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忍津家さんは、おしつけたい!  作者: 錆猫てん


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8/12

第08話 「忍津家さんは、一緒に作りたい!」

 文化祭まで、あと二週間。


 二年三組の教室は、放課後になると普段とは違う場所へ姿を変えていた。机と椅子は廊下側へ寄せられ、床には切りかけの段ボールが並んでいる。教室の後方では黒い模造紙を壁へ貼る作業が進められ、窓際では数人の生徒が暗号に使う札を書いていた。


 黒板の中央には、大きな文字でこう書かれている。


『忍者屋敷からの脱出』


 その横には、作業内容と担当者の名前が細かく並べられていた。装飾、問題作成、仕掛け、衣装、受付、安全確認。さらに、完了した項目には青い磁石、作業中の項目には黄色、遅れている項目には赤い磁石が付けられている。すべて、忍津家(おしつけ)しのぶが考えたものだった。


「忍津家さん、段ボール足りない!」


 教室の後ろから声が上がり、しのぶは手元の一覧表を確認した。


「今日使える分は、廊下の奥に三箱あるよ」


「さっき見たけど、なかったぞ」


「美術室へ運ぶ分と間違えて、倉庫の前に置かれてるかも」


「見てくる!」


「二箱だけ持ってきて。残りは明日の壁に使うから」


「了解!」


 男子生徒が教室を飛び出していくと、今度は窓際から女子生徒が紙を掲げた。


「忍津家さん、三問目の暗号、難しすぎない?」


「どれ?」


 しのぶは机の間を縫うように移動し、問題用紙へ目を通して鉛筆で小さく書き込みを加える。


「最初の文字だけ、赤くした方がいいと思う」


「それだけで分かる?」


「分からなかったら、受付でヒントを渡す」


「ヒントも作るの?」


「もう作ってあるよ」


「早っ」


 しのぶは鞄から小さな封筒の束を取り出した。それぞれに、問題番号と難易度が記されている。


「昨日、家で作った」


「いつ寝てるの、忍津家さん」


「普通に寝てるよ」


「普通に寝てる人の仕事量じゃないって」


 しのぶは首をかしげた。自分では、必要なことを先に終わらせただけだと思っているらしい。


「忍津家」


 教室の前方から悠真が呼び、しのぶが振り返る。


「なに?」


「廊下に出してる机、先生に注意された。通れる幅をもう少し空けろって」


「何センチ?」


「最低でも九十」


「今は?」


「七十くらい」


 しのぶは黒板の作業表へ目を向けた。


「装飾班の机を二つ、中に戻せば空くと思う」


「中は作業中だぞ」


「窓際の長机を使えば大丈夫」


「分かった。俺が動かす」


「一緒にお願い」


「お前はこっちを見てろ。呼ばれすぎだ」


「でも、重いよ」


「ほかの奴も呼ぶから」


 悠真は近くにいた男子二人へ声をかけ、廊下へ出ていった。しのぶはその背中を見送る。以前なら、自分もついていこうとしたかもしれない。けれど今は、教室のあちこちから名前を呼ばれている。


「忍津家さん、こっちもお願い!」


「今行く」


 しのぶはすぐに声のした方へ向かった。


 文化祭の準備が始まってから、しのぶを頼る生徒は目に見えて増えた。何を作ればいいのか、材料はどこにあるのか、作業の順番は合っているのか。困ったとき、教室の中で最初に探されるのは文化祭委員ではなく、いつの間にかしのぶになっていた。


 それでも、しのぶは人前で指示を出すのが得意になったわけではない。大勢へ向かって声を張ることは、今もできないままだ。だから、一人ずつ話を聞いて必要なことを整理し、教室全体へ伝える必要があれば、悠真へ頼むのだった。


「相良(さがら)くん」


「今度は何だ?」


 廊下から戻った悠真(ゆうま)へ、しのぶが紙を差し出す。


「作業を一度止めたい」


「何かあったのか?」


「仕掛けの位置が変わったから、動線を確認したい」


「全員に言えばいいだろ」


 しのぶは教室を見渡した。段ボールを切る音、話し合う声、椅子を動かす音。普段より賑やかな教室で、しのぶの声が全員へ届くとは思えない。


「一緒にお願い」


「一緒というか、俺が言うんだろ」


「私は説明するよ」


「分かった」


 悠真は教室の中央まで進み、手を叩いた。


「一回、作業止めて! 動線の確認するぞ!」


 よく通る声に、ばらばらに作業していた生徒たちが次第に手を止めた。


「忍津家から説明がある」


 一斉に視線が集まり、しのぶの肩がわずかに固くなる。悠真はその隣へ立った。


「大丈夫。聞こえなかったら、俺が言い直す」


「うん」


 しのぶは眼鏡を押し上げ、手元の見取り図を広げた。


「最初は、入口から右へ進む予定でした。でも、壁を置くと通路が狭くなるので、左回りに変えます」


 声は小さい。それでも教室が静かになっているため、十分に届いた。


「二問目を解いたあと、この印のところで一度止まってもらいます。次の組が近い場合は、案内役がここで待たせてください」


「待たせる時間、長くならない?」


 女子生徒の問いかけに、しのぶが答える。


「一分以内にする。問題に時間がかかった場合は、受付から無線で伝えて、次の組を入れるのを遅らせる」


「無線なんてあるの?」


「先生に借りられるか確認したよ。二台なら大丈夫だって」


「そこまで済んでるのか」


「それから、暗い場所で転ばないように、床の角へ蓄光テープを貼ります」


「雰囲気、壊れない?」


「足元だけなら目立たないと思う」


 続く質問へ、しのぶは一つずつ答えていった。途中で言葉に詰まると悠真が補い、話が脱線すれば本題へ引き戻す。二人の説明が終わる頃には、作業の変更点が全員へしっかりと行き渡っていた。


「じゃあ、配置を直してから再開しよう」


 悠真がまとめると、教室に再び音が戻った。しのぶは小さく息を吐く。


「緊張した」


「普通に話せてたぞ」


「相良くんがいたから」


「またそれか」


「聞こえなかったところ、言い直してくれた」


「二回だけな」


「二回も」


 しのぶにとっては、十分に大きな助けだったらしい。


***


 その日の作業は予定より順調に進み、段ボールの壁が組み上がり、暗号の問題も半分以上が完成した。しかし、終了予定の時刻が近づいた頃、装飾班から困ったような声が上がった。


「これ、全然足りなくない?」


 教室の後ろに集められていたのは黒い模造紙だった。壁全体を覆う予定だったが、実際に貼ってみると半分にも届かない。


「注文した枚数、間違えた?」


 文化祭委員が焦ったように言う。しのぶは納品書を確認した。


「注文は合ってるよ。予定より壁が増えたから、足りなくなった」


「追加で買えるかな」


「明日なら。でも、予算が少し超える」


「どうする?」


 教室の空気が重くなる。順調に進んでいた準備が、ここで止まりかけていた。しのぶは黒い壁と残っている材料を交互に見つめる。床には、段ボールを切ったあとの細長い端材が積まれていた。


「全部を黒くしなくてもいいかも」


 しのぶが呟いた。


「どういうこと?」


「段ボールの色を残して、木の板みたいに線を描く。黒い紙は、隠し通路と暗い場所だけに使う」


「忍者屋敷っぽくなる?」


「むしろ、その方が和風に見えると思う」


 しのぶは余った端材を壁へ当ててみせた。


「細い段ボールを横に貼れば、柱に見える。紙が足りないところを隠せるよ」


「それ、いいかも」


「予算も増えないし」


「やってみよう!」


 止まりかけていた作業が再び動き始める。何人かが端材を集め、別の生徒が茶色の絵の具を用意する。悠真は、その様子を少し離れたところから見ていた。


「さすが裏方の頭領」


 声をかけると、しのぶが振り返った。


「頭領じゃないよ」


「みんな、お前の指示で動いてるぞ」


「相談されたから、考えただけ」


「それを頭領って言うんじゃないか?」


「忍びの頭領は、もっと強いよ」


「十分強いと思うけどな」


 しのぶは褒められたと気づいたのか、眼鏡を押し上げて俯いた。


「でも、一人じゃできないよ」


「そりゃ文化祭だからな」


「そうじゃなくて」


 しのぶは教室の中を見渡した。端材へ線を描く者、壁へ貼る者、配置を調整する者。それぞれが自分の作業を進めている。


「私が考えても、作る人がいないと形にならないから」


「それでいいんだよ」


「相良くんも、伝えてくれる」


「まあな」


「だから、一緒に作ってる」


 しのぶは小さく笑った。


「みんなで?」


「うん。みんなで」


 それから少し間を置いて、悠真を見る。


「相良くんとも」


「俺だけ別に言う必要あったか?」


「最初から一緒だから」


 悠真は返事をしなかった。照れたわけではない。ただ、しのぶにとって自分がクラスの一員である前に、「最初から一緒にいる相手」なのだと、改めて突きつけられた気がした。


 準備を終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。片づけを済ませ、生徒たちが順番に教室を出ていく。


「忍津家さん、明日の作業って何だっけ?」


「入口の看板と、衣装の確認」


「材料は?」


「教卓の下にまとめてあるよ」


「了解。明日もよろしく!」


 声をかけた生徒が帰っていくのを見送り、しのぶは黒板の作業表へ近づいて、今日終わった項目の磁石を黄色から青へ動かした。


「ずいぶん青が増えたな」


 鞄を持った悠真が隣へ立つ。


「予定より早いよ」


「お前が何でも先に用意してるからだろ」


「みんなが動いてくれたから」


「それも、お前が分かりやすくしてるからだ」


「相良くんが説明してくれるから」


「褒め合っても終わらないぞ」


「じゃあ、二人とも頑張った」


「最初からそう言えよ」


 しのぶは満足そうにうなずいた。


 作業表の端には、明日の予定が細かな字で書かれている。悠真はそれを見て眉を寄せた。


「明日も多くないか?」


「看板、衣装、問題の試験、受付の練習」


「一日で全部やる気かよ」


「できるところまで」


「また帰らなくなるだろ」


「相良くんが止めて」


「それも俺の仕事か?」


「一緒にお願い」


「仕事を増やすなよ」


 しのぶは黒板から離れ、鞄を持った。


 二人で教室を出て廊下を歩いていると、後ろから文化祭委員の女子が声をかけてきた。


「相良、忍津家さん、明日も頼んだね」


「俺たちだけに押し付けるなよ」


「違う違う。二人がいると安心するってこと」


 女子は笑いながら階段を下りていった。悠真が隣を見ると、しのぶはその言葉を何度か頭の中で確かめているようだった。


「二人がいると、安心するって」


「聞こえてたよ」


「私たち、二人で一つだと思われてる?」


「作業の話だろ」


「作業じゃなかったら?」


「何の話になるんだよ」


 しのぶは考え込んだが、答えは出なかったらしい。


「分からない」


「なら聞くなよ」


「でも、嫌じゃないよ」


「何が?」


「相良くんと一緒だと思われること」


 悠真は足を止めた。しのぶは数歩先へ進んでから振り返る。


「相良くん?」


「お前、最近そういうことを普通に言うよな」


「普通のことだから」


「お前にとってはな」


 悠真は追いつき、再び隣を歩いた。しのぶもそれ以上は尋ねなかったが、歩く位置がいつもより少しだけ近い。


 文化祭の準備は、まだ終わっていない。作るものも決めることも、いくつも残っている。けれど、しのぶが一人で抱えている仕事は以前より少なくなっていた。


 誰かへ任せること、困ったときには助けを求めること、自分の考えを悠真と一緒に届けること。それもまた、しのぶが少しずつ覚え始めた新しい裏方の仕事だった。


「相良くん」


「何だ?」


「明日も、一緒に作ろうね」


「お願いじゃないんだな」


「うん」


 しのぶは前を向いたまま答えた。


「相良くんも、作りたいと思ってるから」


 勝手に決めるなと言いかけて、悠真はやめた。教室に残してきた段ボールの壁も、完成を待つ暗号も、明日になればまた続きを作る。自分がそこにいることまで、すでに当然のように考えていた。


「まあ、最後まで付き合うよ」


「ありがとう」


 二人の背後で、文化祭の準備を終えた教室の扉が静かに閉まる。


 忍津家しのぶは、幼なじみに何かをしてもらいたいだけではない。同じものを見て、同じ場所に立ち、同じ時間を使いたい。


 その願いはまだ、本人の中でも「一緒にお願い」という言葉にしかなっていなかった。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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