第56話 その伯爵令嬢、英雄の帰還を待つ
「遅いわ……遅いわね……ソルちゃんは、スミスは……無事かしら……」
「母上、焦っても仕方ありません。今は信じて待ちましょう」
盗賊団ワイルドウルフのリンダが公爵家から逃亡した後、残されたわたし達はお屋敷中央の広間へと移動しており、リンダを追ったソルファ様達の帰りを待っていた。ジウさんが密偵を通じ、ソルファ様達騎士団員の部隊が無事、古城オリーヴを根城にしていた盗賊団のアジトを制圧し、本物のロジータさんを助け出した情報も既に入って来ており、同時にリンダという大物が公爵家へ待機していると知ったソルファ様が早馬でリンダを捕えにこちらへ向かっていたという事実も知った。
そして、まだソルファ様は戻って来ていない。
つまりはリンダとソルファ様が交戦している可能性があるという事だ。
広間には今、アクア公爵とパール婦人、わたしとネンネの四名。密偵のジウさんは引き続き、公爵家の警備の人達と部屋の外、そして公爵家敷地内を警戒してくれている。
「お嬢様」
「ええ。わたしは平気よ。それより、ネンネ。足痛む?」
わたしの隣に座っていたネンネがこちらを心配そうに見ていたので微笑み返す。彼女は今、右脚首に包帯を巻いている。リンダの鞭に引き摺られた箇所が赤く内出血をしており、先程まで酷く腫れていたのだ。
「このくらい平気です。むしろ、お嬢様の笑顔で元気百倍です」
鞭に打たれる痛みはよく知っている。あの全身が焼かれるような痛みは身体に染み付いてる。ネンネは盗賊団からわたしを守ろうとして……。思わず彼女の身体へ身を寄せる。そっとネンネが背中へ手を回してくれる。
「ごめんね、ネンネ。わたしのために」
「いいのです。わたしはどんなことがあってもお嬢様の傍におりますから」
双眸から自然と雫が溢れて来る。どうしてこんなことになってしまったんだろう? 盗賊団の任務……簡単なものではないと思っていた。けれど、どこか他人事で、自分に危険が迫って来るだなんて考えもしていなかった。お茶会での毒……そして、わたしを狙ったリンダ……。わたしは今、姉ローズの〝替え玉〟だ。狙われたのはわたしかもしれないし、お姉さまなのかもしれない。でも今、そんな事は重要じゃない。わたしのせいで、目の前の大切な人が傷ついてしまった。そして、今もソルファ様は、そんな危険な相手と戦っているかもしれないんだ。
「大丈夫ですよ、お嬢様。だって、ソルファ様は、お嬢様と約束したではありませんか?」
「え?」
身を寄せた状態でネンネの声がわたしの耳元へ響いた。そして、ソルファ様が盗賊団の任務へ向かう前、ストロベリーパイを食べてくれた時の事を思い出した。あの時、ソルファ様と交わした約束を――
『今から危険な地へと出向く婚約者を送り出すわたくしが、どうしてわたくしを守ると誓って下さった騎士様を怒る必要がありましょう? ソルファ様。任務とはいえ無茶はしないで下さい。無事に帰って来て下さいね』
『そうだな。勿論だ』
そうだった。ソルファ様は約束してくれた。帰って来て下さいというわたしの言葉に、勿論だって。
わたしはソルファ様に帰って来て欲しい。わたしは婚約者として、戦場へ向かう彼を見送ったんだ。
目に浮かぶ雫を拭い、ネンネの身体をそっと離したわたしはゆっくりと椅子から立ち上がる。それまで広間を歩き回っていたパール婦人と窓際で腕を組んでいたアクア公爵がこちらに注目した。
「パール婦人、アクア公爵。ソルファ様は……帰って来ます」
「ローズさん?」
「え? ローズちゃん?」
わたしはパール婦人とアクア公爵の近くへ移動しながらわたしの意見を述べる。
「ソルファ様は西の英雄です。何度も窮地を乗り越えて来た強い人。と同時に、わたしを包み込んでくれるような優しく強い心を持った御方。あの人は、ソルファ様ですもの。婚約者を残して姿を消すような人ではありません」
わたしはわたし自身にも言い聞かせるように考えを告げた。それまで右往左往していたパール婦人の表情も明るくなり、アクア公爵も黙って頷いてくれた。
「そうね、私とした事が。間違っていたわ。紅茶でも飲んで優雅に此処で待つべきだったわね」
「はは。まぁ、気分を落ち着かせるという意味で紅茶は違っていないとは思うけどね」
ソルファ様もスミスさんも、みんなきっと無事に帰って来る。誰もがそう思った……その時だった。
公爵家より少し離れた西の方角から、大きな爆発音が響き渡り、同時に地鳴りのような轟音と地響きで公爵家が揺れ始めたのは!
「ななな、なんですの!?」
「え? 何!?」
「お嬢様!」
「ローズちゃん、捕まって!」
パール婦人とわたしを支えるようにしてアクア公爵とネンネが移動し、わたし達は頭を抱えるようにして床へ伏せた。幸い、揺れは数秒で収まり、ジウさんと警備の者がパール婦人やわたし達の無事を確認しに入って来た。
「パール様、アクア公爵! ご無事で!」
「ええ、私は平気です。それより一体何が……」
この時、いつも落ち着いた表情のパール婦人の顔が青白く見えた。わたしはこちらへ駆け寄ってくれたジウさんへ直接尋ねる。
「ジウさん! 今のは!?」
「此処から西の方角、距離にして約一マイル。爆発音と共に炎と黒煙反応。直ぐに現状確認のため、部下と合流します。ローズ様。皆さまは警備の方と引き続き、此処で待機を」
「ば、爆発!? 嘘……そんな……!」
爆発って……一体何が!? ソルファ様は……みんなは無事なの!? ジウさんが現場へ急行する。思わず立ち上がろうとするわたしの手をネンネが取る。そうよね、今は信じるしか……ないものね。
部屋の外、警備の者が声を荒げている様子が広間の中に居ても分かった。アクア公爵は『公爵家の者へ指示を出して、念のため家の者を避難させて来るよ』と部屋を出て行ってしまった。公爵家には警備人だけでなく、執事さんや侍女、料理人さんや使用人の方など、様々な人が生活しているんだ。こんな時でも冷静に、自分のやるべき事をやろうとするアクア公爵は凄いと思った。そして、アクア公爵と入れ替わるようにして、回廊から聞き覚えのある声が近づいて来た。
「――……ル婦人、パール婦人……此処にいらっしゃったのね! ちょっと、一体何の騒ぎですの!? どういう事か説明してもらいますわよ?」
「ローズお嬢様も此処にいらっしゃるなんて、そんなのありえませんですわ」
「ネンネ殿。公爵家で一体何が起こっているのですか?」
あの爆発音だ。そして、続けての揺れ。公爵家中に響いた事で騒ぎを嗅ぎ付けた継母キャサリーナとアリーに扮した本物のローズ姉。そして、専属執事セバスまでやって来てしまった。もう一人の侍女、キャサリンは怖いのか、何やら継母の背後に隠れている。
「落ち着いたなら……ちゃんと説明します」
「なんですって!? パール婦人!? なんです? いつもの威勢はどうしましたの!? 早くワタクシに説明を」
「警備の者は付けます故。今はお部屋にお戻りになって!」
「なっ!」
青褪めた表情で床へ座ったまま。継母キャサリーナの方を一度も見向きもしないまま。震えるパール婦人が叫んだ。いつもと明らかに違う婦人の様子に、流石の継母も一歩、二歩と後退りし、たじろいだ。
「わ、分かりました。ちゃ、ちゃんと説明していただきますからね! 戻りますわよ、セバス、アリー、キャサリン」
継母キャサリーナが扇子をパタンと閉じ、キャサリーナへ背を向けた……その時だった。別の人物が広間の入口に立っていたのは。
「その必要はない。オレから説明します」
わたしはその声に顔をあげ、ゆっくりと立ち上がった。自然と脚は向いていた。わたしの姿へ気づいたのか、その人物も剣を収めた状態で、わたしの方へとやって来て。
継母、そして、アリー姿のお姉さま達が、茫然としたまま何が起きているのか理解する前に、わたしとソルファ様は自然と引き寄せられるようにして、互いの背中へと腕を回していた。
「お帰りなさいませ、ソルファ様」
「嗚呼、ただいま、ローズ」




