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二十七 王女②

 次の日もヨシュアはベラを訪ねた。その日は屋内ではなく、ヨシュアはベラを外に連れ出した。

「いいところに連れて行ってやるよ」

「変なところじゃないでしょうね?」

 冗談も交えてベラはヨシュアに聞き返した。

「そんなわけないだろ。いいから来いよ!」

「あ、ちょっと!」

 ヨシュアはベラの腕を引っ張って走り出した。王城では、王女がそんなはしたない真似を、と叱られることなのに。ベラは生まれて初めて体験した自由に心が晴れ晴れとした。


 ヨシュアが案内した場所は村の花畑だった。「うわぁ」ベラは感じたままに感動の声を上げた。


「素敵な場所なのね」

「だろ?」


 この村はここの花畑で有名なんだ、とヨシュアは自慢げに鼻を擦った。

 色とりどりの花達は王宮の花壇よりも美しいとベラは感じた。こんなに素敵なものがあるなんて、とベラは城の外に生まれて初めて感動した。今まで求めてきたドレスや宝石よりもずっと素晴らしいと思えた。


 花畑の訪問者は二人だけでなかった。かごを持った大人の女性がいて、ヨシュアは知り合いらしく彼女に近寄った。

「こんにちは、アンジェラ」

「こんにちは。あら? いつの間にかずいぶんと仲良くなっていたみたいね」

 意外だと思っているだろうに、おしとやかに口元を隠して笑うだけという大人な対応をしたアンジェラに、ベラの顔には熱が集まった。

「わ、わたくしが仲良くしてあげているだけよ」

「オレが仲良くしてやってるんだろ」

 二人はいらない見えの張合いをした。喧嘩するほど仲が良い、なんて格言を思い浮かべたアンジェラはまたクスクスと笑った。

「二人共が仲良くしてあげているのね」

「……ええ!」

 ベラは子供らしく無邪気に首を振った。


 ヨシュアはアンジェラが抱えていたかごを覗いて、ニヤリと笑った。

「アンジェラは彼氏にプレゼント?」

 その途端アンジェラは今朝ベラが食べたリンゴよりも赤くなった。図星だ、とヨシュアが指摘するよりも明らかだった。

「アンジェラさん、彼氏がいるの?」

「え、ええ……そう、ね」

 歯切れの悪い返事に、ベラには悪戯心が生まれた。

「どんな人なのかしら? 気になるわ」

「ど、どんな人って! ……素敵な人よ。私にはもったいないくらい。牧師さんのところの息子さんなの。いずれ神父になる人だわ」

 彼氏の人物像を語ったアンジェラはひとりでに照れた。


 ベラは首を傾げた。牧師と神父とでは微妙に差がある。階級の差は少しだけ神父の方が上になるけれど、神父は結婚できない。代わりに牧師は結婚できる。教会の上にいる人は結婚していない人がほとんどだ。地位を取るか、結婚できる方を取るか、城の神官が悩んでいるところをベラは見たことがある。

「神父は結婚できないのではなくて?」

「あら。正式に職を頂くまでに結婚してしまえばいいのよ。そうすれば仕方のないことで済まされるもの」

 アンジェラはお茶目にウインクをした。


「アンジェラってば悪いやつなんだー」

「なんですってぇ」

 わざとらしく拳を振り上げたアンジェラに、二人はきゃあきゃあとはしゃぎながら撤退した。



 くるくると走り回る二人を微笑ましげに見つめる村人の目は、村に来て初めての頃よりもずっと心地よいとベラは思った。ベラは自分がこんなにも単純だと思わなかったし、こんなにも開放的な気分になれると思ってもいかなった。


 ヨシュアはいいことを思いついて「そうだ」と言った。

「オレの友達に会わせてやるよ」

「友達……」

 ヨシュアの声は弾んでいたが、対するベラは気後れしていた。

「あ、いたいた。おーい!」

 ヨシュアが手を振り、先に駆けていった。ベラはというと、ヨシュアが走っていった先を見て、その場で立ち竦んでいた。


 ヨシュアは人間に近い見た目をしているが、友達だという三人は魔族らしい特徴を備えていて、ベラは知らず一歩下がっていた。鋭い牙や剛腕はいつ自分を襲ってくるかわからない。一種の本能的な行動だった。


 三人の中で特に気が強そうな少年がキッとベラのことを睨みつけた。予想通りだった。ベラはますます怯えた。


「昨日も一昨日もいねーって思ったら、そんなやつとつるんでたのかよ」

「そういうこと言うの止めろよ」


 ヨシュアは彼のことを諌めてくれたが、ベラはそんな資格はないと思っていた。ヨシュアに諭されるまで、そんなやつ、と侮られて仕方のないことを繰り返してきていたのだ。

 ベラは頭をもたげてぎゅっとドレスを握りしめた。たとえ高い自尊心を傷つけられても、ベラはそれを受け入れなければならないと覚悟できていた。


 俯いているベラの肩を叩く手があった。三人組の中の唯一の女の子だった。

「気にしなくったっていいよ。コニーのやつ、お姫さまが美人だからって照れてるだけだからさ」

「おいっ! いい加減なこと言うなよ!」

 茹でダコのような顔で言っても説得力などない。ヨシュアとその女の子が揃って鼻で笑った。

「でも、わたくし最低なことを……」

「あたしは別に気にしてないからいいよ。それでいいんじゃない?」


 ベラは恐る恐る視線を上げた。目の前の少女はひょこひょこと背の翼を動かしている。彼女もまた魔族だった。


「あたしドーラ。見た目は人間っぽいけど、見ての通り悪魔族だよ。コニーもあたしとおんなじ、セリムはサイクロプス族」

「……魔族と一括りに言っても色々あるのね」

「そりゃあね。人間だって肌の白いやつから黒いやつまで、色々でしょ?」


 ドーラは尖った歯を見せつつ笑った。

 セリムという、ベラが一番警戒していた子は、よく見るとひとつまなこを眠たげに持ち上げ、ぬぼぅっと突っ立っていた。その腕を振り上げるような様子はない。


「仲良くしよ。ね?」


 自分はこれまで何も見ようとしてこなかった。ドーラ達の人となりに触れ、ベラはこれまでの自分がとても恥ずかしいものに思えた。


「しょ、しょうがねぇな。仲間に入れてやっても」

「ねえ、ボール遊びはできる?」

「おいドーラ!」

 言葉を遮られたことでコニーはドーラに抗議した。が、ドーラはどこ吹く風だ。

「い、いいえ。外で遊んだことはあまりないの」

「なら教えてあげる。早く遊ぼう!」

 これまでベラの腕を引いて、服が汚れる遊びに誘う人はいなかった。帰ったら小言が待つだろうことは理解できたが、ベラはそれ以上に今を楽しみたかった。「うん!」ベラは満面の笑みで返事をした。



 村で初めての友達というものを作ったベラは毎日のように外で遊び回った。毎日ヨシュアがベラを迎えに来た。ヨシュアは彼らの中でリーダーのような存在で、コニーが始終場を盛り上げ、でもドーラはコニーを気にかけず、セリムは一番能天気だった。

 白い肌に日焼けの痕が目立つようになった。しかし逆にベラはそのことが誇らしかった。ベラにとってこれまでの人生の中で最も幸せな時間だった。


 その日も遊びに行こうとベラは浮き足立った気分で準備をしていた。動きやすい服装と、帽子……は邪魔になるから置いていこうと考えてきた時だった。ドォン、と城の訓練場で聞いた覚えのある重低音がベラの耳に入った。高貴なる者として、いやそうでなくともベラにはこの音の正体がわかった。

 ベラが身を竦めている間、従者が扉を蹴破るようにして入室した。

「姫様、賊ございます。ご避難を!」

 その間にドォン、とまた砲撃があった。


 突然村が襲撃を受けた理由など、ベラにはわからない。ここは国境より少し距離があるから領土侵害ではないはずだ。盗賊にしてはやり口が派手すぎる。

 ベラが蒼白になっている隙に、従者は王女を連れ出そうとした。触れるなと喚きそうなところだが、ベラはひどく大人しかった。しかし「……ヨシュア」とベラの知らぬ間に、彼女は自然とその名を口にしていた。

 ヨシュアを探さないと。ベラはばっと駆け出した。「姫様っ」と後ろから叫ぶ声は無視した。


 村長の家から飛び出したベラはその場で崩れそうになった。めらめらと燃える家々を前にして。


「魔族を追い出せ!」

「人こそが神に選ばれた唯一の種族である! 魔族を許すな!」


 どこかから聞こえる声にベラは気を失いかけた。――反魔族派の勢力だ。

 父や兄から聞いたことがある。魔族に対して異常な敵対心を持っていて、とても過激なのだと。建国王を尊敬する二人は決してあってはならないことだと言っていた。

 今ならわかる。ベラは思った。こんなことがあってはならない。


 ベラは惨状の中に飛び込んだ。

「ヨシュア! ヨシュアどこ!? 返事をして!」

 皮膚が焼けてしまいそうな熱気の中を懸命に走ったが、返事はなかった。どれほど小さな声であっても聞き漏らさないとしたが、聞こえてくるのは建物が崩壊する音か誰かの叫び声だけだった。


「コニー、セリム、ドーラ!」


 ベラは友人達の姿を見つけて安心したが、すぐに「ひッ!」と短く高い悲鳴を上げた。

 友人は惨い姿に成り果てていた。精肉店で売っているハムよりも惨い姿だった。赤く染まった体と恐怖に染まった死に顔に耐え切れなかったベラはその場で胃の中の物を吐瀉としゃした。

 ドーラの光のない目と目を合わせてしまい、再びえずきかけたベラは、しかし立ち止まることを選ばなかった。


 ベラは走り続けた。叫び続けた。やっとできた友達を失うかもしれないという現実に直面して、ベラはプライドなど構わず泣き出してしまいかねなかった。

 路傍の石につまずきかけたベラの視界に希望が過った。

「ヨシュア!」

 ようやっと彼の姿を見つけて、ベラは一気に安堵したが、その直後絶望に突き落とされた。


「よぉ、ベラ……まだ、こんなところにいたのかよ……」


 ヨシュアは正面から斬られ、瀕死の状態だった。

 慌てて駆け寄ったベラはヨシュアの体に手を触れた。少し触れただけでベラの手のひらは真っ赤に染まった。先ほど見た友人達のことを思い出し、ベラはとうとう目から涙を溢れさせた。涙で顔がぐちゃぐちゃになるのも構わず、ベラは止血することに懸命した。


「オレはもう、助からない……」

「まだわからないじゃない! 助かるわよ!」

「わかるさ。オレはもう死んじまうよ……」

「止めてちょうだい! そんなことをわたくしに教えないで!」

 ヨシュアが教えてくれたことはいつだって正しかった。だからベラはこれから先起こるだろう悲劇を予感させないで欲しかった。

「きっと助けが……そうよ、聖騎士が来て、助けてくれるはずだわ! そうよだから」

「聞くんだ、ベラ」


 ヨシュアは静かにベラを制した。


「聖騎士は助けになんか来ない。この村を焼いて、皆を殺したのは、その聖騎士だからだ」

「……う、うそよ。だって聖なる教えを守る聖騎士が……」

「うそなもんか。教会はオレ達魔族を憎んでる。それにオレは見たんだ。オレを斬ったのは聖騎士だった」

「うそよ……だって、それじゃあ、わたくし……」


 “わたくし”がヨシュアを殺したんじゃない。

 ヨシュアを殺したのは愚かな考えを持っている人間だ。それならばベラがヨシュアを殺したも同然。ベラはわかりたくもなかったことに呆然とした。


「ベラ。お前さ、変わったよ。最初はイヤなやつだったけど、でも今のお前は、真っ当に見える。お前、本当はすげえやつなんだよ。……だからベラに、頼みがあるんだ」

 ヨシュアは血に塗れた手で、ベラの手を握り締めた。生温かい感触にベラは思わず身じろぎした。


「オレみたいなやつを、この村の悲劇を、繰り返さないで欲しい。そのために、オレの核を受け取ってくれ」


 魔族の核はそれだけで価値になる。自分は死んでしまうけれど、しかしこの核のようにいつまでもベラの傍に寄り添おう。

 受け取ってくれ。ヨシュアは息も絶え絶えにベラに懇願した。

「……いやよ」だがベラはその懇願を拒絶した。


「そんな、最後の別れのようなこと、言わないでよ! 自分ですればいいじゃない。生きて、生き残ったなら! ヨシュアならそれぐらいできるでしょう!? ねえ!」

「――頼むよ」


 静かな声だったからこそ、かえってベラの心は揺さぶられた。

 この核を手にしたら、途中で投げ出すことなどできない。中途半端な覚悟で、この命を受け取ることはできない。けれど、それでヨシュアは幸せなのか。自分は一人の王族として、一人の人間として何ができるのか。

 ベラはこの村に来て新しい自分になれた。ヨシュアに出会えて生まれ変われた。彼らに報いるために何をすればいいのか。

 ベラは覚悟を決めた。

「わかったわ。わたくし、やるわ。やり遂げてみせるわ」

 ベラの決意にヨシュアはやんわりと笑った。そのままヨシュアは傷口に指を突っ込んだ。瀕死の状態のために彼に痛みの感覚はほとんどなかった。

 泣きじゃくるベラに、ヨシュアは宝石のような臓器を差し出した。


「ありがとう。お前に会えてよかったぜ、ベラ」

「わたくしもよ。わたくしを救ってくれて、ありがとう。ヨシュア」


 嗚咽混じりの声に、彼の人の反応はなかった。


 今日こんにちより十年前の某日。後にこの日はラクルースの悲劇と呼ばれることとなる。




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