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図書館では声をひそめて  作者: 音鳴 凪
第四章【御統の緒】

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37. まだ何も言えていない

「……朱音(あかね)ちゃん?」


 朱音ちゃんの身体が、なんか薄く光ってる?


 赤い着物、袖から覗いたフリル、頬にかかった髪も、少しずつ淡い光に縁取られていく。

 そして、ゆっくりと目を開いて立ち上がった。


「だ、大丈夫!?」


「さっきは油断したが、問題ない。千歳(ちとせ)、お前は白雪(しらゆき)から離れるなよ」


 僕が白雪さんからって、それは逆が良かったな。

 頼りないと思うけど、僕だって白雪さんを……。


「朱音ちゃん、千歳君は任せて」


 白雪さんが力強く頷きを返してる。

 まあ、適材適所っていう言葉があるし、僕の活躍の場は他にあるのかもしれない。


 もう一度、しゃらん、という鈴の音が響くと、朱音ちゃんを包む光が強くなっていった。


「——忌々しい一族の眷属か」


 朱音ちゃんが前に出ると、久世御霊(くぜごりょう)が再びもやを揺らしながら近づいてきた。


「今度は全力だ!」


 飛びかかった朱音ちゃんが、伸ばされたもやをかいくぐり、勢いを殺さず体当たりすると、今度は久世御霊の体が壁際まで押し込まれていく。


「——何をした、貴様」


「じっとしていろ!」


 朱音ちゃんは、あっという間に久世御霊を床に叩きつけて動きを封じてしまう。

 あのもやもやを掴むなんて、いったいどうなってるんだろう。


「——調子に乗るな!」


 叫びとともに、久世御霊を中心に、黒いもやが床を這うように広がってきた。


「きゃあ!」


「白雪さん、こっちに!」


 悲鳴をあげた白雪さんを引き寄せて、部屋の隅まで下がったものの、逃げ場なんてすぐになくなりそうだ。

 じわじわと黒いもやが迫ってくる。


「千歳君、ダメよ!」


 これに触ったらどうなるのか分からないけど、良くないことは間違いなさそうだ。

 でも、今さら僕が触ったところで、これ以上悪いことにはならないんじゃないかな。


 これが適材適所ってやつだよ、うん。


 柘榴さんに清めてもらった右手なら、もしかして……。


「千歳君動くなよ。……朱音はそのまま押さえていろ」


「柘榴さん!」


 声の方に目を向けると、扉の前に柘榴さんの姿があった。


「掛けまくも畏(かしこ)き、祓戸(はらえど)の大神等(おおかみたち)。諸々の禍事(まがごと)、罪、穢(けがれ)有らむをば、祓へ給(たま)ひ、清め給へ」


 柘榴さんが手に持った白木の棒を大きく振ると、先端についた紙から光が広がっていく。


「——恐(かしこ)み、恐みも白(もう)す」


 足元の床を走った光が壁へ上り、低い天井まで照らしていくと、部屋中に明るさが満ちていく。


「千歳君、あれ!」


 部屋の奥にあった祠、その正面の扉が、ぱっくりと開いていた。

 奥までは見えないけど、中から柔らかな明かりが漏れている。


「この床も……どうなってるんだろ?」


 さっきまで埃っぽかったはずの床が、今は水を打ったように綺麗で滑らかになってる。


「柘榴さんが言ってた準備って、きっとこのことだったのね」


 そうか、ここが、神様を迎える場所。

 良かった、僕はちゃんと目的地まで久世御霊を連れて来れたんだ。


「——憎き綾御門(あやみかど)……!」


 床に押さえつけられた久世御霊の声は、低く、言葉の間に、唸るような音が混じっている。


「そこの少年を甘くみたな」


 騙した形になったけど、やっぱり怒ってるかな。

 そりゃ、少しは迷ったけど……。


「——まだ足りぬか! 我を閉じ込め、永く捨て置いたのは、貴様らだろう!」


「その通りだ、久世御霊。綾御門に連なるものとして、今こそ、その過ちを正そう」


「——愚かなことだ。再び封じたところで同じこと、人の弱き心は変わらぬぞ」


 人の弱い心は変わらない、か。

 確かにそうかもしれないな。


 こうであったらいいなと思う時、すでにそうある人を妬んだり、もっとこうなりたいと願う時、邪魔になるものを恨んだり。


 僕はせめて、他人を恨んだり、羨ましがったりしないようにと、言い聞かせてきた。


 でも、本当にうまくやれてきただろうか……。


 光に照らされている人を羨ましいと思ったことは? その明るさに思わず手を伸ばしてしまったことは?


 自分が一歩踏み出せないことを、他人のせいにしたことは、今まで一度もなかっただろうか。


「……千歳君、あなたが手を伸ばす先は、あっちじゃないわ」


 いつの間にか震え出した僕の手を、白雪さんが握りしめてくれる。

 この暖かさに、僕は甘えていいのだろうか。


 完璧に見える白雪さんにだって悩みはある。

 人は誰だって弱さを抱えて、悩みを抱えて生きている。僕だけが例外じゃないと知ることができた。


 そして、僕だって変わっていけるかもしれないということを、白雪さんは教えてくれた。


「——小僧、お前は求めぬのか! 呪われた身のままで良いのか!」


 良いわけないよ。今だって、何も心配せずに暮らせるなら、そうしたいと思ってる。


 でも、もう僕は、今の自分をそんなに悪くは思ってないんだ。


「僕は……やっぱりあなたには頼みません。だって、僕は自分で歩いていけるから。あそこから、一人で出ていくことができるから」


 柘榴さんは、僕の体質は人の役に立つものだと教えてくれた。結局は使い方次第なんだって、そう思わせてくれたんだ。


 なんやかんやで、朱音ちゃんはいつだって僕たちを助けてくれて、今だって体を張って守ってくれた。

 まあ、ちょっとやりすぎなところはあるけどね。


 だから——。


「柘榴さん、お願いします。みんなで帰りましょう」


「……ああ、そうだな、千歳君」


 しゃらん、しゃらん。


「久世御霊、遅くなったが、私は真の名を見つけてここにきた。今、その名をこそ送ろう——」


 涼やかな鈴の音に、柘榴さんの不思議な言葉が重なっていく。


「掛けまくも畏(かしこ)き、久世比古命(くぜひこのみこと)の大前に、恐(かしこ)み、恐みも白(もう)さく。」


「久しく御名(みな)は忘られ、御祭(みまつり)は絶え、荒(すさ)び給(たま)いて禍事(まがごと)をなし給いしを、今、清き斎庭(ゆにわ)を設け、御名(みな)を正しく称え奉り、御前(みまえ)に仕え奉る」


「ここを御座(みくら)と定め給い、荒ぶる御心を和め給い、諸々の禍事を止め給いて、神ながら鎮まり坐せ」


 次第に床に広がっていた黒いもやが薄れていく。


「——おお、おお。——再び我に名を……」


「今より後、久世の御神として斎(いつ)き奉(まつ)らむ。かく白す事を聞こし食(め)せと」


 朱音ちゃんはもう久世御霊を押さえつけていなかった。

 久世御霊の黒いもやに包まれた姿は、月明かりのような淡い光へと変わっている。


「——恐み、恐みも白す」


 しゃらん。


 久世御霊の姿が、少しずつ、祠の奥に満ちた光と重なっていく。

 顔に当たる部分がこっちを見たような気がしたけど、それは気のせいかな。


「……終わったんですか?」


 光が収まったあとも、僕はしばらく祠を見ていた。


「ああ。御霊は、新たに久世比古命として、ここに鎮まった」


「良かった……」


 白雪さんがそう呟いたことを聞いて、ようやく僕もほっとした。


「千歳君、大丈夫? どこも怪我してない?」


「うん、白雪さんこそ。……ありがとう」


 朱音ちゃんにも、柘榴さんにも、ちゃんとお礼を言わなくちゃ。須藤君が目を覚ましたら、みんなで上へ戻って、それから——。


「あれ?」


 手の中に握っていた紐、御統(みすまる)の緒が動いた。

 何重にも絡み合っていた紐が勝手に緩んで、指の間から長い端が滑り落ちていく。


「柘榴さん、どうしましょう。これ、ほどけちゃってます!」


 慌てて結び目を押さえようとしたけど、掴んだところまで、するりと伸びてしまった。

 僕はほどいてないよ。ずっと持ってただけなのに!


「千歳君、それはもう結んでおく必要はない。封印は、役目を終えたんだ」


「……そうなんですか」


「千歳君、白雪君。君たちには、世話になった」


 そんな、世話になったのは僕たちのほうです。

 そう言いかけて、柘榴さんの肩の向こうに、祠の柱が透けて見えることに気づいた。


 あれ? 明かりのせいかな。

 少し顔を動かしてみても、同じだった。白い紙の垂れた棒も、柘榴さんの手も、その向こうにあるものを隠してくれない。


「その御統の緒は、私をここにつなぎ留めるものでもあった。今ようやく、私も役目を終えられたよ」


 役目を終えたって、どういうこと?

 もう久世御霊を心配しなくていいんだから、明日からも、いつもの机のところで——。


「我も楽しかったぞ。二人とも、元気でな」


 朱音ちゃんが笑顔で手を振っていて……。


 え? ちょっと待って!


 僕も白雪さんも、あまりのことに何も言えないし、動けなかった。


 その間にも、柘榴さんと朱音ちゃんの姿は薄れて、そして消えていった。

 

 そんな……。


 まだ、ちゃんとお礼も言えてないんです。

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