24. うかつに目をあわせない
「ご、ごめんなさい……」
何に謝ってるのか分からないのに、その言葉は反射的に口から出てた。
なぜ僕が謝らないといけないのか分からないけど、黙っているともっと怒られるから、何か言わなきゃいけないんだ。
いつもそうやって、なるべく音を立てないように静かにしていれば、そのうち落ち着いてくる。
「何度言えば分かるんだ!」
床を踏み鳴らす大きな音に驚いた拍子に、抱えていた膝に顎がぶつかってしまった。
うっかり声を出さないように、ぐっと歯を食いしばる。息をするのも、できるだけ静かに。
「あ……」
でも、顔を埋めた腕の隙間に、ぼんやりと明るいものが見えて、小さく声を漏らしてしまった。
目の前の扉ではなく、荷物の奥のほう。さっきまで真っ暗だったのに、布の向こうから、細い光が漏れている。
あんなところに出口があったっけ?
邪魔になっている布を少しずつ押しのけると、その先の明かりが、近づいてくるように揺れた。
誰かいるのかな。こっちに気づいてもらえたら、そこから出してもらえるかもしれない。
「おい、千歳! どこに手を伸ばしてる」
あれ? この声は。
今までとは違う、この元気な声は——。
「……朱音ちゃん?」
「他に誰がいるんだ。聞こえているなら返事をしろ」
うん、聞こえてる。ちゃんと聞こえてるよ。
それどころか、すぐ横で言われているみたいで、周りを見回してみるけど、やっぱり暗闇しかなかった。
「ねえ、朱音ちゃん、そこにいるの?」
「どうした、お前こそ、いつまで座ってるつもりだ」
「あの、僕、閉じ込められちゃったみたいで」
そうだった、ここはあの場所じゃないんだ。
僕は朱音ちゃんと一緒に出口を目指していたんじゃないか。早くここから出て追いつかなきゃ。
あの声がしたけど、ここから出られるかな。
「朱音ちゃん。そっちから開けられないかな。目の前に扉があるんだ」
取っ手を探して指を滑らせると、少し窪んだところが見つかった。そこに指をかけて横へ引いてみても、戸はかたかたと鳴るばかりで、やっぱり動かない。
朱音ちゃんはどこにいるんだろう。さっきみたいにここを蹴破って開けてくれないかな。
僕はダメなんだ。僕じゃここを開けられないんだよ。
「僕は開けちゃいけないんだ。だって、勝手なことしたら怒られちゃうから……」
「それは昔の話だろう」
「え?」
「千歳、お前は今も子どもの頃と変わらないのか?」
……そうだよ、もうあの頃とは違うじゃないか。
取っ手にかけている指は、窪みに入りきらずにはみ出している。昔は両手を使っても、ろくに力を入れられなかったはずなのに。
それに、さっきぶつけた顎も、まだ少し痛い。
こんなふうに膝が邪魔になるほど、あの頃の僕は大きくなかったよな。
「お前がいると、ろくなことがない!」
また聞こえてきた声に、取っ手を握る指から力が抜けかけた。
反射的に謝りそうになって、今度はなんとか口を閉じる。
あの頃は自分の周りで何が起きてるのか分かっていなかった。でも、今はもうそうじゃないんだ。
「……あの、それは、僕のせいじゃありません」
心の中では、もう少し強く言えるつもりだったんだけど、うまくいかないな。
それでも、ようやく体に力が戻ってきた感じがした。
「お前のせいなんだ! 何度言えば分かる!」
「あのですね、それはどうかと思いますよ。言いがかりってやつです」
相手の姿が見えていたら、こんなことは言えなかったかもしれない。
うん、さっきよりも声が出せてる。
よし、朱音ちゃんも待ってるし、こんなところさっさと出ないとね。
「僕はここから出ていきます。きっと気に食わないことがあるんだと思います、でもね——僕はもう立ち止まることはやめたんだ」
何が起きたのかも教えてくれず、僕が悪いと決めつけて。何かあるたびに、全部僕のせいにされてもさ。
そうさ、あの時僕は、自分の力で立ち上がって、前に進むって決めたんじゃないか。
「どうだ、千歳。そこから出られそうか?」
「ちょ、ちょっと待ってね。今、考えてるから」
「さっさとしろ。いつまでも待ってられんぞ」
ここから出たら朱音ちゃんが待ってくれてる。勝手に箱に近づいたりしたから、戻ったら柘榴さんに怒られるかもしれない。
それから、約束を破ってしまった白雪さんには、きちんと謝らないと。
謝るっていうのは、理由があってするもんだよ。
もう一度、取っ手に指をかけてみると、戸が少しずつ動いていく。
下の方が引っかかるので、少しだけ持ち上げてみると、今度はすんなりと浮き上がり、下の端が手前へ揺れる。
そうか。引き戸なんだから、溝から外してしまえばいいんだ。
昔は取っ手を引っ張ることしか考えられなかったし、そもそも、持ち上げる力もなかったんだろうな。
「大丈夫か、千歳」
「うん、分かったかも。朱音ちゃん、少し離れててね」
戸を持ち上げたまま、下の端を少し引き寄せる。軽いと思ったのは最初だけで、斜めになった途端、重さが全部こっちにかかってきた。
「あ、まずい!」
このままだと、自分で外した扉に押し潰されました、なんてことになる。
朱音ちゃんにかっこよく「少し離れててね」なんて言っておきながら、そんな失態は避けたいよ!
あ、でも、これ横から出られるんじゃない? 戸が傾いたおかげで、肩くらいは通りそうだ。
このまま支えているのも限界だし、戸が壊れる心配してる場合じゃないよね。
「うわっ!」
思い切って体をねじ込んだら、足元にあるはずの床がなくって、転ぶと思って差し出した手に触れたのは、乾いた土と、ちくちくする草だった。
顔を上げると、目の前には見たことのある朱色の草履。そのまま視線を上へたどれば、腕を組んだ朱音ちゃんが、呆れた顔で僕を見下ろしている。
「……あ、戻れた?」
「お前はどこにもいっていない。最初からずっとここにいたぞ」
振り返っても、そこにあるのは木々の間に続く細い道だけだった。
倒したはずの戸も、邪魔だった荷物も見当たらない。さっきまで手に重さまで感じていたのに、足元には木の欠片ひとつ落ちていなかった。
「僕、どうなってたの?」
「急に座り込んだと思ったら、何もないところを引っ張り始めた。最後は一人で転んだな」
外から見ていた人の説明って、どうしてこんなに身も蓋もないんだろう。
こっちは結構頑張ったつもりだったのに、それじゃ、ただの変な人じゃないか。
「——柘榴様が考えていた以上に、お前は問題を抱えてるようだな」
「……えっと、それはどういうこと?」
「我から話せることはない。それよりも先を急ぐぞ」
服についた土を払いながら立ち上がると、今度はどこにもぶつからず、ちゃんと背中を伸ばせた。
暗いところも怒鳴り声も、できればもう遠慮したい。それでも、さっきの戸を開けるくらいなら、今の僕にもできるんだな。
「おい、千歳、振り返るなよ」
僕の背後に向けられた朱音ちゃんの目が細められている。
「……こ、今度は何?」
振り向きたい気持ちを抑えていたら、目の前の道の先に、小さな子どもが立っていた。
そして、さらに似たような子どもたちが、あちこちから姿を見せた。
「朱音ちゃん、たぶんあっちにもいるかも」
「相手をしていたらきりがない。急げ!」
その間にも、子どもたちの後ろに大人たちが続き、やがて僕と同じ制服を着た生徒まで姿を見せる。
どこかで見たことがあるような顔も混じっている気がするけど、誰なのかまでは思い出せない。
ただ、こちらへ向けられた目がどれも虚ろで、前に見た須藤君たちと同じように焦点が合っていなかった。
「千歳、あいつらの目を見るな、とにかく走れ」
朱音ちゃんの後を追うように駆け出した途端、背後の足音も一斉に大きくなった。
まずいと思って足に力を入れるのに、うまく地面を蹴ることができない。息はまだ切れていないし、さっきまで普通に歩けていたのに、膝から下だけが急に重くなっていた。
夢の中で走ろうとする時みたいに、いくら動かしても前へ進まない。
「ま、待って、朱音ちゃん……!」
前を行く朱音ちゃんが振り返り、すぐに僕のところまで戻ってくる。
「お前、目を見たな。さっきの暗闇と同じだ。あいつらも、お前の心が生み出したものだ」
「僕の、心……?」




