31. 普段どおりは無理がある!
「あの、柘榴さん、さっき私が……」
白雪さん、そうだよね。
それはもう丁寧に汚れを拭ってもらいました。
「櫃に入っただけならばあれで良かったがな。久世御霊と触れ合ったかもしれないなら話は別だ」
あ、また朱音ちゃんが何か持ってこようとしてる。
このパターンはまずいんじゃない?
「……今度は先に、何をするのか教えてもらえますか?」
「念のため体内を清めておく」
朱音ちゃんが持ってきたのは大きな盃で、柘榴さんがそこに手を入れると、ちゃぽんという水の音が聞こえた。
「今からこの水を清める。千歳君はこの水を含んで飲み込んでくれ」
「はい、水を飲めばいいんですね」
良かった、今度は今までと違うようだし、ちゃんと先に教えてくれた。
綺麗な水を飲んで、体の中までスッキリしておこうってことだね。
「——掛けまくも畏き、祓戸の大神等の大前に、恐み、恐みも白さく」
柘榴さんは指先から水を滴らせながら、神主さんのような言葉を呟き始めた。
そして、その指を僕の口元にスッと近づけてくる。
あの、もしかして?
「柘榴さん、どうすれば……」
「水を口に含み、そのまま飲み込め」
念のため聞いてみたけど、そうですか。
つまり、柘榴さんの指を舐めろってこと?
差し出された指先には、盃からすくったばかりの水が、落ちきれずに留まっている。
いや、これはおかしなことじゃない。あくまでお祓いであって、たとえば神社でお神酒をいただくのと同じことだよ。
——ただ、器が盃じゃなくて指になっただけのことで。
わかっているのに、何をドキドキしてるんだ、僕の心臓は。
「この身に触れし禍事、穢れあらむをば、祓へ給ひ、清め給ひて、清き身に返し給へ」
柘榴さんの指先が、催促するようにこちらに寄せられた。
覚悟を決めて顔を近づけると、先に唇に触れたのは指の温度だった。
そのすぐ後から、ひんやりとした一滴が舌の上に滑り落ちてくる。
やましいことは、何もしていない。
ないはずなんだけど……。
「かく白す事を聞こし食せと、恐み、恐みも白す」
白雪さん、ちゃんと見てますか?
ほら、少ししか触れてませんからね!
「こら、千歳、そんなに柘榴様の指を舐めるな」
「ブッ! ゲホ、ゲホッ……。あ、朱音ちゃん、何を言ってるのさ……」
まずい、また冤罪を増やされてしまう!
「僕は別に指を舐めてるわけじゃないよ! でも、ほら、水を含むには仕方ないんだよ」
あの、朱音ちゃん。どうして白雪さんのほうを見て黙り込んだの?
白雪さんがどうかした?
僕にはそっちを振り向く勇気はないから、そっと教えて欲しい。
「千歳君、しっかりと飲み込んでおくんだ。あとから体の中で何か起きてもおかしくないぞ」
柘榴さんは冷静にそう言うと、もう一度盃の水に浸した手を、僕の口元に近づけてきた。
もう一度やらないとダメですか?
手ですくって飲ませてくれてもいいのではと思ったけど、想像してみるとそっちのほうが色々と問題がありそうだったので言わずにおこう。
まごまごしていると、痺れを切らしたのか、柘榴さんが僕の口の中に指を押し込んできて、僕は半ば強制的に、その指ごと清められた水を含んだ形になってしまう。
これは僕のせいじゃありません……。
「よし。これで終わりだ」
朱音ちゃん、その疑わしい視線をやめて!
* * *
「千歳君、明日から、教室を出る時は声をかけてね」
旧図書館を出て、まだ小道を歩き始めたところで、白雪さんはそう言って微笑んだ。
「う、うん、そうだね。でも、白雪さんが誰かと話してる時は——」
「その時も、声をかけて」
休み時間になるたびに人が集まる白雪さんの席へ行って、ちょっといいかな、と声をかける自分を想像してみる。
うーん、口を開くまでに休み時間が終わってしまいそうだ。
「分かった。なるべく、声をかけるよ……」
「なるべく?」
食い気味に言われて、思わず背筋がぴんと伸びた。
おかしいね、さっきと同じ笑顔なのに、視線から何かを感じるなんて。
「かけます! ちゃんとかけます」
そう答えてから、でも、ひとつ気になった。
「僕が声をかける前に、白雪さんが教室を出ちゃうこともあるよね?」
「ないわ。その時は私から誘うから、一緒に来てね」
きっぱりと断言されたよ。
「はい、もちろんです」
「じゃあ、決まりね」
迷惑をかけているんじゃないかという気持ちは、まだなくならない。それでも、声をかける前から諦めるのは、もうやめよう。
……まあ、できれば、最初は白雪さんのほうから誘ってくれると助かります。
「あ、そうだ」
白雪さんは小道の出口で立ち止まると、そう言って僕の顔に手を伸ばしてきた。
「どうかした? あ、顔に何かついてる……」
ちょっと、白雪さん、なぜ無言で顔を触ってくるんですか?
「さっき朱音ちゃんが、あっ」
朱音ちゃんが何ですか!
そういえば、図書館から出る時に、二人で何やら話してたけど、また誤解するようなことを言われたのかな?
「ううん、何でもないの。えっと」
白雪さんの指が僕の口に触れて、その感触に耳まで熱くなってくる。
「ゴミが、ついてたから……」
「あ、そうなんだね。ありがとう……」
果たしてこんな調子で、普段どおり過ごしていけるんだろうか。今だって、目が合うたびに何を言おうとしていたか忘れそうになるのに。
柘榴さん、これで普段どおりに過ごすというのは、なかなか難しい注文です!




