36. そんなわけにはいかない
今は使われなくなった旧図書館。
ここにはひとりできちゃダメだと白雪さんと約束してるわけだけど、今日はひとりじゃない。
「——向こうだ。進め」
一緒にいる相手は、白雪さんじゃなくて、久世御霊に絶賛操られ中の須藤君なんだけど。
今日はいつもの席に柘榴さんの姿はなかったけど、机に置かれたランプは使えそうだったので借りることにした。
あとでちゃんと返しますからね。
そういえば、初めて柘榴さんや朱音ちゃんと会った日から、何回かここに来ているのに、奥には来たことがなかったな。
いくつもの書棚を通り過ぎた奥には、幅広のカウンターがあって、その後ろに地下に続く階段が見えてきた。
覗き込んでみても、暗くて先がどうなってるのか分からない。たぶん閉架扱いになってる本が保管されている場所なのかな。
「ここ、降りて大丈夫なのかな……」
「——何をしている」
僕が階段の前で躊躇してると、後ろから須藤君が背中をつついてきた。
そんなに押さないでほしい。なんだか生ぬるい空気が漂ってきてて、足を踏み出すのに勇気がいるんだよ。
「お、お邪魔します」
深呼吸をしてから慎重に階段を降りていくと、地下の部屋には、ぎっしりと背の高い書棚が並んでいた。
「なんだか迷子になりそう」
「——こっちだ」
キョロキョロしている僕を尻目に、今度は須藤君が先にどんどん歩き始めた。
足取りは確かで、目的地がはっきりわかってるみたいだ。
そして現れたのは、古びたお札が何枚も貼られた小さな扉。
「ねえ、待って。これはダメそうだよ?」
これはもう、絶対に開けちゃダメなやつだよ。
見てよ、隙間が見えないように念入りに貼ってある。
「こういうのは、開けたら最後、何かが起きると相場が決まって……」
「——どいていろ」
お札を覗き込んでいた僕を押しのけて、須藤君が横から腕を伸ばし、その指先がお札の一枚に触れた途端、紙の縁に赤い光が走った。
「うわわっ!」
他のお札も一斉に燃え始めていく。
でも、激しい炎をあげているように見えるのに、熱は感じないのが不思議だ。
あっという間にすべてのお札が燃え尽きると、須藤君は僕を振り返って扉を指差した。
「——さあ、入れ」
「あ、僕が先に入る感じですか……」
軋む扉を開けてみると、中は思ったよりもこじんまりとした部屋で、ここには書棚のようなものは見えない。
その代わり、部屋の奥で、ランプの明かりに浮かび上がったのは、天井に届きそうなほどの大きさの祠だった。
「これってもしかして」
その手前の台に、紐が置かれている。
両端を長く余らせて、真ん中を何重にも結んである。輪が絡み合って、どこからどこへつながっているのか、少し見ただけでは分からない。
「あの、これが、御統の緒ですか?」
背後で鈍い音がして、慌てて振り返ると、須藤君が膝をついたところだった。
「ちょっと、須藤君!」
床に倒れ込んだ須藤君の顔をのぞくと、目は閉じているものの、胸は小さく上下している。
よかった、息はしてる。
「——よし、その紐を手に取れ」
「え?」
須藤君の口は動いていないのに、さっきと同じ声が聞こえた。
顔を上げると、部屋の隅に、黒いもやのような姿が見えた。人の形をしているのは分かるけど、顔も服も見えない。
「——どうした。早くしろ」
「須藤君は、このままで大丈夫なんですか?」
「——お前は己のことを考えればよい」
そうはいかないよ。
巻き込んでごめん、須藤君。もうしばらくここで休んでてよね。
「——さあ、結び目をほどくのだ」
ランプを台の端に置いてから、慎重に紐を持ち上げてみると、思っていたよりも柔らかく、結び目は僕の両手に収まるくらいの大きさだった。
良かった、触った途端に何かが起きるかと思っていたけど、大丈夫みたいだ。
「——何をためらっている。さっさとほどけ」
これをほどいたら、久世御霊が僕の体質を吸い取って、そしたら僕は……。
「……やっぱり、こんなの良くないよね」
「——何?」
「だって、これをほどいちゃったら、あなたがまた暴れるかもしれない。自分のために人に迷惑をかけるなんて、そんなのダメだよ」
「——貴様!」
黒い輪郭が大きく膨らんだように見えて、思わず紐を持った手を胸元へ引き寄せた。
「——ここまで来て、あと戻りできると思うたか!」
ポケットを探って、小さな笛を取り出そうとするけど、なかなかうまくいかない。
こんなことなら、あらかじめ手に持っておくんだった!
ま、まずい、早くしないと——。
「我ならもうここにいる、そこをどけ、千歳!」
「朱音ちゃん!」
うろうろしてたら邪魔だろうから、こういう時は隅っこでじっとしてるに限る!
扉から風のように飛び込んできた朱音ちゃんは、そのままの勢いで黒いもやへと突っ込んでいく。
「えっ?」
ところが、朱音ちゃんの渾身の蹴りを受けても、もやはびくりともしなかった。
次の瞬間には、朱音ちゃんの小さな体が地面と水平に飛んでいき、ものすごい音を立てて壁に激突した。
そのまま埃を舞い上げながら床に落ちていく——。
「そんな、朱音ちゃん!」
駆け寄って声をかけても、朱音ちゃんはぐったりとして動かない。
「朱音ちゃん、しっかりして! 僕のせいで、こんな……」
「——無駄なことを」
その声に振り向くと、また久世御霊がこっちに手を伸ばそうとしてきた。
「ちょ、ちょっと待って、朱音ちゃんが……」
「千歳君に触らないで!」
え、その声は、白雪さん!?
いつの間に来ていたのか、白雪さんは僕の前に割って入って、久世御霊に向き合った。
「白雪さん、なんでここに!」
白雪さんは柘榴さんの誘導で、安全な場所に隠れてるって話だったのに。
いや、それよりも危ない!
「——貴様……」
あれ?
久世御霊をまとう黒いもやが揺らいだかと思うと、一歩二歩と後ずさっていく。
もしかして、白雪さんには手を出せないの?
「……千歳君は私の後ろにいてね」
まさかこんな時にまで彼女に守られるなんて……。
こういう時はかっこよく僕が白雪さんを守る場面じゃないの?
違う違う、今はそんなことより、朱音ちゃんが心配だ。
「白雪さん、朱音ちゃんが……」
その時、しゃらん、という澄んだ鈴の音が部屋にこだました。
この音、聞いたことがある。
そう、箱の中で空に向かって呼びかけた時だ。
「——綾御門たるこの身、伏して請い奉る。泰山府君、しばし御威を垂れ、その使童女が身に宿らしめ給え」




