35. 話を聞くのは大切
「ねえ、朱音ちゃん、もう少し近くに行かない?」
廊下の角から顔をのぞかせた白雪は、前を歩く千歳の背中を目で追いながら、隣にいる朱音の袖を引いた。
「そんなに近づいたら、千歳をひとりにした意味がないだろう」
「でも、何かあったら困るでしょう?」
「おまえなぁ……」
白雪たちが見守る中、千歳が廊下の途中で足を止めた。
「え? どうかしたのかしら?」
何かあったのかと身を乗り出しかけた白雪だったが、千歳は何事もなく再び歩きだし、そのまま廊下の先を曲がっていく。
「あっ、待って」
「待たせるのはダメだろ!」
思わず出かけた白雪の足を、朱音の声が止めた。
「そ、そうよね。ごめんなさい、つい……」
「白雪、お前は意外と心配性だな」
朱音はやれやれと肩をすくめたが、なおも千歳の姿を追おうとする白雪を見て、考えをあらためた。
「まあ、相手が千歳なら仕方ないか」
「朱音ちゃん、それどういうこと?」
白雪は朱音の呟きを聞いて振り向くと、小首を傾げて顔を近づけた。
顔には貼り付けたような笑顔が浮かんでいる。
「どういうことって、あれだろ。お前は千歳のことが——」
「あ・か・ね・ちゃん」
「な、なんだ」
白雪はさらに顔を近づけると、声のトーンを下げて、ゆっくりと言葉を続けた。
「私はね、クラスメイトとして心配してるのよ。何かあったら、クラス委員として責任があるから。……それだけよ?」
朱音が黙ってコクコクと頷くと、白雪はようやく顔を離した。
「朱音ちゃんはいい子だから信じてるけど、くれぐれも千歳君に変なこと言わないでね」
「……もちろんだ、白雪」
朱音はこの日、決して逆らってはいけない相手がいることを知った。
* * *
こうしてひとりで帰るのも久しぶりな気がする。
転校してきてからしばらくは、それまでと変わらないぼっち生活だったけど、あの日、白雪さんに声をかけてもらった時から、僕の学校生活はすっかり変わった。
あの白雪さんと親しげに話したり、二人で学校の中を歩いたり……。
うーん、冷静に考えるととんでもないな。
「祀乃目君、ちょっといいかな」
下校する生徒たちに混じって階段に足をかけたところで、後ろから呼び止められたので振り向くと、そこには見知った顔、クラスメイトの須藤君が立っていた。
須藤君といえば、あのお札の騒動で僕を追いかけてきたことが記憶に新しい。というか、普段は挨拶をするくらいだから、それ以上の思い出がないと言ったほうが正しいか。
「あ、須藤君。どうしたの?」
「今日は白雪さんと一緒じゃないんだね」
「うん、今日はちょっと……。えっと、何か用かな?」
「少し話したいことがあるんだけど、白雪さんは、まだ教室にいるのかな」
なんだか、しきりに白雪さんのことを気にするな。
まさかとは思うけど、須藤君、君はもしかして白雪さんのことを?
まあ、相手が白雪さんなら不思議はないけどさ、それを僕に相談するのは間違ってるよ。
「もしかして、白雪さんを探してる?」
あれ、聞こえなかったかな。
返事がないので、もう一度声をかけようとしたら、須藤君の口元がゆっくりと緩んだ。
「あの、須藤君?」
名前を呼んでも返事はなく、薄く笑ったまま僕を見ている。
……僕、何かおかしなこと言った?
「——お前もあの女がいつもそばにいては、息が詰まるだろう」
「え?」
お前とか、あの女とか、君はそんなワイルドなキャラじゃなかったよね。
どちらかというと、少し僕寄りだったはずで。
「……息が詰まるだなんて、そんなことはないよ」
「——そうだな。あの娘がいれば、呪われた身のお前も少しは楽になろうからな」
「須藤君?」
さっきからこっちを見ているはずなのに、目が合っている感じがしない。
この短い期間で、こうもお目にかかっては、さすがに分かるよ。
思わず一歩下がって、須藤君の両手に視線を落とした。まだ、こっちに伸ばしてくる様子はないけど、前は本当に何も言わずに掴みかかってきたんだから、油断はできない。
須藤君、君も毎回不憫だね。
なんかこう、操られ体質? みたいなものを感じるよ。
「須藤君は大丈夫なんですか? あなたは僕に話があるんですよね」
「——このままでは、お前ではなく、あの娘に危害が及ぶぞ」
「な、なぜ白雪さんが。だって、この体質は僕のものであって……」
柘榴さんは白雪さんが近くにいることで、僕の体質が抑えられると言っていた。でも、白雪さんに何か悪いことが起きるなんて、そんなことある?
「——お前は周囲に不幸をばら撒く。今までもそうであっただろう」
お前のせいだ、お前がいるからだ。
あんたさえいなければ。
怒鳴り声に、悲しげな顔。
嫌になる程聞いてきたし、見てきた。
「……」
「——お前のその穢れを集める性質を、こちらに渡すがいい」
分かってる。これはきっと罠なんだ。
僕が誘いに乗りそうな甘い言葉を並べてるだけで。
そんなことは分かってる、でも。
「……もし、そうしたら、どうなるんですか」
「——お前はその呪われた生き様から解放される」
「でも、あの、あなたが暴れちゃうんじゃ」
「——それが本来あるべき姿だ。理を歪めているのは、綾御門の者どもよ」
たしか、暴れ出した久世御霊を、柘榴さんの先祖が封じたんだよね。
つまり、僕が穢れを渡したら、その封印を破ってまた暴れるわけで……。
「——お前は綾御門の小娘が何者か、その正体を知っているのか」
柘榴さんの正体?
この前色々と話は聞いたけど、どうしてあの図書館に住み着いているのかとか、朱音ちゃんが何者なのかとか、分からないことも多い。
「そう言われると、詳しくは知りません。でも、あなたを信用する理由もないですし」
「——ではお前は白雪という娘を犠牲にしてもいいということか」
「そんなことは! 僕だって、白雪さんに迷惑かけようとしてるわけじゃないです」
「——ならば、素直に渡せばよい」
「それを、自分の力にするんですよね?」
「——いいや、本来の姿に戻るまでだ。お前に迷う理由があるのか?」
実際何が起きるのかは分からない。でもさ、封じられてるものを解いてしまって良かった、なんてパターンを知らないよ。
そうだけど、もし、もしもだよ。
僕のこの体質がなくなったとしたら、どうなるんだろう。
……普通の人みたいに過ごせるのかな。
友達ができて、一緒に帰ったり遊んだり。
もしかしたら恋人ができたりさ。
べ、別に白雪さんがってことじゃないけど!
「——お前が苦しむ必要はない」
家に帰ったら、おかえりって声が返ってくるのかな。
「……どうしたらいいんですか」
「——御統の緒を解け」




