第63話 男装メイドと溺愛侯爵
心臓の音がネンネに聞こえていないかわたしが心配する中、男装ネンネのダンスレッスンが続いています。ネンネはもう完全に燕尾服の若い執事役に入り込んでいて、自分のことを僕って呼んでいるし、時折低音ボイスで囁いて来るので、これまでソルファ様やアクア様みたいなお相手と過ごして来たわたしでも耳が熱さで蕩けて焼けてしまいそうになる。
そんな中、ネンネの1、2、3のかけ声とステップに併せてステップを踏んでいくわたし。生演奏してくれる人は此処には居ない。だから、わたし達の頭の中で優雅なワルツが流れていた。全身鏡に映っている姿は若い執事と金髪の令嬢。中身がネンネとアリーシェにはとても見えない。そして、気づく。そっか。社交界ではわたしも姉ローズを演じなければならないんだ。もしかして、ネンネも役を演じるというわたしと同じ立場になって、この舞台を提供してくれているの? 一瞬、双眸を閉じ、脳内で流れる音楽に導かれるがまま、再び双眸を開く。
そこは、社交界の舞台。眼前には銀髪の王子姿になったネンネ王子と、姉ローズ姿のわたし。
「僕と踊ってくれますか?」と、ネンネ王子。
「ええ、喜んで。ローズ・ゴルドー、あなたのお相手をさせていただきますわ」と応えるわたくしローズ。
そう、此処からのわたくしは社交界の華、ローズですの。優雅にひらりと舞うドレスも、ヒールもわたくしの一部ですわ。弦楽器とピアノの生演奏の中、他国のご令嬢や王子、貴族の人達も踊っていますの。あら、推し牛のエリザベスもプリンセスドレスに身を包み、タキシードを着た牡牛を見つけて踊っていますわね。でも、ごめん遊ばせ。本日の舞台の主役はネンネ王子とわたくしローズですのよ。
ネンネ王子のその眼差しも、この社交界の舞台も、全て、わたくしのために用意されたものですのね、オーホッホッホ!
――
――――嬢様
――――アリーシェお嬢様
「え?」
「今日はこの辺にしておきましょう」
わたしもネンネも額に滲んだ汗の雫が頬へ流れ落ちていた。どうやらいつの間にか夢中で姉のローズとして社交界の舞台を想像して踊っていたみたい。最初は脚がもつれて転びそうになったり、ドレスの裾を引っ掛けそうになったり、ネンネの脚を踏みそうになったりで、もうどうなる事かと思ったけれど、世界に入り込んだ後はいつの間にか導かれるようにして踊っていた。
「この調子なら、なんとか社交界までには間に合いそうですね」
「あ、口調がいつものネンネだ」
「お嬢様も。さっきローズ様が憑依していましたよ」
「え? 嘘?」
どうやらレッスン中の後半は、口調も仕草も完璧にローズ姉だったみたい。全然覚えてないけど……これ、本番大丈夫よね? と思ったけれど、初日にしては充分……とのことでした。ただ、今日試しに着たドレスが汗がついている可能性があるので、後でネンネがこっそりお洗濯しておくそう。そして、暫くはレッスン中に本物のドレスは避けた方が良さそうという結論になった。
この日、幾つかの衣装を選び、中央へ戻る支度を進めたわたし達。この日の夕食会場には珍しく、ソルファ様のお父様であるニコラス・グランディア侯爵も同席しており、これからの話が当然話題にあがった。社交界には当然侯爵とソルファ様も出席する。ここからは初耳だったんだけど、暫くディアスを留守にするけれど、ディアス大農園を留守には出来ないため、ロジータ夫人達は今回遠征しないんだそう。そして、スミスさんがなんとディアス領へ残り、こちらで発生する公務を対応する他、王宮騎士団ディアス支部の方々と共に、緊急事態に備えるんだそう。
「スミスさんって本当凄い方ですよね」
「現場はスミスに任せておけば安心だからな。そうそう、スミスの代わりに侍女頭のミネアが中央には同席する。何かあったら気軽に申し付けてくれ」
ミネアさんはわたしの担当をしてくれている侍女頭さんで、わたしとネンネがお出掛けの支度をする際や、露天風呂へ入る時もいつも外で待機してくれていたり、何かとお世話になっているメイドさんだ。
「ローズ様、ネンネ様。中央でも引き続き、よろしくお願い申し上げます」
「ええ、いつもお世話をしてくれてありがとう。ミネアさん、こちらこそよろしくね」
「ミネア様、よろしくお願いします」
侯爵へ呼ばれ、キッチンの入口前に待機していたミネアさんがやって来て、恭しく一礼する。最初からわたし達を傍で見てくれていたミネアさんが一緒に来てくれるなら、こちらとしても安心だ。そして話題は社交界の衣装選びの話となり……。
「そうだ、ローズ嬢。早速社交界用の衣装を幾つか選んでくれているらしいじゃないか! ソルファとスミスから聞いたぞ?」
「はい。お義父様が沢山ドレスを用意していただいたお陰で、もう選ぶだけでお腹いっぱいですわ」
「そうかそうか! いやぁ、選べないのなら全て運べるよう馬車を数台用意させるし、もし、気に入らないなら中央の邸宅にも幾つかドレスの準備がある。何ならアクア・サウスオリーブ公爵へ現地で作らせる事も……」
「いえいえいえ! そこまでしていただかなくても充分感謝していますわ。お義父様」
危ない危ない。もう社交界始まる前から衣装の山に埋もれてしまう事態に陥りそうだったので、断る代わりにわたしが双眸に潤いを溜め、お父様を真っ直ぐ見つめて感謝の意を伝えると、手元にあったグラスに入った赤ワインを一気に飲み干した侯爵は、スミスへ追加の赤ワインを持って来るよう伝えていた。
「ローズ……だんだん父の扱いがうまくなって来たな」
「え? ソルファ様、何のことでしょう?」
「え? ソルファよ、何の話をしておるのだ?」
ソルファ様のツッコミにわたしとお義父様が反応したタイミングが全く一緒だったので、『流石ローズ嬢、私と息ぴったりではないか!?』とよく分からない褒め方をしてくれるお義父様。このあとお義父様の合図で、お祝いでもないのにディアス牛のローストビーフが出て来て、驚いたものの、わたしのお腹が見事に反応して全力で牛さんを求めて来たので、牛さんはありがたく美味しくいただく事にしたわたしなのでした。
◆
その後、ニコラス卿を交えた団欒を終え、侯爵家の広い露天風呂へ移動したネンネとわたしは、ダンスレッスンでいっぱいかいた汗を流します。沢山動いた後のお風呂はやっぱり心が洗われる。湯舟に浸かりながら、お月様を眺めるこの静かな時間が好き。伯爵家では体験する事の出来なかった静寂と優雅な時間。
「今日は色々ありがとう、ネンネ。これで安心して中央へ帰れるわ」
「こちらこそありがとうございます。お嬢様。でも、ダンスレッスンは暫く続きますよ?」
「心得ております」
ダンスレッスン、社交界にその後控えるリファ第一王女誕生祭。替え玉の問題。ソルファ様との婚約の件……乗り越えなければならない事はまだまだいっぱいあるけれど、きっとだいじょうぶ。今はそう信じるしかない。
「そういえば、ネンネ。男装執事姿のとき、僕のアリーシェって言ってなかったっけ?」
「え? 何のことですか?」
おやおや~。あの時完全に世界へ入り込んでいましたものね、ネンネさん。そっぽを向いたネンネの方へわたしの顔を近づけてみる。
「僕のアリーシェって……言ってなかったっけ?」
「ああ~~言ってたかもですネ~~ゴボゴボゴボ」
「ちょ、ちょっと! 湯舟の中に沈まないでぇ~ネンネ~~」
まぁ、この日は惚けたネンネさんなのですが、翌日以降も男装した姿で現れた際は、甘い言葉で『僕のアリーシェ』と囁いて来る男装ネンネさんなのでした。




