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図書館では声をひそめて  作者: 音鳴 凪
第三章【栲幡の糸】

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24. うかつに目をあわせない

「ご、ごめんなさい……」


 何に謝ってるのか分からないのに、その言葉は反射的に口から出てた。

 なぜ僕が謝らないといけないのか分からないけど、黙っているともっと怒られるから、何か言わなきゃいけないんだ。


 いつもそうやって、なるべく音を立てないように静かにしていれば、そのうち落ち着いてくる。


「何度言えば分かるんだ!」


 床を踏み鳴らす大きな音に驚いた拍子に、抱えていた膝に顎がぶつかってしまった。

 うっかり声を出さないように、ぐっと歯を食いしばる。息をするのも、できるだけ静かに。


「あ……」


 でも、顔を埋めた腕の隙間に、ぼんやりと明るいものが見えて、小さく声を漏らしてしまった。

 目の前の扉ではなく、荷物の奥のほう。さっきまで真っ暗だったのに、布の向こうから、細い光が漏れている。


 あんなところに出口があったっけ?


 邪魔になっている布を少しずつ押しのけると、その先の明かりが、近づいてくるように揺れた。

 誰かいるのかな。こっちに気づいてもらえたら、そこから出してもらえるかもしれない。


「おい、千歳(ちとせ)! どこに手を伸ばしてる」


 あれ? この声は。

 今までとは違う、この元気な声は——。


「……朱音(あかね)ちゃん?」


「他に誰がいるんだ。聞こえているなら返事をしろ」


 うん、聞こえてる。ちゃんと聞こえてるよ。

 それどころか、すぐ横で言われているみたいで、周りを見回してみるけど、やっぱり暗闇しかなかった。


「ねえ、朱音ちゃん、そこにいるの?」


「どうした、お前こそ、いつまで座ってるつもりだ」


「あの、僕、閉じ込められちゃったみたいで」


 そうだった、ここはあの場所じゃないんだ。


 僕は朱音ちゃんと一緒に出口を目指していたんじゃないか。早くここから出て追いつかなきゃ。

 あの声がしたけど、ここから出られるかな。


「朱音ちゃん。そっちから開けられないかな。目の前に扉があるんだ」


 取っ手を探して指を滑らせると、少し窪んだところが見つかった。そこに指をかけて横へ引いてみても、戸はかたかたと鳴るばかりで、やっぱり動かない。


 朱音ちゃんはどこにいるんだろう。さっきみたいにここを蹴破って開けてくれないかな。


 僕はダメなんだ。僕じゃここを開けられないんだよ。


「僕は開けちゃいけないんだ。だって、勝手なことしたら怒られちゃうから……」


「それは昔の話だろう」


「え?」


「千歳、お前は今も子どもの頃と変わらないのか?」


 ……そうだよ、もうあの頃とは違うじゃないか。

 取っ手にかけている指は、窪みに入りきらずにはみ出している。昔は両手を使っても、ろくに力を入れられなかったはずなのに。


 それに、さっきぶつけた顎も、まだ少し痛い。

 こんなふうに膝が邪魔になるほど、あの頃の僕は大きくなかったよな。


「お前がいると、ろくなことがない!」


 また聞こえてきた声に、取っ手を握る指から力が抜けかけた。

 反射的に謝りそうになって、今度はなんとか口を閉じる。


 あの頃は自分の周りで何が起きてるのか分かっていなかった。でも、今はもうそうじゃないんだ。


「……あの、それは、僕のせいじゃありません」


 心の中では、もう少し強く言えるつもりだったんだけど、うまくいかないな。

 それでも、ようやく体に力が戻ってきた感じがした。


「お前のせいなんだ! 何度言えば分かる!」


「あのですね、それはどうかと思いますよ。言いがかりってやつです」


 相手の姿が見えていたら、こんなことは言えなかったかもしれない。

 うん、さっきよりも声が出せてる。


 よし、朱音ちゃんも待ってるし、こんなところさっさと出ないとね。


「僕はここから出ていきます。きっと気に食わないことがあるんだと思います、でもね——僕はもう立ち止まることはやめたんだ」


 何が起きたのかも教えてくれず、僕が悪いと決めつけて。何かあるたびに、全部僕のせいにされてもさ。

 そうさ、あの時僕は、自分の力で立ち上がって、前に進むって決めたんじゃないか。


「どうだ、千歳。そこから出られそうか?」


「ちょ、ちょっと待ってね。今、考えてるから」


「さっさとしろ。いつまでも待ってられんぞ」


 ここから出たら朱音ちゃんが待ってくれてる。勝手に箱に近づいたりしたから、戻ったら柘榴さんに怒られるかもしれない。


 それから、約束を破ってしまった白雪さんには、きちんと謝らないと。

 謝るっていうのは、理由があってするもんだよ。


 もう一度、取っ手に指をかけてみると、戸が少しずつ動いていく。


 下の方が引っかかるので、少しだけ持ち上げてみると、今度はすんなりと浮き上がり、下の端が手前へ揺れる。


 そうか。引き戸なんだから、溝から外してしまえばいいんだ。

 昔は取っ手を引っ張ることしか考えられなかったし、そもそも、持ち上げる力もなかったんだろうな。


「大丈夫か、千歳」


「うん、分かったかも。朱音ちゃん、少し離れててね」


 戸を持ち上げたまま、下の端を少し引き寄せる。軽いと思ったのは最初だけで、斜めになった途端、重さが全部こっちにかかってきた。


「あ、まずい!」


 このままだと、自分で外した扉に押し潰されました、なんてことになる。

 朱音ちゃんにかっこよく「少し離れててね」なんて言っておきながら、そんな失態は避けたいよ!


 あ、でも、これ横から出られるんじゃない? 戸が傾いたおかげで、肩くらいは通りそうだ。

 このまま支えているのも限界だし、戸が壊れる心配してる場合じゃないよね。


「うわっ!」


 思い切って体をねじ込んだら、足元にあるはずの床がなくって、転ぶと思って差し出した手に触れたのは、乾いた土と、ちくちくする草だった。


 顔を上げると、目の前には見たことのある朱色の草履。そのまま視線を上へたどれば、腕を組んだ朱音ちゃんが、呆れた顔で僕を見下ろしている。


「……あ、戻れた?」


「お前はどこにもいっていない。最初からずっとここにいたぞ」


 振り返っても、そこにあるのは木々の間に続く細い道だけだった。

 倒したはずの戸も、邪魔だった荷物も見当たらない。さっきまで手に重さまで感じていたのに、足元には木の欠片ひとつ落ちていなかった。


「僕、どうなってたの?」


「急に座り込んだと思ったら、何もないところを引っ張り始めた。最後は一人で転んだな」


 外から見ていた人の説明って、どうしてこんなに身も蓋もないんだろう。

 こっちは結構頑張ったつもりだったのに、それじゃ、ただの変な人じゃないか。


「——柘榴様が考えていた以上に、お前は問題を抱えてるようだな」


「……えっと、それはどういうこと?」


「我から話せることはない。それよりも先を急ぐぞ」


 服についた土を払いながら立ち上がると、今度はどこにもぶつからず、ちゃんと背中を伸ばせた。

 暗いところも怒鳴り声も、できればもう遠慮したい。それでも、さっきの戸を開けるくらいなら、今の僕にもできるんだな。


「おい、千歳、振り返るなよ」


 僕の背後に向けられた朱音ちゃんの目が細められている。


「……こ、今度は何?」


 振り向きたい気持ちを抑えていたら、目の前の道の先に、小さな子どもが立っていた。


 そして、さらに似たような子どもたちが、あちこちから姿を見せた。


「朱音ちゃん、たぶんあっちにもいるかも」


「相手をしていたらきりがない。急げ!」


 その間にも、子どもたちの後ろに大人たちが続き、やがて僕と同じ制服を着た生徒まで姿を見せる。


 どこかで見たことがあるような顔も混じっている気がするけど、誰なのかまでは思い出せない。

 ただ、こちらへ向けられた目がどれも虚ろで、前に見た須藤君たちと同じように焦点が合っていなかった。


「千歳、あいつらの目を見るな、とにかく走れ」


 朱音ちゃんの後を追うように駆け出した途端、背後の足音も一斉に大きくなった。


 まずいと思って足に力を入れるのに、うまく地面を蹴ることができない。息はまだ切れていないし、さっきまで普通に歩けていたのに、膝から下だけが急に重くなっていた。

 夢の中で走ろうとする時みたいに、いくら動かしても前へ進まない。


「ま、待って、朱音ちゃん……!」


 前を行く朱音ちゃんが振り返り、すぐに僕のところまで戻ってくる。


「お前、目を見たな。さっきの暗闇と同じだ。あいつらも、お前の心が生み出したものだ」


「僕の、心……?」

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