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図書館では声をひそめて  作者: 音鳴 凪
第三章【栲幡の糸】

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22. 怪しい誘いには気をつけよう

 ぐらりと視界が揺れて、思わず尻餅をついてしまった。


「いてて、今度はなんだ……」


 何が起きてもいいように、備えていたつもりだったのに、ちょっと油断しちゃったな。

 頭を振って立ち上がると、最初に見えてきたのは、目の前に並んだ机だった。


「……これは、教室かな?」


 黒板の横に貼られた時間割も、窓際に並ぶ机も見覚えがある。どうやら、ここは僕たちの教室らしい。


 砂漠の次は公園で、今度は学校か。どういう基準で場所が変わってるのか分からないけど、少なくとも、ここならどこに何があるのかは分かる。


「うーん、でも、元に戻ってきた、というわけじゃなさそうだね」


 教室の後ろから見る風景は、馴染みのあるもののようで、細かいところがぼんやりしていた。たとえば黒板に書かれた日付は今日になってる。でも、その下に書かれた日直の名前は、子どもがイタズラで書いた文字のようで読み取れない。

 よく見ると、時間割なんかも、それっぽく作られているだけで、中身は適当だ。現実を真似して作ったハリボテ、そんな印象。


「誰かが作った……うう、変なこと考えちゃった」


 自分の勝手な想像で背筋がぞくりとしてしまった。


 教室の中には誰もいないし、廊下からも何の音も聞こえてこない。窓に近づいて外を覗いてみると、そこにはちゃんと校庭が広がっていた。人影は見えないし、空の色は砂漠で見た時と同じままだ。


「え……」


 もう一度教室の中へ視線を戻すと、さっきまで誰もいなかったはずなのに、一番前の席に誰かが座っていた。

 前を向いていて、僕から見えるのは後ろ姿だけど、その姿を見間違えるわけがない。


 背中で揺れる、ゆったりとひとつに結ばれた、薄茶色の長い髪。


「…………」


 白雪(しらゆき)さん、と呼びかけようとしたのに、やっぱり声が出ない。さっきの公園の時と同じだ。


 もしかして、僕を探しにきてくれたのだろうか。いや、そんなわけないよ。僕が旧図書館にいることは誰にも言ってないんだから、そんなはずはないんだ。


 でも、もし白雪さんも何かに巻き込まれていて、前のように操られていたら?

 そんな可能性もゼロじゃないよな。


「…………」


 もう一度呼びかけようとしても、やっぱり声は出ないみたいだ。

 気づいていないのか、僕がすぐ後ろまで近づいても反応がないので、そっと肩に手を伸ばそうとすると、白雪さんが急に椅子から立ち上がった。


 振り返った白雪さんの表情を見て、体が強張るのを感じる。


「こっちに来ないで、祀(・)乃(・)目(・)君(・)」


 逃げるように離れていく白雪さんの目は険しく細められ、口元はギュッと結ばれている。困っている顔は見たことがあるけど、白雪さんは怒るとこんな表情をするのか。


 白雪さんが僕を「千歳君」と呼ぶようになってから、それほど日が経っているわけじゃない。それなのに、名字で呼ばれただけで、ひどく遠くに行ってしまったような気がする。


「どうして私を騙したの。私はあなたを信じてたのに。ひどいわ」


 これは幻なのか、それとも——。


「僕は……」


 さっきまで出なかった声が、今度は掠れて喉から漏れた。だけど、何と言葉を続ければいいんだろう。


 それにしても、こんなことを言われているのに、妙に冷静な自分にも呆れてしまうな。


「祀乃目君。二度と私の前に顔を見せないで」


 まっすぐ僕を指差した白雪さんの顔が、ぐにゃりと歪んだ。


 そうじゃない、僕の視界のほうが、大きくねじれ始めていた。


 * * *


 手に伝わる冷たさからして、さっきまでの教室とは違うようだ。


「……これ、いつまで続くの?」


 とりあえず声は出るみたいだ。

 それにしても、こう何度もクラクラすると、そのうち乗り物酔いにでもなりそうだよ。

 

 しかも、目の前の揺れが収まっても、薄暗くて周りがよく見えない。

 それでもしばらくすると、少しずつ暗さに目が慣れてきて、太い柱や、木箱の積まれた棚がぼんやりと浮かび上がってきた。埃と古い木の匂いからして、古い蔵の中みたいだ。


 まあ、実際に入ったことがあるわけじゃないけど、「蔵の中からお宝発見!」的なテレビで見る風景にそっくりだ。


 足元に注意しながらゆっくりと立ち上がって、もう一度周囲を見回してみても、出口というか扉らしきものが見当たらない。

 ここまでのパターンからすると、また景色が変わるとか、誰かが現れるとか……。


 それにしても、鳥居をくぐってからのことを思い返すと、もしかしてここは箱の中じゃなくて、夢の中なのではという気がしてきた。


 だって、公園でもその後の教室でも、起きたのは僕の——。


 ——手を伸ばせ。


「え? だ、誰?」


 声というか音というか、不思議な響きが聞こえてくる。

 いったいどこから?


 ——お前から手を伸ばせ。


 目を凝らすと、壁に並んだ棚の一番奥に、人のような形をした何かが見えた。暗くて輪郭までは分からないけど、そこだけ周りよりも闇が深く、じっとこちらを見ているような気がする。


「えっと、こ、こんにちは」


 …………。


 声をかけても返事はない。ちょっと挨拶の仕方を間違えたかな。

 もしこれが夢なら、そう気づいた時点で目が覚めるんじゃなかったっけ?


 ——お前の穢れを食ってやろう。

 ——そうすれば、お前はもう苦しまずにすむ。


 声はだんだんとはっきりしてきて、ぼんやりしていた影も濃くなってきている。


 穢れを食うとは、どういうことだろう。柘榴さんのように、お祓い的なこと?

 それにしたって、僕の穢れって……。


 ——お前は分かっているだろう。


 公園にひとり残された子どもの背中、僕を名字で呼んで怒りを向けた白雪さんの顔。

 

 ——手を伸ばせ。


 人が離れていっても、敵意を向けられても、それはその人が悪いとは限らない。

 そんなの今に始まったことじゃないし、僕のボッチ歴を舐めないでほしいな。


「あ、あれ?」


 こんなの怪しいに決まってる。そんなことは分かっているのに、断る理由を考えようとすると、頭の中に白い靄がかかったみたいに、何も浮かんでこなかった。


 どうして私を騙したの——違う、僕は騙そうだなんて思ってない。僕だって本当は……。


 止めなきゃと思っているのに、右手が暗闇の奥へと伸びていく。力を入れて引き戻そうとしても、指先の感覚は、自分のものじゃないみたいに遠かった。


 バチン!

 

「うわわ!」


 伸ばした指先が影に触れそうになった途端、そこから弾けるような衝撃が走り、僕の体は後ろに吹き飛ばされた。


 ——!!


 影のほうからうめき声が上がったかと思うと、その形が不安定に崩れていく。


 ——貴様!


 ぶわっと吹きつけた生ぬるい風に全身を撫でられ、ぞわりと鳥肌が立った。


 やばい、怒ってますよね!

 なんでか分からないけど、こんな得体の知れない相手すら怒らせるなんて、僕はその手の才能に恵まれてるのかな。


 なんとか体を動かそうとしていたその瞬間、今度は耳をつんざく轟音が頭上から響いてきた。


「うわっ! 今度はなに!」


 上から何かが降ってきて、崩れた天井から光が差し込んだ。


「間に合ったか」


 聞き覚えのある声を追って顔を上げると、降り注ぐ埃の向こうに、鮮やかな赤い着物姿の少女が立っていた。頬の横で切り揃えられた黒髪と、襟元や袖口から覗くフリル。


「朱音ちゃん!」


「もう食い散らかされているかと思ったが、その様子だとまだだったようだな」


 食い散らかすってなに!?

 もしかして熊か何かが僕をおびき寄せてたの?


「あの、ここはいったいどこで、朱音ちゃんはどこから来たの? 僕はもう訳が分からなくて……」


「ここは禍津(まがつ)の櫃(ひつ)の中だ。お前はあれに呑み込まれたんだ」


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