第21話 もう間に合わないよ
お絵描きが始まって1時間ほど。
黙々と描き続けていたアキラ君だったが、さすがに飽きてきたのか、色鉛筆を動かす手が止まった。
「そろそろ別のことしようか」
俺の問いかけに小さく頷いたアキラ君は、自分から片付けを始めた。日頃からしっかりと教えられているのだろう。
「ありがとう、偉いね〜」
「どういたしまして!」
アキラ君のおかげで片付けも終わり、あと1時間ほどをどう過ごそうかと考えを巡らせる。
「何かしたいことある?」
「うーん、おしゃべりしよ!」
お喋り、か。ここまで小さい子と話すことがないから、なかなか話題に困ってしまう。
「いいけど、何か話したいことあるの?」
少しだけ考えたアキラ君は、すぐに口を開いた。
「あのね、僕っていっぱいいるんだよ!」
「え?」
いっぱい居る? どういうことだ?
困惑している俺を横目に、アキラ君は話を続ける。
「お兄ちゃんも会ったことあるでしょ?」
「あぁ、名前かぁ」
確かに、『アキラ』という名前はどちらかというとメジャーな名前に分類されるのだろう。実際、俺も『アキラ』という名前には聞き馴染みがある。
「アキラ君は、別の『アキラ』君に会ったことあるの?」
「うーん、無いよ。だって全部僕なんだもん」
少しだけ首を傾げながらアキラ君は答えた。
正直、意味はよく分からなかったが、小さい子との会話なんてこんなものだろう。
その後も会話を交わしつつ、今度は俺から口を開いた。
「ねぇ、アキラ君、一個聞いてもいいかな?」
「いいよ!」
「お父さんとか、お母さんがさ、俺についてなんか言ってるの聞いたことない?」
少々ぶしつけな質問だったが、どうしても聞いておきたいことだった。アキラ君の口からなら、黒崎家の行動の意味が分かるかもしれない。
「お兄ちゃんのこと、よく話すよ」
「ほんと? どんなこと?」
「うんとね、最近はよく、守らなくちゃいけないって言ってる」
『守らなきゃ』
この言葉には聞き覚えがあった。黒崎家が初めて俺の家の中にいた夜、ユウコさんが同じことを言っていた。
この言葉を文字通り受け取っていいのだろうか。
「ねぇ、なんで守らないといけないのかな?」
正直、アキラ君が言うことをどこまで信頼していたのかは分からないが、何も情報がないよりはマシである。
「だって、もうすぐだから」
「もうすぐ?」
「うん、もうちょっとで、消えちゃう。その前に――」
そこまで言って、アキラ君は急に黙った。
「どうしたの?」
「痛くなっちゃった」
「え?」
急な言葉に困惑している俺を見ながら、アキラ君は俺の後ろを指差した。
「……いる」
アキラ君が指差す先、部屋の隅の方に目を向ける。
「……あっ」
さっきまで何もいなかった部屋の隅。思わず声を上げた俺の目の中に飛び込んできたのは、一人の男の子の姿だった。
どこから入ったのか?
一体何のために?
そんな疑問を浮かべながらも、俺が目を離せなかったのは、その男の子がまさに、今俺の隣にいるアキラ君と瓜二つだったからだ。
「アキラ君、あれは――」
「「僕だよ」」
アキラ君が声を発すると共に、部屋の隅、その男の子の方から声が重なる。
何が起きているのか全く分からない。それでも比較的冷静でいられたのは、黒崎家が初めて家の中に現れた夜と、どこか似ていたからだろう。
「あ、増える」
アキラ君が言葉を発したかと思うと、今度はキッチンの方から、声が聞こえた。
「「「痛い」」」
今度は三重に聞こえた。
「「「痛い、痛い痛い痛い」」」
だんだんと大きくなる声。
「助けて」
「やめて」
「いやだ」
気がつくと、いくつもの声が重なる。部屋の至る所から声が聞こえる。
ふと隣のアキラ君の方を見ると、膝を抱えて小さくうずくまっていた。
「だ、大丈夫?」
恐る恐る声をかけると、差し伸べた俺の手をぎゅっと握り、俺の目を見て、言った。
「もう間に合わないよ。絶対開けないで」
アキラ君が言い終わると同時に、頭の中が急に真っ白になる。
あ、やばい――。
閉じた瞼の向こうから、一筋の光が差し込んでくる。
ゆっくりと目を開けると、部屋の中は悲しげな静寂に包まれていた。カーテンの外からは人工的な街灯の光が差し込んでいる。
もう夜なのだろうか。部屋の中は暗くなっていた。
ふらふらと立ち上がり、部屋の電気をつける。それと同時に、テーブルの上の二つのマグカップが目に入る。
――そうだ、アキラ君。
頭の中に、昼の出来事が一気に流れ込んでくる。
部屋の中を見回してみるも、もうアキラ君の姿はない。スマホを手に取り、画面を点ける。時刻は午後七時を過ぎていた。
「あれ?」
いつも通りのメッセージアプリを開く。ユウコさんに連絡を取ろうと連絡先をスクロールする。
「……ない」
いつもなら上の方に表示されるはずの『ユウコ』という文字が表示されない。
俺が間違って消した?
いや、そんなはずはない。今日の朝もメッセージを送ってる。
一体、何が起きたんだ。
まだはっきりしない頭を働かせる。今日、俺は確実にアキラ君と一緒にいた。そしたら急にあんなことが起きて――。
『もう間に合わないよ』
アキラ君のあの言葉。そして今日の出来事。今までの黒崎家の行動。
俺の頭の中で、何かが繋がった気がした。
恐らく、黒崎家は『普通』ではない。
では、一体何なのか。
俺はソファに座り、スマホの検索サイトを開いた。




