第07話 「忍津家さんは、任されたい!」
夏休みが明けて間もない、九月の初め。二年三組では、文化祭の出し物を決めるための話し合いが行われていた。
黒板には、候補として挙がった案が並んでいる。喫茶店、お化け屋敷、演劇、縁日、脱出ゲーム――。教室のあちこちから好き勝手な意見が飛び交い、どの案にも決め手がないまま時間だけが過ぎていた。
「飲食は準備が大変じゃない?」
「でも一番客が来るだろ」
「お化け屋敷って、去年も三組がやってなかった?」
「今年は和風にすればいいじゃん」
「演劇は絶対、練習で揉めるって」
教卓の前に立つ文化祭委員の男女は、次々に上がる声に困った顔をしている。
その中で、忍津家しのぶは窓際の席に座り、膝の上のノートへ視線を落としていた。話し合いには、ほとんど参加していない。
黒板の案を写しながら、その横へ細かなことを書き足していく。必要な人数、費用の目安、使えそうな教室、当日に必要になりそうな係。誰かが口にした情報も、聞こえたものから拾っていた。
「忍津家、何書いてるんだ?」
隣の席から、相良悠真が覗き込む。
「忘れないように」
「全部?」
「あとで比べるから」
「誰が?」
「みんなで」
しのぶはノートを少しだけ悠真の方へ向けた。
喫茶店の欄には、食品を扱うための申請、調理場所、仕入れ、衛生管理。お化け屋敷には、暗幕の枚数、照明、装飾、通路の安全確保。演劇には、台本、配役、衣装、大道具、練習場所。
まだ話し合いが始まって二十分ほどしか経っていない。
「これ、先生に提出する資料みたいだな」
「決めてから困ると大変だから」
「決まる前に、もう準備してるのかよ」
「準備じゃないよ。確認」
「似たようなものだろ」
そのとき、教卓の前にいた文化祭委員の男子が声を張り上げた。
「一回、静かにして! このままだと決まらないから!」
ばらばらだった声が、いくらか収まる。
「多数決でいいんじゃない?」
誰かが言った。
「でも、やりたい人が多くても、実際にできなかったら困るだろ」
「そこまで考えたら何も決まらないって」
「じゃあ、もう喫茶店でよくない?」
「勝手に決めるなよ」
また声が重なり始める。悠真は隣を見た。
「お前、それ見せたら?」
「私が?」
「案ごとに必要なものが分かれば、決めやすいだろ」
しのぶの手が止まり、教室の前へ目を向ける。四十人近い生徒が、それぞれ好きなことを言っている。その前へ立って話す。
「無理」
「即答だな」
「見せるだけならできる」
しのぶは悠真を見た。何も言わない。けれど、眼鏡の奥の目は分かりやすかった。
「俺かよ」
「一緒にお願い」
「また、面倒を押し付ける」
「これを、みんなに説明して」
「それ、お前がまとめたんだから、お前が説明しろよ」
「私が話すと、聞こえないかもしれない」
「声を出せば聞こえる」
「出なくなるかもしれない」
悠真はため息をついた。
「途中で補足しろよ」
「うん」
「全部、俺に押し付けるなよ」
「一緒だから、押し付けてないよ」
「またその理屈か」
悠真はしのぶのノートを持って立ち上がった。
「文化祭委員、ちょっといいか?」
教室の視線が集まる。悠真は教卓の横へ移動し、ノートを開いた。しのぶは席に座ったまま、こちらを見ている。
「忍津家が、案ごとに必要なものをまとめてた」
「もう?」
文化祭委員の女子が驚いた声を上げる。
「見せて」
悠真はノートを教卓へ置いた。
「例えば喫茶店なら、食品を扱う申請と、調理場所の確認が必要。教室で作るのは無理だから、家庭科室を借りるか、仕入れたものだけにするか決めないといけない」
「確かに」
「お化け屋敷は暗幕と照明。あと、安全に通れる幅を確保しないと駄目らしい」
「らしいって、誰が言ったの?」
「忍津家」
一斉に視線がしのぶへ向く。しのぶの肩がぴくりと動いた。
「去年の記録に、書いてあったから」
声は小さい。それでも、静かになった教室には届いた。
「去年の記録まで見たの?」
「図書室にあったよ」
「何で文化祭の記録が図書室に?」
「学校行事の資料をまとめた棚があるから」
さっきまで喫茶店だ、お化け屋敷だと言っていた生徒たちも、今度は黒板とノートを見比べ始める。
「演劇は?」
誰かが尋ねた。しのぶはノートを見ながら答える。
「練習場所は、放課後の教室だけだと足りないかもしれない。体育館は部活が使うから、早めに申請が必要」
「脱出ゲームは?」
「問題を作る人と、装飾を作る人を分けた方がいいと思う。答えが分かる人が案内役をすると、難しくなるから」
「それ、もう企画書じゃん」
感心した声が上がり、しのぶは目を伏せた。
悠真がノートへ視線を戻す。
「とりあえず、やりたいかどうかだけじゃなくて、実際にできるかも含めて絞ろう。準備期間と人数を考えると、演劇は少し厳しそうだな。飲食は申請次第。お化け屋敷と脱出ゲームなら、教室だけでも準備できる」
「じゃあ、その二つで多数決?」
「待って」
しのぶの声がした。また視線が集まる。
しのぶは一瞬黙ったが、そのまま続けた。
「お化け屋敷と脱出ゲームを、合わせてもいいと思う」
「合わせる?」
「忍者屋敷みたいにする」
悠真が眉を上げた。
「忍者?」
「隠し扉や暗号を解いて、出口を探す。驚かせる役も置く」
「お前の趣味が入ってないか?」
「和風なら、教室の机や段ボールで作れるものが多いよ。衣装も黒い服でいいから」
しのぶはノートのページをめくる。
「怖いのが苦手な人でも入れるように、驚かせる役は少なくする。暗い場所を歩くだけじゃなくて、問題を解くなら、待ってるだけにはならないと思う」
文化祭委員の女子が、黒板へ大きく書き加えた。『忍者屋敷風・脱出ゲーム』。
「それなら面白そう」
「衣装も簡単そうだな」
「仕掛け作るの楽しそう」
「怖すぎないなら、受付でもいいかも」
今度は、さっきまでほど声がぶつからない。改めて多数決を取ると、大きく票が割れずに決まった。
「じゃあ、忍者屋敷風の脱出ゲームで決定!」
文化祭委員の男子が、肩の力を抜いた。
「次は係決めか」
「企画を考える人、必要じゃない?」
「今の案、忍津家さんが考えたんだよね」
「忍津家さんが中心でよくない?」
突然、自分の名前が続けて出てきて、しのぶは顔を上げた。
「私?」
「必要なものも分かってるし、去年の記録も調べてるし」
「一番向いてると思う」
「でも、人前で説明するのは……」
「それなら、相良がやればいいじゃん」
軽い調子で声が飛ぶ。
「二人でやれば?」
「忍津家さんが企画と準備をまとめて、相良がみんなに説明する」
「さっきもそれでうまくいったし」
悠真は教卓の横で腕を組んだ。
「勝手に決めるなよ」
「でも、相良も向いてるだろ」
「人の話まとめるの得意じゃん」
「忍津家さん一人にやらせるよりいいって」
悠真はしのぶを見る。しのぶは席に座ったまま、ノートを両手で持っていた。視線が黒板へ向き、また悠真へ戻る。
「忍津家は、どうしたい?」
すぐには返事がなかった。しのぶは黒板に書かれた『忍者屋敷風・脱出ゲーム』を見る。
「裏方なら、頑張れる」
やがて、そう答えた。
「みんなの前で話すのは、難しいけど」
「俺が話せばいい?」
「うん」
「また一緒にお願いか」
「一人だと、できないから」
しのぶはノートの端を指で押さえた。
「でも、相良くんと一緒なら、やってみたい」
一瞬、教室が妙に静かになった。何人かが顔を見合わせる。しのぶ本人は、それに気づいた様子もない。
悠真だけが視線を逸らした。
「分かったよ」
「本当?」
「ただし、仕事はちゃんと分けるからな。全部抱えるなよ」
「うん」
「困ったら、先に言え」
「相良くんに?」
「俺でも、ほかの奴でもいい」
しのぶは少し考えた。
「まず、相良くんに言う」
「最初からほかを頼る気がないな」
「相良くんが一番早いから」
「またそれかよ」
しのぶが笑った。
***
その日の放課後。
黒板の案を消す前に、しのぶは内容をノートへ写していた。悠真は隣の机に座り、係の一覧を作っている。
「必要な係は?」
「受付、案内、仕掛け、装飾、問題作り、安全確認」
「驚かせる役は?」
「少人数でいいと思う」
「忍者屋敷なのに、忍者役は少ないんだな」
「忍びは、たくさん見つかったら駄目だから」
「文化祭なんだから、見つかっていいだろ」
「隠れて驚かせる方が効率がいいよ」
「本気で作る気だな」
「任されたから」
しのぶは顔を上げずに答えた。ノートの次のページには、もう明日以降の予定が書き込まれ始めている。
「相良くん」
「何だ?」
「明日、去年の文化祭の写真を見に行く」
「一人で行ってこい」
「一緒にお願い」
「放課後ならな」
「それから、材料の値段も調べる」
「まだあるのか」
「教室の広さも測りたい」
「一日で全部やる気か?」
「早い方がいいから」
悠真は書いていた手を止め、隣を見る。
「お前、任されると張り切りすぎるよな」
「頑張ったら、みんなが困らないから」
「お前が困るだろ」
「相良くんがいるから、大丈夫」
「……最初から俺込みで考えてるな?」
「うん」
「そこは否定しろよ」
しのぶは不思議そうに瞬きをした。
「とりあえず、今日は係だけ決めるぞ」
「写真は?」
「明日」
「教室を測るのは?」
「明日」
「材料の値段は?」
「それも明日」
「全部、明日?」
「お前を帰らせるところまで俺の仕事にするな」
しのぶは不満そうにノートを見る。それでも、数秒してぱたんと閉じた。
教室を出ると、廊下にはもうほとんど生徒が残っていなかった。窓から差し込む夕方の光が、並んで歩く二人の影を長く伸ばしている。
「相良くん」
「次のお願いは明日にしろよ」
「違うよ」
「じゃあ何だ?」
「引き受けてくれて、ありがとう」
「俺だけじゃない。クラス全員でやるんだろ」
「でも、最初に隣にいてくれるのは、相良くんだから」
しのぶは前を向いたままだった。悠真はその横顔を見て、すぐ前へ視線を戻す。
「……明日は、写真を見るだけだからな」
「教室も測るよ」
「増やすな」
「材料の値段も」
「だから増やすなって」
しのぶが笑う。
「相良くん」
「今度こそ何だよ」
「明日も、一緒にお願い」
「分かったから、今日は帰るぞ」
「うん」
しのぶは満足そうに、悠真の隣を歩いていった。
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