09. やばいやつなのは分かる
「柘榴様、ただいま戻りました」
「――遅かったな」
旧図書館の中に入ると、柘榴さんは、いつもの場所で分厚い本を広げていた。
僕はというと、ここまで走り通しで肺が痛いし、膝は笑っているしで、挨拶をする余裕もない。
「あの、それより、日々瀬さんを……!」
肝心の日々瀬さんは、僕を助けてくれた例の女の子に担がれていた。
旧図書館まで連れていくと聞いて、最初は僕が抱えて運ぼうとしたのだけど、よろよろとしか進まない僕をまどろっこしく思ったのか、女の子は「ちょっと貸せ」と言うと、日々瀬さんをひょいと持ち上げてしまった。
……いったいこの子の体はどうなっているんだろう。
感謝はしているし、おかげで早く着いたのも確かだけど、担がれたまま揺られている日々瀬さんを後ろから見せられ続けるのは、それはそれで気が気じゃなかった。
「朱音、下ろしてやれ」
「あ、僕も手伝うよ!」
そういえば、名前も聞いていなかったけど、朱音というのがこの子の名前のようだ。
気休めかもしれないが、自分の上着を脱いで床に敷き、女の子——朱音ちゃんには、その上に日々瀬さんを下ろしてもらった。
「あの、日々瀬さんは、大丈夫なんでしょうか」
「心配するな。気を失っているだけだ」
日々瀬さんの顔を覗き込んでいた柘榴さんは、その視線を僕のほうへ移した。
「ただし、このまま目を覚ましても、また同じことが起きるだけだ」
そうだ、たしか朱音ちゃんもそう言っていた。
「じゃ、じゃあ、どうしたらいいんですか」
「慌てるな。そのためにここにきたんだろう。まずは、君が探し出したものを見せてくれ」
「えっと、これです。校舎裏の、花壇に挟まってました」
僕がポケットから、あの変色した紙切れを取り出すと、柘榴さんはすぐには受け取らず、眉をしかめた。
「……なるほどな。思ったよりも厄介だ」
え? これってもしかして、素手で触っちゃダメなやつ?
柘榴さん、どこからか出した黒い手袋をはめ始めたんだけど。
僕はもうめちゃくちゃ触っちゃってるし、なんだったら握りしめちゃったよ?
柘榴さんは受け取ったお札を指先でつまみ、灯りにかざしてしげしげと眺めた。赤黒く滲んだ文字の上を、切れ長の目がゆっくりと滑っていく。
「——ずいぶんと念入りに作られている。悪趣味なことだ」
「あのう、僕それ素手で触っちゃったんですけど、まずかったですか?」
「朱音、禍津の櫃を持ってきてくれ」
「はい、柘榴様」
ちょ、ちょっと、何で僕の質問に答えてくれないの?
やっぱり何か良くないことが起きるのか!
っていうか、それならそうと、鈴と一緒に手袋も渡してくれれば良かったのに。
ほどなくして戻ってきた朱音ちゃんは、一辺が一メートルはありそうな大きな箱を頭上に掲げていた。
「よいしょ」
どすん、と置かれた箱は、黒ずんだ木でできていて、ずいぶんと古めかしい代物に見えた。
四方に錆びた金具が打ちつけられ、蓋の縁には、例のお札と同じような文字がびっしりと彫り込まれている。
もう見た目からしてやばいんですけど。
「あの、それは……」
「八十禍津日神の名を冠した『禍津の櫃』だ。まあ、見ていろ。口で説明するより見た方が早い。——朱音」
朱音ちゃんが力をこめると、蓋の一方がぐっと持ち上がり、暗い口がぽっかりと覗く。
柘榴さんが、何事か低く呟きながら、お札を箱の中に放り込むと、朱音ちゃんがすぐに蓋を戻した。
「な、何の音ですか?」
箱の中から、ぐずぐず、ぐちゅぐちゅと、湿った音が聞こえはじめたかと思うと、それは次第に大きくなって、ごつ、ごつ、と内側から蓋を叩くような音まで混じってくる。
興味本位で覗き込まなくて良かった!
思わず後ずさりかけて、足元に寝かせたままの日々瀬さんを思い出し、僕はその前に膝をついた。
「中で何か暴れてますけど、大丈夫ですか!?」
ゲプッ!
箱全体を震わせるような、盛大なゲップみたいな音が響いたかと思うと、蓋が数センチ、ぼこりと浮き上がり、ぺっ、とばかりに一枚の紙切れが吐き出された。
「……へ、返却済み?」
真新しい白い紙にはそう書かれていた。
そういえば、ここは図書館だったっけ。
いや、いや、そうじゃない。この箱はどうなってるんだ。
「もうこれで大丈夫だ」
柘榴さんはその紙を拾い上げると、くしゃくしゃと丸めて近くのゴミ箱に放り投げた。
あの箱を見せられたあとで、大丈夫と言われてもなあ。
そう思いながら日々瀬さんに目をやると、さっきまで固く強張っていた指先から力が抜けて、眉間に寄っていた皺がゆっくりとほどけていくところだった。
「んん……」
「日々瀬さん! 大丈夫ですか!?」
薄く開いた目は、まだ焦点が合っていなくて、それでも、駆け寄った僕の顔を見上げた。
「……祀乃目君? 私はここで何を」
「良かった。どこか痛いところはありませんか」
日々瀬さんは、きょろきょろと辺りを見回しているけど、そりゃそうだ。
目が覚めたら、埃っぽい書架と灯りの乏しい室内で、そばには見知らぬ女性と女の子。どれ一つ日常の風景ではないのだから。
「ここ……どこ? 私、たしか、教室で帰り支度を……」
そこから先の記憶が、うまく手繰り寄せられないらしい。
どこから説明したものか迷っていると、柘榴さんがすっと日々瀬さんの前に進み出た。
「覚えていないのも無理はない」
「あ、あの、日々瀬さん、この人は――」
「私は綾御門 柘榴だ。名字は嫌いでな、呼ぶなら下の名で呼んでくれ」
僕が紹介するより早く、柘榴さんは自分で名乗ると、日々瀬さんに手を貸して立ち上がらせた。
日々瀬さんは、初めて見る柘榴さんを、警戒するでもなく、ただ不思議そうに見上げている。旧図書館の話をしたときのあの怯えようからすると、意外なほど穏やかな反応だ。
……もっとも、今は警戒するだけの気力も戻っていないのかもしれない。
「日々瀬さん、ここは旧図書館です。えっと、ここにいる柘榴さんに協力してもらって、例の件を調べていたんです」
「まあ、まずは場所を変えよう。ゆっくりと説明すると良い。朱音、飲み物を持ってきてやれ」




