第13話 鍵穴の傷
いつもより人が少ない会社で一通りの業務を済ませ、今日はお昼過ぎには上がっていいことになった。
長かった六連勤が終わりを迎えたこともあり、俺はウキウキで駅の方へと歩いて行った。
このまま家に帰っても良かったのだが、思った以上にお腹が空いていたので、駅の近くの定食屋さんに足を踏み入れた。
土曜日ということで、ワイシャツ姿のサラリーマンだけでなく、家族連れの姿もちらほら見えた。
注文を済ませ、おもむろにスマホを取り出す。
「なんて調べようかな……」
福田さんに朝言われた通り、自分で少し調べてみようと思った。
ただ、なかなか良いワードが見つからない。
福田さんの言い方的に、俺の家の前の住人が、何か事件に巻き込まれたのは間違いなさそうだ。
検索窓に『〇〇町 事件』や『〇〇町 事故』と検索してみると、それっぽい情報はヒットしなかった。
やはり、ネットで調べるには限界があるのだろう。
ちょうど出された生姜焼き定食を頬張りながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
◇
家に着くと、モワッとした蒸し暑さが身体に襲いかかった。すぐに扇風機のスイッチを入れ、風を浴びる。
「今日も会わなかったか……」
黒崎家と毎日会っていたのが嘘のように、木曜日の朝にカフェで見かけたきり、ここ2日は三人のうち誰とも顔を合わせていなかった。
会ったら聞きたいことが山ほどあるのに、なかなかタイミングが合わないのだろうか。
前は不自然な程に顔を合わせていたのに。
まるであの一件以来避けられているようだ。
ただ、こんなに完璧に避けることはできるだろうか。こないだまで毎日のように関わっていたことを考えると、俺の生活リズムと黒崎家の、特にケンジさんとの生活リズムは同じはずだ。
わざわざ俺を避けるために生活リズムを変えている? それも一家で?
どうしても現実的には思えなかった。
まぁ、まだ2日だ。単なる偶然の可能性が高い。
八月半ばの蒸し暑さの中、俺はもう一度、前の住民について調べていた。
しかし、『〇〇町 戸建て 死亡』『〇〇町 男 死亡』など、色々と条件を足してみたものの、有益な情報は得られなかった。
「ネットが無理なら……」
俺は財布の中から、一枚の名刺を取り出した。名前の下に書かれている電話番号を打ち込む。
『はい、もしもし。△△不動産、営業担当の長谷川です』
「あ、もしもし、そちらの〇〇町の戸建て賃貸をご契約させていただいております、清水と申します」
自分で調べても埒があかないと思った俺は、ここを契約する時に担当してくれた長谷川さんに電話をかけた。
少なくとも、俺よりは情報を持っているはずだ。
『あぁ、清水さんですね。お久しぶりです。今日はどうなさいましたか?』
「突然のお電話申し訳ありません。実はこの家のことで少しお聞きしたいことが……」
『はい、何でしょう?』
「長谷川さん、ここに前住んでた方って亡くなられたっておっしゃってましたよね?」
『はい、そうですね』
「今更なんですど、その人について詳しい情報って頂けたりしますか?」
『あぁ……ちょっと待ってくださいね』
何か教えてくれるみたいだ。思ったよりも早く、長谷川さんが戻ってきた。
『お待たせしました。えっと……特に何が知りたいとかはあります?』
「そうですね? 前の方は一人暮らしでしたよね。死因は何だったんですか?」
『そうですね。実は、前の方は……殺人事件で』
「殺人ですか」
『はい。ただ……』
「ただ……?」
『これは内密にしておいてほしいんですけど……どうやら、まだ犯人は捕まっていないみたいで』
「え、じゃあ未解決ってことですか?」
『そうなりますね。ただ、特殊清掃とか、その後の処理は、前にこの家を所有してた不動産屋がやったみたいで。ウチに回ってきたのもその後なんで、あまり深いことは知らないんですよ』
「そうですか……」
『はい、だからどんな感じで亡くなったのか、まぁ死因とかは分からないんです』
「あとは何か情報はありませんか?」
『うーん、あと話せることとしては、事件があったのは3年前の夏。当時はちょっとだけ話題にもなったみたいですけど、あまりにも捜査が進展しなさすぎて、警察も早めに手を引いてしまって。今ではあんまり覚えてる人はいないんじゃないですか?』
「だと思います。私も今初めて知ったので」
『ですよね。覚えてるとしたら、それこそ、近くにお住まいの方々くらいじゃないですかね』
「……はい、わかりました。今日はすみません、突然ご連絡して」
『いえいえ、また気になることあったら連絡してください。……ちなみに、なんか出ました?』
「出た、と言いますと?」
『その……幽霊とか。だから連絡をくださったのかなと思って』
「あー、すみません。ただ気になっただけで」
『あ、やっぱりそうでしたか。清水さん、契約の時も瑕疵のこと全く気にしておられなかったので、そうだと思いました』
「興味がないわけではないんですけどね〜」
『それじゃ、また』
「はい、ありがとうございました」
お礼を言って電話を切る。何か大きな情報が得られたわけではなかったが、何もないよりはマシだ。
長谷川さんも言っていたが、誰かに聞いてみるのが一番か。
てなると、やっぱり、福田さんかな……
「ていうか、この家で事件があったんだよな」
日々暮らしていて意識することはなかった。でも、この家では確実に人が死んでいる。ただ、それを意識できないほど、現実が忙しすぎただけだ。
そうだ。事故物件なんて全国にいくらでもある。
第一、この家自体に変なところは――
「……あれ?」
ふと、俺の頭の中に一つの違和感が浮かんだ。
あの収納は何だったんだろう。
先週見つけた、謎に広い収納と、その奥にある扉。そのドアノブは動かそうとしても全く動かなかった。
俺はまた階段下の収納へと足を運び、中を覗いた。
前と変わらない、だだっ広いスペース。その奥に進み、スマホのライトをつける。
白い光に照らされて、一つのドアノブと、その上の小さな鍵穴だけが異様に目立った。
「うん?」
前と何も変わらないと、リビングに戻ろうとした時、鍵穴に違和感を覚えた。
「これは……傷?」
鍵穴の周りに小さい傷がたくさん入っていた。雑に鍵を差し込もうとしたか、もしくはピッキングでもしたのかと思うほど、無数の傷が浮かんでいる。
誰かが開けようとしたということか?
でも誰が……?
点検用の扉かと思っていたが、そうだったら、こんなに傷がつくことはないだろう。
前の住民が使っていたのかもしれない。それなら説明がつく。
俺は試しにドアノブを押してみた。
ぐっ、ぐっ、と力を込めるも、びくともしない。
やはり鍵がないとダメなようだ。
今度長谷川さんに聞いてみるか。
蒸し暑い収納の中から出て、扇風機がつけっぱなしのリビングへと戻っていった。
……ガチャ。




