04. 探偵の真似事は難しい
「このいたずらが始まったのは、ほんの少し前からなの」
誰もいなくなった教室に戻ると、椅子に座った日々瀬さんは、膝の上で指を組んだまま、ぽつりぽつりと話してくれた。
机の中に丸めた紙くずが入っていた、置いていたはずの消しゴムが見当たらない、最初はその程度のことだったらしい。
誰かの手が滑って紛れ込んだのかもしれないし、自分がどこかに落としたのかもしれない、そうやってひとつずつ理由をつけて、日々瀬さんはその違和感を飲み込んでいたようだ。
他人の悪意に疎い人は、生活の中で起きた不都合を、誰かがやったのかもと、すぐには結びつけないだろう。日々瀬さんは、特にそういうタイプに見える。
僕はどちらかというと、そういう感情や空気に敏感なほうだ。別に自慢げに言うことじゃないけど……。
「でも、最近になってどんどんひどくなってきていて……」
教科書のページが折られ、体操服が椅子の下に落ちていて、今日に至ってはカバンの中がゴミで埋められ、上履きには画鋲が仕込まれていた。
ゴミと画鋲という布陣は、何十年前から受け継がれているのだろうか。いや、こんな嫌がらせの手口が新しくなっていっても困るな。
「やっぱり悪気があるわけじゃないとは思うの。誰かが間違えちゃったのかもしれないし」
カバンにお菓子の空き袋を詰め込んでしまう人はいるかもしれない。しかし、うっかりと靴に画鋲を入れる奴はいないだろうな。
「いたずらされた時間帯に、思い当たることはないですか?」
「どうだったかな……体育とか移動教室もあるし」
日々瀬さんは、誰かの名前や時間が具体的になりかけるたびに、「かもしれない」や「だと思う」という言葉でぼかして、その中心に踏み込まない。
たぶんこの人は、クラスメイトを疑うということそのものを、無意識に拒んでいる。
「日々瀬さん、話してくれてありがとう」
日々瀬さんから聞ける話には、いくら丁寧に耳を傾けたところで、犯人につながる棘のような部分だけが、きれいに削り取られている。
ならばやることはひとつで、僕が自分の目で確かめればいい。
* * *
翌日から、僕は探偵の真似事を始めることにした。
といっても、聞き込みなんて器用なことができるはずもなく、やれるのは休み時間のたびに教室の隅で本を開きつつ、今まで以上に周りの会話と人の出入りに注意を払うことくらいだ。
転校してきてから、僕が毎日やっていたことと何ら変わらないが、まさかボッチでいたことが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
あらためて分かったのは、まず、日々瀬さんの席の周りには、休み時間になるたびに人が集まってくること。
ノートを見せてもらう子、部活の話をしにくる子、ただ意味もなく喋りにくる子、とにかく入れ替わり立ち替わりに誰かしらがくる。
しかも、全員が楽しそうに笑っていて、その仕草に嘘くさいところがどこにもない。
日々瀬さんの人気は分かっていたつもりだけど、まさかこれほどとは驚いた。クラスの空気を隅から探ってみても、日々瀬さんを疎ましく思っている気配なんて、埃ほども見つからなかった。
犯人は、よほど上手く日々瀬さんへの嫉妬心を隠しているのか、それとも他のクラスにいるのか。
「祀乃目君、大丈夫? ずっと難しい顔してるよ」
僕の観察はどうやら顔に出ていたらしく、通りすがりの日々瀬さんに覗き込まれて、僕は開いていた本を取り落としそうになる。
「だ、大丈夫です。えっと、これが僕の平常運転なので」
「ごめんね、私のせいで無理させてるよね」
「無理なんてしてないです。僕が言い出したことですから」
口に手を添えて、小声で呟いた日々瀬さんの眉は申し訳なさそうに下がっている。
この娘にこんな表情をさせるなんて、この時点で犯人は重罪確定だ。
クラスメイトがいる中でこの話をするのはまずいので、僕はできる限りの笑顔を作って目配せを送った。
頷いて去っていく日々瀬さんの顔には、不安が張り付いたままだったが、僕の笑顔はそんなに引き攣っていただろうか。
移動教室や体育のときは、こっそり最後にもう一度戻って、日々瀬さんの席の周りに変わりがないかチェックする。
うーん、これ、他の人に見られたら僕が犯人っぽいよな。
「……それにしても、うまくいかないな」
日々瀬さんに対するいたずらは、その後も続いていた。
机の中のプリントが破られていたり、筆箱が床に落とされていたり。けれど、どれだけ注意していても、それがいつ起きたのか分からなかった。
僕だって生徒である以上、ずっと日々瀬さんの席を見張っていられるわけじゃないけど、それにしたって、三日も続けて空振りというのは、さすがにへこむ。
教室の中の誰かのはずなのに、怪しい素振りひとつ、視界に引っかかってこないのだ。
その日の放課後も、収穫のないまま、廊下を遠回りして下駄箱へ向かっていた。
部活へ流れていく生徒たちの声も遠く、傾いた日が窓枠の影を床に長く伸ばしている時間帯、その人気のない場所には、小さな影が立っていた。
頬の横を短く切り揃えた黒い髪に、鮮やかな赤い着物をまとっている。袖口からは、ひらひらとしたフリルが覗いていて、足元は裸足のまま。
それはどう見ても、小学生くらいの女の子だった。
お姉ちゃんかお兄ちゃんを待っているのか、先生の子供が遊びに来ているのか。
「あの、君……」
恐る恐る声をかけると、その子はゆっくりとこちらを向いて、僕をじっと見つめてきた。
整いすぎていて人形のようにも見える顔からは、驚きも困惑も、何ひとつ読み取れない。
そして何も言わないまま、するりと背中を向けて歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って!」
僕が追いかけようとすると、女の子は裸足のまま跳ねるようにスピードを上げた。
うそ! 追いつかないんですけど!
脚力に自信があるわけじゃないけど、それにしても、小学生女子に負けるなんて。
「はあ、はあ……ま、まって……」
裏口から校舎を出て、なおもその子を追いかけ続け、そろそろ僕の体力が限界に近づいたとき、女の子がようやく足をとめた。
そこは木々が生い茂る小道のそば。奥に見える平屋の建物は、今は使われなくなった旧図書館——。
『あそこには魔女が住んでいるって噂があるの』
良い噂を聞かないから、祀乃目君も近づかないほうがいいと思う、という日々瀬さんの言葉が浮かぶ。
女の子は一度僕のほうを振り向くと、小道を進んでいき、その古びた扉の隙間に消えていった。




