第05話 「忍津家さんは、頼られたい!」
忍津家しのぶは、人に頼ることには慣れている。
高い場所の物を取ってほしい。人の多い場所へ一緒に来てほしい。職員室へ入るとき、隣にいてほしい。その相手は、たいてい相良悠真だった。
一方で、自分が誰かから頼られることについては、いまだに慣れていない。
「あの、忍津家先輩、少し相談よろしいでしょうか?」
昼休み。二年三組の教室を訪ねてきた女子生徒に声をかけられ、しのぶは弁当箱を開ける手を止めた。
相手は一年生らしい。胸元の学年章を確かめたあと、しのぶは眼鏡の奥で目を瞬かせた。
「私?」
「はい」
一年生は緊張したように、両手でスカートの端を握っている。
「今じゃない方がよかったですか?」
「大丈夫。まだ食べてないから」
「忍津家、メシの時間が無くなるぞ?」
隣の席でパンの袋を開けていた悠真が口を挟んだ。しのぶは彼を見る。
「でも、困ってるみたいだから」
「昼休みはあと三十分しかないぞ」
「早く食べれば間に合うよ」
「そういう問題じゃないんだけど、な」
一年生は二人のやり取りを見て、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。やっぱり放課後にします」
「大丈夫だよ」
しのぶは立ち上がった。
教室には多くの生徒が残っている。ここでは話しづらい内容なのだろう。
「廊下でいい?」
「はい」
しのぶは弁当箱の蓋を閉じると、一年生と教室を出ていった。
悠真は取り残された弁当箱を見る。
「頼られると断れないんだよな」
「忍津家さんらしいじゃん」
近くにいた女子が笑った。
「でも、何で一年生が忍津家さんに相談?」
「図書委員じゃない? この前、仕事を手伝ってたらしいよ」
「そんなことまでしてたのか」
悠真はパンをかじりながら、廊下へ目を向けた。姿は見えない。
しのぶが誰かの相談を受けること自体は、珍しくない。自分から話しかけるのは苦手でも、相手の話を聞くことはできる。余計な口を挟まず、最後まで聞き、誰にも話してほしくないことは誰にも話さない。
相談相手としては、案外向いているのかもしれなかった。
十分ほどして、しのぶが一人で戻ってきた。机へ着くと弁当箱を開けるが、箸には手を伸ばさなかった。
「どうした?」
「なにが?」
「考え込んでるだろ」
「考えてないよ」
「嘘つけ。卵焼きを三十秒くらい見てるぞ」
しのぶは弁当箱へ目を落とした。黄色い卵焼きが、箸をつけられないまま残っている。
「相良くん」
「嫌な予感がするな」
「放課後、お願いしていい?」
「内容を聞いてから決める」
「人と人をつなぐ役」
「頼み方が大ざっぱすぎるだろ」
しのぶは、先ほどの相談について話し始めた。
一年生の名前は、佐倉美緒。図書委員会で、しのぶと何度か一緒に作業をした後輩だという。
美緒は文芸部に所属している。部では来月の学校説明会に合わせ、部誌を発行する予定だった。ところが、編集を担当する二人の部員が意見を対立させているらしい。
一人は、多くの作品を掲載したい。もう一人は、作品数を絞って一つ一つのページを増やしたい。話し合いをするたびに雰囲気が悪くなり、ほかの部員も口を出せなくなっているという。
「それで、どうしてお前に?」
「この前、図書委員の資料を見やすくまとめたから」
「部誌の相談と関係あるか?」
「佐倉さんは、私なら整理できるかもしれないって」
「整理はできそうだな」
「でも、二人と話すのは難しい」
しのぶは正直に答えた。
両方の意見を聞き、論点を整理することはできる。けれど、対立している相手を前に話を進めるとなれば、しのぶ自身が言葉に詰まってしまう可能性が高い。
「だから、相良くんにお願い」
「俺、文芸部じゃないんだけど」
「私も違うよ」
「じゃあ余計に部外者だろ」
「佐倉さんが、誰かに間に入ってほしいって」
「教師か部長に頼む話じゃないか?」
「顧問の先生は出張中。部長は二人の先輩だから、どちらかの味方だと思われるのが怖いって」
「面倒そうだな」
「うん」
しのぶは素直にうなずいた。
「こんなの押し付けるなよ」
「まだお願いしてないよ」
「今してるだろ」
「一緒にお願い」
「言い直しても同じだ」
悠真はため息をついた。しのぶは急かさず、じっと返事を待っている。
「俺は話を聞くだけだからな」
「うん」
「解決できるとは限らないぞ」
「大丈夫。話をするのは相良くんで、考えるのは私がやるから」
「役割分担が決まってるじゃないか」
「適材適所」
「便利な言葉を覚えたな」
放課後。
二人は旧校舎の端にある文芸部の部室を訪ねた。部室には、しのぶへ相談した美緒と、対立している二年生の女子二人が待っていた。長机の上には、印刷された原稿と過去の部誌が積まれている。
「相良です。忍津家から話は聞きました」
悠真が挨拶すると、二人の部員は互いに視線を逸らした。
一人は短い髪の活発そうな女子。もう一人は長い髪を三つ編みにした、おとなしい印象の女子だった。
「最初に、どっちが正しいかを決めに来たわけじゃありません」
悠真は二人の間に座る。
「何を作りたいのか、順番に聞かせてもらってもいいですか?」
二人はすぐには答えなかった。しのぶは少し離れた席に座り、ノートを開いている。
やがて、短髪の女子が口を開いた。
「せっかく全員が書いたんだから、全部載せたいの。ページが少なくても、自分の作品が本になる方が嬉しいと思うから」
三つ編みの女子も続く。
「でも、文字が小さくなったら読みにくいし、短く切ったら作品の良さがなくなる。掲載するなら、きちんと読める形にしたい」
悠真は相槌を打ちながら、二人の言葉を聞いた。途中で反論が始まりそうになると、
「今は最後まで聞こう」
と止める。
しのぶは何も言わず、二人の意見をノートへ書き留めていた。
「予算は?」
一通り話を聞き終えたところで、しのぶが尋ねた。
「決まってる」
「印刷できるページ数は?」
「表紙を除いて四十ページ」
「作品は何本?」
「十二本」
「一人当たり三ページくらいか」
悠真が計算すると、しのぶは首を横へ振った。
「目次と編集後記があるから、三ページは使えない。長い作品と短い作品を同じにするのも、難しいと思う」
しのぶは集められた原稿を確認していく。
「全部の作品を載せたい?」
「載せたい」
短髪の女子が答える。
「読みやすくしたい?」
「うん」
三つ編みの女子も小さくうなずいた。
「なら、反対じゃないと思う」
二人が、しのぶを見る。注目を受け、しのぶの声がわずかに小さくなる。
悠真は何も言わず、隣の席へ移った。しのぶは一度だけ彼を見てから、ノートへ視線を戻す。
「長い作品は、前編だけを部誌に載せて、続きは文芸部のページで公開する。短い作品は、そのまま全部載せる」
「学校のホームページを使うの?」
美緒が尋ねる。
「先生の許可が必要。でも、学校説明会用なら相談できると思う」
「でも、それだと本だけで完結しない作品が出るよ」
三つ編みの女子が言う。
「長い作品を書いた人に選んでもらう。短く直して全部載せるか、前編だけ載せて続きへ案内するか」
しのぶは原稿のページ数を数えていく。
「全員が少しずつ譲れば、全部載せられる。文字の大きさも、前の部誌と同じにできると思う」
二人の女子は顔を見合わせた。
対立していたのは、全員の作品を大切にしたいという気持ちと、一つ一つの作品を大切にしたいという気持ちだった。目指しているものは、それほど違っていない。
ただ、自分の方法だけを伝えようとして、相手が何を守ろうとしているのかを聞けなくなっていた。
「一度、全員に聞いてみようか」
短髪の女子が言った。
「うん。勝手に削るより、その方がいいと思う」
三つ編みの女子も答える。先ほどまで張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。
「忍津家先輩」
美緒がしのぶの前へ立つ。
「相談してよかったです。ありがとうございます」
「私は、整理しただけだから」
「それができなくて困ってたんです」
美緒は笑った。
「相良先輩も、ありがとうございました」
「俺は話を聞いただけだよ」
「二人とも同じこと言うんですね」
悠真としのぶは、同時に顔を見合わせた。
部室を出た頃には、窓の外が夕焼けに染まり始めていた。しのぶは廊下を歩きながら、どこか落ち着かない様子で眼鏡を触っている。
「どうした?」
「頼られた」
「そうだな」
「ちゃんとできたかな」
「できただろ。話もまとまったし」
「相良くんが話を聞いてくれたから」
「お前が整理したからだよ」
「でも、私一人だと、途中で声が出なくなったと思う」
「俺一人でも、あの案は出なかった」
しのぶは足を止めた。悠真も数歩先で振り返る。
「だから、二人でよかったんだろ」
「二人で?」
「お前が考えて、俺が話す。いつもと同じだ」
しのぶはしばらく悠真を見つめていた。やがて、前髪の奥で目元が柔らかく緩む。
「相良くん」
「何だよ」
「また頼られたら、一緒にお願いしていい?」
「毎回俺を巻き込む気か?」
「相良くんも頼られてたよ」
「俺はおまけだろ」
「おまけじゃないよ」
しのぶは真面目な顔で言った。
「相良くんがいないと、つながらなかったから」
悠真は一瞬、返事に詰まった。それをごまかすように、先に廊下を歩き出す。
「帰るぞ。昼飯も途中だったんだろ」
「お弁当は食べたよ」
「いつ?」
「五時間目が始まる前」
「昼休みじゃないだろ、それ」
「間に合ったから大丈夫」
「次からは自分の飯を優先しろ」
「でも、困ってたから」
「お前はそういうところがあるよな」
呆れた声に、嫌そうな響きはなかった。しのぶは悠真の隣へ追いつく。
誰かに頼ることと、誰かから頼られること。どちらも、一人では足りないところを相手へ預けることなのかもしれない。
しのぶは自分の苦手な部分を、いつも悠真へ預けている。そして今日、後輩から預けられた問題を、悠真と二人で受け取った。
「相良くん」
「今度は何だよ」
「帰り道、一緒にお願い」
「それは頼まれなくても同じだろ」
「じゃあ、お願いじゃない?」
「ただ一緒に帰るだけだ」
しのぶは少し考え、首を横へ振った。
「私には、お願いだよ」
悠真には、その違いがまだよく分からなかった。
ただ、しのぶが誰かに頼られたことを嬉しそうにしているのは分かる。だから今日くらいは、彼女のお願いを押し付けとは呼ばずに引き受けることにした。
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