11. その笑顔は反則!
柔らかくて、少し湿った感触が、指の腹を伝わってくる。
柘榴さんは、そのまま指全体を口に含み、舌を這わせていく。
人差し指の次は中指、その次は薬指と、一本ずつ丁寧に口へ含んでいく。
声にならない声が、喉の奥で潰れる。
「な、な、な」
柘榴さんの伏せられた長いまつ毛が揺れ、わずかに開いた唇から、時折細い舌先が覗く。
こ、これは色々とまずいのでは!?
「…………」
そして、そんな僕らの様子を、日々瀬さんが、大きな目をこれ以上ないほど見開いて、じっと見つめていた。
いや、違うんです!
僕は何も悪いことしてませんし、たぶん柘榴さんも他意はないと思います!
ないですよね……?
小指まで舐め終わった柘榴さんは、最後に残った親指に舌を這わせ始めている。
これが穢れを祓う儀式なのだろうか。穢れが祓えたとしても、違う邪念が芽生えそうなんですけど!
「こら、お前。何か変なこと考えてるんじゃないだろうな」
「へへへ、変なことって、ななな、何を言ってるの――」
朱音ちゃんに急に話しかけられて、思い切り動揺してしまった。
「へ、変なことなんて考えてるわけないじゃないか」
にっこり。
額に流れる冷や汗を感じながら、何でもない風を装ってみるけど、その笑顔が引き攣っているのは僕が一番分かってる。
「柘榴様のおっぱいを見るんじゃない」
それは完全に冤罪です!
今僕の身体中の神経は、柘榴さんの口に含まれている指先に向いているわけで、とてもかがみ込んだ胸元になんて……。
ダメだ、そう言われると急にそっちも気になってきちゃう!
上2つのボタンが外されて主張してきているそこには、極力視線を向けないように頑張ってきたのに。
「こら、見るんじゃない!」
「痛い!」
君が言うから見ちゃうんだよ、朱音ちゃん。
「よし、これでいい。もう心配はないはずだ」
僕の指から口を離すと、柘榴さんは満足したように頷いた。
ほ、本当にこんなので穢れが祓えたんだろうか。
「えっと、ありがとうございます」
解放された手は、あれだけ舐められたにしては乾いていた。
この手、あとで洗っても大丈夫なのかな。
「なんだ、気になるならあとで手を洗うといい」
「え、あ、いや、汚いだなんて思ってませんよ!」
「――君は舐められることが好きなのか?」
また冤罪が発生しました!
そういうことを言いたかったんじゃないのに!
「柘榴様、こんなスケベなやつ、放っておけばいいのに」
「ちょ、ちょっと朱音ちゃん、何を言ってるの。僕は決してやましいことなんて考えてないよ。それはもう純粋に、柘榴さんに対しての感謝の念でいっぱいで、この恩をどう返したらいいのかと、僕の頭の中はそのことしか考えてないし」
うん、人は心にやましいことがあるときは、早口になるものだな。
「恩など感じなくていい。さっき言ったように、私たちのことを秘密にしておいてくれればな」
「はい。もちろんです」
そこまで話していて、僕は顔の横に突き刺さる視線を感じて、思わずそっちを振り向いた。
「えっと、日々瀬さん。あの、お祓いは終わったそうなので……」
口に両手をあてた日々瀬さんの目は、大きく見開かれて固まっている。
「あの、日々瀬さん? 大丈夫ですか?」
「あ、ご、ごめんなさい」
日々瀬さんはぱたぱたと手で顔をあおいで視線を逸らした。
いや、違います、僕は何もしてないんです。
「白雪、気をつけたほうがいいぞ。こいつ、お前のこともスケベな目で見てるかもしれない」
「ちょ、ちょっと朱音ちゃん、変なこと言わないでよ!」
「大丈夫よ、朱音ちゃん。祀乃目君はそんな人じゃないから。ね、祀乃目君?」
日々瀬さんの目が、なんというか、据わって見えるのは気のせいだろうか。
「当たり前じゃないか! もちろんだよ!」
こういうときは、とにかく大きな声で誤魔化すのが一番だ。
……いや、何も誤魔化してないけど。
* * *
旧図書館から出ると、外はもうすっかり暗くなっていた。
「遅くなっちゃいましたね。急いで下校しないと怒られちゃうな……」
振り返ると、小道の奥に佇む旧図書館のシルエットが浮かび上がっている。
「柘榴さんに朱音ちゃん。なんだか、不思議な人たちでした」
「そうね……。でも、これで終わったのかな」
白雪さんの呟きに、僕は帰り際の柘榴さんとのやりとりを思い出していた。
『そういえば、あのお札って、結局誰が仕込んだんですか?』
『……さてな。今はまだ、何とも言えんな』
柘榴さんはそれきり口をつぐんでしまった。
本当に分からないのか、それとも言う気がないだけなのか、表情からは読み取れなかった。
あんなものを仕込んだ犯人を見つけ出せなかったことは悔しいけど、転校してきてクラスの中に居場所が見つからなかった僕が、思わぬことで日々瀬さんと関わりができて、その役に立つことができた。
日々瀬さんへの被害もなくなりそうだし、まずはこれで良しとするか。
「あの、祀乃目君……」
「え? どうしたの、日々瀬さん」
旧図書館から視線を戻すと、日々瀬さんが目を伏せて佇んでいた。
もしかして、まだ調子が悪いんだろうか。
朱音ちゃんは手加減したんだろうけど、気絶させられたんだし、体調が心配だな。
「えっとね」
どうしたんだろう。日々瀬さんは顔を上げると、一歩僕のほうに体を近づけてきた。
もしかして、さっき朱音ちゃんが言ったことを本気にしてるの!?
「私のことは白雪って呼んでね。……私も祀乃目君のこと、千歳君って呼びたいから……」
「あ、もちろん、僕のことは千歳でもなんでも、好きな呼び方で呼んでください。でも、日々瀬さんのことを下の名前で呼ぶなんて、そんな――」
「柘榴さんのことは、柘榴さんって呼んでたでしょ?」
「そ、それはそうですけど……」
柘榴さんは、名字が嫌いだから、下の名前で呼ぶように自分から言ってきたんだよ。僕が馴れ馴れしく呼び始めたわけじゃなくて。
あれ? もしかして、僕が知らないだけで、親しい人はみんな白雪さんって呼んでるのかな。
つまり、僕もクラスの一員として認められたのかもしれない!
「わかりました、えっと、し、白雪さん」
うわ、なんだか恥ずかしい!
別に名前で呼んだからと言って何かあるわけじゃないのに、なんだか気まずい。
「今回は本当にありがとう――千歳君」
日々瀬さん、じゃなくて、白雪さんは、そう言うと、僕の両手を握りしめてくれた。
うーん、本当にいい子だな。感謝の気持ちを素直に表せるのは、心が清い証拠だよ、って、おや?
「あの、僕の手がどうかしましたか?」
白雪さんは、握った僕の右手に視線を落として、じっと見つめている。
「……ううん、何でもない。あ、でも、この手、早く洗ったほうがいいかも」
「え? そうですね?」
何でもないと言うわりには、白雪さんはなかなか僕の手を離してくれなかった。
もしかして、柘榴さんに舐められたことを気にしてくれているのかな。
誰にでも、細やかな心遣いを見せる白雪さんは、やっぱり優しいな。
「それから、敬語もやめてね」
「わ、わかりまし……わかったよ、白雪さん」
うーん、しっくりこないな、などと考えながら、先に歩き出した白雪さんのあとに続いて、校舎に向かう小道を進む。
白雪さんの、ひとつに結ばれた薄茶色の長い髪が揺れている。
「――わ! びっくりした」
白雪さんが不意にこっちを振り向くから、後ろ姿に見惚れていた僕は、彼女と真正面から目が合ってしまった。
じっと見ていたのがバレたかな……。
「千歳君、これからもよろしくね!」
小道を照らす灯りの中、白雪さんのその笑顔は、心と体の疲れを一気に取り払うような魅力に満ちていた。
いや、可愛すぎるでしょ!




