07. 鳴った方が良いのか悪いのか
放課後、部活へ向かう生徒たちの声が校舎の奥へ吸い込まれていくのを待ってから、僕は人気の絶えた廊下を、ひとりで歩きはじめた。
手のひらの中には、昨日柘榴さんから渡された『八衢の鈴』がある。
『その鈴は八衢比売神に由来する。学校内のあちこちを歩き、曲がり角にきたら鈴を振ってみろ。鳴った方向が、君の進むべき道だ』
なんでも八衢比売神は道祖神だとかで、道に迷った者に行くべき方角を教えてくれるらしい。
柘榴さんの説明は、実のところそれだけで、正直胡散くさい。
けれど、あの人がわざわざ僕を騙して得があるわけじゃないし、今は他に取るべき手段もない。
「それにしても、この鈴、壊れてるんじゃないだろうな」
そう、この八衢の鈴とやらは、振ってみてもうんともすんとも言わない。
柘榴さんは、必要な時には鳴ると言っていたけど……。
まあ、とりあえず試してみるか。
最初の角にさしかかったところで、まず左側に向けて鈴を振るが、何も音は鳴らなかった。
今度は反対の右側で振ってみる。
すると、鈴から澄んだ音が響いた。
「おお、本当に鳴った……どういう仕掛けなんだろう」
半信半疑のまま、鈴の鳴るほうへ進みながら、放課後の校舎というのは、こんなにも顔つきが変わるものなのかと感じる。
いつも人がいる場所から、その気配だけがごっそり抜け落ちると、見慣れたはずの廊下も、なんだか急によそよそしくなるな。
そんな場所で鈴を鳴らしながらひとり歩く転校生。これはなかなか怪しい絵面だ。
もしこの姿をクラスの誰かに見られでもしたら、「放課後の校舎でひとり、変な儀式をしている奴」と噂になり、いよいよボッチが確定してしまう。
そんな心配をしていると、前方の渡り廊下から、聞き覚えのある笑い声が近づいてきた。
とっさに僕は、手近な柱の陰へ身を滑り込ませて、息を殺した。
……よく考えたら、こそこそ隠れなきゃいけないようなことは、何ひとつしていないのだが、「何してるの?」と聞かれてうまい返事を返せる自信はない。
「早いところ終わらせたいけど、これ、どこまで続くんだ」
そう愚痴をこぼしつつ、鈴に従って角を折れていくうちに、周囲からはだんだん人の気配が失せていく。
やがて鈴が僕を連れてきたのは、校舎の裏手だった。
「この先はもう曲がり角がないけど、どうしたらいいんだろう」
辺りを見回すと、奥のほうに使われなくなった花壇らしきものが見える。
僕がそちらを向くと、八衢の鈴が今までとは違う、少し低い音を鳴らし始めた。
「あそこに何かあるってことか……」
念のため、周りに人がいないことを確認してから花壇に近づいてみるが、ぱっと見はどこもおかしなところはない。
「うーん、何か埋まってるってことなのかな」
といっても、土を掘れそうな道具なんてもってきていない。
仕方なく、鈴を持った手を花壇のあちこちにかざしてみると、ブロックの継ぎ目のあたりで、音がぐっと大きくなった。
「もしかして、土の中じゃなくて、こっち?」
よく見ると、ひび割れたブロックには隙間ができている。
そこには、土に半分埋もれるようにして、古びた紙切れが挟まっているのが見えた。
鈴をポケットにしまい、破れないように慎重に紙切れを取り出す。
「なんだこれ……」
変色したその紙には、見たこともない文字が、赤黒く滲んだ墨でびっしりと書き連ねられていた。
何が書かれているのかは分からないけど、少なくとも、ありがたいお経の類ではないな。
なんというか、見ているだけで背筋がぞくぞくしてくる。
……これ、触っても大丈夫だったかな。
ポケットにしまった鈴はいつの間にか鳴りやんでいた。
この様子だと、探し物は見つかった、ってことでいいんだろうか。
「とにかく、これを持って帰るか……うわっ!」
やれやれと振り返った僕は、すぐ後ろに人が立っているのを見て、文字どおり飛び上がった。
「び、びっくりした。……え、えっと須藤君?」
そこにいたのは、同じクラスの須藤君だった。
大人しい人で、確か朝の挨拶を二回くらいは交わした気がする。
急に彼がそこにいたことにも驚いたけど、なんか……須藤君の顔色がおかしいような?
僕よりも背が高い彼が見下ろしている目は、焦点があっていなくてぼんやりしている。
「ど、どうしたの、こんなところで。もしかして、ここ、須藤君の秘密の場所だったり……」
須藤君は僕の言葉に返事をする代わりに、ゆらりと両腕を持ち上げると、そのまま僕の肩へ掴みかかってきた。
「ちょっ、待って、話せば分かる!」
とっさに身をよじって手を払いのけても、須藤君はよろけもせずに、また同じ動きで腕を伸ばしてくる。
話し合いに応じる気は、まったくなさそうだ。
いったい僕が何をしたというんだ。
まさか本当にここは彼の秘密の場所で、僕が勝手に何かを盗んだと勘違いしているのか。
あ、盗んだといえば、畳んでポケットに入れたお札――これのせいなのか?
「ご、ごめん。でも、こっちにも事情があるんだ!」
なおも組みつこうとしてくる須藤君を、僕は渾身の力で突き飛ばした。
我ながら情けないほど非力な一撃だったのに、須藤君はあっけなく後ろへ流れて、そのまま尻もちをついた。
「え……嘘だろ」
背後の茂みが、がさりと大きく揺れ、振り返ったその先から、ぞろぞろと人影が現れた。
男子も、女子も、上級生らしき顔もいて、その全員が、須藤君と同じどんよりした目で、僕のほうへふらふらと寄ってくる。
見たことがある顔もいるにはいるけれど、半分くらいは、どこの誰かも分からない。
「え、何、なんかの罰ゲーム? 僕、そんなに恨まれること、した覚えないんですけど……」
そう言っている間に、近づいてきた女子生徒が、ぐん、と腕を伸ばしてきた。
その手をしゃがんでかわすと、今度は横から別の腕が飛んでくる。
「うわっ、と、と……!」
のけぞって、たたらを踏んで、なんとか二本目もやり過ごす。運動神経に自信はないけれど、火事場の馬鹿力というのは本当にあるらしい。
けれど、ひとりふたりならまだしも、これだけの人数に四方から囲まれては、いつまでも避け続けられるはずもない。
ついに、伸びてきた手のひとつが僕の肩をつかみかけ、それを振り払った拍子に体勢を崩し、片膝を地面についてしまう。
「ま、まずい」
ここで捕まったらどうなるのか分からないけれど、少なくともいい結果にはならないことくらい、考えるまでもない。
僕は地面を蹴って、いちばん人の薄いほうへ、がむしゃらに突っ込んだ。
肩がぶつかり、誰かの手が背中をひっかき、それでも構わず腕を振り回して、包囲の隙間をこじ開ける。
「どいて、どいてください……!」
半泣きで叫びながら、僕はその輪をなんとか抜け出して、来た道を全力で駆けもどった。




