30. 下を向いてばかりいられない
「久世御霊の話に戻ろうか」
柘榴さんにそう言われて、ようやく隣から目を離せた。
白雪さんと一緒にいることに気を取られていたけど、そもそも、僕につきまとっている神様の話だったんだ。浮かれてる場合じゃないよ。いや、浮かれてたわけじゃなくて、戸惑ってただけなんですが。
「久世御霊は、かつてこの土地で暮らす人々に祀られていた神だ。だが、時が経つにつれて信仰が廃れ、祀る者もいなくなった」
「それが原因なんですか?」
「信仰を失った神は、次第に荒ぶるようになり、人々に災いをもたらし始めた。当時の者たちはそれを鎮めきれず、結局は封じることを選んだ」
そういえば、日本の神様って、優しい顔と厳しい顔の両面があるんだっけ?
「もしかして、その封じた人と柘榴さんは、何か関係があるんですか?」
「——ああ。私の先祖にあたる」
久世御霊を封じたのが、柘榴さんの先祖。
これが、柘榴さんが学校で起きた不思議なことに詳しかった理由なのか。
穢れを祓ってくれたことも、箱の中で聞こえた神主さんみたいな言葉も、そういう家系の人だからということ?
「じゃあ、柘榴さんの目的は、その久世御霊をもう一度封じるってことですか?」
「いや、少し違う。封じるのではなく、久世御霊を再び神として祀り、鎮まってもらうことだ」
「……また、神様として?」
「久世御霊は今も神であることに変わりはない。過去に封じたことが過ちだった」
うーん、つまり元の優しい神様に戻ってもらうってことかな。
あの箱の中で、思い出したくないことを散々見せられたんだけど、優しいところがあるなら、先にそっちを見せてほしかったよ。
「その久世御霊は、千歳君を利用して、何をしようとしてるんですか?」
白雪さんの目がちらっと僕に向けられた。
僕のことを心配してくれている気持ちが伝わってきて、なんだかくすぐったいな。
……でも、こうやってすぐ調子に乗るの、気をつけないと。
「自らの封を破ろうとしているんだろう。永い年月が経っているとはいえ、そう簡単に破れるものではないからな」
「でも、どうして今になって?」
「きっかけは千歳君だ。君が、この学校に来たからだ」
え、僕?
「穢れを引き寄せる君の体質に、久世御霊が気づいたんだろう」
「つまり、僕が転校してきたせいで……」
今度こそうまくやろうと思ってたのに、転校先の学校で、まさか神様に目をつけられるなんて。
人じゃなくて神様だよ?
ううん、驚いてる場合じゃなかった。
「柘榴さん。白雪さんへの嫌がらせとか、深山さんの声が出なくなったことも、その久世御霊が?」
柘榴さんは静かに頷いた。
「人を操り、負の感情を集めていたんだろう」
カバンを抱えて、無理に笑おうとしていた白雪さん。舞台の上で、何度も声を絞り出していた深山さん。
あの時は、誰がこんなことをするんだろうと腹を立てていた。でも、僕がここに来なければ、二人ともあんな目に遭わずに済んだのかもしれない。
お前がいると、ろくなことがない。
さっき箱の中で聞いたばかりの声が、また頭の中で響いた。
あの時は言い返せたのに、でも、やっぱり……。
「……ごめんね、白雪さん」
「どうして千歳君が謝るの?」
「だって、僕が来たせいで、白雪さんや深山さんに迷惑がかかったんだよ」
「違うわ」
そのあまりにもはっきりとした白雪さんの言葉に、びくりとしてしまった。
こういう時、どんな顔をすればいいんだろう。
「千歳君、こっちを見て」
そっと袖を引かれて、ようやく白雪さんのほうへ顔を向けた。
白雪さんの大きな目には、いつもと同じ優しい色が浮かんでいる。
「私、千歳君がいてくれてよかったと思ってる」
「でも、僕は……」
「私はね、誰かに助けてって、なかなか言えなかったの。それなのに、千歳君ったら、急に僕が調べてみます、って」
何か言おうとしても、うまく返事が出てこない。
僕が来なければ、その困りごと自体がなかったかもしれないんだよ。
「私、とても嬉しかったわ」
白雪さんが嬉しかったと言ってくれたことまで、なかったことにはしたくない。でも、やっぱり、僕が転校してこなかったら——。
「千歳君。これだけは、はっきりさせておこう。仮に君の存在がきっかけになったとしても、君が誰かを傷つけようとしたわけではない。そこを一緒にしてはいけない」
「……柘榴さん」
「元はと言えば、私の先祖が中途半端なことをしたせいなんだ。そのけじめをつけるために、私はここにいる」
「我もだぞ」
「痛い! 朱音ちゃん、痛いよ!」
朱音ちゃんの馬鹿力で叩いたら、僕なんてすぐに壊れるよ!
「お前、いつまで辛気臭い顔をしてる。柘榴様がきちんと説明しているだろう」
そうだよね。
うん、おかげで少し元気が出た。
「……白雪さん、朱音ちゃん、ありがとう」
今は、それだけで精一杯だった。
白雪さんは小さく頷くと、僕の袖から手を離した。こんなふうに気を遣わせたいわけじゃないのに、結局また、心配をかけてしまってる。
そうだよ、僕がやるべきことは、下を向くことなんかじゃないよね。
「柘榴さん。その久世御霊を鎮められたら、こういうことは起きなくなるってことですよね?」
「その通りだ」
「さっきもう一度祀ってと言ってましたけど、具体的にはどうするんですか?」
「まず久世御霊を迎えなくてはならない。だが、今はまだその居場所がつかめていない」
柘榴さんなら、もう全部分かっていて、あとは片づけるだけなのかと思っていた。
普通に呼びかけて出てくるようなら、最初からこんなに困ってないか。
「こちらの準備ができるまで、君たちは普段どおり過ごしてくれ。もし何か変わったことがあれば知らせてほしい。——決して君ひとりで確かめようとはせずにな」
最後のひと言は、ちゃんと覚えておこう。
またうっかり箱に飲み込まれたなんてことにならないようにしなくちゃ。
「白雪君も、それでいいかな」
「はい。千歳君のことは、私に任せてください」
そんなに張り切ってもらえるのはありがたい。
あれ? 僕は明日から、白雪さんに連れられて学校を歩くことになるんだろうか。
最近は一緒にいることも多いけど、いまだに慣れる気配がないんですが。
「よし。——では、千歳君、最後にお祓いをしておこう」
え? もうさっき白雪さんにしてもらいましたよね?




