08. 生き延びてから考えよう
ちらりと振り返ると、さっきの集団が、ひと塊になって追いかけてくるのが見えた。虚ろな目をして、時折互いにぶつかりながら、それでもしつこくこちらを追ってくる不気味さに、思わず足がもつれそうになる。
これ映画で見たことがあるぞ、ゾンビに追いかけられるやつ!
「はあ、はあ……なんで、こんなことに……!」
普段から怠けることを心がけてきた僕の足腰は、もう限界だ。こういうときに備えて明日から走り込もう。
……もし、無事に明日を迎えられたらだけど。
それにしてもまずいぞ、このままだと遠からず追いつかれる。
せめてもう少し人のいるほうへ、と校舎の角を曲がりかけたとき、突然後ろから肩を掴まれた。
「うわわっ!」
身を捩って振り返ると、そこには見知らぬ顔の男子生徒。ひとりだけ足速いじゃん!
掴まれた手を引き剥がそうとするけど、うまくいかず、その場で揉み合いになってしまう。
「は、離してください!」
そうこうしているうちに、後ろからは集団が追いついてきている。
明日から走り込みだけじゃなくて、筋トレもしよう。
いや、もちろん、これも無事に明日を迎えられたらだけどね!
「——様子を見にきてみれば、こんなところで何をしてるんだ」
どすっという鈍い音とともに、僕の肩を掴んでいた男子生徒がずるずると足元に崩れ落ちていく。
「へ?」
そこには見覚えのある少女が不機嫌そうな顔で立っていた。
頬の横で切り揃えられた黒髪に、鮮やかな赤い着物。襟元や袖口から覗くフリルと、地面を踏む裸足の足——。
「君は……あのときの」
下駄箱の前で見かけて、旧図書館へと消えていった、あの女の子だ。
「マヌケな顔で固まって、どうした」
「しゃ、喋った……」
女の子は、僕の反応をひと瞥すると、細い眉をわずかに寄せた。
「柘榴様以外に我の力を貸すのは癪だがな、主人の命とあれば仕方ない」
さっきから柘榴様と言ってるけど、やっぱりこの子はあの図書館と柘榴さんに関係しているのか。
でも、こんな小さな子が、なぜ?
「ほら、今はこの場を切り抜けるのが先決だろう」
女の子はそう言って背後を振り向くと、手を伸ばしてきた大柄な男子生徒を軽々と押し返した。
……いや、押し返した、というか、吹っ飛んでいった。小学生のように見えるこの子の、どこにそんな力があるんだ。
「え、ちょ、ちょっと危ないよ!」
さらに追ってきた集団に突っ込んでいくと、あちこちから伸びてくる手を、まるで羽虫でも払うみたいにいなしていく。
相手の懐にすっと入り込んでは、とん、と一突きするだけで、自分より体の大きな生徒が糸の切れたように崩れ落ちていくのだから、もう笑うしかない。
「何を突っ立っている。柘榴様のところへ早く向かえ!」
そうだった、笑って見ている場合じゃなかった。
「は、はい! き、気をつけてね!」
あと、みんなに怪我させないようにね。
訊きたいことは山ほどあったけど、ここはとにかく素直に従ったほうが良さそうだ。
あとでまとめて柘榴さんに聞こう。
あの人、こうなること絶対知ってただろ……。
* * *
木々のあいだを縫う小道を、僕は息を切らして駆けていた。
旧図書館まで行けば、柘榴さんがなんとかしてくれるかもしれない。根拠なんてどこにもないけれど、今はそれにすがるしかない。
よし、ポケットにしまったお札はなくなってない。落としてたりしたら、元も子もないからな。
背後の喧騒が遠ざかっていくと、聞こえるのは自分の荒い息と、地面を蹴る足音ばかり。
ぜいぜい言いながら走り続けると、ようやく旧図書館の屋根が見えてきた。
「祀乃目君——」
「えっ」
急に名前を呼ばれて、慌てて足を止めた。
「日々瀬さん! こんなところでどうしたんですか」
小道の脇の木陰から歩み出てきた日々瀬さんの顔を見て、思わずほっと息を吐いた。
でも、こうしてはいられない。このままでは日々瀬さんまで危ないかもしれない。
「あの、大変なんです、急にみんながおかしくなって、僕を追いかけて——」
そこまで言いかけて、僕の声はしぼんでいった。
こちらを見上げてくる日々瀬さんの目が、さっきの生徒たちとそっくり同じに、どんよりと濁っていたからだ。
「ひ、日々瀬、さん……?」
答えの代わりに、すっと持ち上がった両手が、僕の首にかかる。
華奢な指が喉に食い込んで、みるみる息の道を塞いでいく。
「ぐ……ひと、とせ、さ……っ」
振りほどこうと手首を掴んでも、そのか細い腕は、締めつけてくる指を少しも緩めてくれない。
いや、これはおかしい!
か弱い日々瀬さんの、どこにこんな力が眠っていたんだ。
「ひとと……さん、はなして……」
声を絞り出しても日々瀬さんの手はゆるまず、それどころか、指はいっそう深く食い込んでくる。
やばい、視界の端がじわじわと暗く滲みはじめてきた。
日々瀬さんのような可愛い子に首を絞められて果てるなんて、僕の人生良かったのか、悪かったのか——。
僕がとうとう膝から崩れかけたところで、ふっと、喉にかかっていた力が消えた。
「かはっ!!」
肺の中に空気が戻ってくる。
何が起きたんだ!?
「わわ! 日々瀬さん!」
ぐらりと傾いてきた日々瀬さんの体を、踏ん張ってなんとか受け止めた。
ぐったりとして、力が抜けきっている。
「まだこんなところにいたのか。世話の焼けるやつだ」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには、みんなを追い払ってくれたあの女の子が、やや呆れた顔で立っていた。
「あ、あの、ありがとう。でも、日々瀬さんは……」
ちゃんと手加減してくれたよね?
「気絶しているだけだ。だが、その札があるかぎり、目を覚ましてもまた同じことを繰り返すぞ」
そうだとは思っていたけど、やっぱりこのお札が悪さをしてたのか。
「さあ、柘榴様のところに戻るぞ。——その女も一緒にな」




