19. 今度はそうきたか
「――そうだったか。まさか、向こうから出てくるとはな」
旧図書館に戻った僕たちは、事の顛末を柘榴さんに報告した。
能登さんは白雪さんの時と同じように、床で意識を失ったままだ。
もちろんここまで能登さんを運んだのは朱音ちゃんで、僕は今回、最初から手を挙げなかった。適材適所というやつだよね。
「あの、能登さんはやっぱりこのままじゃまずいんですよね?」
「ああ、この前のお札とはまた違う原因のようだが、いずれにしてもこのまま放っておくわけにはいかないな」
確か、白雪さんの時は、お札が原因で悪い気が撒き散らされていて、それに影響を受けた人が、ということだった。
「じゃあ、今度はお札みたいなものがあるわけじゃないんですか? またあの鈴を使って探さないといけないのかと思ってました」
「そうだな……。今回は、その子の心に原因が潜んでいるといえばいいかな」
「能登さんの心?」
「人は誰でも、その心に薄暗いものを持っている。その隙をつかれたんだろう」
心にある薄暗いもの、か。僕には色々と思い当たることがあるな。
でも、確かに柘榴さんの言うとおり、誰にだって多かれ少なかれあるんだろう。
周囲のみんなから愛されている白雪さんにだって、きっと悩みごともあるに違いない。
「いずれにせよ、この穢れは祓う必要がある。――朱音、この子を鏡のところまで運んでくれ」
柘榴さんが指で示したのは、書架の並びが途切れた奥の一角だった。
そこには、黒い布がかかった、大きな何かが立てかけられている。
あれ? あんなもの、前からあったっけ。
いや、この薄暗い図書館のことだ。目に入っていても、気に留めていなかっただけかもしれない。
……でも、なんだか嫌な予感がする。
前回の箱のこともあるし、また変なものが出てくるんじゃないのかな。
朱音ちゃんがその近くに能登さんを横たえると、柘榴さんが布の端に手をかけて、ぱっと引き剥がした。
柘榴さんも朱音ちゃんも、説明不足だし、心の準備をさせてくれないな!
何かが飛び出してくるんじゃないかと、思わず目をつぶってしまったけど、恐る恐る目を開いてみると、そこにあるのは大きな鏡だった。
黒ずんだ木の枠に、見たこともない文字がびっしりと彫り込まれている。横に立っている柘榴さんの背丈と同じくらいの高さがあって、鏡面は長い年月を吸い込んだみたいにくすんでいた。
「気吹戸主神の名を冠した『気吹戸の鏡』だ」
なんだかまた難しそうな名前が出てきた。毎回色々な名前が出てきて、もう覚えられないよ。
そんなことを思っている間に、最初はくすんでいた鏡の表面に、じわりと能登さんの姿が浮かび上がってくる。
いったいどういう仕組みなんだ?
「あっ……」
白雪さんが声をあげて、鏡の中の能登さんを指差した。
鏡の中の能登さんの肩から背中にかけて、黒いモヤが、ゆらりと浮かび上がってきている。
「これ、僕が見たやつだ。あのお面を通して――」
窓から覗き込んだ時に見た、光を吸い込むような真っ黒な塊が、鏡の中でだけ、眠る能登さんに覆いかぶさっている。
「そっちにも出てきたぞ」
「ほ、ほんとだ」
鏡の中だけではなく、床に横たわる能登さんの肩のあたりにも、薄墨を流したような影が、じわじわと滲み出してきていた。
鏡の中の黒に呼応するように、モヤの輪郭がだんだんと重なっていく。
「よし、そろそろいいだろう」
柘榴さんは鏡の横に回り込んだかと思うと、その背面に手のひらを当てて——ばんっ、と勢いよく叩いた。
その瞬間、鏡から、突風が吹き出してくる。
「うわ!」
ひんやりとした風が、まっすぐ能登さんへ流れていくと、その風に撫でられた部分から、まとわりついた黒いモヤがほどけていく。
煙が風に流されるみたいに、塊がちぎれ、薄れ、床の上の影も、鏡の中の黒も、同じ速さで晴れていった。
「終わったぞ」
柘榴さんの言葉とともに、鏡はまた元のとおり、何も映らないくすんだ表面に戻っていく。
「これでその子の穢れは祓えた」
「じゃあ、深山さんの声も……」
「白雪君の時と同じだ。元を絶ったからには、そちらも良くなっていくだろう」
* * *
部室棟の裏手は、もうすっかり夜の気配に包まれていた。
「……ねえ、朱音ちゃん。僕たち、傍から見たら完全に不審者だよね」
「一緒にするな。不審なのはお前だけだ」
「二人とも同罪でしょ!?」
壁際に横たえられた能登さんを、僕と朱音ちゃんは、少し離れた植え込みの陰から見守っていた。
小声で言い合っているうちに、校舎のほうから、足音がふたつ近づいてきた。白雪さんと、それから深山さんだ。
「若葉!」
白雪さんが指し示したところに、能登さんが倒れているのを見つけると、深山さんが、名前を呼びながら駆け寄っていく。
その後ろからついていく白雪さんが、ちらりとこちらを見て頷いた。どうやら深山さんにはうまく説明できたみたいだ。
「若葉、若葉ってば! しっかりして!」
「ん……。……あれ、わたし……」
「気分悪いって出てったきり、戻ってこないから……! 部活終わっても見つからないし、心配したんだよ、もう……!」
……よかった。ちゃんと、目を覚ました。
能登さんは、しばらくぼんやりと、深山さんの顔を見つめていた。自分がどこで何をしていたのか、記憶の糸をたぐっているんだろう。
そして、遠くからでも、能登さんの顔が、くしゃりと歪んだのが見えた。
「……智紗」
「え? どうしたの、どこか痛い?」
「ごめん……ごめんね、智紗。わたし、ずっと……智紗の活躍に、嫉妬してて……それで、わたし……」
能登さんのしゃくり上げる声が、夜の空気を震わせる。
嗚咽しながら、途切れ途切れ言葉をつむぐ能登さんを、深山さんは何も言わずに抱きしめた。
白雪さんが、静かに一歩、後ろへ下がり、それから音を立てないように踵を返して、こちらへ歩いてくる。
僕と朱音ちゃんは目配せをして、植え込みの陰から、そっと離れた。
ここから先は、僕たちが聞いていい話じゃない。




