第3話 連絡先
「ぁあ、暑っ」
エアコンは寝る前に消してしまったので、今日の目覚めは最悪だった。本当はずっとつけてたいが、その分の電気代が惜しい。でも、やっぱり暑すぎる。
寝苦しさでいつもより早く目が覚めたので、シャワーで汗を洗い流す。
こんなに暑いのにまた今日も会社に行かなくちゃいかない。あのクソ上司とこれから毎日顔を合わせなきゃいけないなんて。あの暑苦しい顔を見ているだけで熱中症になってしまいそうだ。もしそうなったら慰謝料を請求しよう。
朝からしょうもないことを考えながら、会社に行く準備を進める。今日も昨日と同じくらい暑いらしい。どうか今日も生きて帰ってこれますように。
「あ、容器。あとで返さなきゃ」
昨日黒崎さんがお裾分けしてくれた煮物の容器。洗ってそのままだったが、こういうのって、何かお返しを添えて返したほうがいいのだろうか。かと言って、俺は料理なんて出来ないし、それ以外だと……
なかなか考えはまとまらず、気がつくと家を出る時間になってしまった。
まぁ、帰ってきてから考えることにしよう。
玄関を出て鍵をかける。
「――おはようございます」
「うわっ!」
突然後ろから声をかけられて、思わず大きな声が出てしまった。
「すみません、驚かせちゃいましたね……」
「いえ、大丈夫です、黒崎さん」
申し訳なさそうに首に手を当てて微笑んでいる隣の奥さんが立っていた。
「昨日のアレ、お口に合いました?」
「あぁ、とっても美味しかったです。そうだ、ちょっとお待ちいただけますか?」
そう言って、さっき閉めた鍵をまた開けて家の中に戻る。返せるうちに返したほうがいいだろう。
「すみません、昨日の容器をお渡ししたくて。特にお返しも準備できなくて……」
「あら、わざわざありがとうございます。お返しなんていいんですよ。こっちが勝手にお裾分けしただけなので」
「いえいえ、そうはいきません。必ず何かお返ししますので。何かお手伝いできることとかないですか?」
誰かに親切にしてもらったら、自分も返さないと気が済まない。これは俺が生まれ持った性格なので、もう変えようがない。
「うーん、では、一つお願いしてもいいですか?」
「ぜひぜひ」
「じゃあ、今度の日曜日に、ウチのアキラをちょっと見といて貰うことってできます?」
アキラ君。一昨日しか顔を合わせていないが、元気で純粋そうな印象を受けた。ちょっと急なお願いだけど、少し見ているだけなら何とかなるか。
「もちろん、大丈夫ですよ。会社も丁度休みなので」
「本当ですか! 助かります」
「いえいえ、こんなことしかできないので」
「十分ですよ、本当に助かります。……あの、もし良かったら、連絡先とか交換してもいいですか?」
「あ、もちろん。あった方が便利ですよね」
お子さんを預かる訳だ。何かあった時に連絡できた方がいいだろう。こっちからは言いづらかったところもあるので、こういう気遣いは助かる。
「これで大丈夫ですかね?」
「はい、バッチリです!」
俺の連絡先に『ユウコ』という文字が追加された。
「じゃあ、詳しい時間とかは追って連絡しますね。今日もお仕事頑張ってください」
「あぁ、ありがとうございます。じゃあ、また!」
すっかり話し込んでしまって、昨日と同じくギリギリになってしまった。チラッと後ろを見ると、律儀に小さく手を振ってくれていたので、軽く手を挙げて返した。
◇
「よっしゃ、今日はみんなで飲みに行くぞ〜!」
支店長のこんな言葉が響き渡ったのは、終業時刻の5分前のことだった。
みんなが一斉に『ゲッ……』という顔をしたのを見て、俺も何かを薄々感じ取った。このパワハラ上司のことだ。飲み会での振る舞いも大体予想できる。
「すみません、今日はちょっ……」
「ああー、そういえばお前の歓迎会もまだだったなぁ?」
あれれ?
これ、ヤバいやつか?
「歓迎会なら、全員参加だよな! ましてや、主役のお前が欠席なんてする訳ないよなぁ?」
終わった……。
できることなら断りたかったこの誘いも、支店長から名指しされてしまっては断りきれない。結局全員参加になってしまった。俺の歓迎会という名目で開かれている飲み会なので、皆に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
飲み会ということで残業はなくなり、ぞろぞろと駅前の居酒屋に向かう。支店長の指示で誰かが予約したらしい。
「それじゃあ早速、この……えっと、名前何だっけ?」
「……清水です」
「あー、そうだそうだ! 清水君の我が支店への仲間入りを祝して、乾杯ー!」
「…………か、乾杯」
まばらな乾杯と共に、俺の歓迎会?が始まった。
乾杯の挨拶が済むと、席替えと称して、俺はテーブルの端っこの方へ追いやられ、支店長の隣には、若い女性社員二人が座らされていた。
このエロ親父が。ていうか、俺の名前くらい覚えとけよ。
「先輩、大丈夫ですか?」
一人寂しく飲んでいた俺に話しかけてきたのは、昨日今日と一緒に営業周りをしている、後輩の宇野だった。
「そっちこそ、飲み会とか来るんだな」
「もう慣れましたよ、あの人、何かにかこつけて飲みに行きたがるんです。断ったら後でぐちぐち言われるんで、みんな断りにくいみたいで」
「だろうな」
まさに予想通りのクソ上司。さっさと異動にならねぇかな。
「宇野、お前は入社からずっとこの支店か?」
「そうっすね。もう仕事への情熱なんてないっすよ。先輩には申し訳ないですけど、俺、使い物にならないんで」
まあ、確かにこの上司の下でやる気を出せという方が無理な話だ。それでも……
「まぁ、ぼちぼち頑張ろう。さっさと成績残して、もっと良い支店に異動しようぜ」
昨日まではやる気のない後輩だと思っていたが、この環境しか知らないとなると、逆に気の毒になってくる。
「それもそうっすね。先輩、明日からもよろしくです」
「あぁ、よろしくな」
案外良いやつなのかもしれないな。ぼんやりとそんなことを考えながら、ビールを喉に流し込んだ。
◇
結局、飲み会から解放されたのは11時過ぎだった。支店長がなかなか帰るのを許してくれず、支店長がベロンベロンになって、やっとお開きになった。
昨日よりも遅い時間の帰宅なんて、明日の目覚めが思いやられる。あー、マジで眠い。
やっと家が見えてきた。玄関のドアを開け、一気にリビングへ向かう。
「あー、ただいま……」
帰って来るはずのない帰宅の挨拶を呟きながら、俺はすぐに眠りについた。
「……おかえりなさい」




