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図書館では声をひそめて  作者: 音鳴 凪
第二章【清見の面】

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20/20

20. 目を開けたら負け

能登(のと)さんは、無事に目を覚ましました。今は深山(みやま)さんと二人で話しています」


 能登さんと深山さんをあの場に残して、僕と白雪(しらゆき)さん、それから朱音(あかね)ちゃんの三人は、旧図書館に戻ってきた。

 植え込みの陰を離れる間際に聞こえた、能登さんの嗚咽を思い出す。あれはもう、大丈夫な涙だと思う。


「そうか。なら、こちらの仕事もあらかた終わりだな」


 話を聞いた柘榴(ざくろ)さんは、そう言って立ち上がると、じっと僕の顔を見つめている。

 あらかた、って、もしかして?


千歳(ちとせ)君、最後は君のお祓いだ。その目を清めておく必要がある」


「え、僕の目、ですか」


「君は面を被って、穢れを直接見ただろう?」


 この流れ、知ってるぞ。お札の騒動のときも、一件落着したと思ったところで、まさかの続きがあったんだ。

 あのときは手だったけど、今度は目!?


「あ、あの、柘榴さん!」


 隣で声を上げたのは白雪さんで、勢いよく手を上げたかと思いきや、その姿勢のまま固まった。


「白雪さん、どうかした?」


 その目が、ほんの一瞬、こちらを向く。口をもごもご動かしてるけど、何を言っているか聞き取れない。

 な、なんだろう。

 けれど僕が聞き返すより先に、ぱっと柘榴さんへと向き直って言葉を続けた。


「千歳君へのお祓いは、その、どうしてもしないといけないことですか」


「もちろんだ。あの面は、人の穢れを直接見る道具だからな。使った者の目には、穢れの澱が残る。そのままにしておけば――遠からず、光を失うぞ」


「し、失明!? 聞いてないですよ、そんな話!」


「でも、私も鏡の前で穢れを見ましたよ」


 そうだ、確かに。あの大きな鏡に映った能登さんの姿から、黒いモヤが広がっていき、それは鏡の中だけじゃなくて、本体のほうにも現れていた。

 そのモヤは面を通してなくても見えていた。


「あれは鏡が映し出した写し身だ。直接ではないから問題ない」


 そんな、それはズルい!

 ……でも、最初から危険性を聞かされてたとしても、困っている白雪さんを放っておくなんてできなかったけど。


 それにしてもだよ。視力とか命とか、大事なことは先に言ってほしい。この人の説明不足は今に始まったことじゃないけどさ!


「心配するな、今なら祓える。――ほら、じっとしていろ」


 言うが早いか、柘榴さんの両手が伸びてきて、僕の顔をがしっと挟み込んだ。


 既視感がすごい。初めて会った日も、この人はこうやって僕の頭を固定して、目を覗き込んできたんだった。

 あのときと違うのは、距離がそこで止まらないことで――柘榴さんの整いすぎた顔が、ゆっくりと近づいてくる。


「目を開けたままではできないぞ、大人しく目をつぶれ」


 できないって何を!

 ちょ、ちょっと待って。この距離は、その、あれでは。キ、キ――。


「そのままじっとしていろ」


 視界が閉じると、残った感覚が急に鋭くなる。古い紙と埃の匂いの奥に、柘榴さんの気配がある。頬を挟む手のひらの熱と、かかる吐息。


 僕の右の瞼に、何か柔らかいものが、そっと押し当てられた。

 一秒ほどして離れると、次は左に同じ感触。


 また一秒経ってその感触が離れていっても、声も出せずにいる僕の耳のすぐそばに、低い声が落ちてくる。


「目を開けるなよ……」


 終わりかと思ったら、柔らかくて、少し湿ったものが、今度は右の瞼の上を、ゆっくりと撫でていく。

 さっきとは少し違う感触。

 睫毛の際まで丁寧に、何かを拭い取るように。それが済むと、左も同じように清められていった。


 暗闇の中では、時間の感覚まで溶けていく。聞こえるのは自分の心臓の音ばかりで、それがうるさいくらいに速い。


「よし、終わったぞ。もう目を開けていい」


 恐る恐る目を開けると、柘榴さんはすでに一歩離れたところに立っていた。何事もなかったような、いつもの澄ました顔で。


 自分の顔が火照っているのがわかる。たぶん耳まで赤い。


 助けを求めるように白雪さんのほうを見ると、白雪さんは――両手で顔を覆っていた。指の隙間から、こっちを見ているような、見ていないような。


 え?


 もしかして、直視できないような酷いことをされた?


* * *


 柘榴さんたちと別れて、旧図書館を出てからも、隣を歩く白雪さんは、ずっと静かなままだ。


 怒っているのか、疲れているのか、その横顔からは読み取れない。

 ……うう、気まずい。

 言っておくけど、僕は何もしていないからね?


「あの、あれだね。深山さんたちの舞台、観にいきたいね。その……一緒に」


 沈黙に耐えかねた僕の口から、そんな言葉が漏れてしまい、猛烈に後悔が押し寄せてくる。

 突然何を言っているんだ、僕は!


 いや、実際のところ、深山さんが無事に舞台に立てるのか、それは気になる。

 でも、白雪さんは元々深山さんと知り合いなんだし、僕に誘われなくても、とっくに観に行く予定だったに違いない。

 僕じゃなくて、もっと仲のいい友達とさ。


「千歳君、私を誘ってくれてるの?」


 ごめんなさい!完全に調子に乗りました!


「い、いえ、すみません。差し出がましいことを、そうじゃなくて……」


 足を止めた白雪さんが、じっと僕の顔を見ているのは感じてるけど、まともにその顔を見れない。

 もうこの際、朱音ちゃんでもいいから、誰かこの場を誤魔化して!


「えっと、白雪さんはお友達と行く予定だったよね? 変なこと言ってごめん」


「ううん、誘ってくれて嬉しい。私も千歳君と行きたい」


「え?」


「私は千歳君と行きたいって言ったの。約束だよ?」


 無意識に目を逸らそうとする僕の視線に割り込むように、白雪さんは顔を覗き込んでくる。

 笑った白雪さんの口元で、八重歯がきらりと光る。

 色々あって、白雪さんの隣に立って、こうして親しげに話してるけど、本当は僕なんかがここにいちゃいけない気がしてきたよ。


「うん、約束……します」


 それでも、この笑顔を前にして、断るなんてできないでしょ!


「……千歳君」


「どうしたの、白雪さん?」


「目を瞑って」


 え? また?


「い、いいから。目を瞑って!」


「はい!」


 ……何も起きない。いや、気配はある。何かが、ゆっくりと近づいてくる。

 ふわりと、甘い匂いが鼻先をかすめたかと思うと、右の瞼に、柔らかいものが、そっと触れた。

 それは、柘榴さんの時よりも長く、少しだけ強く。


 そのまま、しんとした沈黙が続く。


「……あの、白雪さん。もう、目を開けていい……?」


 返事がないので、そっと目を開けると、目の前には、誰もいなかった。


「あれ!?」


 慌てて辺りを見回すと、少し先の明かりの下に、白雪さんの後ろ姿があった。


「し、白雪さん!」


 僕の声に振り返った白雪さんの顔は、薄闇に紛れてよく見えない。ただ、その声だけが、夜道にはっきりと届いた。


「千歳君、また明日ね」


 ……今のは、何?

 右の瞼が、まだ熱を持っている気がして、思わず指先で触れる。


 白雪さんの役に立てたことは嬉しい。

 そして、彼女の優しさに触れることも。


 でも、その優しさに慣れてはいけない。受け取ることが当たり前になるほど、近づきすぎては、いけない。


 あの時の過ちを繰り返さないように。


* * *


 長い眠りの底で、《《それ》》は身じろぎをした。


 外へ伸ばしたひとすじの糸は、灯りのともる場所で餌にありついた。憎しみ、嫉妬、そして――。


 澱の底に崩れていたものが、わずかに輪郭を取り戻していく。


 幾重にも巻かれた戒めは、まだ解けないが、ほつれた隙間は、確かに広がっていた。ひとすじだった糸は、いまや幾筋にもなって、土を伝い、水脈に紛れ、灯りのともる場所へと伸びている。


 忌々しい、あの顔。その面影を澱の底に透かし見ながら、《《それ》》は、緩んだ縛めの中で、久方ぶりに指先を動かした。


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