第62話 その伯爵令嬢、ダンス初心者につき
「ローズ、今日はなんだか顔色が悪いようだが、具合でも悪いのか?」
「えっ、ソルファ様、何でもありませんわ! ほら、わたしはげ・ん・き! ですわよ」
いつもの朝食会場にて。ソルファ様へ心配され、我に返ったわたしは、朝食に出された牛乳を一気に飲み干し、元気をアピールする。
そう、先程ネンネからダンスレッスンという社交界へ向けての大きな壁がわたしの前に立ちはだかったばかり。いつもなら牛さんやディアス小麦ちゃん、苺の妖精さんと色んな子達がわたしを迎えに来て、楽しそうにしているわたしが、それどころじゃない表情で上の空だったんだろう。ソルファ様も心配して当然よね。ローズ姉の高笑いをここぞとばかりに披露し、平静を装ったものの、余計にソルファ様は心配したみたいで……。
「そうか。無理もあるまい。君の家族が待つモーリア領へ戻るんだ。これまでの出来事から察するに心配なんだろう?」
「え!? あ、そう……ですわね。でも、モーリア領へ戻ると言ってもグランディア侯爵家の邸宅へ住まわせていただく訳ですし、そこまで心配はしていませんわ」
「それならいいんだ。だが、もし心配事があるならいつでも相談してくれ」
「ええ、ありがとうございます」
そっか。ソルファ様にはあの継母キャサリーナや実父、バルサーミ兄とわたしの関係を心配してくれているんだろう。バルサーミ兄も既にディアスの遠征を終え、中央に戻っている。ゴルドー伯爵家全員が中央へ……と思ったけど、あの時、サウスオリーブ領で開かれたパール婦人のお茶会へ突如侍女として変装し、姿を現した姉ローズは、東の果て修道院へちゃんと帰っているんだろうか? という別の疑問が浮かんだ。サウスオリーブ領からディアスへと帰還した後、継母やローズ姉 (本物)からこちらへ手紙などはなかったのだ。
社交界の時点で何か嫌な予感しかしないところではあるんだけど、そもそもわたしはローズ姉の替え玉を演じるためにダンスの練習という目の前の課題をクリアしなければならないのだ。
「ネンネ殿。先日の打ち合わせ通り、中央へ持って行くドレス選びはお任せ致しますぞ」
「ありがとうございます。そのためにも試着をしながら選びたいので、数日は支度部屋と衣装部屋、それから隣のお部屋もお借りしますね」
「ええ、勿論ですぞ」
こう話していたのはスミスとネンネだ。そう、今回暫くディアスを離れるため、社交界シーズンを乗り切りため、気に入った衣装や装飾品などを何着か選ぶ必要があるようで、ネンネはそこをうまく利用し、衣装をじっくり選びたいというわたしの意向という名目で、実際に試着、そして、ついでに隣の小部屋を借りてダンスレッスンまでやってしまおうという魂胆なのだ。支度部屋と繋がっている小部屋は待機部屋のようなもので併設しており、内側からも鍵がかけられるため、ダンスレッスンしている様子も見つからないという算段。
ちなみに中央へ移動した後も、社交界本番までは暫くあるため、ネンネはダンスレッスンをするプランを考えているらしい。
ネンネ、恐ろしい子。
「今日は暫く空ける騎士団のディアス支部へ挨拶して来る。留守の間はスミス、頼んだ」
「畏まりました坊ちゃん。行ってらっしゃいませ」
こうして、ダンスレッスンの時間を確保したわたしとネンネは、衣装を入れるための大きなトランクを支度部屋へ持ち込み、実際に持って行く衣装を選びつつ、ダンスの練習をする事に。お茶会用の派手でないシンプルなドレスへ身を包み、ローズ姉が好きな赤いヒールの靴を履く。まずは雰囲気からという事で、ネンネが軽く瞳と頬、口元へ色を添えてくれた。それだけでも本物のお姫様のように見えてしまうから凄い。
「ローズお嬢様は奥の部屋へ。少し準備がありますので、待機していてください」
お部屋の外で誰かが待機している事を想定し、支度部屋ではアリーシェではなくローズと呼ぶネンネ。って、準備とは何の準備なんだろう?
奥の待機部屋にあったソファーへ座って待つわたし。暫くして部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼します。お嬢様」
「え?」
思わずわたしはソファーから勢いよく立ち上がり、その場で固まってしまった。そこには見慣れたメイド服とヘッドドレスに身を包んだ女性は居なかった。いつもの見慣れたショートヘアーを馬油で固め、トレードマークの眼鏡をしていない。キリっとした双眸に細い眉。服は燕尾服にズボンと蝶ネクタイ。どこからどう見ても若い男性の執事か麗人へ見える人物がそこに立っていた。
「お嬢様、驚きましたか?」
「本当にネンネ……なの?」
男装と言えば、この間お茶会へ出席していたゼファーもそうだった。でも、ゼファーは女性の面影を残した綺麗な男装の女性といった印象だった。ネンネの男装は……どこかの伯爵令息と言われても分からないくらい……かっこよかった。
わたしの言葉へ応える事はなく、ネンネが真っ直ぐわたしへ向かって歩を進める。
「お嬢様。僕と踊っていただけますか?」
「は、はい。わたしでよければ」
手を取り、まずは軽くステップを踏む。脳内で社交界のワルツがゆっくりと流れ始める。世界へ入り込みたいけれど、足許がおぼつかないわたし。ドレスとヒールでのステップがこんなに難しいだなんて。ダメだ、足がもつれ……。
足がもつれて横に倒れそうになるわたしの背中へネンネが素早く手を添え、グッと胸元へと引き寄せた。恐らく布か何かで押さえているんだろう。むしろ少しある膨らみが鍛えた男の人の胸筋のように錯覚してしまうくらい。そのまま視界にネンネの顔が入り、思わず頬を赤らめてしまうわたし。するとネンネがわたしの身体をそのまま起こし、いつもよりも低音ボイスの小声で耳元へ囁いて来た。
「もっと肩の力を抜いて、僕に身を委ねて。僕のアリーシェ」
「……っ!?」
ネ……ネンネさぁ~~ん! このダンスレッスン、わたしの身が持ちませんわ~~~!
ネンネ、まさかの男装スタイル! 果たしてこんな状態でアリーシェはダンスのステップを身に着ける事が出来るのか!?
続きもお楽しみにです。




