大きな板を持ってきた。墨で書かれた『忍者屋敷からの脱出』の文字の周りに、手裏剣や煙の絵が描かれている。


「うん。上の角だけ、少し空けておいて」


「何か貼るの?」


「提灯を下げるから」


「あ、そうだった。じゃあ、この位置でいい?」


 しのぶは看板へ近づき、紐を通す穴の位置を確認した。


「大丈夫。ありがとう」


「了解。相良(さがら)、これ運ぶの手伝って!」


 教室の後ろで机を移動していた悠真が呼ばれる。


「ああ、今行く」


 悠真(ゆうま)は男子生徒と作業を交代し、看板を受け取りに来た。しのぶのすぐ隣まで来る。けれど、二人の間に会話はなかった。


 目が合えば、小さくうなずく。必要なことがあれば、誰かを通して伝える。ここ数日、そんな状態が続いていた。


 しのぶがお願いしなくなったため、悠真がそばに来る理由も減っている。文化祭の作業は、それでも進んだ。


 しのぶは必要な仕事を一人ずつへ割り振り、難しいことは文化祭委員に相談する。高い場所の作業は背の高い生徒に頼み、重い物は運搬班へ任せる。悠真でなくても、お願いすれば手伝ってくれる生徒はいる。


 それを、しのぶはこの数日で覚えた。けれど、誰に頼んでも同じというわけではなかった。


「忍津家さん、提灯の場所、ここでいい?」


「もう少し右」


「これくらい?」


「うん」


 男子生徒が脚立の上で位置を直す。しのぶは下から見上げ、全体の釣り合いを確かめた。頼んだ通り、きちんとやってくれている。


 それなのに、胸の奥へ小さな物足りなさが残った。


 悠真なら、一度言えば大体の位置を理解する。しのぶが迷っていれば、右か左かではなく、何と比べているのかを聞いてくる。終わったあとには、


「これでいいか?」


 と、しのぶが納得するまで待ってくれる。


 頼みやすいからではない。断らないからでもない。悠真だから、お願いしたかったのだ。


「忍津家さん?」


 呼ばれて、しのぶは我に返った。


「位置、変だった?」


「大丈夫。きれいだよ」


「よかった」


 男子生徒が脚立を降りる。しのぶは礼を言い、次の作業へ向かった。


 教室の中央では、本番と同じ流れで最後の通し練習が行われていた。悠真は案内役として、客役の後ろを歩いている。問題に詰まれば決められた言葉でヒントを出し、仕掛けが動かなければ、客に気づかれないよう手早く直す。


 しのぶが作った進行表を、ほとんど見ずにこなしていた。


「相良、もう全部覚えてるじゃん」


 客役を終えた男子が言う。


「何回もやってるからな」


「忍津家さんがいなくても、本番回せそう」


 軽い冗談だった。悠真は、すぐには笑わなかった。


「いないと困るよ」


「でも、仕掛けも問題も分かってるだろ?」


「分かってても、何か起きたときに決めるのは忍津家だ」


「相良が決めてもよくない?」


「俺は、忍津家が考えたものを分かりやすく伝えてるだけだから」


 悠真はそう答えると、しのぶの方を見た。少し離れた場所で目が合う。しのぶは何も言えず、視線を落とした。


 自分がいなければ困る。その言葉が嬉しかった。けれど、悠真にとって必要なのは、文化祭をまとめる自分だけなのかもしれない。


 以前のようにお願いをしなくても、作業は進んでいる。一緒に帰らなくても困らない。甘味処へ行く約束も、今すぐでなくていい。


 文化祭が終われば、悠真がしのぶの隣にいる理由は、さらに減ってしまうのだろうか。


「忍津家さん」


 文化祭委員の女子が声をかけてきた。


「少し休んだら? 朝からずっと動いてるよ」


「まだ確認するところがあるから」


「あと何が残ってる?」


「非常口の札と、受付の人数と、予備の鉛筆。それから――」


「それ、相良と二人で確認する予定じゃなかった?」


 しのぶは言葉を止めた。手元の一覧表には、それぞれの担当者が書かれている。最終確認の欄だけは、最初に作ったときのままだった。


『忍津家・相良』


「変えたの?」


「……まだ」


「じゃあ、行ってきなよ」


 文化祭委員は教室の前方を指さした。悠真が、無線機を点検している。


「最近、二人とも変だよ。喧嘩した?」


「喧嘩はしてない」


「なら、話せばいいじゃん」


「何を?」


「それが分からないから、変なんじゃない?」


 女子はそれだけ言うと、装飾班の方へ戻っていった。


 しのぶは一覧表へ目を落とす。最終確認は一人でもできる。昨日までの自分なら、そう考えただろう。


 けれど、これは最初から二人でやると決めていた仕事だった。一人でできることと、一人でやらなければならないことは違う。


 しのぶは一覧表を持ち、悠真のもとへ向かった。


「相良くん」


 呼びかけると、悠真の手が止まった。


 何日も声をかけていなかったわけではない。作業中、必要な連絡はしていた。それでも、お願いをするために名前を呼んだのは久しぶりだった。


「何だ?」


「最終確認、一緒にお願い」


 悠真はすぐには返事をしなかった。しのぶの持つ一覧表を見て、それから眼鏡の奥の目を確かめるように視線を上げた。


「一人でやるんじゃなかったのか?」


「一人でもできるよ」


「じゃあ、何で俺に頼むんだ?」


 責めるような口調ではなかった。ただ、答えを求めている。


 しのぶは一覧表を胸の前で握った。


「相良くんとやるって、最初に決めたから」


「それだけ?」


「それだけじゃない」


 しのぶは声を小さくした。教室にはまだ多くの生徒がいる。ここで話すことではない気がした。


「確認しながら、話したい」


 悠真はしばらく黙ったあと、無線機を机へ置いた。


「分かった」


 二人は教室を出て、まず廊下へ続く非常口の前へ向かった。扉の上には誘導用の札が貼られ、通路には物が置かれていない。しのぶが一覧表へ印をつける。


「問題なし」


「次は?」


「受付の人数」


 教室へ戻り、受付担当の出席予定を確認する。午前と午後に三人ずつ。休憩時間の交代要員も決まっていた。


「これも大丈夫」


「鉛筆は?」


「教卓の中」


 箱には、削られた鉛筆が二十本と、予備の消しゴムが入っている。どの項目にも問題はなかった。


 一つずつ確認するたびに、一覧表の空欄が埋まっていく。残りが少なくなっても、二人の会話は作業のことだけだった。


 最後に残ったのは、暗い通路の安全確認だった。


 教室の照明を落とし、仕掛け用の小さな明かりだけをつける。二人で段ボールの壁の間を歩いた。外の賑やかな声は遠くなり、足元の蓄光テープだけが薄く光っていた。


 以前、教師から逃げるように二人で身を潜めた用具倉庫ほどではないが、通路は狭い。並んで歩けば、肩が触れそうになる。


「ここ、壁が少し出てる」


 悠真が段ボールの端を押した。


「テープで固定する」


「今やるか?」


「あとで忘れるかもしれないから」


 しのぶはポケットからテープを取り出し、しゃがみ込んで壁の端へ貼った。立ち上がったとき、すぐ隣に悠真がいた。


 以前なら、何も気にしなかった距離だった。今は、近いことが嬉しくて、同時に怖かった。


「忍津家」


「なに?」


「話って何だよ」


 しのぶはすぐに答えられなかった。何度も考えたはずだった。お願いをすること、頼ること、悠真がいなくてもできるようになること。


 けれど、本当に伝えたかったことは、どれとも少し違う。


「私、相良くんに頼りすぎてたと思う」


「またその話か」


「最後まで聞いて」


「分かった」


 悠真は壁へ寄り、しのぶの正面へ立った。


「一人でできることを増やしたかった。相良くんがいなくても困らないように」


「うん」


「家庭科部にも一人でお願いできた。高いところも、ほかの人に手伝ってもらえた」


「見てたよ」


「ちゃんとできた」


「ああ」


 しのぶは一覧表の端を握りしめた。


「でも、嬉しくなかった」


 悠真が眉を寄せる。


「できたのに?」


「できたことは嬉しかった。でも、相良くんにお願いしなくなったことは、嬉しくなかった」


 暗い通路の中で、しのぶの声だけが響いた。


「私、相良くんが断らないからお願いしてたんじゃない」


「じゃあ、何で?」


「相良くんと一緒にやりたかったから」


 ようやく言えた。


 プリントを運ぶことも、職員室へ入ることも、買い物へ行くことも、文化祭を作ることも。一人でできるかどうかだけなら、ほかの方法はいくらでもあった。


「一人でも行ける場所に、相良くんと行きたかった」


 あの日、甘味処からの帰り道で口にした気持ちを、もう一度確かめるように続ける。


「一人でもできることを、相良くんと一緒にしたかった」


 悠真は黙っている。しのぶは不安になり、俯いた。


「それは、頼りすぎ?」


「……違うだろ」


 悠真が答えた。


「でも、いつも引き受けてもらってる」


「俺は、断れないんじゃなくて、断ってないんだよ」


 しのぶは顔を上げた。暗い中でも、悠真がまっすぐ自分を見ていることは分かった。


「嫌なら断るって、最初から言ってただろ」


「うん」


「お前が何か頼むたびに、面倒だとは思ってる」


「思ってるんだ」


「そこは思うよ」


 悠真は少しだけ笑った。


「でも、引き受けたいとも思ってた」


「どうして?」


「お前に頼られるのが、嫌じゃないから」


「それだけ?」


 以前、悠真へ尋ねられた言葉を返す。悠真は一瞬言葉に詰まった。


「それだけじゃない」


 今度は、悠真が視線を逸らした。


「お前と一緒にいる理由になるから」


 しのぶの胸が、大きく鳴った。


「理由がないと、一緒にいられない?」


「いられるよ。幼なじみなんだから」


「じゃあ、お願いしなくてもいい?」


「だから、ゼロか百かで考えるなって」


 悠真は小さく息を吐いた。


「お願いがなくても、一緒に帰っていい。店にも行けばいい。お前が一人でできることを、わざわざ一人でやる必要もない」


「相良くんも、一緒にしたい?」


「全部じゃないけどな」


「全部じゃないんだ」


「全部だったら、俺の時間がなくなるだろ」


 しのぶは少しだけ笑った。何日ぶりかに、悠真と普通に話せた気がした。


「じゃあ、嫌なときは断ってね」


「そうする」


「断らなかったら、一緒にしてくれる?」


「ああ」


「これからも?」


「無茶じゃなければな」


 何度も交わした答えだった。けれど、今までとは意味が違って聞こえた。


 しのぶがお願いを押し付け、悠真は仕方なく引き受けている。周囲には、そう見えていた。しのぶ自身も、いつの間にかそう思い始めていた。


 けれど、悠真は選んで隣にいた。


「相良くん」


「まだ何かあるのか?」


「名前で呼んでもいい?」


 悠真の表情が固まった。


「急だな」


「おばあちゃんが、大切なことは、ちゃんと伝えないといけないって言ってたから」


「名前で呼ぶことが?」


「相良くんは、相良くんだけど」


 しのぶは言葉を探した。


「ずっと一緒だったのは、相良くんじゃなくて、悠真だから」


 名字は、クラスの誰もが呼ぶ。けれど、幼い頃から知っている名前は、しのぶの中ではもっと近いものだった。


「嫌?」


「嫌じゃない」


「じゃあ、呼ぶね」


 しのぶは一度息を吸った。


「悠真」


 たった二文字の名前が、狭い通路の中へ落ちる。


 呼び慣れているはずだった。幼い頃には何度もそう呼んでいた。いつから名字に変わったのか、二人とも覚えていない。それでも今は、初めて呼んだように胸が騒いだ。


「……何だよ、しのぶ」


 悠真も、同じように名前を返した。しのぶは目を見開く。


「もう一回」


「何でだよ」


「ちゃんと聞きたい」


「しのぶ」


 今度は、はっきり聞こえた。前髪の奥で、しのぶの目元が柔らかく緩んだ。


「うん」


「返事だけかよ」


「呼ばれたから」


 しのぶは嬉しさを隠すように眼鏡を押し上げた。


 そのとき、通路の外から声が聞こえた。


「相良ー、忍津家さーん! 確認終わった?」


 二人は同時に教室の入口へ顔を向けた。


「終わった!」


 悠真が答える。しのぶも一覧表の最後の欄へ青い印をつけた。


 すべての確認が終わった。明日は文化祭本番である。


 二人で明るい教室へ戻ると、何人かのクラスメイトがこちらを見た。


「遅かったね」


「壁が一か所出てたから直してた」


 悠真が答える。文化祭委員の女子が、しのぶの顔を覗き込んだ。


「話せた?」


「うん」


「何の話?」


「大事なこと」


 しのぶが答えると、女子は面白そうに笑った。


「じゃあ、もう喧嘩は終わり?」


「喧嘩はしてないよ」


「そういうことにしておく」


 最後の片づけを終え、教室を出る。昇降口で靴を履き替え、校門を抜けた。


 帰り道は、いつものように二人並んでいた。昨日まであった隙間は、もうない。


「悠真」


 しのぶが名前を呼ぶ。


「何だ?」


「明日、朝早く来るよね」


「準備があるからな」


「私も早く来る」


「知ってる」


「一緒にお願い」


「登校からかよ」


「待ってる」


「家を出るときに呼びに行くよ」


 しのぶは足を止めた。


「本当?」


「ああ。その方が早いだろ」


「じゃあ、お願いしなくても一緒?」


「そういうこと」


 しのぶは嬉しそうにうなずき、また歩き出した。


「悠真」


「今度は何だよ」


「呼びたかっただけ」


「用事がないなら呼ぶな」


「でも、返事してくれた」


「結果論だろ、それ」


 以前と同じ言葉に、しのぶは笑った。


 お願いしてもいい。お願いしなくても、隣にいていい。一人でできることを増やしても、一緒にしたいことまで手放す必要はない。


「しのぶ」


 今度は悠真が呼ぶ。


「なに?」


「明日、頑張ろうな」


「うん。一緒に頑張る」


 しのぶは迷わず答えた。


 文化祭が終わっても、頼む仕事がなくなっても、二人が一緒にいる理由までなくなるわけではない。


 忍津家しのぶは、これからも幼なじみにお願いをする。同じ時間を過ごしたいと、きちんと伝えるために。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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