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図書館では声をひそめて  作者: 音鳴 凪
第三章【栲幡の糸】

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26. 言葉通りだとは思わない

「あ、朱音(あかね)ちゃん。それが……」


「あいつらはしばらく追ってこないだろうが、のんびりしている時間はないぞ」


 振り向くと、そこにはもう白雪(しらゆき)さんの姿はなかった。僕の心が生み出したにしては、やけに踏み込んだことを言っていた気もするけど、自分が本当に何を思っているかなんて、実は分からないものだ。


「どうした、また何か見たのか?」


「……ううん、なんでもない。どっちに行ったらいいのか分からなくてさ」


 ここから出て白雪さんに会ったら、今までのようにうまく話せるだろうか。

 教室で僕に敵意を向けた白雪さんと、さっきここで好意を向けてきた白雪さん。本当の彼女はどっちなんだろう。


 まあ、「どっちでもない」もあるよね。どっちかであるなんて考えることが、少し自意識過剰なんじゃないか?


「出口はもうすぐだ。急ぐぞ」


「うん、行こう」


 朱音ちゃんについて木々の間を進むうちに、少しずつ頭の上が開けてきた。今度こそ頂上なのかな。

 でも、出口と言われて思い浮かべるようなものは、やっぱり見つからない。


 そもそも、形は『口』だと言ってたっけ。出口だから口という、そういう話なの?


「ねえ、この辺でいいの?」


 足元の草は短くなって、周りに視界を遮る木もなくなっていた。見晴らしはいいものの、ここから先はどちらへ行っても下り坂にしか見えない。


「柘榴(ざくろ)様、到着しました!」


「わっ! ……びっくりした」


 すぐ隣から響いた声に、危うく飛び上がりそうになってしまった。


 朱音ちゃんは空を見上げているけど、柘榴さん、そんなところにいるの? つられて見上げても、空の色は相変わらずで、柘榴さんらしい人影なんて見えない。


 僕も呼んだほうがいいのかな、と考えてたら、どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 ——掛けまくも畏(かしこ)き、祓戸(はらえど)の大神等(おおかみたち)——


 何を言っているのかは分からないけど、これは間違いなく柘榴さんだ。


 ——諸々の禍事(まがごと)、罪、穢(けがれ)有らむをば、祓へ給(たま)ひ、清め給へ——


 頭の上から降ってくるようなのに、耳元で話しかけられているようにも聞こえて、どこを見ればいいのか分からなくなる。


「柘榴さん! 僕たちここにいます!」


 ——恐(かしこ)み、恐みも白(もう)す——


 そして響いてきたのは、しゃらん、という澄んだ鈴の音だった。

 その音はこの場所全体に広がるような大きさで、頭が揺さぶられる心地がして、思わず首をすくめてしまう。


「よし、開いたぞ」


 何もなかったはずの空に、細い亀裂が走ったかと思うと、両端へどんどん伸びていく。

 もしかして、空が裂けてる?


「朱音ちゃん、あれって……」


「あれが出口だ」


 裂け目の縁に並んでいる白いものは、歯だろうか。そう思った途端に、上下に開いた形まで見覚えのあるものになってしまって、できれば気づきたくなかったなと後悔した。


 確かに、口だよ。

 空に、巨大な口が開いている。


「……本当に口なんだね」


「最初からそう言っただろう」


 はい、言ってました。でもまさか、そのまま『口』だとは思わないよね。

 しかも、空が裂けて口が現れるなんてさ。


 あそこへ入れば外に出られる、ということなんだろうけど、どう見ても食べられる側の景色にしか見えない。せめて歯をしまってくれたりしないかな。

 咀嚼なんてしないで、ちゃんと丸呑みしてくれるの?


「あれ? 何か出てきた……」


 口の奥でほのかに光るものが見えて、思わず身構えてしまった。舌まで出てきたらどうしようと思ったものの、それにしてはずいぶん細い。


 暗がりからゆっくりと垂れてくる白いものを目で追っていると、風に揺れるたび、光り方がかすかに変わった。

 裁縫に使うような細い糸が、たった一本、巨大な口から僕たちのほうへ伸びてくる。


「またあいつらが追ってくるかもしれない。千歳(ちとせ)、先に登れ」


 ……えっと、登る? この細い糸を掴んで?


「どうした、早くしろ」


「だって、こんな細い糸、掴んだ途端に切れちゃいそうだよ」


「栲幡千千姫命《たくはたちぢひめのみこと》に縁のある栲幡(たくはた)の糸だぞ。切れるわけがないだろ」


 切れるわけがないと言われても、そんな名前初めて聞いたよ。

 なんでそんな「当たり前だろ」みたいな顔ができるのさ。栲幡の糸の口コミを調べるからちょっと待ってほしい!


「本当に大丈夫なの?」


「柘榴様が寄越したものだぞ」


 地獄にいる犍陀多(かんだた)に救済の糸を垂らしたのはお釈迦さまだったっけ。

 神様、仏様、柘榴様。


 こうなったら、柘榴さんの謎アイテムを信じるしかない。


「ほら、早くしろ」


「分かった、分かったから、そんなに押さないでね?」


 お尻を叩かれる前にと糸を掴んでみると、思っていたような頼りなさはなかった。指の間からするりと抜けてしまいそうなのに、少し引いただけで、体のほうが上へ持ち上がる。


「……なんだか体が軽い」


 慌ててもう片方の手も添えた時には、足の裏が地面から離れていた。

 こんな細いものにぶら下がっているのに、指が痛くなるどころか、踏み台にでも乗っているみたいに楽だ。足元には何もないんだから、楽なのもそれはそれで怖いんですが。


「朱音ちゃんはどうするの?」


「我もすぐに行く。お前は上だけ見ていろ」


 つまり、下は見ないほうがいいということですね。

 そういうことなら得意だ。見てはいけないものから目を逸らすのは、普段から心がけているので。


 試しに少し上を掴んで体を引き寄せると、今度も拍子抜けするほど簡単に登れた。

 さっきまで走り続けても疲れなかったし、ここにいる間だけ、僕も運動が得意な人になれているのかもしれない。できれば、この調子のまま学校の体力測定を受けたいな。


 糸をたどるうちに、白く光るものが目の端へちらちらと入り始めた。なんだろうと少し顔を横へ向けて、それがさっき見えた歯だと気づく。


 ……近くで見ると、こんなに大きいんだ。


 登ることに夢中になっているうちに、もう口のすぐ下まで来ていたらしい。糸の続く先を確かめようにも、頭の上いっぱいに広がった暗がりに、途中から溶け込んでしまっていた。


「ねえ、朱音ちゃん! この口、咀嚼したりしない?」


 ここからだと、歯と歯の間くらいは通れそうだ。だから何だという話で、通れることと通りたいことは、まったく別だよ。


 下は見ないほうがいいし、上は見たくない。

 こんな時に目を閉じたら、ますますどうにもならないよな。


「馬鹿なこと言ってないで、早く上がれ!」


 下から朱音ちゃんの声が聞こえて、少しだけほっとした。ちゃんと来てくれているらしい。

 僕がここでつかえていたら、朱音ちゃんも出られないんだ。分かってる。分かってるんだけど、あの歯の向こうへ頭を入れるには、もう少し覚悟というものが——。


「千歳君、千歳君! 手を伸ばして!」


 その声は、すぐ上から聞こえた。


 糸を握り直しかけたところで、指が止まってしまった。

 この声を聞いたら安心するはずなのに、ついさっきまで目の前にいた白雪さんの顔が浮かんで、返事がひと呼吸遅れてしまった。


「……白雪さん?」


「もう少しよ。手を伸ばして!」


 顔を見ようと目を凝らしても、暗くて何も分からない。あと少し登れば見えるのかもしれないが、その少しが、どうにも遠かった。


「あの、落とさないでね……!」


 片手だけでも大丈夫だろうかと糸を握る指に力を込めながら、空いた手を声のほうへ伸ばしてみる。


 暗い口の中から差し出された、ほっそりとした手が見えた。


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