32. 声をかけるのもひと苦労
「白雪さん、おはよう」
「おはよう、千歳君」
学校の手前で待ち合わせて、二人揃って校門をくぐる。
みんなが憧れる『白雪姫』と、こんな風に並んで歩く日が来るなんて、思ってもみなかった。
「千歳君、体の調子はどう?」
「あ、うん。特におかしなところはないよ」
もちろん、白雪さんがこうして隣を歩いてくれているのは、彼女の底なしの優しさが、僕なんかにも及んでいる結果だということは分かってる。
とはいえ、毎朝白雪さんのキラキラの笑顔を向けられると、それだけで幸せな気分になるよね。
数日前、旧図書館であの怪しい箱の中に入ってしまってから、こうして毎日白雪さんとともに過ごすようになった。
「ありがとう。白雪さんに綺麗に拭いてもらったし、きっと穢れってやつもどこかに行っちゃってるよ」
「それなら良かった。何かおかしなことがあったら、いつでも言ってね」
白雪さんこそ、何でも相談してね。
そう返せばいいんだろうけど、隣で微笑んでいる白雪さんを見ると、どうも口から出てこない。
この前は自分から、何かあったら言ってね、なんて言えたのに。
よく考えると、あの時はどうかしてたのかもしれない。どうやってあんなことが言えたんだろう。
頼ってほしいのは今も同じなんだけどさ。
「柘榴さんに清めた水を飲ませてもらったし、体の中も大丈夫だと思うよ」
「…………」
白雪さんはすっと視線を僕の口元に向けると、何やら言いたそうな表情をしたけど、結局そのまま前を向いてしまった。
僕はあの時、柘榴さんの指にはちょっとだけしか触れてませんからね!
不穏な気配に関しては人一倍敏感な僕には、今二人を深刻な気まずさが包んでるのが分かる。
僕のせいだけど!
「あ、えっと、白雪さん。深山さんの公演、今日だったよね?」
こういう時は大きな声でハッキリと、違う話題に移るのが一番。
「うん、そう。昨日の夜電話したんだけど、深山さん、張り切ってたわ」
白雪さんはそういって、嬉しそうに深山さんの近況について話してくれる。
深山さんの声は、あれからちゃんと出るようになったらしい。
今日は無事に舞台に立つ姿を見られるわけで、それはもちろん楽しみだ。
二人で公演を見にいく約束をしたからね、白雪さんとの約束はしっかり守らないと。
「授業が終わったら、一緒に行きましょう」
「うん、分かった」
白雪さんとの会話が日常になっていっているのが、なんだか不思議だ。
* * *
白雪さんの周りには、いつもクラスメイトが集まる。
僕の観察によると、白雪さんは特別仲が良い友達がいるというわけではないようだ。その代わり、誰とでも満遍なく話している。
誰も彼もが少しでも彼女と話したいと思っているようで、みんな順番にちょっとした話題を持ち込んでは、白雪さんの笑顔を浴びている。
「白雪さん、今日の放課後、ちょっと数学教えてくれない?」
「あ、私も! 昨日の課題、答え見ても分かんなかったところがあって」
「そろそろ試験もあるし。白雪さんの説明、先生より分かりやすいもんね」
この日の昼休み、白雪さんは女子三人組に囲まれていた。
いつも同じ三人で行動していて、白雪さんに話しかけにいくのも一緒。
今日の話題は、近づいてきている初めての中間試験のようだ。
でもね、今日の放課後は、先に約束があるんです。僕と一緒に演劇部の公演を観にいくんだから。
「あ、今日の放課後は、ちょっと……」
「あれ? 白雪さん、今日は部活だっけ? じゃあ、始まるまででもいいよ」
「ううん、部活じゃないんだけど……」
もしかして、断りづらい状況?
まさかあの白雪さんが、ぼっちガチ勢の祀乃目と連れ立ってどこかに行く約束をしてるだなんて、さすがに言いづらいだろうか。
いや、そうじゃなくて、白雪さんは人に何か頼まれると断れない性格なんだよね。
分かってるのに、つい、いつもの悲観的な考えが出てしまった。
「じゃあいいでしょ、お願い」
朝、楽しそうに公演の話をしていた白雪さんを思い出す。
僕は今日の約束が楽しみだし、白雪さんも楽しみにしてくれていたはずだ。
うまく言葉にできない時はどうするか。
行動で示せばいいよね。
「あの、白雪さん」
近づいて声をかけた途端、白雪さんを囲っていた三人が、一斉にこっちを向いた。
そうですよね、急に割り込んできたら驚きますよね。
「あ、千歳君」
「あー、えっと、あの……。放課後のことだけど、演劇部の公演、何時に始まるんだっけ?」
これほど心の中の勇ましさと、口から出る言葉に距離があるだなんて思わなかった!
一朝一夕に変われるほど、人生甘くないことを痛感する……。
「四時よ、放課後急いで向かいましょう」
すぐにそう答えてくれた白雪さんの顔を見て、ようやく息をつけた。三人組が「あ、予定あったんだ」と僕たちを見比べている。
「みんなごめんね。今日は千歳君と約束してるの。演劇部の公演を観に行くのよ」
「そうだったんだ。こっちこそごめん。また今度ね」
「うん。あ、そうだ。このノート貸してあげるわ。解き方を書いてあるから」
「嬉しい、ありがとう!」
白雪さんが頷くと、ノートを受け取った子を先頭に、三人はそれぞれの席へ戻っていった。
誰も嫌な顔なんてしていない。最後のひとりは僕にも「公演、楽しんできてね」と言ってくれて、慌てて頭を下げてしまった。
なんだ。普通に声をかければよかったんだ。
……それができれば、毎回こんなに苦労しないんだけどさ。
「千歳君、ありがとう」
「いや、僕は別に。話してるところ、ごめんね」
「ううん、声をかけてくれて嬉しかった」
白雪さんがそう言ってくれるなら、少なくとも邪魔ではなかったらしい。
「あのノート、僕も今度貸して欲しいな。初めての試験、頑張らないと」
勉強が苦手なわけじゃないけど、優等生の白雪さんのノートがどれほどのものか、とても気になる。
「え?」
「あ、ご、ごめん。何でもないです」
白雪さんが不思議そうな顔で見つめてくるから、思わず謝ってしまった。急にノートを貸してくれだなんて、さすがに馴れ馴れしかった!
「聞きたいことがあるなら、直接聞けばいいでしょ? 千歳君なら直接教えてあげるわよ」
そんな、当たり前でしょみたいな顔をされても!
まあ、直接教えてもらえるのは嬉しいけど、白雪さんが隣にいたら、分かっていたところまで分からなくなりそうだよ。




