10. それぞれに需要はある
朱音ちゃんが運んできた水でひと心地ついた日々瀬さんに、柘榴さんとの出会いから、お札を見つけて戻ってくるまでの顛末を、順を追って説明していった。
日々瀬さんの記憶は一部があやふやになっていて、たとえば、僕が旧図書館に誘ったことなんかは、彼女はまったく覚えていなかった。
「そんなことがあったんだ……。ごめんね、私、うまく思い出せなくて」
「とんでもない、日々瀬さんのせいじゃないです! それより柘榴さん、結局あのお札はなんだったんですか?」
「――この数日、君の身の回りで続いていた妙なこと、あれは簡単にいうと呪いが原因だ」
「の、呪いですか?」
呪いというと、ワラ人形に釘を打ってとか、ああいうやつ?
あのお札が原因らしいことは分かっていたけど、まさか呪いだったとは。
今までだったら、そんなことを聞いても笑い飛ばしていただろうけど、僕はその効果を身をもって知った。
虚ろな目で追いかけてくる人たち、そして、僕の首を絞めてきた日々瀬さん。柘榴さんの言葉を信じるには十分な体験だ。
「そんな……私、誰かに恨まれていたんですか」
うっ、日々瀬さんが、隣に座る僕のほうに身を寄せてきた。
そんな場合じゃないのに、軽く触れ合った肩に、僕の全神経が集中してしまう。
勘違いしてはダメだぞ、千歳!
これは恐怖に直面した人間が咄嗟におこす行動であって、決して僕を頼りにしているわけではないんだ。
「札に仕込まれた呪いは、周囲に悪い気を撒き散らす類のものだ。気に当てられた人間は、無意識に他人が嫌がることをしてしまう」
「えっと、つまり、日々瀬さん以外にも、被害者がいたかもしれないってことですかね?」
僕の言葉に頷いた柘榴さんは、日々瀬さんに視線を向けた。
「日々瀬君は善性が強いんだろう。そういう人間は、呪いの影響を直接受けない代わりに、呪いを邪魔する者として、ターゲットにされやすい。それゆえに、被害は君に集中していたと考えられる」
「やっぱり、私に何か原因があるということですか……?」
「君は何も悪くない。君の魂が清いばかりに、穢れ側からするとやっかいだというだけのことだ」
つまり日々瀬さんは、魂のレベルから美しいってこと!?
いや、もう納得だよ。
それに、日々瀬さんと楽しそうに話していたクラスメイトたち。あれは、演技でも隠蔽でもなかったんだ。
みんな本当に日々瀬さんに好意を持っているんだから、いくら探っても、犯人の嫉妬なんて見つかるはずがなかった。
「初めは些細なことから始まるが、そのまま放っておけば、エスカレートしていったはずだ。いずれは――まあ、命に関わることもあっただろう」
膝に置かれた日々瀬さんの手は、心なしか細かく震えている。
柘榴さんは淡々と話しているけど、呪いだとか、命に関わるだとか、内容がとにかく物騒すぎるんだよな。
「ちなみに、千歳君が襲われたのは、札を剥がしたことで、呪いが向き先を変えたからだな」
いや、この人絶対分かってて僕にやらせただろ!
あんな危ない目にあうと分かっていたら、僕だってもっと慎重に考えたよ。
「……祀乃目君が、助けてくれたのね」
え? 日々瀬さんのその目に浮かぶ表情は、もしかして感謝?
前言撤回します!
柘榴さん、僕にチャンスをくれてありがとう!
「おい、我が助けてやったんだろうが」
振り向くと、不服そうな顔をした朱音ちゃんが、僕の座っている椅子をゲシゲシと蹴り続けている。
びっくりした、心の声が漏れていたのかと思った。
「そ、そうでした。日々瀬さん、この子はえっと、朱音ちゃんといって――あれ? 朱音ちゃんは柘榴さんとどんな関係なんですか?」
事態が落ち着いてきて、あらためて自分が何も分かっていないことに気づいた。そもそも柘榴さんのこともよく知らないし、朱音ちゃんのことだってそうだ。
「朱音は、泰山府君使童女――まあ、色々と私の手伝いをしてくれている子だ」
待って、なんの説明にもなっていない。
そのたいざんふくんなんとかっていうのは何?
「私は日々瀬です。日々瀬 白雪。助けてくれてありがとう」
「我は朱音だ。柘榴様の命により、手助けした」
朱音ちゃんは、日々瀬さんが差し出した手を素直にきゅっと握り返している。
……なんか僕に対する態度と違うような気がするな。
この子がいなかったら、日々瀬さんを無事に助けられたかどうか分からない。だから、感謝はしてるけどさ。
「もう本当に、朱音ちゃんは力持ちで、すごかったんですよ」
「……馴れ馴れしくちゃん付けで呼ぶんじゃない」
そんな! 褒めただけなのに!
朱音ちゃんとは会ったばかりだし、怒らせるようなことした覚えはないんだけど……。
「まあ。こんな可愛くて小さな子が?」
日々瀬さんに頭を撫でられている朱音ちゃんは、表情こそ変わっていないものの、頬が少し赤らんでいて嬉しそうだ。
微笑ましい光景なのに、なんだかちょっと涙が出てきちゃうよ。この涙は悔し涙か?
「お前だって可愛いぞ、白雪。もう少しおっぱいが大きければ柘榴様といい勝負だな」
突然放たれた朱音ちゃんのトンデモ発言で、日々瀬さんの顔が見る間に真っ赤になっていく。
何を言っているんだ、この子は!
確かに柘榴さんのお胸は立派だけど、日々瀬さんのような控えめなタイプだって、ちゃんと需要があるんだ。
いや、違う!
僕は何を考えてるんだ!
「ははは……。な、何を言ってるんだろうね。子供の言うことは気にしないで……痛い!」
朱音ちゃんに脛を蹴り上げられて、情けない悲鳴をあげてしまった。
こ、この話題を続けるのはまずい。
「ざ、柘榴さん! えっと、その、そうだ! 柘榴さんは何年生ですか? たぶん先輩だとは思うんですが」
「…………千歳君、それから日々瀬君。君たち二人に頼みがある」
「頼みって、なんですか?」
「私のことは他言無用にしてもらいたい。それから朱音のこともな」
使われなくなった図書館に住む魔女の噂――それは柘榴さんのことなのだろうか。
こんなところで、彼女がいったい何をしているのかは分からない。
でも、確かなのは、日々瀬さんのことを助けてくれたのが、この二人だということだ。
「私のことは白雪と呼んでください。あの、柘榴さんとお呼びしていいですか?」
「ああ、もちろんだ、白雪君」
日々瀬さんと、柘榴さん。タイプは違うけど、二人とも美人で、こうやって並ぶと壮観だな。
うん、みんな違ってていいんです。おっぱいの話じゃなくて。
「あのままだったら、私どうなっちゃってたか。お二人は命の恩人です。柘榴さんと朱音ちゃんのこと、秘密にすると約束します」
「もちろん、僕も約束します!」
僕はうまく利用された気もするけど、日々瀬さんの役に立てたし、終わりよければってやつだ。
何にせよ、これで一件落着――そう思って立ちあがろうとしたとき、柘榴さんがこっちを向いて指を差した。
その指は僕の右手に向けられている。
「そうだ、忘れていた。千歳君のその手、そのままでは危ないぞ」
「え! やっぱりあのお札、素手で触っちゃまずかったんですか?」
そういえば、柘榴さんは、手袋をした上で、さらに指先でつまむように慎重にお札を扱っていた。
おいおい、僕はガッツリ触っちゃったぞ。
どうしよう、今度は僕に呪いが来るのか?
「今は大丈夫なようだが、穢れが残っているかもしれない。放っておくと、面倒なことになるからな。念のため、しっかりと祓っておいてやろう」
「祓う? えっと、まさかその箱の中に手を入れろとか言うんじゃないですよね」
お札を飲み込んだ、たしか禍津の櫃とか言ったっけ。
中に何が入ってるか分からないあの箱に手を突っ込むなんて、考えただけで背筋が寒くなる。
「大丈夫だ、安心しろ。――ほら、手を貸せ」
柘榴さんは僕の右手をやおら掴むと、ぐいと引き寄せた。
「ちょ、ちょっと、柘榴さん!?」
「動くな。すぐ済む」
あろうことか、柘榴さんは僕の人差し指を、ためらいもなく口元へ運ぶと、ぺろりと、その指先を舐めた。
「――――ッ!?」




