15. 当然視線はそっちに行く
学校の敷地の隅には、小ぶりなコンサートホールがある。
転校してきた日に白雪さんに案内してもらった場所のひとつだけど、まさかこんな形で訪れるとは思っていなかった。
深山さんから伝えられた通し稽古の日は、あっという間にやってきた。
「千歳君、白雪ちゃん、こっちこっち」
重い扉を押して中に入ると、舞台の上から深山さんが手を振ってきた。よく通る声が、ホールの高い天井に反射する。
舞台の周りには、すでに演劇部の部員たちが集まっていた。
「見学に来てくれた、祀乃目君と日々瀬さん。二人とも演劇部に興味があるんだって」
「「よろしくお願いします!」」
さすが演劇部、みんなお腹から声が出ている。
大勢の前で紹介されるという過酷なイベントが発生したけど、僕は全然平気だった。なぜなら、ほら、みんなの視線は僕の隣へ集まっているから。
白雪姫だ、可愛い、というひそひそ声が聞こえてくる。
そうだよね、あの白雪姫が見学に来たんだから、そっちに注目するよね。
なんだかこのままお面を被っても大丈夫な気がしてきたよ。僕は今、透明人間になってるかもしれない。
それにしても、みんなごく普通の、感じのいい先輩後輩にしか見えない。まあ、呪いなんてものは見た目じゃ分からないと、僕は身をもって知っているけど。
やがて準備が始まり、僕たちは客席の中ほどに並んで座った。膝の上に抱えたカバンの中には、あの猿の面が入っている。
もし誰かに見つかったら、演劇部に興味がある見学者、ただし滑稽な猿の面を持参、という説明不能な人物ができあがってしまう。
何としても誰にも見られずに、目的を果たさなければ……。
しばらくして、通し稽古が始まった。
素人の僕が見ても、みんな上手だ。声は客席の奥まで届くし、立ち位置ひとつで場面の空気が変わっていくのが分かる。
そして、深山さんが舞台の中央に進み出た。
堂々とした足取りに、すっと伸びた背筋。真っ直ぐに客席を見据えるその姿には、気後れや緊張した様子は見えない。
「……っ、……わ、たし……は」
掠れた音が、ぽつり、ぽつりと落ちる。
深山さんの天井まで届いていた声は、舞台の上では糸みたいに細くなって、途中でぷつりと切れてしまった。
深山さんは喉に手を当てて、息を整えると、もう一度口を開く。
「わたし、は……この、まちを……」
今度はさっきよりは声が出ている。出てはいるけど、それはとても彼女の本来のものじゃない。
精一杯絞り出しているのが、客席からでも分かる。分かるからこそ、見ていて苦しい。
舞台の袖では、部員たちが顔を見合わせていた。
心配そうな顔の中に、困ったような、どうしていいか分からないような色が混じっている。
喉は悪くないと医者に言われて、頑張れば少しは出るとなれば、周りはどう扱っていいのか分からないのかもしれない。
隣では、白雪さんが、膝の上で両手をぎゅっと握りしめていた。
……これは、一刻も早くなんとかしないと。
窓から差し込む光が、いつの間にか濃い橙色に変わってきている。
「千歳君、気をつけてね」
僕は白雪さんと目を合わせて、小さく頷き合った。
よし、ここからが本番だ。
たとえ僕の評判が地に落ちて、この先の学園生活が厳しいものになったとしても、ここは踏ん張るときだ。
いや、できれば、穏便に済ませたいけど。
途中休憩のざわつきに紛れて、僕は客席のいちばん後ろ、明かりの届かない隅の席へと移動した。白雪さんは僕と舞台の間の席に座って、さりげなく視線を遮る壁になってくれている。
よし、誰もこっちを見ていないな。
……それにしても、いざ被るとなると、ものすごく抵抗があるな、これ。
でも、もう迷っている場合じゃない。意を決して、僕は面を顔に当てた。
一瞬視界が真っ暗になったけど、少しして、細い視界の先に、舞台の明かりが滲んでくる。
まずは、舞台に立っている部員たち。それから、舞台の周りで演出をつけている先輩や袖で台本をめくる部員。さらには、音響の機材のところにいる子。
……おかしい、何も見えない。
黒いモヤなんて、誰の周りにも浮かんでいない。角度を変えて、身を乗り出して、目を凝らしても、そこにあるのは夕暮れの稽古風景だけだ。
今は柘榴さんの言っていたとおり、黄昏時のはず。それなのに、この場に黒いモヤを纏った人間はいなかった。
もしかして、深山さんの声は、呪いのせいじゃないのか?
僕はそっと面を外してカバンに戻すと、休憩終わりで席を立つ部員たちの動きに紛れて、白雪さんの隣へと戻った。
「どうだった、千歳君」
「ダメだった。誰にも、その、何も見えなかった」
声をひそめて首を横に振ると、白雪さんの横顔が曇っていくのが分かった。
* * *
「お待たせ! 二人とも、今日はありがとう」
ホールを出た僕たちが廊下で待っていると、片付けを終えた深山さんが駆け寄ってきた。稽古のあとだというのに、僕たちに気を使ってか、その声はいつも通りに明るい。
「で、どうだった?」
「……ごめん、深山さん。今日のところは、はっきりした原因は分からなくて」
「そっか。ううん、見てもらえただけで、なんだか少し心強かったから」
そう笑ってみせる深山さんの目の下の隈が、また少し濃くなった気がして、僕は自分の無力さに唇を噛んだ。
せっかく相談を受けたのに、何にも力になれないなんて。
白雪さんも気を落としているかと思って隣を見ると、白雪さんは顔を伏せるどころか、何やら考え込んでいるようだった。
「あの、白雪さん、どうかした?」
「ねえ、深山さん。ひとつ聞きたいんだけど、今日って、部員のみなさん、全員揃ってた?」
「え? うん、今日は通しだから全員……あ! そういえば、ひとり急に体調崩しちゃった子がいたんだった」




