第61話 新たな試練の幕開け
温かい――わたしの小さな掌を包み込むように握ってくれたその手は細く長いミルク色の指でした。
手を握って連れられた先はどこかの礼拝堂みたいで、やがて、わたしを連れて来た人は祈りを捧げていました。
顔は見えないし、覚えていない。でも温かい。
祈りを終えると、わたしの背中を包み込むように腕を回して、ギュっと力を籠めます。そして、彼女はわたしの耳元でこう囁いたのです。
「あなたに過酷な運命を背負わせてしまってごめんね。でもいつか、きっとあなたも素敵な人に巡り合えるはず。だから、たとえどんなにつらくても、まっすぐ、強く生きてね、アリーシェ」
「???」
この時のわたしは何故か首を傾げていたんだと思います。いつも優しくしてくれる人が、どうしてそんな事を言うのか、分からなかったんだと思います。
「この子をあの人の下へ。頼みます」
「心得ました」
横に控えていた外套に身を包んだ人物へ、わたしを引き渡そうとするその人物。でも、わたしはその人の傍を離れたくなかったんでしょう。彼女の胸元に飛び込みます。
「いや……――さま」
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」
外套に包まれた人物が、無理矢理抱き抱えるようにしてわたしを抱え、同時、礼拝堂奥の扉が開いて、わたしは連れ出されようとします。同時に反対側、入口側の扉も開き、剣と鎧で武装した人達が教会へと侵入して来て――
「――――だな。お前の身柄を拘束する」
一瞬だけ、振り返ったその人物の髪にステンドグラスから差し込む光が反射し、銀河のように煌めきを放ちます。彼女が懐より取り出した何かを床へ転がした瞬間、礼拝堂が刹那、白煙に包まれて――
◆
「あれ? ここは?」
見上げた先は、天蓋付ベッドの幕。ふかふかのお布団。この温もりは……うん、間違いなくグランディア侯爵家のベッドだ。
「アリーシェ様、おはようございます」
お部屋のカーテンを開いてネンネがわたしの目覚めを待ってくれていたみたい。寝ている間に誰かが侵入して来る事はないものの、ネンネはいつも、こうやってわたしの変装がバレないようにと先に起きて、わたしを起こしに来てくれる。
「あ、おはよう、ネンネ」
伸びをする。朝の新鮮な空気が美味しい。そっか。窓を開けて空気を入れ替えてくれていたのね。中庭の薔薇の香りに交え、最近花を咲かせた甘く優しいカンパニュラの香りが、ディアスの初夏の始まりをお部屋まで届けてくれたみたい。
「さっきうなされていたみたいですが、怖い夢でも見ましたか?」
「え?」
そうネンネに尋ねられて気づく。首元と掌が何故か汗で滲んでいる事に。あれ、途中まで穏やかで優しい夢だった気がするんだけど、どんな夢を見ていたんだっけ? 憶えていない筈の実母の記憶? まさかね?
「うーん……夢の内容……忘れちゃった」
「なら、いいのですが。さぁ、今日はモーリア領へ戻る準備をする日です。朝の支度をしましょう」
「あ、そっか。久し振りにモーリアへ戻るのね」
初夏から秋にかけて、各領に居る貴族達は城下町と王室のあるルモーリア王国中央へ位置するモーリア領、つまりは私の家であるゴルドー伯爵家のある中央へと移動し、各貴族が所有するモーリアの邸宅へと滞在する事となる。グランディア侯爵家も例外はなく、中央へと移動した後、各家が開催する社交界へ出る準備をし、毎年秋にあるリファ第一王女様の誕生日をお祝いする誕生祭を最後に再びディアスへと帰還、そのまま冬支度へと入る事となる。
伯爵家を出てから考えると既に二ヶ月と半分が経過している。社交界が始まる頃にはもう半分だ。そう、今のわたしの立場はあくまで仮の婚約者としての立場。わたしの場合、リファ王女誕生祭とちょうど婚約の儀の時期が重なる訳で、そこでソルファ様へ本当の婚約者として認められるかどうか? そこがわたしにとっての本番なのだ。それまでローズお姉さまの〝替え玉〟として潜入している事をバレてはいけない。そう考えると、まだまだ沢山の試練が待っている。
「アリーシェお嬢様、不安ですか?」
「不安じゃない……と言えば嘘になるかもだけれど、今までも乗り切って来たし、やるしかないなって思っているわ」
「そうですか。ネンネもこれまで以上に全面的に協力しますね」
「頼りにしてます」
朝のお着換えをし、髪 (ローズ姉のかつら) を梳いてもらいながらネンネと会話するわたし。モーリア領にはゴルドー伯爵家の実父や継母キャサリーナ、バルサーミ兄も居るけれど、あくまで実家に帰る訳ではなく、わたしはグランディア侯爵やソルファ様と一緒に侯爵家の邸宅へ滞在する事になる。それに、数週間前にお世話になったパール婦人やアクア・サウスオリーブ公爵も、社交界へ参加する筈なので、そこまで前ほど不安はない。
「そうそう、お嬢様。今日は一日モーリア領へ戻る準備のため、時間をいただいているんです」
「あ、そうなのね」
「そこで、お嬢様には、あることをやってもらいます」
「ん? 何の話?」
ちょうど髪を梳き終わったタイミングで彼女の方を振り返ったわたし。おやおや、ネンネが眼鏡の淵をクイっとあげたという事は、これは何か企んでいる証拠だぞ?
「さて、ここで問題です。社交界と言えばなんでしょう?」
「社交界と言えば……美味しいお料理!?」
わたしの脳裏には白いレースのクロスが敷かれたテーブルに、美味しく焼かれた牛さんのお肉が並んでいる様子が浮かぶ。ドレスを着て椅子に座ったわたしの双眸が煌めいたところで、ネンネが横から蝋燭を吹き消すかのようにふっと息を吹き、わたしの妄想を吹き消してくれた。
「美味しい料理も出ますが、それではありません」
「んん……えっと貴族の人達が美しいドレスとタキシードを着て……素敵な音楽が流れて、そこで踊ったり……」
「そう、それです!」
そう、それって? ん? 踊ったりって事はダンスの話をしている? わたし、もしかして、何か重大な事を忘れている? 首を傾げるわたしの様子に気づいたのか、ネンネがいつものように耳元で囁いてくれた。
「アリーシェお嬢様……今までダンスを踊った事がありますか?」
「え? ダンス……そりゃあ、あるわけ……」
だって、今まで社交界へ連れ出される事もなく、お家と子爵家の手伝いくらいしか、外へ出る事も許されなかったわたしがダンスなんか踊った事ある訳ないじゃない。ねぇ? と、此処まで言われたわたし。お部屋にある全身鏡に映るわたしの顔は……真っ青になっていた。
「ダダダダ……ダンス!?」
「はい、お嬢様。本日のテーマは、ダンスレッスンです」
わたしの社交界へ向けての新たな試練が幕を開けた――
お待たせしました。替え玉妹、いよいよ第3幕スタート。
季節は巡り、いよいよ第3幕<夏の社交界編>開始です。舞台は王家とゴルドー家が待つ中央のモーリア領。一体どんな試練が待っているのか? 果たしてアリーシェは、ソルファ様と素敵なダンスを踊る事が出来るのか? 例のワイルドウルフの動きは? ローズ姉 (本物)は? 新たな展開盛り沢山でお届けの第3幕。変わらず楽しんでいただけると幸いです。
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本作はコミックシーモア、めちゃコミックス、ピッコマ、Amazonなど、各漫画サイトにてコミカライズ配信中です。そして、秋田書店さんの漫画が読めるサイト、ヤンチャンWebにて本作コミカライズ第8話①が6/1(月)より先行公開、第8話②が6/8(月)より公開予定です。(ちょうどドキドキデートから義兄バルサーミ登場回までコミカライズされています)無料で読める話も沢山ありますので是非覗いてみて下さい。https://youngchampion.jp/series/8d7553662f68e
原作、コミカライズ共々、今後ともよろしくお願いします。




