第10話 どこに逃げても
昨日は一体何だったんだろう。
結局、なかなか眠りにつくことができず、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。
あの後、できるだけいつも通りに過ごそうと、すぐにご飯を食べて布団に入ったものの、どうしてもあの事が気になってしまった。
昨日の夜、なぜかうちのリビングに立っていた黒崎家の三人。
どうやって中に入ったんだ?
何のために?
そして、どこに消えたのか?
一瞬でうちから出たとしても、あそこまで早く姿を消すことはできない。それじゃ、本当に消えたっていうのか?
そんなことが現実でできるのか?
考えれば考えるほど、納得のいく結論には辿りつかなかった。
朝から悶々としていたが、それでも会社には行かなきゃいけない。
玄関にしっかりと鍵を閉める。昨日までは、朝に黒崎家の人と会うことが多かった。昨日のことについて聞きたいこともあったが、さすがに恐怖が勝った。
いつもよりも1時間ほど早く家を出た。これならケンジさんをはじめとする黒崎家の人間と会うことはないだろう。
「いない……よな」
早く出た甲斐あってか、駅まで誰にも会わずに来ることが出来た。
昨日よりも更に空いている電車に乗り込み、会社を目指す。
「今日も行くか……」
会社に行くにはさすがに早すぎるので、昨日朝食を食べたカフェに向かう。
「お、ちょうどじゃん」
腕時計を見ると、7時を少し過ぎたところだった。7時オープンなので、もしかしたら一番乗りかもしれない。
「いらっしゃいませ〜」
「モーニングのBで」
昨日と同じものを頼んで、カウンター席に座る。
「Bセットですね。お客さん、今日の一番乗りですね」
「あ、そうですか。実は昨日も来させて頂いてて、おいしかったので今日も来ちゃいました」
「えっ、嬉しいです! 連続で来てくださるなんて!」
「これからもリピートさせてもらいます」
「ぜひぜひ、ありがとうございます。それじゃ、ごゆっくり〜」
店員さんからも温かい歓迎を受け、ゆるやかに朝がスタートした。さっきまでの悶々とした気持ちも少しは晴れただろうか。
昨日と同じサンドイッチとコーヒーを食べていると、続々とお客さんがやってくる。やはり人気店のようだ。
「ごちそうさまでした〜」
「はーい。お会計ですね」
「今日も美味しかったです」
「ありがとうございます。あ、ちょうどお預かりしますね」
店内を見回すと、すっかりお客さんでいっぱいだった。奥の方のテーブルでは家族連れもいるようだ。顔はよく見えないが、小さい子もいる。
「家族で来られる方もいるんですね」
「そうですね。お昼頃が多いですかね。朝はあんまり……」
「でも、今日は――」
もう一度家族の方を見る。
と同時に家族が皆顔を上げてこちらを見た。
――っ!
父親、母親、そして子供までもが一斉にこちらを見つめた。そして、その顔には見慣れたあの貼り付けたような笑顔が浮かべられていた。
……黒崎家?
その瞬間、三人の口角が更に上がる。
「な、何で、何で三人が……」
「お、お客様、どうなさいました?」
思わず口から出た言葉に店員さんが不思議そうな表情を浮かべる。
「い、いえ、何でもないです」
店員さんにわざわざ説明するほどの余裕はなかった。何より、あの三人と同じ空間にいるということの恐怖感の方が勝った。
「じゃ、ごちそうさまでした」
「は、はい。ありがとうございました」
俺は足早にカフェを立ち去る。いつもの重くゆったりとした足取りとは全く違う、逃げるような速さで会社へ向かった。
◇
「あれ、先輩早いっすね」
「あ、宇野。お前も早いじゃん」
「先輩がこんなに早く会社に来てるのに、俺が遅く来てたら補佐失格じゃないですか」
「お前……いい後輩だな」
「あざっす」
あからさまに嬉しそうな顔をしてパソコンを起動する宇野。前の支店での佐々木もそうだったが、後輩運はあるみたいだ。
宇野も最初のイメージは決して良くなかったが、この一週間で想像以上に打ち解けられた気がする。
仕事については、宇野から教えてもらうことの方が多い気がする。支店長なんかよりずっと頼りになる同僚だ。
ふと、一つの考えがよぎった。
「なあ、そんなかわいい後輩に一つ頼みがあるんだけど」
「なんですか?」
「……今日さ、お前の家、泊めさせてくんね?」
急な相談だとは分かっている。でも、昨日の夜とさっきのカフェのことで、家に帰る勇気がなかった。
「ど、どうしたんですか急に」
「頼む、お前しかいないんだ……!」
「あのー、すみません。今日は無理です」
申し訳なさそうに宇野が手を合わせる。まぁ、ちょっと急すぎたよな。
「今日は彼女来るんで」
「へ、彼女?」
「はい」
「お前、彼女いんの?」
「いますけど……」
ケロッとした顔をして答える宇野に、どこか現実を突きつけられた気がした。だだっ広い家に一人で住んでいることで孤独感が助長されていて、その中で同類だと思っていた宇野がリア充だったという事実を受け入れがたかった。
でも、そりゃそうかもしれない。
宇野は俺よりも若い、顔もいい、彼女がいて当然かもしれない。
「……なんか、ごめんな。転がり込もうとして」
「いえいえ、こちらこそすみません」
宇野の優しさに触れながらも、今日もあの家に帰らなければならない事実に、少し気分が重くなった。




