38. 図書館では声をひそめて
今日も、あの机の向こうから声が聞こえてきそうな気がする。
また何か面倒ごとでもあったか、と問いかけてくる柘榴さんの声が。
柘榴さんと朱音ちゃんがいなくなってから、一週間。
あれから僕と白雪さんは、毎日のようにこの旧図書館を訪れてる。
「……いなくなるって、先に言ってくれてもよかったのにね」
そして、僕たちはいつもその話題に触れてしまう。
「うん。僕、まだ聞きたいこともあったんだけどな」
柘榴さんのことも、朱音ちゃんのことも、結局分からないことばかりだ。
あの後、学校でおかしなことが起きることはなくなって、平穏な学校生活を送れている。
でも、それもこれも、柘榴さんたちのおかげなんだ。
「ねえ、千歳君、最近は何か変なこと起きたりしてない?」
「うん、大丈夫だよ。心配なのは、もうすぐ始まるテストくらいなもので……」
「ふふ。それなら良かったわ」
僕たちはここに来ては、柘榴さんたちの姿を探し、いないと分かっても、しばらくなんてことない雑談をするのが習慣になってた。
「だからさ、あの、もう毎朝僕につき合ってもらう必要ないよ。白雪さんも大変だろうし」
あの騒動の中で、僕は学校の中でひとりで行動しないようにしてたけど、騒動が終わってからも、なんとなく一緒にいた。
僕の体質自体は変わってないのかもしれないけど、とりあえずもうひとりでも大丈夫なはずだよ。
「……千歳君は、私と一緒にいるの、嫌なの?」
「え? い、いや、白雪さんと一緒にいるのが嫌だなんてこと、あるわけないよ!」
そうじゃなくて、いつまでも僕なんかが近くにいたら迷惑だろうからさ。
「じゃあ、一緒にいる。だって、千歳君は私と一緒にいたほうがいいって……柘榴さんもそう言ってたわ」
「僕が近くにいたら、迷惑になるんじゃないかな。また変なことに巻き込んじゃうかもしれない」
今回だって、僕がいなかったら、白雪さんはあんなことに関わらなくてすんだはずだよ。
「大丈夫よ。何かあったら、私が千歳君を守ってあげるから」
「え? ちょっとそれは。何かあったら、今度こそ僕が守るからね!」
あ、あれ?
勢いで変なことを口走ったかもしれないぞ。
「聞いたわよ。じゃあ、お願いね、千歳君」
柔らかく揺れる髪の毛、ちらっとのぞく八重歯。
その白雪さんの笑顔は、あの日初めてみた時よりも、ずっと輝いて見えた。
いつでもみんなを気にかける優しさを持ちながら、心の中には弱さも抱えている。
でも、それも含めて、全部が白雪さんなんだ。
「もちろんだよ!」
思わず大きな声で叫んでしまった僕を見て、白雪さんは人差し指を口に当ててそっと囁いた。
「ダメよ。——図書館では声をひそめて」
* * *
図書館から出て、小道を歩いていた僕たちの前に、その人は突然現れた。
「え! ざ、柘榴さん!」
短く切り揃えた黒髪に、切れ長の目。
こっちを見つめるその人は、どう見ても柘榴さんだった。
「その名前が出るなんて——あなたたち、本当に存在してたのね」
「え?」
思わず白雪さんと顔を見合わせたら、白雪さんも不思議そうな顔をしていた。
見た目は柘榴さんそっくりなのに、声や言葉遣いが違う。
「すみません。知ってる人にそっくりだったもので」
「私の名前は、綾御門 楪。柘榴というのは私のひいおばあちゃんの名前よ」
柘榴さんが、ひいおばあちゃん?
えっと、それはどういうこと?
「あなたたちは、千歳君に、白雪さんよね?」
「はい、そうです。どうして僕たちの名前を知ってるんですか?」
「私の家に言い伝えがあったの。今日、この旧図書館へ来れば、君たち二人に会えるだろうって」
「私たちの名前まで、伝わっていたんですか?」
「そうね、まあ、伝わってるのは名前だけではないけど」
どういうことだろう。
僕たちがあの図書館で会っていたのは柘榴さんで、でも柘榴さんはずっと昔の人?
あと、伝わってるという内容がものすごく気になるんだけど。
「不思議がるのも仕方ないわ。また落ち着いて話したいけど、今日はまずお礼を言いたくて会いに来たの」
「お礼ですか?」
「私じゃなくて、柘榴からね。『ありがとう。君たちに出会えて良かった』だそうよ」
「……」
そんな、お礼はこっちが言いたかったのに。
僕に、考えるきっかけをくれて、変わるきっかけをくれて、ありがとうございますって。
「また会いましょう。二人からも話を聞きたいわ」
楪さんは何も言えずにいる僕たちに笑いかけると、そう言って来た道を戻っていく。
「白雪さん。柘榴さんは、僕たちのこと、ずっと覚えててくれたみたいだね」
「うん、そうね……」
楪さんの後ろ姿を見送っていた僕たちの耳に、微かな鈴の音が聞こえて来た。
「あ、あれ! 白雪さん、見て!」
楪さんの横に、木の上からふわりと、小さな影が降りてきた。
着物の袖口からフリルが覗き、まっすぐ切り揃えられた艶やかな黒髪。
「行くよ、蒼衣」
楪さんが、そう声をかけるのが聞こえてくる。
「蒼衣……朱音ちゃんかと思った」
確かに、女の子が着ているのは、赤ではなくて青い着物だった。
「千歳君、あれ、あの草履」
隣で白雪さんが、小さく息をのんだ。
白雪さんの視線の先にあるものに、僕も気づいた。
蒼衣と呼ばれた女の子の足元には、青い着物に少し不釣り合いな朱色の草履。
あれって、もしかして——。
朱音ちゃん、いや、蒼衣ちゃんは、一瞬僕たちを振り向いたけど、落ちかけた夕日が差し込んできて、その表情は見えなかった。
——まあ、いいか。
今度また、ゆっくり話す時間があるよね。
みんなであの図書館に集まってさ。
(了)




