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二十六 王女①

 第一王女イサベルはエルグランド王国の国王夫妻にとって待望の娘であった。息子に恵まれたならば娘にも、との願いの末に生まれた王女だった。

 待望の娘であることもあり、イサベルは両親から甘やかされて育った。砂糖よりも甘く、極上の柔らかさを持った真綿で包み込む中で育てられた。

 イサベルもまた優秀な兄と同じく、聡明な父の頭脳と端麗な母の美貌を持っていた。成長すれば母と同じく誰もを魅了するだろう容姿もさながら、知識もするりと呑み込み、国王夫妻の子息子女はどちらも自慢の子供達であった。

 しかしそれだけでなかった。イサベルは生まれながらにして傲慢な人間だった。望めば何でも手に入る地位と状況が、彼女の我が儘とも言えないエゴを増長させた。


「この世界のものは全てわたくしのものなの。だってわたくしは王女だから。神様に選ばれたのだから!」


 イサベルの選民思想は生粋のものであった。

 他人を見下さねば気が済まない。イサベルの性質はどうしようもないほど腐っていた。王族として相応しい考えを持っているとは言えまい。

 イサベルの選民思想を諭そうとすれば、彼女は聖書に書いてあるのだからと口答えするだろう。イサベルは愚かではあったが、頭が回らない子供ではなかった。そのことが余計に事をややこしくしていた。



 あくる日、イサベルは馬車の中で不貞腐れていた。

「(わたくしが市井に下りるなど……お父様は何を考えているの)」

 国王は王女にある命令を下した。これも人生の経験のうちだと、国王である父はイサベルにある一定の期間ある村で過ごすことを命じたのだ。

 あと数日で命じていたドレスが仕上がるはずだったのに。道端の石で馬車が大きく揺れたことが、さらにイサベルを苛立たせた。


 王都から日数をかけ、村に着いたイサベルは愕然とした。

「な、なんなのよ、この村は……」

 村の中では平然と人ならざる者、魔族が出歩いていた。村人達はそれを当然と言うまでもなく受け流して生活している。

 ベラの目には信じられなかった。確かに父は先祖である建国王の意志を受け継ぎ、人族と魔族の隔たりをなくそうとしている。聖書の内容を信じているイサベルは幾度も父を馬鹿にしたものだ。

 魔族は悪で、人はそれを打ち倒す正義だ。絵本のように聖書と付き合ってきたイサベルにはそれが当然の概念として染みついていた。


 従者を何人も引き連れるイサベルを見て、どこの高貴な方だろうと不躾に探る視線がイサベルには鬱陶しくて堪らなかった。

「姫様。滞在の期間は村の代表者の元に身を寄せるご予定でございます。私はご挨拶へ伺って参ります」

「……早く」

「は?」

「なら早くしなさいって言ってるのよっ、このグズ!」

「はっ、はい! 申し訳ありません!」

 イサベルの怒声に怯えた従者の一人は慌てて駆けて行った。


 イサベルが訪問した村は、どこに目を向けても必ず魔族が目に入った。エルグランド王国で最も魔族が住んでいる地域らしい。というのもこの辺りは森林が近くなこともあり空気が澄んでいて、魔族が好む魔力濃度が程好いからのようだ。

 村長の家に滞在しているイサベルは、王城にあるものよりもずっと心地悪いイスに腰掛けて、人差し指で机をノックし続けていた。それが不満の表れであることは言うまでもあるまい。

 とにかくイサベルは苛々していた。何の理由があって心から嫌う魔族などと同じ空気を吸わなければならないのか。別にこんな田舎を観光しようなぞ微塵も思ってやいないが、引きこもらなければならない状況を生み出した原因を片っ端から投獄してやりたかった。


 入室の許可を求めるノック音があった。イサベルは鬱憤を隠さない声で入りなさいと告げた。

「姫様。村の者から献上品が届いております」

 侍女がイサベルに差し出したのは木で編まれたかごだった。かごの中には村人が焼いたのだろう木の実のジャムが添えられたクッキーがあった。

 庶民というものは相手が誰であれ、その相手が高貴な者であれば何かを貢がなければならない。身分社会とはそういうものだからだ。


 このクッキーはイサベルの年齢も考慮されて用意されたものなのだろう。イサベルは何の感慨もなくかごの中のクッキーを見つめた。

「それは誰からのものなのかしら?」

「村のパン屋が焼いたものでございます」

 侍女は聞かれることを予想していたのだろう、淀みなく答えた。


「では誰が持って来たのかしら?」

「は? えと……それは……」

 持参した者を聞かれることまでは予想していなかったのか、侍女が言葉を詰まらせた。「答えられないのかしら?」イサベルの厳しい問いに侍女は肩を揺らせた。その反応でイサベルは何がこの貢物を持って来たのかを理解した。イサベルは頭の回転が速いからだ。

「何度言ったら理解するのよ! 魔族ごときが触れた物をわたくしの前に出すなと言っているでしょう!」

 理不尽なことを怒鳴ったイサベルは机の上にあった冷えた紅茶を侍女の頭にぶちまけた。

 あれほど魔族の存在を感じさせるなと命令したのに。要領が悪い侍女にイサベルは腹立つどころではなかった。


「クビよクビ! わたくしの前に二度と顔を出すんじゃないわ!」

「ひ、姫様っ。それだけはどうか!」

「うるさい!」

 イサベルが投げたカップが割れる音に侍女は怯えて体を震わせた。

 王女の側仕えを紹介状もなしに問答無用で解雇されれば、次の職を得られるかどうかわからない。だからといって王女が癇癪を起してしまえば、もうどうしようもない。

 どうしようもなくて侍女は涙を振りまきながら部屋を飛び出した。


 侍女が乱暴に開けた扉は、中途半端に開かれた状態のまま放置された。イサベルはどうしようもないわね、と言いたげにおざなりにそちらを向いた。と、その先には一人の少年がいた。彼の歳はイサベルと変わらないだろう。恐らくあれが貢物を持って来たという輩だ。

 忌々しい魔族にイサベルは攻撃的な目を向けた。彼は呆れた眼差しでイサベルのことを見ていた。静かな時間が過ぎていった。


「馬鹿じゃねぇの?」


 直後イサベルはバケツの水をかけられたのではと錯覚した。

「あんた王族だろ? あんなことして恥ずかしくないのかよ」

「ぶ、無礼者! 魔族風情がこのわたくしに!」

「魔族だからなんだよ。意味わかんねえ」

 イサベルは怒りで頭に血が上った。

 イサベルが憤慨していることをわかっていて、少年はずかずかと部屋に入り込んできた。見知らぬ者が近寄ってきたことでたじろいだイサベルは、イスに手をかけ立ち上がろうとした。彼女を逃がさまいと少年はイサベルに詰め寄った。

 少年の瞳は侮辱の色を灯していた。平生ならイサベルは不敬だと罵っていたことだろう。


「オレ、あんたにイライラしてんだよね」

「け、汚らわしい種族がわたくしに近寄るな!」

「王族ってそんなに偉いもんなの? ずいぶん勝手だよね。王女サマが馬鹿すぎて暴動を起こして、うっかり王女サマを殺してしまいましたー、って言っても、多分誰も責めやしないぜ」

 少年の言う勝手とは先の侍女を追い詰めたことを指しているのだろう。そして少年の命を狙うような発言にイサベルは怯えた。

「あんたは行き過ぎだけど、王族が偉いってのは理解してるさ。でも人族と魔族のどっちが偉いって、誰が決めたんだよ。神サマの信託でも下ったのか?」

 これまでのイサベルを覆す言葉に、イサベルは呆然とした。言い訳でも何でもなく、イサベルは純粋に人族と魔族の平等性を説く少年の言葉の意味が理解できなかった。


「だって……だって、聖書にそう書いてあって」

「自分の目で見て判断できないくらい馬鹿なんだな」

「だって……だって……」


 まだ何か言い返そうとするイサベルの顔を見て、少年はぎょっとした。イサベルは青い瞳からぽろぽろと涙を溢していた。


「い、言い過ぎたよ。泣かせる気はなかったんだって」

「だって……誰も教えてくれなかったんだものぉ……」

 ついにイサベルは幼子が愚図るかのように嘆いた。

「聖書にはそう書いてあるじゃない。間違っているなら誰か教えてくれたっていいじゃない。どうしてわたくしだけ馬鹿って言われなきゃならないのよぉっ」

「これから直していけばいいだろ?」

 泣かせる気はなかった。少年の言葉に嘘はない。証拠に少年は傲慢王女を泣かせて焦り、おろおろしている。勇猛果敢に王女の非を責めた時とは違う。


 イサベルが泣き止む様子はない。どうすればと頭を捻った少年は策より先に口走っていた。

「オレも一緒に考えるからさ」

「……本当?」

 咽ぶイサベルの様は少年にとってこの村の誰よりも幼く純粋に見えた。

 とにかくイサベルが泣き止むことばかりを考えていた少年は一も二もなく頷いた。



 無謀にイサベルに対して不敬を働きつつも、彼女と平等に接しようとした少年はヨシュアと名乗った。それを聞いたイサベルは大層な名前ね、と皮肉を言った。

 ヨシュアは約束を守った。翌日ジャム違いのクッキーを携え、再びイサベルの部屋を訪れた。


 翌日ともなり冷静になったイサベルは、じぃとヨシュアを観察した。ヨシュアはイサベルからしてみれば地味な色合いをした、普通の人間のような見た目をしていた。

「あなたは本当に魔族なの?」

「ああ、魔族だぜ。見た目は人間と変わらないだろ?」

 イサベルは肯定した。

「見た目が違うから、ってんなら人間の中でも差別はあるらしいけどさ。オレみたいな人間っぽいのもいんのに、なんで魔族を差別すんのか、さっぱり理由がわかんないんだよなぁ」

「だから聖書に」

「また聖書かよ」

 もう聞き飽きたとも言いたげにヨシュアは脱力した。


「じゃあさ、オレらが信じてる本が人間を差別していいって書いてあったら差別していいのかよ」

「それは……何か違うわ」

「だろ?」

 ヨシュアは自らが持参したクッキーをつまみ食いした。イサベルへと持ってきたものだが、彼女は文句を言わなかった。


 イサベルはカップの中の揺れる紅茶の表面を見た。イサベルの心の中も何かざわざわと揺れていて落ち着きがなかった。

「誰も何も言ってくれなかったの」

「何を?」

「わたくしが間違っていると」

 昨日の侍女だけではない。友人と思っていた人達も教師も、実の家族でさえ。イサベルを正そうとした人は一人もいなかった。唯一はヨシュアだけだった。昨日までイサベルは一人ぼっちだったのだ。

 イサベルの名を出せば誰もがかしずくが、その中の誰もイサベルと真っ向から向き合おうとしてはいなかった。イサベルはとうとう気づいてしまった。みなイサベルという名の張りぼてにしか興味なかったのだ。


 昨日までの威勢をなくし、しおらしくしているイサベルに調子を狂わされたヨシュアは考えた。

「優しすぎるってのも問題なんだな」

 よくわからない返答にイサベルはヨシュアの顔を見返した。

「王様は王女を猫可愛がりしてるって話だけどさ、でもいくら可愛いからって子供が間違ってることを放っとくのは違うと思うんだ」

「……そうね。今ならわたくしもそう言えるわ」

「だからあんたがへこむことないって。なら最初っから説教をしといてくれたらよかったんだっ、って威張っとけよ」

「なあに? それ」

 変なの、とイサベルはコロコロと笑った。イサベルが笑うと、まるで天使が舞い降りたようだ。ヨシュアは赤くなって頬をかいた。



 イサベルに見惚れていたヨシュアは改まって彼女に話しかけた。


「なあ、ベラって、呼んでもいいか?」


 ベラとはイサベルの愛称だ。通常愛称とは親しい者にしか呼ばれないものである。

 今度はイサベルが頬を朱に染めた。ベラと呼んでくれるのは家族だけだからだ。先に判明した通り、ベラには親しい者がいなかった。高貴であるがゆえに孤独だったからだ。他人がイサベルの愛称を呼ぶのはヨシュアが初めてだった。

「わ、わたくしは寛容な心を持っているのだから、それぐらい構わなくてよ」

 ベラは精一杯の虚勢を張った。これまでに染み付いた自尊心を元にした態度を簡単には改められなかった。しかし「その代わり……」とベラはもじもじと手をこまねいた。

「わ、わたくしも……その……ヨシュアと、そう呼んでもいいかしら?」

 勇気を出して声を発したベラに、ヨシュアはニカリと太陽のように笑った。


「当たり前だろ。オレ達、もう友達なんだから!」


 ベラの胸の内には、何とも言い表せない温かいものが生まれた。それが友情だということは、賢いベラにはすぐにわかった。




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